My Dear Child
〜後編〜
「とにかく、あと3日で元に戻れますよ。師叔」
嬉しそうに楊ぜんは言った。
「良かったですね、師叔」
太公望は曖昧にこくんと頷いて、それからぎゅうっと楊ぜんの首筋に抱きついた。
「嬉しくないんですか」
楊ぜんは困ったように言う。太公望だってきっと喜んでくれると思ったのに。太公望の様子はすねてふてくされてるようにも見えた。
「さっき置いてっちゃったの怒ってるんですか」
太公望は返事をしない。
「でも、雲中子さまは危ないんですよ。師叔が一緒に行ったらきっと、改造されちゃいますよ」
ぎゅうっ。太公望は楊ぜんの髪の毛を引っ張った。
「痛いですよ、師叔。違うの?」
べたあっ。太公望は楊ぜんに抱きつく。楊ぜんはため息をついた。太公望がなんにすねてるのかさっぱりわけがわからない。そもそも楊ぜんは小さくなった太公望にどう接すればいいのか、それすらもわからないのだ。楊ぜんの頭の中には、当然のことながら自分の上司で恋人でもあった太公望像があるわけで……それに、目の前のはっきりいって自分にべったりな子供が結びつかない。でも確かに同一人物であるわけだから、結果楊ぜんは子供に向かって中途半端な丁寧語で話し掛けている。否。
そもそも、200年間も生きていながら弟子も取らず、自分よりも小さい子供の世話を一度もしたことのない楊ぜんには、これくらいの年齢の子供を、どう扱っていいかなんてさっぱりわからなかったのである。
「もおっ。どうして女官の前ではお利巧でいられたのに、僕の前だといい子にできないんですか」
楊ぜんは困ってしまう。腕がしびれてきた。さっきからずっと抱きっぱなしなのである。楊ぜんだって、何回かおろそうとはしたのだ。だけれどそのたびに太公望は泣き叫んで抵抗するのである。だいたい、女官の前ではもうちょっとしっかりして見えたのに。楊ぜんの前ではまるで赤ちゃんみたいだ。
はあ。楊ぜんは一つため息をつく。
「そうだ、師叔。桃もらってきて上げましょう。ね」
食べ物で釣ることにしたらしい。太公望は考え込んでいる。
「一緒に行く」
「じゃあ、歩いてくださいね」
「やぁ」
「だって僕、もう疲れちゃいましたもん。師叔のこと抱っこしたままじゃ、動けません」
「うう」
「歩けますね」
こくん。食い意地に負けたのか太公望はいたって素直に頷いた。
☆
楊ぜんはゆっくりと歩いていく。太公望が降りてくれてほっとしたのだけれど、楊ぜんの足に付きまとうように歩く太公望はそれはそれで怖かった。大またで歩いたら蹴飛ばしてしまいそうなのである。始めは手をつなごうとしたのだけれど、二人の身長差のせいでそれはちょっと無理だった。だから太公望は楊ぜんの服のすそをつかんで一生懸命歩いている。
そしてゆっくり歩いたせいで、蝉玉に見つかってしまった。
「あら、楊ぜん。その子なあに?」
好奇心一杯で蝉玉は太公望と目を合わせる。おっとりした女官たちと違って蝉玉の様子が怖かったのか、太公望は人見知りして楊ぜんの服の中に隠れた。
「きゃあっ。可愛いーっ。なになに。太公望の隠し子?」
「違うよ、この子は……」
「師叔がどうかしたさ?」
「ちょっと天化。来て来て。太公望の隠し子だって!」
「蝉玉君違うってば。この子は……」
楊ぜんがおろおろしてる間に、なぜかそこにはいつものメンバーが集まってきてしまう。
「太公望に隠し子なんかいたのかよ。誰の子だ?」
「武王違うんです。この子は……」
「そういえばお師匠様にそっくりですねっ」
「武吉君。そうじゃなくて……」
「楊ぜん。子供だったら俺がいくらでも協力してやるよ」
