桜月夜の情景
昼間はお互い忙しくって、ちゃんと話もできないから、夜中にこっそり抜け出して。ねぇ、そうだ。デートしよう。
真夜中でも月明かりがあれば、足元くらいは見えるもので。それに、ほら。二人とも道士だから。一応。
だけど、真夜中の道ってものはそれなりにスリルがあって。もちろん、夜中に出歩く酔狂な人なんているわけないんだけれど。でも、やっぱり。誰かにあったら困るじゃない?そんなこと考えながら歩く、ドキドキがすごく楽しい。
真っ暗で危ないからと、二人ぎゅっと手を握って。まるで肝試しに行く子供みたいに寄り添って歩く。どうせ、誰も見てやしない。
あるいは。歩くこと、じゃなくてくっついていることが目的なのかもしれない。話したいことは山のようにあるくせに、二人っきりになると言葉にならない。この蜂蜜みたいに甘い時間を壊したくなくて。
だけど、理由もなくくっついているのは、なんだかすごく照れてしまうから。だから二人、わざと月の暗い晩を選んで歩く。
☆
それなのに。
今宵はどういうわけか満月なのだ。これ以上ないくらいの月明かり。窓辺で本が読めるくらいの明るさ。
月が出ていることをこれ幸いと、楊ぜんはじっと今度建設予定の要塞の図面とにらめっこしていた。なんたって太公望師叔に認められるチャンスである。そりゃ、もちろん、師叔は楊ぜんのことを好きだといってくれたけれど、それとこれとはまったく別なのだ。ミスがあっちゃいけない。それこそ天才楊ぜんの名が廃る。やっぱりここは天才の名は伊達じゃないってことをわかってもらわなくっちゃ。
だけど。やっぱりこれって完璧かもしれない。
ぱたんと図面を置くと、楊ぜんはぼんやりと月を見やる。あがったばかりの月は黄色というよりは純白に輝いていた。とても綺麗だとおもう半面、なんだか少し、憎らしい。こんなに月が明るかったら師叔は来てはくれないもの。
師叔もたぶん仕事中だ。昼間倉庫のモモを盗んだのがばれたからって周公旦君にこってり絞られてたもの。そのせいで仕事が大幅に遅れたのだ。周公旦君も早く開放してあげればよかったのに。師叔の手癖の悪さなんて今更言ったところで直るわけないんだから。
実は結構薄情なところのある楊ぜんはあっさりと決め付けた。
それにしても。……つまんない。寝ちゃおうかな。ねちゃ
バタン。
何の前触れもなく戸が開いたのはそのときだった。飛び込んできたのは白と濃紺と黄色のカタマリ。そりゃ、もう転がり込むような勢いで。
「師叔!」
あんまりといえばあんまりのことに楊ぜんの声はひっくり返る。太公望は起き上がると人差し指を口元に持ってきて、子供がやるみたいに、しいぃっと言った。
「大声を出すでない」
太公望が小声で話すから、自然と楊ぜんも小さな声になる。
「何やってるんですか?」
「周公旦に追われておる。かくまえっ!」
楊ぜんはきょとんとする。
「かくれんぼでもやってるんですか?」
ひどく能天気な声でそういった。
「んなわけあるかっ!」
自分で大声を出すなといっておきながら、太公望は大声を出した。
「やだなあ。冗談ですよ。言ってみただけ」
楊ぜんは手をひらひらさせた。それにひどい頭痛を覚えて太公望は頭を押さえつける。
「ったく。周公旦のやつめ、たかが桃の二、三個でガミガミと……」
「まだ怒られてたんですか」
楊ぜんはため息をついた。かわいそうな周公旦のために。
「あの人、そのうちハゲるんじゃないかな」
それを言ってはならんだろう、と太公望は思ったが取り立ててフォローしてあげようとは思わなかった。
「とにかくそういうことで、わしはここにはおらぬ。良いな」
言われて楊ぜんはしぶしぶ頷く。太公望はきょろきょろする。どうやら隠れる場所を探しているようだが、あいにく楊ぜんの部屋には極端に物が少ない。人のクローゼットを勝手に開けて、びっくりしたように立ちすくんだ。
「おぬし、これは……」
同じような青の道服がクローゼットいっぱいにかけてあったため。楊ぜんはなぜか嬉しそうに寄ってきて。
「本当のお洒落って言うのはこういうのを言うんです」
「ふーん」
太公望としてはノーコメントとしか言い様がなかった。
が、とにかくここは隠れられそうもない。
楊ぜんとしては、まさか周公旦がこんなところまで探しに繰るなんて思っていなかったのだけれど、思ったより敵はしつこかったらしい。ノックの音とともに聞こえたのはいらいらした周公旦の声。
