勘違い
たとえば、自分の部屋のドアを開けて、寝台の上にいまだ純な関係の恋人が可愛らしく枕なんか抱えちゃってにっこり笑って手を振ったりしたらどうする?そして、ちょっと恥ずかしそうにうなじの辺りを染めて、「今日はご一緒してもいいですか」なんていわれちゃったとしたら……
勿論、そんなシチュエーション、嬉しくないなんていったらうそになる。だけれど、それではいただいてしまおうかと相手にのしかかってしまうには、経験もそういう方面についての知識も全然なかった太公望は、見事に固まってしまった。
軽く頬をつねってみる。
痛い。
夢ではないらしい。
次の瞬間彼は大いにあせりだした。
「楊ぜん、ちょっと待て、おぬし、はやまるでないっ!」
わけのわからないことをわめいて太公望は楊ぜんをとめようと、寝台の傍による。心拍数が跳ね上がる。
もっとも、では楊ぜんがたとえば裸で太公望を誘惑しようとしていたのかと言えば全然そんなことはなくて、彼はきちんとパジャマを着込み、ナイトキャップまでかぶってちょこんと寝台の上に座っていただけだったのだけれど。
楊ぜんは太公望の剣幕にきょとんとして、それからちょっと顔を伏せた。
「やっぱり、駄目ですよね……」
シュンとしおれている花のような痛々しさで楊ぜんは呟く。
そしてそんな様子を見せられちゃったら、太公望だって男ではあるわけで。
「よ……楊ぜん、いや、そんなことはないが、そのぉ……こういうのは普通男から誘うものなのではないかと……いや。勿論、おぬしがそうしたいというのならわしは勿論大歓迎なのだが……」
太公望は言いながらもかなり恥ずかしかったのだが、ここで恥ずかしがったりしては今後の進展はありえない。いまだ半解凍状態の腕でぎゅっと楊ぜんを抱きしめた。
楊ぜんはそっと自分の頭を太公望の胸の辺りにのせる。
「師叔。でも、やっぱりこんなこと頼むのははしたないですよね」
「そんなこと楊ぜんが気にしなくとも良いよ。それにわしは嬉しいよ、楊ぜん」
太公望はやんわりと楊ぜんの髪を撫ぜてやる。どこか子供っぽいところのある楊ぜんはそうすると安心した子猫のように目を閉じた。
「でも、さすがにあきれられて嫌われちゃうかなって思ったんです」
「そんなことあるわけなかろう、楊ぜん。世界中のすべてがおぬしの敵にまわったとしても、わしだけはおぬしの味方だ」
そんな甘ったるい言葉を楊ぜんの耳に囁きかけながらも、太公望は必死になって考えていた。こういう場合、まず始めに何をすればいいのだろう。いわゆるハダカになんなくちゃいけないことはわかってるのだが、とりあえず自分が脱ぐべきなのだろうか、それとも楊ぜんを脱がせるべきなのだろうか、それとも楊ぜんが自分で脱ぐのだろうか……
自慢じゃないが、太公望、女性経験だってないのである。
しかも、押しかけてきた楊ぜんは自分では何もする気がないらしく、太公望にもたれたまま目を閉じている。
そうだ、とりあえず、押し倒さなくては。
太公望は上着だけでも脱いで寝台の上にあがろうとし、しかし楊ぜんがぺったり張り付いてる状態ではそれも出来なくて、仕方なく楊ぜんを貼り付けたまま寝台に横になることにした。
「師叔。いつもそんな格好で寝るんですか」
うっすらと目を開いた楊ぜんは、無邪気にもそんなことを言った。
「いや……そのぉ……」
太公望はしどろもどろになる。彼の考えからいえば、そういうことをするにはさりげなくすべきなのだ。ついでに雰囲気も壊しちゃいけない。もっとも、そんなものがあったとすれば、の話ではあるのだが。
そして、この状態はあんまり、さりげなくはなかった。
しょうがないから太公望はもぞもぞと上着を脱ぐ。そして、そこで止めるべきなのかそれとも全部脱ぐべきなのかちょっと迷った。
「師叔。やっぱり困ってますね」
楊ぜんは太公望のそんな様子に、顔をうつむけてそういう。
「良いんです。僕やっぱり自分の部屋で寝ます」
「いや……そんなわけではないのだが……。すまぬ、楊ぜん。わしはその……どうも、こういうことは初めてで」
仕方なく太公望は言う。
「はじめてなんですか」
楊ぜんは意外そうに言った。
そしてその意外そうな様子に太公望は驚く。
「もしやおぬし……はじめてではないのか」
太公望はどぎまぎしながらも楊ぜんに尋ねる。
楊ぜんはにっこり笑った。
「僕は小さい頃からずっと師匠と」
幸せそうなその口調に太公望は金属バットで殴られたようなショックを感じていた。純粋で清らかな楊ぜんのイメージががたがたと音を立てて崩れていく。太公望はそれを何とか防ごうとして瓦礫の山の下敷きになってしまった。
