星祭りの夜



「にぎやかだのぉ」
 道行く人々を眺めながら、太公望は嬉しそうに呟いた。
「お祭りですからね」
 楊ぜんも浴衣姿で、祭りを眺めて歩く。日はだいぶ暮れて、町は薄紫に染まっている。かろうじて影が映るくらいの明るさ。町のいたるところに笹や七夕飾り。今日は星祭りなのだ。
「しかし七夕というのは女性の祭りではなかったか?」
 特に目的もなく、半分冷やかしで二人は歩いていく。
「そうなんですか。僕、知りませんでしたけど」
「だってこれは織物が上手くなるように祈るものであろう?」
 くすっと楊ぜんは笑う。
「じゃあ、確かに師叔は関係ありませんね。でもお裁縫くらいできるように祈ってみたらいかがですか」
 何しろ太公望は服にボタンをつけようとして、なぜか手の甲を針でさしてしまうくらいの、とんでもない不器用なのだ。
「おぬしがいるからよいよ。ああ、そうだ。それなら楊ぜんが祈ればよかろう」
「僕が何を祈るのですか?」
「だから、わしのために楊ぜんが裁縫ができるように祈るのだ」
 くすくすくす。楊ぜんは笑う。
「僕は祈らなくったってそれくらいできますよ」
 うぬぅ……。太公望は唸る。
「おぬし、ずるいではないか」
「何がずるいんです?」
「何でも人並み以上にできて、それで背も高いなどずるいといったのだ」
「背は関係ないでしょう」
 太公望は腕組みをした。
「それが一番ずるいと思うぞ」
 太公望は楊ぜんを見上げる。そして大声で言い放った。
「おぬしがそんなに背が高いから、わしはいちいちキスしようとするたびに背伸びしなくてはならぬし、何回かは逃げられてしまうのだ。おぬしがわしより背が低ければ逃がしはせぬものを」
「ちょっと師叔っ。そんなこと大声で言わないでくださいよ」
 楊ぜんは真っ赤になる。
 二、三人の男女が振り返ってくすっと笑った。
「良いではないか。別に」
 太公望はとぼける。
「良くないですよっ」
「ほおう。ではおぬし、わしと付き合ってることが知れて困る相手でもいるのか」
「いませんよ。そんなの。師叔、ひどいです」
 楊ぜんは太公望を睨みつける。
「わしは嫉妬深いって、おぬしも知っておるだろう」
 太公望は背伸びして楊ぜんの頭を撫ぜる。否。撫ぜようとしたのだけれど、楊ぜんが逃げてしまったので結局できなかった。
「やはりおぬしはずるい」
 太公望は恨めしそうに楊ぜんを眺める。それで楊ぜんはほんの少しだけ罪悪感に駆られる。逃げたのはわざとじゃなかった。あれは反射みたいなものだ。楊ぜんは師匠以外の人にそんなふうに扱われるのはなれていないのだから。
「人前でそういうことしようとするほうが悪いんです」
 だから楊ぜんはわざと決め付けた。
 太公望はにんまり笑う。
「何を言うか。おぬしみたいな可愛い恋人を見せ付けてやるのが楽しいというのに。ほれみろ。みんなうらやましそうな顔してわしらを見ておるではないか」
「師叔。そういうのって趣味悪いですよ」
「始めっから、わしは趣味が悪いのだっ」
 太公望は開き直る。そしてこれ見よがしに楊ぜんにキスしようとしたものだから、楊ぜんにひっぱたかれてしまった。
「ううッ……痛いのぉ……」
「自業自得です」
 ひりひりする右手を抑えながら楊ぜんは言う。太公望のほっぺたには見事にもみじマークがくっついていた。
「痛い……」
 太公望は頬を抑える。涙目である。
「そんなに……痛かったですか」
 楊ぜんも心配になって顔を覗き込む。手加減無しで叩いちゃったから。でも、太公望だって道士のはずだし、楊ぜんは実はあんまり力の強いほうじゃないし、だから大丈夫なはずなんだけど。
「師叔。見せてくださいね」
 おとなしく従った太公望に楊ぜんはほんの少し不自然さを感じた。そういえば、この人はちょっと心配になるくらい忍耐強い人で。滅多に痛いだの疲れただの言わない人で。大騒ぎするときはたいてい何かあるはずで。そしてこのパターンは……
 楊ぜんが飛びのこうとした瞬間。太公望はぎゅうっと楊ぜんを捕まえてキスをした。
「甘いのぉ、楊ぜん。何もしないで叩かれたのでは割に合わぬからのぉ」
 にょほほほほ〜と、太公望は変な笑い方をした。
「もおっ。あなたって人はっ」
 楊ぜんは再び太公望を叩こうとして、それから真っ赤になって止めた。
 祭りはそろそろたけなわで、人が結構出てきていたのだ。そして楊ぜんと太公望は見事に見世物になっていたらしい。周りに見物人がちらほらいる。結局太公望の、楊ぜんを見せびらかすという目的は大成功になってしまっていたのだった。そんなことには全然気がつかない楊ぜんはますます太公望の思惑通りに、太公望の袖を引っ張る。
