家路
19.家路
結局、太公望は楊ぜんが眠ったまま起きなかったことだけ皆に話した。勿論その間楊ぜんの意識がどこにあったのかは伏せたままで。そうでもしないと二週間近くの楊ぜんの不在はいささか不自然だったのだ。
その日のうちにまず左右をなぜか周公旦と邑姜に固められた姫発が、気障にも薔薇の花なんか抱えてやってきた。そしてありていにお見舞いの言葉を言うと左右の二人にずるずると引きずられるようにして去っていった。
次に訪れたのは韋護と蝉玉という変わった組み合わせで、楊ぜんが、「乗り換えたのかい?」なんてあっけらかんと尋ねたものだから脇で韋護が止めなければ今ごろ楊ぜんは五光石の餌食となっていたことだろう。
それから太乙真人が入ってきて楊ぜんの額にかるく口付けたりしたものだから太公望は不機嫌そうに楊ぜんのてをぎゅうっと握り締めた。
その日最後に訪れたのは意外にもナタクで、どこからつんできたのか勿忘草の小さな花を楊ぜんに差し出した。ぶっきらぼうな口調で「良かったな」といった。楊ぜんはにっこり微笑んで「ありがとう」とその花を受け取った。宝貝人間の癖に真っ赤になったナタクを太公望はじろりと睨みつけた。
「で、仕事はどれくらいたまってるんですか」
一日横になって、死んでしまうのではないかと思えたのが嘘のようにすっかり元気になった楊ぜんは言った。
「おぬし、いきなりそういうことをいうのか」
太公望は怒ったように腕組みする。
「わしは随分心配したのだぞ」
「判ってますよ。心配しすぎて仕事にも手がつかなかったのでしょう。それはまぁ、僕の責任と言えなくもないですからね。手伝って差し上げてもよろしいです」
太公望は思いっきり膨れた。
「なんなのだその可愛げのない態度は!」
「じゃあ、どういう態度だったらいいんですか」
楊ぜんは挑発するように言った。
「うぬぅ」
太公望は考える。それからにまにました。ちょっと気味が悪い。
「そうだのぉ。まずぎゅうっとわしに抱きついてだな。師叔僕のためにずっとついてて下さってたんですね、とキスしてくれるのだ」
楊ぜんはじろりと太公望を見た。
「だって、崑崙にいた間は師叔ずっとついててくれたわけじゃないって聞きましたけど」
太公望はううっと唸った。
「太乙のおしゃべりめ」
楊ぜんはその様子を見てくすっと笑う。
「まあ、いいですけれどね」
それからそっと太公望の方に歩み寄ると前髪をそっとかきあげ、その額にちゅっとキスをした。
「だあほ、キスというのは普通口にするのだ」
「知りませんよ、そんなの」
楊ぜんはぷいっとそっぽを向く。
「なんなのだ、涼の時には無駄に可愛かったのに……」
ぶつぶつと太公望は文句をいう。
楊ぜんは軽く目を見開いた。
「師叔。あなた、なんで涼のこと――」
「あ、いや……そのぉ……」
太公望は慌てまくり、とぼけようとし、ついに観念したように口を開いた。
「見ておったのだ。……わしにそっくりなのが涼なのであろう」
楊ぜんはぼおっと太公望を見つめた。その瞳に涙がせりあがってきた。
「だああぁっ。済まぬ。その悪かった。楊ぜん。謝る!謝るから泣くでないっ」
太公望はあたふたする。この涙ほど困るものは無いのだ。
楊ぜんは涙を手でごしごしこすりながら言った。
「師叔……僕、涼に。涼に凄く、悪いことした……」
太公望はきょとんとする。楊ぜんが泣き出すとすれば、それはつまり楊ぜんと涼が浮気したことを太公望にみられた恥ずかしさとか罪悪感とかそんなことだろうと太公望は思っていたのだ。それなのに出てきた台詞がこれで、太公望は拍子抜けしたというよりも、やや怒りを感じた。
とりあえず太公望は怒りを顔に出さずに楊ぜんの頭をそっと撫ぜてやる。
「何をしたのだ?」
「僕……僕が涼を作ったんです。涼は僕のこと好きだって言ってくれたのに僕は僕に都合のいいように、師叔にそっくりに、師叔の代わりみたいに涼を作っちゃったんだ……」
太公望は正直なところ楊ぜんが何を言っているのかサッパリ判らなかった。
「楊ぜん、最初からきっちり説明してくれぬかのぉ。それはおぬしがずっと目覚めなかったのと関係があるのか?わしにはどうもよくわからぬ」
楊ぜんは時たま泣きじゃくりながら、涼と、それから楊ぜんのことを話し出した。
☆
「涼は……幻か……」
楊ぜんの話を聞き終わった後、太公望はぽつりと呟いた。
「いましたよ。涼はあの場所にちゃんといたんです」
「ああ、そうだのぉ。わしも見たよ」
太公望はそういって例の姿見を眺めた。そこには部屋の風景と目を赤くした楊ぜんと楊ぜんを抱きしめた太公望が移っていた。もう二重写しには見えなかった。
