恋愛騒動



 穏やかな昼下がり、楊ぜんは西岐城の中庭を突っ切る廊下を歩いていた。両側に咲く真っ赤な薔薇がなかなか見事で、この廊下はちょっとした楊ぜんのお気に入りだったりする。残暑はまだ抜けきらないけれど、それでも日差しはだいぶ和らいでいた。空気に秋の気配がするような、そんな季節。
 楊ぜんはちょっと立ち止まり、大きく咲いた薔薇の花を見やる。そこで人の声が聞こえた。
「せっかくだから、受け取ってはくれぬか?」
 師叔?
 楊ぜんはとっさに柱の後ろに隠れる。なんだか見てはいけないものを見ている気がした。
「あら、いただけるんですの?」
 若い女の声がする。そぉっと。気づかれないように楊ぜんは身を乗り出す。若い女の姿が見える。決して美人ではないけれど可愛らしい顔立ち。この春女官に採用されたばかりなのか年はまだ十五、六といったところだろうか。軽く日に焼けた肌が初々しく綺麗だった。
「うぬ。せっかくだし捨ててしまうのではもったいないであろう。それにおぬしにはきっとよく似合うのではないか?」
 何、何の話?
「まあ。どうせ私は薔薇じゃなくって月見草ですよ。でもいただけると言うのならもらっておきますわ」
 ……え。
 どうして師叔が女の子に花を贈るの……?
 とっさに楊ぜんは耳をふさいだ。これ以上二人の会話を聞かなくてもいいように。それから出来る限りのスピードでその場を走り去ろうとした。わけがわからなくって頭がパニックを起こしていた。
 その間も、太公望と女官が楽しそうに会話しているのが頭の中に見えるようだった。こびりついて離れなかった。
 それに。
 小さな可愛らしい顔の女官と男としては少々体の小さすぎる太公望は。
 なんだかあつらえたように似合っていたのだ。
 自分とは正反対に。
 鼻の奥がつんとしびれたから楊ぜんは慌てて自分の部屋に戻った。泣き顔なんか誰にも見られたくなかった。ましてや太公望にだけは絶対に。

 

      ☆

 

 くすんと鼻をかんで鏡を見る。泣きつづけた顔は目が真っ赤で鼻も真っ赤でひどいありさまだった。おまけにひどく頭が痛かった。
 それもこれも、師叔が悪いんだから。
 楊ぜんは決め付けておいて布団にもぐりこむ。
 仕事なんか出来そうになかった。それより何より太公望にあいたくなかった。
 だけど。状況はそんなに甘いものではなかった。折も折。周国は戦争の真っ最中なのだから。
「よーぜん!」
 いささか乱暴に戸を叩く音がする。
「おぬし何をしておるのか。まだしなければならないことは山積みなのだぞ!」
 よりによって太公望だ。楊ぜんはお布団の中に沈みこんだ。
「開けるぞ」
「開けないで!」
 自分の声がまるで悲鳴みたいに響いた。
「そこにおるのだな、楊ぜん」
 太公望は部屋の中に入り込むといささか乱暴に楊ぜんのかぶってる布団を引き離しにかかる。
 やめて、やめて。そんなひどいことはしないで。
「どうしたのだ。そんなことしていては何もわからぬではないか」
 楊ぜんは涙でぼろぼろの顔できっと太公望を睨みつける。
 太公望は泣き顔の楊ぜんに、一瞬あっけにとられたような顔をした。
「ああ、すまなかった楊ぜん。一体何があったのだ?」
 やさしい声はいつもと変わらなくって、楊ぜんは一瞬太公望にすがりつきそうになる。
 だけど。


