Last stage.
「ねえ、哮天犬」
お布団の上でじゃれるように哮天犬を抱きしめながら楊ぜんはいう。
「あの人に嫌われるには、どうしたらいいかな」
哮天犬は首を回してきゅーんとないた。どうしたの?というように。
「わかんなくなっちゃったんだ。僕があの人の……恋人でいることが本当にあの人のためになるのかどうか、僕はひょっとしたら、あの人の重荷にしかなれないのかもしれない」
ふさふさした毛に顔をうずめて楊ぜんは続ける。
「僕はあの人の……師叔の重荷にはなりたくない。だけど、もしあの人が僕が妖怪で、しかも通天教主の子供だって知ったら、気にするとおもう。師叔が父上を討たなきゃいけないのは目に見えてるし、その時絶対に僕はあの人の重荷になってしまう」
哮天犬は何とか楊ぜんの腕から逃げ出すと、楊ぜんの頬をぺろんとなめた。
「だからね、行動するなら今しかないんだ。今、師叔が僕のことを嫌いになれたら、師叔は心置きなく父上を討てるだろう」
くぅんと哮天犬は楊ぜんに鼻面をこすりつける。それでいいの?というように。
こくん。楊ぜんは頷く。
「いいんだ。だってもう決めたことだから」
部屋は暗くて、哮天犬には楊ぜんの表情は見えなかった。
だけど、なめた頬はほんの少ししょっぱかった。
☆
仕事の終わった執務室は閑散としている。誰もいないせいだからか、それとも差し込む西日のせいだからか。夕日にらされて、楊ぜんの髪は紫っぽく光った。顔に影が差してひどく淋しげに見える。
「楊ぜん、それで話とは?」
なにやら話があるからと呼び止めたくせに、いつまでたっても口を開こうとしない楊ぜんに太公望は声をかける。少しでも話しやすいように。
楊ぜんは戸惑うように顔を上げて、それから視線だけ下におろす。それからもう一回視線を上げて、そしていった。
「もう、終わりにしようと思って」
声が硬い。握り締めた手のひらは、力をこめすぎて白くなっていた。
「何を?」
再び下を向いてしまった楊ぜんに太公望は問い掛ける。
楊ぜんは顔を上げて、それからくすっと笑った。演技の始まり。今度は、見破られるわけには行かない。
「アソビはもう終わりにしましょうって言ったんです。師叔だって、わかってたんでしょう」
きょとんとした太公望に楊ぜんは笑う。
「あれ、ひょっとして本気だったんですか。やだなぁ」
「楊ぜん、何のことだ?」
「僕と師叔のことですよ。まさか本気で恋愛してたわけじゃないでしょう?」
太公望が黙って楊ぜんを見つめたから、楊ぜんは少しだけ手を握る力を強くした。その瞳に負けないように。
「僕がこの世界でたった一人愛してるのは師匠なんです。それ以外の人間に興味はありません。あなたと付き合ったのは、ただの好奇心です。コイビトが原始天尊様の一番弟子だなんて、ちょっと、面白いでしょう」
軽薄そうに見えるように楊ぜんは笑った。
「別に、あなたじゃなくても良かったんだ」
声がふるえないように。
「それがおぬしの本心か?」
「そうですよ。でも、もうあなたには飽きちゃったんです。つまんないんだもん。今度は……そうだなぁ。天化君でも誘ってみようかな」
「のう、楊ぜん」
言いかけた太公望の台詞をさえぎる。
「まさか捨てないでくれとか言いだすわけじゃないでしょう。似合いませんよ。あなたには」
聞きたくない。そんな台詞は。
「似合わぬか」
「ええ」
「でも、わしはおぬしのことが好きだよ」
聞いちゃいけない。ぎゅっと楊ぜんは手を握り締める。強く、強く。爪が手のひらに突き刺さった。
「莫迦みたい」
「莫迦でもかまわぬ」
「あなたのそういうとこ、大嫌いだ」
笑い飛ばそうとして、失敗した笑顔。駄目。これが演技だと気づかれるわけには行かないのだから。
「おぬしが好きだ」
駄目だ。このままじゃ、くじけてしまう。
楊ぜんは思いっきり太公望を睨みつける。力をこめすぎた腕がカタカタふるえた。
「本当のことを言いましょうか」
ラストだ。そう思った。言いたくなかった台詞。思いっきり軽薄そうに笑って見せて。
「僕には人間界も妲己も関係ないんです。大体、封神計画だって、あなたの私恨でやってることでしょう。そういうくだらないことに突き合わされるのは、もう、うんざりなんです」
太公望が何か言いだす前に楊ぜんは執務室から逃げ出した。
あの人を傷つけてしまった。
身体の中にぽっかりおっきな穴が開いたみたいだった。
自分の部屋に戻って、バタンとドアを閉める。そのままそこにずるずるとしゃがみこんだ。ひざを抱えて小さくなって、いっそこのまま消えてしまえたらいいのに。
泣き出す気力すら残ってなくて、楊ぜんは自分の白い指先をじっと見詰めていた。
でも。
これでよかったんだ。
薄く笑う。
