花冠
途方にくれた楊ぜんはくるくると辺りを見渡す。
まったく。あの人ったらどこ行っちゃったんだろう。
決して真面目な人じゃないってことはわかってる。桃を盗んだり、適当にサボったり、仕事中に居眠りしたり、そういうことはホントによくやる人だ。だけど、自分のやるべきことはきっちりわかってる人のはずだ。普段だらけてても、いざというときに頼りになるから、それなりにアコガレもしていたし、もっと言うなら好きだと思えた。
それなのに。
散歩してくるっていったっきり、師叔はまだ帰ってこない。
まさか敵に会ってそれで……。あの人は強いし、魂魄も飛んでない。だけどたとえば負傷して動けなかったとしたら。あの人は時々無茶をするから、強い敵に会って深追いして、今ごろは……。
思考はどんどん悪いほうへと流れていく。
日はもうすぐ暮れようとしている。雲が厚くなって今にも雨が降りそうだ。空を見上げると額にぽたっとしずくが落ちた。雨が降ってくる。急がなきゃ。
「すみません、太公望師叔を見かけませんでしたか?」
これで一体何件目になるだろう。街の店をのぞいては声をかけ、そして失望するということを楊ぜんはさっきからずっと繰り返していた。
「いや、見なかったけど、軍師様がどうかしたのかい?」
「そうですか。いえ、なんでもないんです」
「そうかい。それならいいけど」
「どうせまた、どこかでサボってるんですよ、きっと」
店の人は、あははと笑う。
「しょうがない軍師様だねぇ。楊ぜん様も大変だ」
店の人の反応はやわらかいし、優しい。それはやっぱりあの人の人格を表しているようで。だけど今はそんなことはいってられない。
「まったくです」
やんわりと笑って、店を出る。街の人を不安にしてはいけないとおもう半面、まどろっこしい。本当はすぐにでも他の店に駆け込みたい。そして、そこで師叔を見つけて、軽くお説教して帰るのだ。そうすれば、この不安はなくなる。杞憂になる。
「あ、ちょっとまって」
引き止められて振り返る。店の人は何かの包みを渡してくれた。
「二人で食べるといいよ、ね?」
そう言ってウインクを一つ。そのウインクの意味がわからずに楊ぜんはきょとんとする。
「大丈夫、あたしはあんた達の見方だよ。ホントに好きなんだったら男同士だってかまうもんか。世の中には頭の固い連中がごろごろしてるけどね。ああいうのは出世しないよ」
きっぱりと言い捨てた彼女の台詞に青くなる。
「あの人はそんなことまで話したんですか」
おまけにちょっと悲鳴じみた声になった。
彼女はうふふと笑う。
「オンナの勘。でも、そうなんだろ。楊ぜん様のことを話すとき軍師様は本当に優しい目をするから」
目頭が熱くなったので楊ぜんはぎゅっと目を瞑った。
「ありがとうございます」
店を出ると雨が強くなっていた。それはほんの少しだけ好都合だった。
☆
それからあとも、似たようなやり取りの繰り返し。
とうとう街には師叔はいないようだと見切りをつけて楊ぜんは農地へ向かう。ひょっとしたら、どこぞの農家にあがりこんでお茶でももらってるのかもしれない。おじいさんの昔話に付き合って帰るタイミングがつかめないのかもしれない。雨が降ってきたから、雨宿りしてるのかもしれない。それならばどんなにいいだろう。
雨が強くなる。濡れて道服が重くなる。足にまとわりつく。
それと比例して不安も重たく楊ぜんにのしかかる。血まみれで動けない師叔。どんどん体温を奪っていく雨。
嫌。あの人がぬれてしまう。
泣き出しそうな思いを抱えて楊ぜんはドアをたたく。
そしてまた失望、失望、失望――。
たたいたドアのぶんだけ不安が重くなる。
楊ぜんは空を見上げる。
大丈夫。まだ魂魄は飛んでない。