 自分にやさしい言葉を囁きながら、女官に花を贈るのだ。


「嘘つき!」
 声は醜くひび割れる。
「本当は女のほうがいいんでしょう。妖怪だから平気で男とだってキスするんだって莫迦にしてたんでしょう!」
「楊ぜん。おぬし何をいっておるのか?」
 太公望は怪訝そうに眉をしかめる。
 だけれど、いったん口からあふれた言葉は止まらない。自分自身の言葉に興奮して楊ぜんはさらに大声を上げる。封じ込めたはずのコンプレックスが頭をもたげてきた。
「あんな子供みたいな女官の一体どこが良いんですか。花なんか贈って、何するつもりだったんですか!」
「違う。あれは誤解だ。わしはおぬしの……」
 言いかけた太公望の台詞を楊ぜんはさえぎる。言い訳なんか聞いてやるものか。
「あなたは結局、女だったら何だって構わないんでしょう。超公明の妹だって、フィアンセだなんて。あなたどうしてそんなこと言わせておくんですか。じゃあ、僕は何なんです!」
「楊ぜん。そんなこと……」
 太公望は楊ぜんをなだめようとその肩に手をかけようとし、しかしその手は楊ぜんに振り払われた。
「あんな醜女のどこがいいの!」
 違う。そんなこというつもりじゃないのに。
「楊ぜん」
 太公望の声の質がかわる。それは静かな声だったけれど、楊ぜんを黙らせるには十分だった。
「おぬし、それは言ってはならぬ。ビーナスに謝れ」
 楊ぜんは弱く太公望を睨みつける。
「楊ぜん」
 太公望はもう一回呼びかける。
 楊ぜんは下を向いた。
「ごめん……な……さい」
 楊ぜんはギクシャクした様子でそれだけ言うと立ち上がる。
「仕事はします。でも自分の部屋でやります。あなたの顔なんか見たくない」
「楊ぜん。ちょっと待て。わしと話を……」
 楊ぜんは背中を向けて立ち止まった。
「話すことなんかないです!」
 それからばたばたと部屋を出て行った。
 泣いてるみたいだった。
「勝手にせい」
 太公望は呟いた。
 まさか楊ぜんがビーナスのことを気にしていたとは知らなかった。自分が好きなのは楊ぜんだし、それは十分楊ぜんだってわかっていると思っていたのだ。それに楊ぜんは誰が見たって見とれてしまうほど綺麗だし、それに比べるとビーナスはやや個性的過ぎるだろう。ビーナスだって妖怪なのだし、どう考えても楊ぜんがビーナスに劣るはずはないように見えた。
 そう思っていたから、太公望は楊ぜんが今までに溜め込んできたコンプレックスをわかってやることが出来なかった。金鰲で暮らしてきたビーナスと違って楊ぜんは自分が妖怪であると言うことで、徹底的に自分自身を抑圧してきたのだということを。
 さらに言えば、このところ忙しくて楊ぜんとゆっくり話をする暇もなかった。まさか心変わりしたようにでも見えたのだろうか。そんなこと、あるはずもないのに。
 可哀想なことをしたかのぉ。
 自分がビーナスに謝るように言ったのは、楊ぜんにはビーナスをかばってるように見えたのかもしれない。そういうことを極端に恐れる楊ぜんには自分が楊ぜんを見放したように見えたのかもしれない。
 はぁっと太公望はため息をつく。
 花を贈ろうとしたのだ。楊ぜんがこのところふさぎこんでいるようだったから。だけれど、太公望には園芸の知識なんてさっぱりなかった。草原に咲く花のことなら詳しく知っているが、雑草でない、恋人に贈るような花なんてよくわからなかった。だから適当にその辺の綺麗な花を摘んではみたのだが、そこでさっきの女官に笑われたのだ。それは花束には向きませんよ、楊ぜん様に贈るのでしたらもっと豪華な花のほうがよろしいんじゃありません?どうやら花屋の娘だったらしい。
 結局、太公望は女官に教えを請うことにして、どうやら楊ぜんが好きらしいと言う薔薇の花を見せてもらった。そして、いらなくなった花を女官にやってしまったわけなのだが。
 あやつ見ておったのか。
 そこででてきてくれれば話は早く済んだのに。
 せめてわしの話をちゃんと聞いてくれれば。
「時間を置けば、少し落ち着くかのぉ」
 楊ぜんの笑顔が見たかっただけなのにのぉ。

 

 だけれど、話はそんなに簡単には終わらなかった。

 

     ☆

 

 夜、太公望は一人寝台の上で考える。
「淋しいのぉ」
 いつも、楊ぜんと一緒に寝るから楊ぜんの枕は太公望の寝台の上にある。取りに来るかと期待していたのだが。
「来なかったのぉ」


 淋しいのぉ。

 

     ☆

 

