On Mother's Day.



 誰かがすぐ近くにいるような気がして楊ぜんは目を覚ました。寝ているときに誰かに傍にいられるのは苦手だ。完全にリラックスしているときに、急に誰かが現れるのも駄目。ようは身構えていないときに誰かが傍にいるというのが駄目なわけなのだけれど、それは自分で考えても少し淋しいことのように思う。だからといってそう簡単に直るものでもないのだけれど。
 ぼんやりと目を開く。おきたばかりで定まらない視界が赤く染まった。楊ぜんはちょっと身を引いてそれから気が付く。あ、カーネーション。
 その向こうにある顔は、子供……?西岐では見かけない顔だ。黒いちょっと硬い感じの髪におっきな眼。誰かに似ている、と思ったけれどどういうわけかそれは女の子だった。楊ぜんと目が合うとにっこり笑う。つられて楊ぜんも微笑み返した。
 微笑みながら思う。
 誰だ?
 にっこり笑って、楊ぜんにカーネーションを差し出す子供。やっぱり、ちょっとあの人に似ている。あの人――太公望師叔。
 ということは。
 まさか。
 ……隠し子?
 ぎゅっとシーツを握り締める。手のひらに最近ちょっと伸びすぎたつめが食い込む。
 じゃあ、何?僕のこと好きだとか言っておきながら、誰かほかの女とそういう関係になって、その上子供までいるって事?
 あんな子供みたいな顔してながら、あんな人畜無害そうな性格よそおっときながら。
 ゆ……許さないっ!
 楊ぜんの様子を察して子供は心配そうにおろおろする。
 それを見て楊ぜんはほんの少し反省した。子供に罪はない。それに、一応確認しておかなくちゃフェアじゃない。ひょっとしたら他人の空にってこともあるかもしれないわけだし。
「ねぇ、君のお父さんは誰かな?」
 楊ぜんは額にアオスジでも浮かんできそうなのを懸命にこらえて、今の状況で彼にできうる限りのやさしそうな顔をした。ちなみに子供はそれでも怖かったらしく、半歩ほどあとずさったのだけれども。
「だ……誰って、みんなは太公望師叔って呼ぶけど、でもなんでそんなこと。ああ、また父上が何かしたのね」
 決定的である。
 だけど、予測してたのと実際にそうだったって言うのは、かなりの差があるもので。さっきまでいかにして太公望をみじん切りにしてやるかを考えていた楊ぜんは、急に悲しくなった。
 だって太公望はふざけて抱きついたりキスしたりはよくするもののそういう意味で楊ぜんに触ったことは一度もないのである。それなのにほかの女とはすでに子供までできているわけで。やっぱり男じゃ駄目なのだろうか。いや、そもそも太公望は本当に楊ぜんのことを好きでいてくれたのだろうか。ひょっとしたら楊ぜん一人、勘違いして浮かれていただけなのかもしれない。
 師叔は優しいから、きっと困って、それで僕のこと好きな振りしててくれたのかもしれないし。本当は妖怪なんてキモチ悪いって思ってたのかも。
 だとしたら自分はなんて莫迦なのだろう。
 鼻の奥がツンとした。だけどまさかこんな小さな子供の前で泣き出すわけにもいかない。それでも、子供は気づいたようである。
「やだ。どうしたの。わかった。みんな父上が悪いのね。昨日の雷も、今日やけに暑かったのもみんな父上のせいなんだわ。大丈夫、母上のためにあたしが父上を懲らしめてやります」
 楊ぜんはきょとんと顔を上げる。この文脈でいくと、何か、とっても変なことを聞いた気がする。
 女の子は楊ぜんが顔を上げたのを勘違いして考えるようにいった。
「でも天気まで父上のせいにしたらさすがにかわいそうかしら……」
「そうじゃなくって」
 この齟齬はどこから来るものなのだろう。
「はい?」
「母上って、どういうこと」
「母上は、母上だわ」
 女の子はきょとんとする。
「だから、その君の母上って言うのは……」
「なにいってるの、母上?」
 女の子はまっすぐに楊ぜんを見つめる。
「ちょっと待ってよ。君は誰のことを母上って」
「どうしたの、母上」
「まさか、君、僕のことを母上って呼んでるんじゃないだろうね」
 女の子は怪訝そうな顔をしながらも頷いた。
「だってほかにいないわ」
 混乱する頭の中で楊ぜんは必死になって考える。これは一体どういうことだろう。つまり太公望は自分の隠し子を楊ぜんに押し付ける気なのだろうか。冗談じゃない、前妻ならまだしも不倫相手の子を何で楊ぜんが育てなければならないのだ。あいにく楊ぜんは博愛主義者ではない。
 またもや湧いてきた怒りで頭がくらくらした。
 とにかく太公望と話をつけてこなくては。
 あんな男、こっちから別れてやるっ。その場の勢いで楊ぜんはそんなことを考えた。ついさっきまでは師叔殺して自分も死ぬっ。とか思ってたくせに。
 だけれど都合よく太公望のほうからコチラに出向いてくれたようである。軽い音を立てて戸が開いた。楊ぜんはとりあえず身の回りにある文鎮か、硯でも投げつけようとして、それから固まった。