このまま僕と付き合っていたら、あの人はいずれもっと傷つくことになるのだから。だからきっと、これでよかった。
重たい身体を引きずって、楊ぜんは寝台までたどり着く。
今日はこのまま寝てしまおう。
眠れそうには到底ないのだけれど。
☆
朝。とはいってもまだ日の昇る前。
結局眠ることのできなかった楊ぜんは、哮天犬を呼び出す。真っ白な犬は、くぅんと楊ぜんに擦り寄ってきた。
「ごめんね、哮天犬。これから崑崙に帰らなくちゃ」
真っ黒な瞳が、尋ねるように楊ぜんを見る。
「あんなこといっちゃった以上、僕はここにはいられないから」
ふんわりした毛並みをなぜて。
「たいしたことないよ。原始天尊様にいって、封神計画からおろしてもらう。原始天尊様だって、やっぱり、所詮妖怪は駄目だって思うだけだから。ひょっとしたら、崑崙からおろされちゃうかもね。それはそれでいいと思うし」
ぎゅうっと哮天犬を抱きしめる。
「だけど、そうしたら師匠にも嫌われちゃうね」
きゅーんと哮天犬が鳴いた。
「でも、仕方ないんだ。僕が、ちゃんとあの人に自分は妖怪だって言えなかったから。だからこんなことになっちゃったんだ。妖怪が人間を好きになるなんて不相応なんだよ」
ざらざらした舌が頬をなめた。
「ねぇ、哮天犬。そうしたら君はついてきてくれる?それとも、君も僕のこと嫌いになった?」
ぺろん。もう一回。
「ありがとう。そろそろ行こうか。みんなが起きだしちゃうと、厄介だから」
楊ぜんは立ち上がる。置手紙でも残していこうかと散々迷って、でも結局止めた。今更、太公望も、楊ぜんの手紙なんか読みたくないだろう、そう思って。みんなにはきっと太公望がいいように楊ぜんの消えた理由を作ってくれるだろう。
部屋をきちんと片付けて、置手紙の変わりにつぶやいた。
「ごめんなさい、師叔。結果的に、騙したみたいになっちゃって。……でも。あなたのことが好きでした」
きゅーん、と哮天犬が楊ぜんを見上げる。本当にいいの?尋ねるように。
それには答えず楊ぜんは言った。
「行こう、哮天犬」
そして、ドアを開く。
☆
ドアを開けた楊ぜんは見事に固まった。
「――師叔!」
ドアの向こうには、にんまりした太公望。あまりといえばあんまりなことに楊ぜんはへにゃへにゃとその場に座り込んでしまう。
「どぉしてあなたがここにいるんですか」
出てきた声はほとんど泣き声だった。一世一代の演技だったのに。
にまぁっと太公望は笑う。
「ダァホ。わしがそう簡単におぬしを手放すわけなかろう。見くびったのぉ、楊ぜん」
さらに太公望は続ける。
「話はすべて聞かせてもらった。ったく。可愛いことを考えたものだのぉ」
その台詞に楊ぜんは真っ赤になる。
「……いつからそこにいたんですか?」
「昨日の晩から」
「ずっと?」
「ずっと」
言いきった太公望に楊ぜんは恐る恐る尋ねる。
「でも、じゃあ。僕の話全部聞いてたんですよね」
「うむ。わしのことが好きなのであろう」
上機嫌で頷いた太公望。楊ぜんはさらに赤くなる。
「その、そっちじゃなくて、あの、僕が……」
「妖怪だってことか」
こくんと楊ぜんは頷く。
「驚いた」
あっさりいった太公望に、楊ぜんは怪訝そうに顔を上げる。
「それだけ?」
「だって、他に何があるのだ?わしはてっきりおぬしも人間だと思っておったから、驚いたわけだが」
「気持ち悪いとか、思いませんか。だってあなた、妖怪とキスとかしてたわけですよ」
慌てて楊ぜんは早口でまくし立てる。言った後で自分の台詞に赤くなった。
「わしは楊ぜんとキスできるのなら嬉しいが、なぜそこで気持ち悪いというのがでてくるのだ?」
生真面目に答えたあとで、さすがに恥ずかしくなったのか太公望も心持ち赤くなる。
「……だって妖怪……」
何か言いかけた楊ぜんの台詞を奪って。
「でも、楊ぜんであろう。わしは楊ぜんが好きなのであって、人間だと思ったから好きになったわけではないよ」
「……でも……」
楊ぜんとしては、今までずっと悩んでたことだ、変にあっさり片付けられたって納得できるはずもない。
「妖怪のおぬしもひっくるめておぬしが好きだ。何度も言わせるでない。ハズカシイではないか」
怒ったように太公望は言って、楊ぜんから視線をはずす。
「だけど、妖怪と人間なんて、変ですよ」
それでもまだうだうだいうつもりらしい楊ぜんに太公望はきっぱり言いきった。
「変でもかまわぬ」
太公望はぎゅっと楊ぜんを抱きしめてうるさい唇をふさいでしまおうとした。が、楊ぜんが逃げ出したため、それは失敗に終わる。楊ぜんが明確に行動を起こして太公望を避けたのは昨日のことを除けば初めてのことで、太公望はちょっとあっけにとられた。
「駄目です」
いつになく真剣な口調で楊ぜんはいう。
「……楊ぜん?」
どうして?