 翌日、楊ぜんは執務室に顔を出した。
 いつもとかわらない、というよりもいつもよりもわざとらしい微笑で執務室の面々に挨拶してゆく。
「おはようございます。武王。おはようございます。周公旦君」
 それから文官にまできちんと挨拶したあと、太公望を無視して席についた。
 まだ怒ってるようである。しきりと目をこすってるのは枕がなくって眠れなかったせいかも知れない。そして眠れない夜の間、どうやら楊ぜんはどうやって太公望に嫌がらせをするかを一生懸命考えてくれちゃったようなのである。
 まぁそういうのも結局わしのことを気にしているからであろう、可愛いのぉ、と太公望はのんきに考えた。
「なぁ、楊ぜん。お前太公望となんかあったのか?」
 不自然な空気を感じ取って、姫発が楊ぜんに話し掛ける。
「別に」
 不機嫌な調子で言ったあと、楊ぜんはちょっと考えるとにっこり笑って姫発に言った。
「なんでもないんです。武王はおやさしいですね」
「お、おう」
 いつもよりもひどくやわらかい楊ぜんのものいいに姫発はちょっと驚く。
「溜め込むのは良くないからな。つらいことが合ったらなんでも俺にいえよ」
 おぬしわしの楊ぜんにっ。と太公望は姫発を睨みつけたが、姫発はあっさりと太公望を無視した。
「そうだ楊ぜん。昼になったらさ、町に飯し食いに出ような。下町の奴らはいい奴だぞ。嫌なことなんかみんな吹っ飛ぶからさ」
「だ、駄目だ。楊ぜんはいつもわしと昼食を……」
 言いかけた太公望の台詞を楊ぜんはさえぎった。
「連れて行っていただけるんですか」
「おう、みんな楊ぜんのこと見たらびっくりするぜっ。さすがに朝歌と違って周にはあんまり洗練された美人って言うのはいないからな」
「やだ、武王ったら」
 くすっと楊ぜんは笑う。
「そういうことですので、今日の昼食は武王といただきますね、師叔」
 事務的な口調で楊ぜんは言った。
「楊ぜん、昨日のことはおぬしの誤解なのだ。せめて話だけでも……」
 言いかけた太公望を周公旦がぺしゃっとハリセンで叩く。
「いたっ。おぬし何をするのだっ!」
「働きなさい」
 冷たい声で周公旦が言った。
 楊ぜんは太公望のほうをチラッと見ると、ふんっと顔をそらした。
 うう、と太公望は唸る。可愛いとばかりも言っていられないかもしれない。
 太公望は何とか楊ぜんと話だけでもしようと、仕事の隙をついては楊ぜんに話し掛け、そのたびに周公旦のハリセンをくらい、こうなったらと、トイレに向かった楊ぜんを待ち伏せして、楊ぜんが悲鳴をあげたため衛兵に取り押さえられた。
「よーぜん。だから誤解なのだ」
 取り押さえられたマヌケな格好で太公望は楊ぜんを呼ぶ。
 楊ぜんは困ったような顔をして太公望を見つめ、それから思い切るように目をそらせた。
「まだ許しませんからね」
「楊ぜん。ごめん」
「今さら謝ったって、遅いんですから」
 太公望をとりおさえた衛兵はちょっと困った顔をする。
「楊ぜん様、軍師様はどうしましょう。座敷牢ですか?」
 楊ぜんは、少し迷ってから。
「いいよ。放って置いて、師叔なんかのせいで君たちを余分に働かせるのは忍びないから」
「はぁ」
 それから楊ぜんは太公望に向かって言う。
「誤解しないでくださいね。まだ許してませんからね」
 うう、と太公望は唸る。でも、と頭の奥でちょこっと考える。まだってことはこれからは許してくれる気があるのだろうか、と。
「師叔っ。なににやけてるんですか!」
「別ににやけてはおらぬよ。わしの可愛い楊ぜんから許してもらえないのは悲しいのぉと思っておっただけだ。ただ、女官のために言っておくが、あれはただの礼の代わりでそれ以外の意味はないよ」
 楊ぜんはチラッと太公望を見た。
「僕にお礼で花をくれたことなんかないくせに」
 だからおぬしに送ろうと思っておったのだ、という言葉を太公望は飲み込んだ。それはなんともいいわけじみて聞こえたし、それに彼としてはイキナリ花束を楊ぜんに渡して驚かしてやりたいという子供っぽい気持ちもまだ残っていたのだ。
「昨日はおぬしが隣にいなくて淋しかったのぉ」
「ではあなたのステキなフィアンセにでも添い寝していただけばよかったじゃないですか」
「わしの部屋に入ってよいのはおぬしだけだ」
 楊ぜんはほんの少し赤くなり、赤くなったのをごまかすように足早に執務室へと戻っていった。
「師叔も早く戻らないと周公旦君にまた叩かれますよ」
 太公望はにまにましながら執務室へと入っていった。