「楊ぜん様。ちょっと失礼します。お部屋の中を確かめさせてください」
声が聞こえたとたん、楊ぜんは太公望を無理やり布団の中に押し込み、さらに頭の上まで布団を覆いかぶせた。ちょっと苦しそうだけれど、半分は自業自得。我慢してもらうしかない。しかし、はっきり言ってバレバレである。
「今ちょっと手が離せないんで後にしてもらえると……」
「太公望がここにいるんですね」
「いや。そうじゃなくて」
「そうなんでしょう」
「だから仕事が……」
「いるんですね」
「いません!」
一つ怒鳴ると楊ぜんはしぶしぶ戸をあける。もう十分疑われているんだけど。部屋の中を見回す周公旦の目は当然のことながら、不自然に膨らんだ布団の上に行く。
「あれは?」
「哮天犬です」
「布団の中に宝貝ですか?」
いぶかしげな周公旦。
「だって、ほら。最近冷えるじゃないですか。あったかいですよ。抱きしめて寝ると」
そういうと楊ぜんは布団の上から『哮天犬』をギュウっと抱きしめた。『哮天犬』が苦しそうにばたばた暴れるので周公旦は首を傾げる。
「なんか。苦しそうですよ」
「何を仰います。哮天犬が僕に抱きしめられて苦しがるはずないじゃないですか。そもそも、哮天犬は師匠が僕に下さった大切な宝貝で、始めはこんなに小さかったんですよ。それを僕が世話して、こんなに大きくなったんだから、も、家族も同然なんです。それに哮天犬はとってもお利巧で……」
「そうですか。私は他をあたらなくてはいけないのでこの辺で」
ほっとけば延々哮天犬自慢をやらかしそうな楊ぜんに閉口したのか、周公旦は口の中でもごもご言って慌てて出て行く。
「えーっ。もう少しいいじゃないですかぁ」
楊ぜんが声をかけても、もちろん戻っては来なかった。
ようやく布団から抜け出すことに成功した太公望は大きくため息をつく。
「死ぬかと思った……」
「失礼ですよね。人がせっかく話をしてるのに逃げてっちゃうなんて。師叔はちゃんと話を聞いてくれたのに」
どうやら本気ですねているらしい楊ぜんに太公望はもう一回深くため息をつく。そう。あれは最初の試練だった。三時間だけの初デートの中楊ぜんが話すことといえばひたすら哮天犬、哮天犬、哮天犬のオンパレード。とにかく楊ぜんの前で犬の話はしてはいけない。そうしないと、なぜか犬に向かって嫉妬するという情けない羽目に陥るのだ。
とにかく話題を変えねば。
「楊ぜん。それより月がせっかく綺麗だから下に降りぬか」
「え、でも……」
月が明るすぎるから、あんまりくっついて歩けないし、師叔が手をひいてくれないし……。なんて考えて、突然乙女モードに入ってしまった楊ぜんは桜色に頬を染める。
こういう楊ぜんは可愛い。いや。いつも可愛いとは思うのだけれど、特に。
「行こう楊ぜん」
差し出された手に、楊ぜんはやっぱり赤くなりながら手を重ねた。
☆
まだ太公望を探し回るつもりらしい周公旦を避けるため、二人は泥棒のように窓から外に降りる。見つかったらきっと言い訳が大変だったろうけれど、幸運にも誰にも見つからなかった。
なんとなく手をつないで、どうせだったらもっと別のコースを歩いてみよう。二人は城の裏へと回る。誰もいないところへ。見つからないところへ。
「星がぜんぜん見えないですね」
そらを見上げて楊ぜんが声を上げる。いつもは満天の星空が広がるはずなのに。実は結構曇っているのか。それとも、月明かりがまぶしすぎるのだろうか。
「寒いか?」
ほんの少し前を、楊ぜんの手をひいて歩いていた太公望が振り返る。
そんなこと、ないです。そう答えようとして、少しばかり逡巡。
「ほんの、少し」
ほぅらこれで、くっついて歩く理由ができた。
かくれんぼして偶然にも同じところに隠れてしまった子供みたいに、二人はくすくす笑った。こういう、シュガーピンクな空気がなんだかとってもくすぐったい。
月はそろそろ中天に差し掛かり、金色に光っていた。
明るいからお互いの表情がしっかりとわかってしまうのも、思ったより悪く、ない。
特に話をすることもなく、どんどん歩いていけば、いつのまにか森の中にでも迷い込んでしまったようで。いや、せいぜい雑木林なのだろうけれど。
まるで世界に立った二人だけ、とり残されたように見える。
闇は濃紺。黒というよりはきっと深すぎる藍。月の光は暖かい金のくせにひどく冷たい。
「怖いか?」
太公望も、同じことを思ったのだろうか……?