「何言ってるの。韋護君。そうじゃなくてこれは師叔っ!」
「だから、太公望の隠し子なんだろ」
「違うの。この子が師叔なの!」
楊ぜんが叫んだとたん。ふえ〜んっ。と、まるで期を窺ってたみたいに太公望が泣き出した。
「ああっ。もう」
しょうがなく、楊ぜんは太公望を抱き上げる。
太公望はべたあっと楊ぜんに抱きつくと、韋護と姫発に向かってべえっと舌を出した。楊ぜんはそんなことには全然気づかずに、怒って歩いていく。
「あれじゃ、抱き癖ついちゃうわね」
「もうついてるさね」
だから、蝉玉と天化の囁きも聞き取れなかった。
☆
桃を手にして太公望はご満悦である。一応、楊ぜんが細かく切ってやったのだが、太公望は素手でぎゅうっとつかむので手のひらがべたべたになってしまう。楊ぜんは仕方なくタオルで小さな手をごしごし拭いてやる。
「師叔、服で手を拭いちゃ駄目ですよ。桃は染みになるんです」
「よーぜん。もっとぉ」
「駄目。夕食が食べられなくなるでしょう」
「やぁ」
「もお」
そこで、本当に二つ目の桃の皮をむき出してしまうのだから、楊ぜんもちょっと問題である。
楊ぜんは桃を小さく小切りにして、あーんっとおっきく口を開けて待ってる太公望に食べさせてあげた。
「よーぜん。もっとぉ」
「まだ、食べるの師叔?」
結局太公望はおなかが一杯で夕食が食べられなかった。
それから二人は一緒にお風呂に入った。背のない太公望をそのままお風呂に入れるのが怖くって、楊ぜんは太公望を抱きかかえて浴槽に入る。太公望はべったりと楊ぜんに貼りついている。
そして、楊ぜんは太公望の身体をごしごし洗ってあげる。だから太公望も楊ぜんをごしごししてあげた。
「よーぜん、気持ちいい?」
「気持ち良いですよ師叔」
「じゃぁ、もっと洗ってあげるね」
太公望はごしごし。
「師叔っ!そこは洗っちゃ駄目っ。自分でやるからいいですっ!」
「ほぇ?」
お風呂場はにぎやかである。
「師叔。ちゃんと服着なきゃ駄目ですよ」
「やぁっ」
「あっ。師叔っ。僕の服返してっ!」
脱衣所もにぎやかである。
そんな感じで楊ぜんの一日は終わった。楊ぜんと太公望は一緒の寝台の上で。太公望が楊ぜんの髪の一房をぎゅっと握り締めて眠る。楊ぜんは寝る前にいくつかお話をしてあげて、それからチュっと太公望の頬におやすみのキスをした。
「師叔。おやすみなさい。いい夢を……」
楊ぜんは終始困って、戸惑って、時にどうしようもなくって落ち込んだりもしたけれど。雲中子に刺客を差し向けてやろうかとまで思ったのだけれど。それでもこの三日間は――彼は意識しなかったかもしれないけれど――楽しかったのだ。とっても。
戦争もつらい過去も何もかも忘れて、太公望とずっと一緒にいられたこの三日間、楊ぜんはとっても幸せだったのだ。
だけれど、三日はあっという間に過ぎてしまう。本当に、すぐに。
☆
三日目の夜。
その日は朝から太公望はぐずっていた。ほんの少しでも楊ぜんの傍を離れようとしなかった。楊ぜんは困りながらも、でも、それもあと少しということで、太公望の相手をしてやっていた。仕事がたまってどうしようもなくって、たまに周公旦ににらまれた。太公望が離れないから仕方なく楊ぜんは太公望をひざの上にのせて仕事をしていたのだ。
太公望が抜けたぶん忙しかったし、疲れていた。だから楊ぜんは、どうして太公望がぐずってるのかなんて、全然考えもしなかったのだ。
「どうしたんですか。師叔。眠れないの?」
太公望はただでさえ大きな瞳を一杯に開いて、楊ぜんをじっと見ている。楊ぜんの寝台の上で太公望はぎゅうっと楊ぜんの髪の房を握り締めている。
「よーぜん。寝たくない」