 

「何だよ。おめぇらおそかったじゃねーか。もうすっかり昼になっちまったぜ。楊ぜん、外行くだろ?」
 楊ぜんが帰ってきたところで姫発は立ち上がる。楊ぜんはチラッと太公望のほうを見たが結局はい、と頷いた。
 姫発は楊ぜんに手を差し出す。
「昼時は混むからさ。はぐれちまったら困るだろ」
 そんなもん、はぐれたほうがずっと良いわと太公望は思ったが、楊ぜんは戸惑いながらも姫発の手に手を乗っける。
「楊ぜんってさ、手も綺麗だよな。男の手じゃないみたいに」
「やだ。武王。何言ってるんですか」
「俺たちってさ。傍から見ると結構似合いのカップルとかに見えたりしてな」
 楊ぜんの手をとって姫発は上機嫌でそんなことを言う。
「絶対見えぬっ!」
 太公望は思わず叫んだ。
「お前と楊ぜんじゃ、姉と弟って感じだけどな」
 姫発は言い返しす。
 楊ぜんはまた太公望のほうを向と、それからふっと目をそらした。
「行きましょう、武王」
 自分から姫発を引っ張るようにして歩き始める。

 楊ぜん。
 おぬしそんなこと気にしておったのか……?

 

    ☆

 

 下町を楽しそうに歩く楊ぜんと姫発を太公望はそぉっとつけていった。はっきり言ってストーカーさんである。楊ぜんがチラッとこっちを振り返るとささっと店の影によける。なかなかさまになっておるではないか、と太公望はスパイ気分でいたけれど、町の人々は怪訝そうな顔で彼を眺めていた。
 それにしても。
 あの手だけはどうにかならぬものか。
 姫発と楊ぜんはまだ手をつないでいるのだ。
 太公望はちょっと考える。それから足元から小指の爪の先ほどの小石を摘み上げると、思いっきり姫発の頭めがけて投げつけた。
 が。
「お、あぶねぇぞ。楊ぜん」
 姫発は小石を軽くよけると、こともあろうに楊ぜんをかばうようにぎゅうっと抱きしめたのである。
「大丈夫か。きっと近所の悪がきの仕業だと思うが」
 だぁほ。あれくらいなら楊ぜんなんか簡単によけられるわっ。おぬし楊ぜんから離れよ!と、太公望は頭のかなでわめいたが、どうしたことか楊ぜんはうっとりした顔で姫発を眺めた。
「武王……そんな。一国の主ともあろうあなたが、身を呈して僕を守って……?」
 手をひたっと握り締めて、少女漫画の主人公みたいに楊ぜんは呟く。
「あたりめぇだろうが。俺はいつだって楊ぜんの味方だって言っただろ」
 うっとりと楊ぜんは頷く。
 姫発は楊ぜんの肩に手をかける。
「な、いいか。楊ぜん?」
 そして軽く楊ぜんの頭を引き寄せ……
 これはもしや。このままいくと。
「止めよ!」
 気が付いたら叫んでいた。
 そんなの絶対に我慢できそうになかった。
「師叔?」
 楊ぜんは振り返る。
「何でせっかくいいところで出て来るんだよ。もうちょっと待ってたっていいだろうが」
 姫発は太公望を睨みつける。
「武王?」
「太公望がつけてきてるのくらい、わかってたよ。楊ぜんだってわかってたんだろ?」
 楊ぜんはちょっと赤くなってうつむく。
 太公望は少しふくれた。なんだ、あっさりばれておったのか。
「お前は好きでおれといちゃついてたわけじゃないもんな」
 楊ぜんはいったん黙り込んで、それから口を開いた。
「……ごめんね。武王」
「いいよ。別に。楽しかったし、ただもうちょっと先までいけるかなぁと思ってたんだけどなぁ……」
「お、おぬしわしの楊ぜんに何をしようとしていたのかっ!」
 太公望は姫発を睨みつける。
「わしの楊ぜんだって。よくそんなことを恥ずかしげもなく言えるよなぁ。なぁ楊ぜん。こんな莫迦が浮気なんかするかよ。だいたいできるご面相じゃないだろうが。もう気が済んだんだじゃねぇか、楊ぜん」
 姫発は軽く笑う。
「そうですね」
 楊ぜんは安心したようなかおをする。
 そこで納得するな〜!、と太公望はほんの少しすねた。
「でも、師叔。何で女の子に、花なんか贈ったんです」
「あれはやっただけだ。贈ったわけではない。いらなくなったし、捨てるのももったいないから、あやつにやったのだ」
「いらなくなった?」
 うう、と太公望は唸る。
「だからホントはおぬしに贈りたかったのだが……」
 しょうがないから恥ずかしい話をしてやることにした。