「……そうか……玉鼎か……」
押しつぶされた太公望は廃人のように呟いた。
それから、ちょっと首を振る。
「いや……良いよ。楊ぜん。おぬしにどんな過去があろうとも、わしがおぬしを好きなことに変わりはないから」
力の抜けた口調で太公望は曖昧に笑った。
「師叔。そんなに僕と師匠のことがお嫌なんですか」
困ったように楊ぜんは言う。
「そんな子供の頃の話に嫉妬されても僕は困ります」
「子供の頃、のぉ。子供の頃の楊ぜんは可愛かったであろうのぉ」
太公望は現実逃避をすることに決めたらしい。そうでもしなければ、まだ何もわかってない小さな楊ぜんに、あの大柄な玉鼎真人が襲い掛かると言う鬼畜生なシチュエーションが頭から離れなかったのだ。
「師叔ぅ……」
楊ぜんは困ってしまう。
「そんなに師叔が、嫌なのなら僕もう師匠とは一緒に寝ませんから、ねぇ、それで機嫌を直してくださいよ」
そんなこと、あたりまえである。
「いや、楊ぜん。わしは別におぬしのことを怒っているわけではないよ。おぬしは被害者なのだから安心せい」
太公望はそういって、楊ぜんの肩をぽんぽんと叩いた。
「被害者……ですか、そうですね被害者と言えば被害者ですけど。でも悪気はなかったのだと思いますよ」
楊ぜんはそういってとりなす。ああ、なんて健気なのだろうと太公望は思った。
「楊ぜん、それは悪気がないと言うところのほうが問題なのだ」
「そうでしょうか」
楊ぜんは首をかしげる。可愛いのぉと太公望は感動した。
「でも、僕も悪いんです。止めてくださいって言えなかったんだから」
「だって、おぬしは怖かったのであろう」
こくんと楊ぜんは頷く。
「怖かったのなら、仕方がないよ」
ぎゅうっと太公望は楊ぜんを抱きしめた。
「師叔、こんな情けない僕でも好きでいてくださるんですか」
「そんなの、あたりまえであろう」
太公望が抱きしめる腕に力をこめると、楊ぜんも自分から太公望に抱きついてきた。感動的である。雰囲気もばっちりだ。
太公望が今度こそさりげなく楊ぜんを押し倒そうとしたときに、楊ぜんが言った。
「良かったぁ、僕どうしても怖い話だけは駄目なんです」
は?
「武王ったらひどいんですよ。僕が怖がってるの知ってて西岐城の幽霊の話するんだから。しかもそれ、僕が使ってる部屋にでるって言うんです」
へ?
「何度も止めてくださいって言おうとはしたんですよ。でも崑崙の誇る天才同士が実は、子供だましみたいな怖い話が駄目だなんていえないじゃないですか」
ええと。
「太乙様もそういう話が好きで、っていうか彼は僕が怖がるのが面白かったらしいんですけど――あの人性格悪いですからね――その時は、師匠が一緒に寝てくれたからそんなに怖くなくって」
うぬ?
「だけどまさか、今から崑崙に帰るわけにも行かないし、でも一人で寝るの怖いし、自分の部屋で寝るの嫌だし、だから師叔なら僕と一緒に寝てくれるかなぁって」
うう。
「でも、師叔にこんな情けない話したら嫌われちゃうかなってすごく怖かったんです。良かった、師叔が僕のこと嫌いにならなくて」
太公望は非常な脱力感に襲われてながらも一応確かめる。
「それではおぬしが悪気がないと言ったのは姫発のことなのか」
「そうですよ」
「玉鼎とはただ添い寝していただけ?」
「ほかに何があるんですか?」
「いや、わしの勘違いだ」
太公望はげっそりして言う。
「もう寝よう、楊ぜん。わしは疲れた」
「師叔?」
太公望に促されて楊ぜんは横になる。
「ねぇ師叔」
「どうした?」
「手、つないでもいいですか」
「うん」
お布団の中でもぞもぞやって二人は手を捕まえた。
お互いの顔がすぐ近くにあって二人は同時に赤くなる。キスしたくなったら、すぐにキスできる距離。だから二人はキスをした。
キスは甘くて、なんだか歯止めが利かなくなってしまいそうだ。そんなことを考えながら、太公望はちょっと怖いことに思い当たる。
「のぉ、楊ぜん。おぬし、そのぉ……赤子はどこから来るか知っておるかのぉ」
セクハラ発言である。
「子供の欲しい人が、木にお願いをするのでしょう。そうすると、天帝が子供を授けてくださるんです。でも、あれは、男女じゃなくちゃ駄目なんですよ」
……。
やっぱり、というべきだろうか。
太公望はちょっとなきそうになりながらも、これから始まる長い長い夜のことを考えたのだった。
end.
novel.
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