西岐中の民家を尋ねまわったわけじゃない。そのうちのどこかにいるかもしれないんだから。
でも、だけど、万が一――。
「哮天犬!」
すがるように叫んで、袖から宝貝を出す。宝貝とはいっても家族みたいなものだ。哮天犬は主人の不安を映したように、くぅん、と鳴いた。
「師叔を捜して、ね。お願いだから」
やわらかい毛並みに頬を寄せると少しだけ落ち着いた。そうだ。こんなときだから、しっかりしてなきゃいけない。
哮天犬に乗って空に浮かび上がる。民家とは全然別方向に飛んでいく哮天犬を、たしなめようとしてやめた。何をしても裏目に出てしまいそうに思えたから。
☆
どれくらい飛んだのだろう。距離からすればきっとほんの少しの時間のはずなのに、楊ぜんはひどく長く感じた。
城の反対側。楊ぜんが捜していたのとは全然別方向。何にもない、言うなれば野原に太公望は、いた。
緑色のじゅうたんに、眠るように。
「師叔!」
哮天犬が着地するより早く、楊ぜんは飛び降りる。走って駆け寄って怪我がないか確かめて。
「よかったぁ」
ただ眠ってるだけみたいだ。安堵すると、その幸せそうな寝顔が憎らしく思えてくる。雨が降ってるのも気づかずに眠りこけるなんて。
「莫迦」
今まで必死に走り回った自分が悔しくって、莫迦みたいで、仕返しのように鼻をつまんでやった。
怖くって怖くってどうしようもなかったのに。
「うぬぅ。何をするのか」
さすがに起きた太公望の声は、鼻をつままれてるせいで、なんとも変な感じがする。
「莫迦」
太公望は眼を開ける。とりあえず自分の鼻をつまんでる楊ぜんの手をやんわりとはずす。それから、しまったと思った。うっかり眠りこけてしまった。きっと楊ぜんは心配になって迎えに来てくれたのだろう。わずかに雨が降っている。心持ち肌寒い。
「ああ、その、悪かった楊ぜん。ちゃんと埋め合わせはするから。仕事も真面目にやる。当分桃も盗まぬ。これで機嫌を直してくれぬか」
「莫迦」
言葉を忘れてしまったように楊ぜんはそれしか言わない。
「楊ぜん」
「あなたが……」
「ん?」
「あなたが死んじゃったかと思った。いなくなっちゃうのかと思った」
雨に混じって涙がこぼれた。
「楊ぜん?」
「すごく……すごく怖かったんだから。師叔。わかってますか、それ。そのくらい。そのくらい大切なんですよ。どーしてわかんないんですか。わかってくれないんですか。莫迦」
言ったっきりしゃくりあげる楊ぜんを、たまらなくなって抱きしめる。強く。強く。
「すまんかった、楊ぜん」
目の前に広がる、紫の大きな瞳に向かって太公望は言う。
「おぬしをこんなにぬらしてしまうなんて、わしはホントに大莫迦者だ」
紫の瞳は大きく目を開いて、それからぎゅっと太公望に抱きついた。涙を見られないように。
☆
大分落ち着いてきて、それでもまだ目をごしごしやってる楊ぜんに太公望はぽん、と何かをかぶせた。
「何?」
「花冠」
真っ白なシロツメ草の花を組み合わせて。
「いっぱい咲いておるだろう。そら、あの辺に」
よく見れば、白い可愛い花が一面に咲いている。
「昔は、よく妹につくってやったのだが、懐かしくってのぉ。久しぶりにつくってみたらつくり方を忘れておって、大分かかったのだが」
そう言って太公望は目を瞑る。本人はウインクのつもりかもしれないが、両目とも瞑っちゃっては意味がない。
「なかなか良いできであろう。おぬしの青い髪にきっと似合うと思った」
日は沈んで空には月明かり。雨はいつのまにかやんでいた。
耳元でそっと囁く。
「女神様みたいだ」
「莫迦」
ほんの少し頬を染めて、楊ぜんは小さくつぶやいた。
end.
novel.
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