「僕はまだあなたにすべてを話したわけじゃないから」
「おぬし何を言っておるのだ?」
楊ぜんが話したくないのなら、無理に話させようとは思わないが、これではとても納得できない。
「このまま、何も聞かないで僕を行かせてください。あなたが後悔します」
言葉の意味がわからない。
「楊ぜん。……本当にわしが嫌いになったか?」
手をすり抜けてしまった楊ぜんに太公望は不安になる。
楊ぜんは首を振る。そして太公望のことを真正面から見つめた。
「好きですよ。だから、あなたを苦しめたくないんです」
そう言いつつも、苦しそうな顔をしているのはむしろ楊ぜんのほうだ。
「だったら、わしのそばを離れるな」
いっそわがままとも思える口調で太公望はいう。
今、ここで楊ぜんを抱きしめたい。苦しいくらい抱きしめて、この場に縛り付けてしまいたい。
楊ぜんは首を振る。
「あなたが後悔するんです」
太公望はぎゅっと自分の手を握り締める。まるでそこに自分の手があることを確認するように。
駄目だ。何かが頭の中で叫びだす。
行っては駄目だ。行かないでくれ。
そう、いつだって太公望の大切なものは彼の手中から滑り落ちてしまうのだ。
思わず声が大きくなる。
「でも、今ここでおぬしを手放したらもっと後悔する。楊ぜん、わしにはおぬしが必要だ。疲れたときに、そばで微笑んでくれる相手が欲しい」
両親も、兄弟も、太公望のところにはとどまってくれなかった。そして今度は楊ぜんまで行ってしまうという。
恥も何も頭の中から吹っ飛んでいた。
「そんなの僕じゃなくたって……」
楊ぜんは迷っている。だからあともう少し。
「おぬしがいい。おぬしじゃなきゃ嫌だ」
ぎゅっと楊ぜんを抱きしめる。
今度は楊ぜんは逃げなかった。太公望の腕の中にいた。
「僕はちゃんと、忠告したんですからね。も、後悔したって知らないんだから」
代わりに可愛げなくつぶやいた。だから、もっとぎゅっと抱きしめてやった。
☆
しばらくして太公望はいう。楊ぜんを抱きしめて、心持ち楊ぜんに寄りかかりながら。
「楊ぜん。眠い」
「は?」
きょとんとした楊ぜん。
「だぁって考えてもみよ。わしは昨日から、この寒い廊下でずーっとおぬしのことをまっておったのだぞ」
「暇ですね」
同じく昨日一睡もしてない楊ぜんは、半ば太公望にもたれてあっさりといった。
「おぬし……」
はあっとため息をついて太公望は言った。
「だって、おぬしが出て行ってしまっては取り返しがつかぬではないか。おぬしのいうことだって、何か隠してるのは気がついたが、全部嘘だってわかったわけじゃないし、ホントに嫌われてたらどうしようかと、ずーっと悩んでおったのだぞ」
くすっと楊ぜんは笑う。
「師叔も悩んでくれたんだ」
「わしだってたまには悩む」
安心したらホントに眠くなってきた。だから二人同時に微笑んで。
「今日はサボろう」
くすくす笑って寝台までそのまんまもつれ込んだ。服を着たまんまで。お互いの体温が気持ちいい。
「ねぇ、師叔」
半ばまどろみながら楊ぜんはいう。
「ホントに後悔しない?」
「くどい」
「じゃあね。お願いがあるんです。僕がいつか、あなたにすべてはなすことができるようになるまで」
ほんの少し太公望は緊張する。それを悟られないようにわざとのんびり問い返した。
「何?」
ほんの少しの戸惑い。そして楊ぜんは口を開く。
「僕がくじけそうになったら、手を握ってください」
意外にも楊ぜんの口から出たのはこんなことば。
「そんなことでいいのか」
こくんと楊ぜんは頷く。眠りかけているせいで、もうあやふやになった口調でつぶやいた。
「そうすると、勇気が出るから……ねぇ、師叔。……嘘ついてごめんなさい……」
いいや。
おやすみ、楊ぜん。
☆
翌日、困った顔をした楊ぜんに太公望は話し掛ける。
「どーしたのだ?」
「それが」
楊ぜんは伏せたっきり動こうとしない哮天犬を見やる。
「哮天犬がすねちゃったみたいで」
「どーしたのだ?」
哮天犬のそばに行くと哮天犬は太公望にワン、とほえる。それから、くるんとよそを向いてしまった。どうやら嫌われたようである。
怪訝そうな太公望に楊ぜんはいう。
「怒ってるんですよ。僕が枕にするのはいつだって哮天犬だったから」
まくら……?
すると昨日のわしはまくらだったのか……。
「どーしたんですか、師叔」
なぜか落ち込んでるような太公望に、楊ぜんは心配そうに話し掛ける。
「いいや」
苦笑交じりに。
「なんでもないよ、楊ぜん」
end.
novel.
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