涼は楊ぜんの一部。楊ぜんの願望が作り出した幻。
楊ぜんがこちらに帰ってきたから、消えてしまった幻影。
「ねぇ、師叔。涼の人生ってなんだったんだろう」
「涼は、おぬしと一緒にいて幸せだったのだろう。おぬしを守って……消えたわけだし」
「涼は僕だけのために存在したんですよ。涼のための人生ってなかったんだ。それって、酷いじゃないですか」
「おぬしのためだけに存在した者が、おぬしのために存在できたのなら、それは幸せではないのか?」
太公望はそっと楊ぜんの髪を撫ぜた。
「でも、そうじゃなくって。涼は涼のために生きるべきだったって思いませんか?」
「だから、涼は涼のために生きたのであろう」
楊ぜんはきょとんとして太公望を見上げた。
「涼は自分で楊ぜんを守ることを選んだのであろう。涼はそのまま楊ぜんも巻き添えに消えてしまうことだってできたはずだ。それでも、それをしなかったのは、涼は自分の意志で楊ぜんを守ることを選んだのだろう」
楊ぜんはうっすらと微笑む。
「そう考えれば、楽になれますね」
太公望はぎゅうっと楊ぜんを抱き寄せた。
「わしは羨ましいよ。涼が。おぬしのためだけに生きられたら、それはなんと贅沢な生だろうのぉ」
「ご冗談ばかり」
「いや、わしは本気でそう思っておる。おぬしが目覚めぬかもと思って、気がついた。わしはわしのためにおぬしを手放したくないし、おぬしのために生きたい」
楊ぜんは不思議そうに太公望を見つめた。
「あなたがそんなこと言うなんて……思ってなかった」
太公望は茶化すように笑った。
「わしも少しは自分に正直に生きてみたいと思ってのぉ」
「言ってみたい。でしょう。まだ」
楊ぜんはやんわりと言葉を直した。
太公望は軽く笑う。否定は、しなかった。その代わりに言葉をつなげる。
「封神計画が終わったら、のぉ」
「一緒に?」
「一緒に」
二人は軽く笑いあう。
「やだなぁ、期待しちゃうじゃないですか」
「大いに期待してくれれば良いぞ」
太公望は大見得を切る。
それから少し声を潜めて楊ぜんに囁いた。
「のぉ、一つ聞きたいのだが。涼はおぬしの願望が生み出した……人間なのであったな」
楊ぜんはこくりと頷く。自分からその話を蒸し返す太公望に少々困惑して。
太公望はさらに声を潜め、楊ぜんの耳に囁く。
「ではのぉ、楊ぜん。涼がおぬしにしたことはおぬしがわしにして欲しいことだと考えて差し支えあるまいな」
楊ぜんは怪訝そうな顔をしながら頷きかけ、それから急に火を噴いたように真っ赤になった。
「なっ、師叔!あなたどこまでみてらしたんですかっ!」
太公望は楊ぜんのほうにぐいっと身を乗り出す。
「ほぉ、知りたいか。わしはもぉ、鏡の前で泣いておったのだぞ」
「師叔……?」
楊ぜんは寝台の上で、ずるりと後ろに下がった。
「僕、今病後なんですけど……」
声がかすれた。
「ほぉ。でも仕事ができるくらいには回復しておるのだろう」
太公望は楊ぜんの寝台の上に乗りあがった。
「で、でも。仕事とこういう事は違うと思うんですけれど……」
「何が違うのかのぉ」
「だ、だって師叔。僕、あの……」
楊ぜんはこれ以上後ろに下がれないところまで来ると観念してぎゅうっと小さくなった。上目遣いで太公望を見上げた顔は涙のせいだけでなく真っ赤になっていた。
「楊ぜん」
太公望は優しく囁くと顔を覆っていた楊ぜんの手をのけてそっとその唇に口付けた。にっこりと微笑む。
「言い忘れておった」
楊ぜんは太公望を見つめた。
「おかえり、楊ぜん。帰ってきてくれて、ありがとう」
「師叔ぅ……」
楊ぜんはぎゅうっと太公望に抱きついた。反動で太公望は後ろにぺちゃっと倒れた。
「玉泉山金霞洞玉鼎真人門下楊ぜん、ただいま帰りました。長らく留守にして申し訳ありませんでした」
それから小さな声で付け加える。
「あなたを、一人きりにしちゃってごめんなさい。帰って来れてよかった……」
太公望はくすくすわらって楊ぜんの長い髪を弄んだ。
「だあほ。素直にはじめからそういえばよいのだ」
ぎゅうっと、太公望に抱きついている、というよりものしかかっている楊ぜんを抱きしめる。
それから一つだけ呟いた。
「のぉ、楊ぜん。やっぱりこの体勢はどう考えても逆だと思うのだが……」
しかし、感極まって今にも泣き出しそうな楊ぜんには、そんな太公望の呟きなど到底聞こえないのだった。
end.
novel.
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