 太公望は何かを抱いているのである。小さな青い髪の、ご丁寧に頭には角まである。あれは――。
 幼い頃の自分。
 それが女の子を見つけて口を開いて言う。
「ああっ、ずるいよ彩。みんなで一緒に母上にお花を上げるって約束したのに」
「そんなの。直がぐずぐずしてるのが悪いんだわ」
「これ、やめぬか二人とも」
 これは一体何?
「父上、母上が変なの」
「楊ぜん、おぬしどうかしたのか」
 言いながら太公望は直と呼ばれた、小さい頃の楊ぜんそっくりの男の子をおろした。直はパタパタ走ってきて楊ぜんにカーネーションを渡す。
「母上。いつもありがとうございます」
 くすくすくす。はにかんだように笑う。
 あまりの現実についていけなくなった楊ぜんは、半ば惰性でその花を受け取った。
「あの……ありがとう……」
「ほら、おぬしらは外で遊んで参れ」
 二人の子供はおとなしくそれに従う。立ち去りぎわに彩がいった。
「父上、母上に悪いことしちゃ駄目よ」
「ったく、おぬし、そんなのでは嫁の貰い手がなくなるぞ」
 ああっ、セクハラっ。と叫んで今度こそ二人はいってしまった。あとにわずかな笑い声が響いた。
「師叔。何なんですか、これ」
 ぐったりした楊ぜんはそれだけ言う。
「何って母の日のプレゼントであろう」
「そうじゃなくて、なんで僕が母上なんですか」
「おぬしが産んだからであろう」
 あたりまえのようにいった太公望に楊ぜんは食って掛かる。
「冗談じゃありませんよ。僕はこう見えても男ですからねっ。子供なんて産めるはずないじゃないですかっ」
「しかし実際に産んだのだから女なのであろう」
「だから産んでませんってばっ」
「おぬしでなくて誰が産むのだ。直はどうみたっておぬしの子であろう。彩はわしにそっくりだし」
 逆だったらよかったのにのぉ、と太公望は小さくつぶやいた。
「でも違うんですっ。大体僕には子供を産んだ記憶なんかありません」
「なんと、一時的な記憶障害か。そうだのぉ。やはり出産というのは痛いのだろうのぉ」
 出産が痛いというのは聞いたことがあるが、それで記憶喪失になったという話は聞いたことがない。
「師叔。だってそんな、何にもしないで子供なんてできるわけないじゃないですかっ」
 楊ぜんはほとんど泣き声でそういった。
 そんな楊ぜんをなだめるように、寝台におさえつつ、さらに太公望は恐ろしいことを言う。
「楊ぜん、駄目ではないか。あんまり興奮すると胎教に良くない」
「なんですってぇ!」
 声がひっくり返った。が、もちろん楊ぜんはそんなこと気にしているひまはない。
「困ったのぉ。妊娠中毒かのぉ。太乙でも呼んでくるか?」
「師叔。まさか……」
 楊ぜんはなきそうになりながら自分のおなかを撫でる。とりあえず膨らんでない。だけれどそれだけでほっとすることは楊ぜんにはできなかった。
「わしの子であろう」
「嘘」
「わしの子ではないのか」
 楊ぜんは黙り込む。頭を抱える。どうなってるの、これは。
「僕が、師叔以外の人とそういうことすることは絶対にありません」
 太公望が優しく抱きしめてくれたから楊ぜんはとうとう泣き出した。
「楊ぜん、おぬしはこの現実がそんなに嫌なのか」
 楊ぜんはきょとんとする。
「わしや、あの子達とこうやって過ごすのは嫌か」
「それは……」
 わけがわからなくて心細かっただけだから、正直言ってよくわからない。師叔と一緒にいるのはいい。二人の子供も悪くない。だけれど、何か、違う気がする。それ自体は悪くないのだ。だけれど。
「でも、これはきっと僕の道じゃない。師叔と一緒にいるのなら、二人で苦労したりするところも一緒にいたい。こんな、幸せの上澄みだけの生活なんて、僕は嫌です」
「楊ぜん」
「今幸せなことじゃなくて、幸せになる過程が大事なんです、きっと」
 太公望はにっこり笑った。
「そうか、わしもそのほうがいいのぉ」
 そして太公望は宣言するように言った。


 

「ならば、夢から覚めよ、楊ぜん」


 

 耳の奥で声が木霊する。間延びしてゆっくりになる。
 夢から覚めよ、楊ぜん。
 楊ぜん。
 ようぜん。
 ――え。
 ゆめ――?
 

 

 ☆

 

 ぱちん。目を開ける。と、目の前に広がった赤。
 カーネーション。じゃない。これはバラ?
 柄にもなく真っ赤なバラを楊ぜんに差し出したのは。
「太公望師叔?」
「おぬしにやる」
 ぐいっと押し付けられて、楊ぜんは一輪のバラを手にする。くすっと笑った。
「母の日ですか。でも僕は師叔のお母さんじゃないですよ」
「母上はもうおらぬ。やるものがいないからおぬしにやるだけだ」
 ぶっきらぼうにそういうと、太公望は部屋を出て行った。耳の後ろが真っ赤になってるのを見て、楊ぜんはまた少し笑った。
 

 

 あれはひょっとしたら、予知夢かも知れない。

end.

novel.