「どうして?」
ぎゅうっ。太公望は楊ぜんに抱きつく。
「よーぜんと、離れるの。嫌」
「ずっと一緒だよ」
楊ぜんは太公望の頭を撫ぜる。
「嘘だもん」
楊ぜんはきょとんとする。
「どうして?」
「明日になったら、消えちゃうんだもん」
言葉を理解するまでに数秒かかった。
そうだ。太公望が元に戻れば、今の幼い、小さな太公望の意識は摩り替わって消えてしまうのだ。一つの身体に複数の意識は普通存在しえない。
そして次に来るのは言い様のない後悔。
何でそんな簡単なことに、もっと早く気づかなかったのだろう。あと三日で元に戻れますよ。何でそんな残酷なことが平気で言えたのだろう。
こんなに小さい太公望はたった一人で、ずっとずっと怖かったというのに。僕は、まるで小さな太公望を、邪魔者みたいに……
「大丈夫。雲中子様に相談すれば」
ひょっとしたらできるかもしれない。太公望をこのままで定着させる薬が。
だけれど、それを使ったら周は軍師を失うことになる。そして何よりも、それでは太公望が。楊ぜんの恋人であるところの太公望が元に戻れない。
「何か、何か方法は……」
何にも、あるわけはないのだ。そんなもの。
こんなのってない。
目の前がぼやけた。ひょっとしたら泣いてるのかもしれなかった。
「よーぜん」
太公望は小さな手を楊ぜんのほうに伸ばす。そおっと頭を撫でてあげた。
「ごめんね。よーぜん」
そしてぎゅうっと楊ぜんに抱きついた。否。抱きしめてあげたつもりだったのだ、彼にしてみれば。だって、太公望は楊ぜんが大好きなのだから。
「師叔……僕がどうにか……。師叔。消えちゃ、やだ」
「よーぜん。なかないで」
「師叔……」
「よーぜん。あのね」
太公望はちょっとだけ起き上がる。そしてちょっと戸惑いながら、楊ぜんの頬にチュっとキスをした。
「大好き。……だから。わすれないで」
わすれない。なにがあっても。
指きりした手の感触はひどく頼りないけれど。
☆
目がさめて、太公望はちょっとびっくりする。楊ぜんに抱きつかれていた。しかも楊ぜんは泣いているようなのである。何か……したのだろうか。
「楊ぜん?」
太公望を見とめると楊ぜんは今度は盛大に泣き出した。プライドばっかり高い恋人の面影もなく。太公望は困ってしまう。
「楊ぜん。何があったのだ?」
「師叔が……師叔がぁ……」
「わしが何かしたのか?」
「違う。師叔じゃない。師叔なんです」
わけがわからない。
「困ったのぉ。何があったのか、楊ぜん」
ごしごし目をこすって楊ぜんは首を振った。あんまり目をこすりすぎたせいで楊ぜんの目はウサギさんみたいに真っ赤になってしまった。
「あなたが……ずっと寝てるのが悪いんですぅ……」
しゃくりあげながら楊ぜんは言う。
太公望は首をかしげる。そういえばずいぶんと長い間寝ていた気がする。
「しかしのぉ、楊ぜん。とってもいい夢を見ておったのだ。おぬしも出てくるのだがの。どういうわけかわしが子供になっておって」
楊ぜんはきょとんとする。
「その夢の中では、わしは三日で消えてしまうことになっておったのだが……。でも楽しかったのぉ。一日中おぬしと一緒で。桃を食べたり、風呂にも一緒に入ったのぉ。仕事中はおぬしのひざの上で、そーいえば、韋護や姫発も出てきておったのぉ。夢にしてはやけにリアルだったが……」
楊ぜんはどういうわけか、思いっきり太公望をにらみつけていた。
「どうしたのだ?楊ぜん」
「師叔の莫迦ぁっ!」
楊ぜんは叫んで、部屋を出て行った。
一人の部屋に残された太公望は、呟く。
「わすれないで……か」
そしてちょとにんまりした。
end.
novel.
|