怖いと思ったわけじゃない。ただ、なんといったらいいのだろう?この場所はとても神聖で、正に神の領域に踏み込んだように感じられたのだ。あるいは月に魅せられたのかもしれない。
何か寄る辺を探すように楊ぜんは辺りを見回して。
「師叔。あれ……」
月光に反射して、闇の中白く輝く何か。そこだけが妙に明るくて、いっそ光っている様にすら見える。よく見れば僅かに薄紅を注して。
「桜か。山桜だのぅ」
そこに立っていたのは葉桜の大木だった。あの染井吉野のような華やかさはない。どちらかというと地味な花なのに。それはひどく暖かく辺りを照らし出していた。
「綺麗。ですね」
この美しさにはきっとどんな桜だってかなわない。
「うむ。きれいだのぉ」
せいぜい五分咲き。満開ですらないのに。
それともこれこそが月明かりの魔術なのだろうか。
「おぬしも綺麗だ」
臆面もなくいう太公望に楊ぜんは首を振る。
「かないません」
この桜の美しさにかなうものなど、誰もいないのだから。
「ずいぶんと殊勝だのぉ。まるでおぬしではないみたいだ」
「失礼ですね」
いつもはもっと文句を言うはずの楊ぜんは、今日に限ってなぜかおとなしい。太公望を置いて桜のそばによると、そっと左手で幹に触れる。淡い桜の色と、楊ぜんの整った白いかお。青く流れる髪。そして黄色い蜂蜜みたいな月。まるで空気すら動くのを止めたように。すべてが同化して一つの絵になる瞬間。
「楊ぜん、帰ろう」
なぜだろう。とられてしまう。そう思った。あんまりにも楊ぜんがこの情景に似合うから。誰かがさらってこの絵の中に閉じ込めてしまう。そうだ。楊ぜんが入り込むことによってこの絵は完成するのだ。
なんて奇妙な感覚。
太公望の声に楊ぜんが振り返る。絵が壊れる。カチッとはまった構成が砕けてばらばらになる。空気が再び動き出す。濃紺の闇の中で何かが蠢く。隠れていく。
よどんだ風にのって誰かの舌打ちするような音が聞こえた気がした。
「どうしたんですか、師叔。顔色、悪いですよ」
心配そうに問い掛けて、楊ぜんがこっちに小走りに駆け寄ってくる。そうだ。それでいい。
「寒いですか。気分、悪いですか?」
自分の肩布を掛けてくれようとする楊ぜんの手をやんわりと抑える。
「もうここにきてはならぬ。満月の晩は絶対にだ」
やけに強く言い放つ太公望に楊ぜんは鼻白んだようだった。
「……師叔がそう仰るなら……」
納得できないというよりは、いぶかしむような声。あたりまえといえばあたりまえ。
「それから」
ほんの少し言いよどんで、太公望は続ける。
「あんまりわしのそばを離れるな」
きょとんとした楊ぜん。
「心配するではないか」
「……はい」
小さく頷く。きっと自分はとっても赤い顔をしている。
「絶対にだぞ」
こくんと頷いて、楊ぜんは太公望にしなだれかかった。ふと見れば太公望の耳も真っ赤になっている。
甘えてきた楊ぜんを見せつけるように抱きしめて、ふと桜のほうを振り返れば、さっきまでも幻想はどこへやら。そこには何の変哲もない月明かりに照らされて、ぱっとしない桜が一本あるだけだった。
強い風が吹いてよどんだ空気を押し流していく。夢が覚めて、現が戻る。
「帰ろう」
夢はいつだって綺麗だけれど、夢にとらわれてはならない。
きっと現実だって捨てたもんじゃない。
二人は歩き出す。少し冷たい風の中を。手をつないで。くっついたり離れたりしながら。きっと今ごろ怒りまくっている周公旦のいる城に向かって。
だけど、今夜は満月だから。ほんの少しだけ遠回りして帰ろう。
end.
novel.
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