「師叔。早く行きましょう」
「そうだのぉ」
 まだ頬に楊ぜんの手のひらの跡をくっつけたまんま、太公望は楊ぜんの腰に手を回した。楊ぜんは、耳まで真っ赤になって、でも結局逆らわなかった。
 あたりはだいぶ暗くなってきており、空にはちらほらと星が見え始めていた。
「のぉ、楊ぜん。町の外れまでいこう。あそこなら星がよく見えるであろう?」
 目的地をきめて太公望と楊ぜんは歩き始める。
 途中、短冊を渡された。ボランティアかなんかのグループが配っていたのだ。二人はくすくす笑いながら、お互いに見られないように短冊に願い事を書くと、それを預かった係りの人が笹の割と上のほうに結び付けてくれた。
「ねぇ、師叔。あなたは何をお願いしたんですか?」
 あたりにはほとんど人家もなくもうすっかり町のはずれである。先にはうっそうとした森。太公望と楊ぜんは手ごろな石を見つけて腰掛ける。
「楊ぜんがわしより背が低くなるように」
 空には満天の星空。
「何、それ」
 楊ぜんはふくれる。
「おぬしはわしのために裁縫が上手くなるように祈るのであろう?」
「違いますよ」
「何だ。では、わしのために料理が上手くなるようにとか……ああ、歌が上手くなるようにというのも良いのぉ。わしはおぬしの歌声を聞いたことがない」
「それはあなたが祈ったらいかがです?元宮廷音楽家さん」
 楊ぜんは冷やかした。
「だからわしは、おぬしの背がわしよりも低くなるように祈ったといっておるではないか」
「そんなに僕の背がお気に召さないんですか?」
 楊ぜんはちょっとすねてみせる。
「そうではないが、しかし一回思いっきりぎゅうっとおぬしを抱きしめて閉じ込めてみたいというか……」
「ホントに?そんなのが師叔の願いなんですか?」
「駄目かのぉ……」
 楊ぜんはちょっと考える。
「師叔。眼、閉じてくださいね」
「キスしてくれるのか?」
「莫迦。いいからちゃんと目を閉じてください」
 太公望が目を閉じたのを確認して楊ぜんはちょっと意識を集中する。言葉に形容できないような、なんとも奇妙な音がする。ほんの少し、空気がゆれた。
「師叔。良いですよ」
 声変わりしていない、子供のような声。太公望は目を開く。
 そこに楊ぜんが、太公望を見上げていた。
「楊ぜん?」
 太公望より頭一つ低い楊ぜんは、華奢で、小さくて、ひどく少女めいて見えた。肩より軽く先まで伸びた髪のせいかも知れない。見上げる顔が幼いせいかもしれない。肌が透けるように白いせいなのかもしれない。唇がひどく赤いせいなのかもしれない。ただ瞳だけが妙に大人びていて、そのアンバランスさが魅力的でも魅惑的でもあった。年のころは……いくつだろう。わからない。見様によってはまだ十にもならない子供にも、ずっと大人にも見える。
 それはきっと、幼い頃の楊ぜんがそうであったというよりは、幼い頃の楊ぜんの姿の中に今の楊ぜんがすっぽり入り込んでいるからこそそうなったのであって。わざと……では勿論ないだろう。しかし。
 太公望は妙に戸惑ってしまう。
「どうしたんですか、師叔?」
「いや……思いのほか可愛くなってしまったのぉ」
「こっちのほうが好きなんですね」
 楊ぜんはすねる。どうも、子供の頃の自分の姿に嫉妬しているようだ。だから太公望は可笑しくなってしまう。
「どっちも好きだよ。だってわしは、おぬしに惚れたのだし、どっちもやっぱりおぬしであろう」
「ふうん」
 楊ぜんはちょっと疑い深そうな目を向けて。でも思い直したのかにっこり笑った。
「抱きしめてくれるのでしょう?」
 太公望は楊ぜんに軽く口付ける。確かに楊ぜんは逃げることができなかった。もっとも本当に逃げ出そうとしたのかはわからないのだが。
「おぬしはしゃべりすぎだ」
 そしてぎゅうっと楊ぜんを抱きしめてしまう。楊ぜんはまるでそうなるようにあつらえたかのようにすっぽりと太公望の腕の中に収まってしまった。
 くすくすくす。楊ぜんは笑う。ぎゅうっと頬を太公望の胸に押し当てるようにして。今は七月で、暑くて暑くてたまらないのに、誰かの体温なんか暑苦しくてしょうがないはずなのに、妙にそれが心地良かった。
 たまになら、こんなこともいいかと思う。一年に一度、星の降る夜くらいには。
「ねぇ、師叔。また来ましょうね。来年も再来年も、ずっとずっと。西岐じゃないかもしれないけれど、七夕の夜には一緒に星祭りに」
「珍しいのぉ、おぬしがそんなことを言うのは」
「でも……約束」
 小指を絡めて二人は子供みたいに指きりをする。



 願い事は一つだけ。

 最後まで共に歩こう。

end.

novel.