 

「僕に花束を?」
 すべて聞き終わって楊ぜんはそういった。
「だっておぬし落ち込んでおったようだし。こういうときに何を贈ればいいかなんてわしはわからぬし。どんな花が喜ばれるかなんて知らないし」
「僕のために?」
「だから、おぬしの好きな花をあの女官に訊いておっただけだ」
 太公望は腕を組みながらわざと作った仏頂面でそういった。恥ずかしくって顔が赤くなるのがわかる。花束なんてガラじゃないって自分が一番よく知ってるのだ。
「師叔っ……!」
 だけど、そんな様子の太公望に一切かまわずに、感極まった楊ぜんはぎゅうっと太公望に抱きついた。それからチュっと頬に口付ける。
「好き。大好き。疑ってごめんなさい。師叔のこと信じてなくて、ごめんなさい」
 どうもここが、公衆の場であることすら気がつかないらしい。
「楊ぜん」
 つられて、太公望もぎゅうっと楊ぜんを抱きしめた。よしよしと背伸びして頭を撫でてあげる。
「わしも、ビーナスのことはすまなかった。おぬしに謝ろう」
 楊ぜんは涙目で顔を上げる。
「師叔が謝らなくっていいんです。僕が一人ですねてただけなんです。ただ羨ましかっただけなんです。だから、僕、ひどいこと言っちゃって……」
「大丈夫だよ。ビーナスもわかってくれる」
 別に面と向かって言った訳ではないのだから、そこまで気にすることもないであろうと、太公望はこっそり頭の中で思った。
「でもね、師叔」
 楊ぜんは顔を上げる。
「僕、薔薇の花じゃなくていいんです。月見草でも全然かまわない。師叔が手折ってくれた花がのほうが薔薇の花よりも、ずっとずっといいです」
「楊ぜん?」
 太公望はきょとんとする。
「だって、師叔が僕のためにわざわざ花を選んで手で折ってくれたのでしょう。だったら、どんな高価な薔薇よりも、月見草の花のほうがずっとずっと価値があります」
「そうかのぉ、そんなものかのぉ」
「そうなんです」
 くすっと楊ぜんは微笑む。
 だから太公望は道べに生えていたコスモスの花をそっと折ると、楊ぜんの髪にさしてやった。
「こんなものでも良いのかのぉ」
「はい。だって薔薇じゃ髪にさせませんから」
 楊ぜんはそういうとちょっとしゃがんでもう一回太公望にキスしてくれた。
「でもね、師叔。たとえ何のためであっても、もう絶対女の子になんか花を贈っちゃ駄目ですよ」

 二人は手をつないでもときた道を帰る。かわいそうな王様は、あきれ果てたのかいつのまにかいなくなっていた。 まさかとは思うが、気を利かせてくれたのだろうか。

「のぉ楊ぜん。帰ったら思いっきりいちゃつこう。昨日はおぬしがいなくて淋しかったよ」
「やだぁ。師叔ったら」
 くすくすくす。
 あとで思いっきり甘いルーティンワークが待っているのなら、たまにはケンカしてみるのもいいかもしれない。
 そう思ったのはどちらだったか。
 あとにはただ幸せそうな笑い声と、見せ付けられてちょっぴりあきれ果てた西岐の人々が残ったのだった。

end.

novel.