雪ウサギのある情景
お昼頃から降り出した雨は、夕暮れ時には雪に変わり、始めは降っては消え降っては消えしていたものの、真夜中になると、どうやら積もりだしたようだ。はらはらと散る雪は月明かりに照らされ、白というよりも青っぽく輝く。葉を落とした木の枝にふんわりと降り積もった雪は、まるで花のようだ。暖かそうで、優しそうで。もちろんそれは氷の結晶に他ならないのだけれど。でも深々と降り積もる雪は、優しくすべてを包み込もうとしている様に見えた。
だから、もっと積もればいい。きっと雪かきが大変で、兵達の訓練ができなくなってとってもとっても困ることになるだろうけれど。でも、雪が降っていると、まるで子供に戻ったようにわくわくしてしまうのは、一体どうしたものだろうか。
雪が積もったらちっちゃなちっちゃな雪ウサギを作ろう。笹の葉の耳に南天の赤い目。
それはひどく、いい考えに思えた。
楊ぜんは布団の中に潜って考える。
たまにはそういうのも悪く、ない。そういう、子供っぽいことをしてみるのも……
☆
楊ぜんに一つ誤算があったとすれば、雪が積もりすぎてしまったことだろうか。朝になっても雪はやんではいなかった。
空は灰色で日も出ていないのに、一面の雪野原はひどく明るい気がする。だけどその明るさは太陽の温かみのある、すべてを包み込み優しく照らし出すような暖かさではなくて、むしろ、冷たく空虚な感じの明るさだった。まだ早朝とも言える時間で夜が明けきらないのも原因しているだろうけど。
ほんの少し悩んで、でも結局誘惑に勝つことができず、楊ぜんは外に出る。そおっと足を踏み出す。なるべく足跡を残さないように。
真っ白な庭はまるで巧妙に造られた芸術作品のようで、それを踏みにじることはとてつもない冒涜のように思えた。この一面の銀世界の中で自分の青い髪はきっとひどく異質に見えることだろう、なんて思いながら。
歩く楊ぜんの上にも深々と雪が降る。まるでそれは、誰かがせっかく白く統一した自分の作品に、何か青いものが蠢くのが気に入らなくって、邪険にその青を塗りつぶそうとしているようにも思える。ほんの少し楊ぜんは笑った。
少しだけ。ほんの少しだけだから。
誰かに言い訳するようにつぶやいて。
吐く息が白いのすら、誰かのイタズラに思えた。
笹の葉を二枚もらったら少しだけ雪が落ちてしまった。南天の実を二つとって、それから雪をどうしようか考える。ここから持っていったら、溶けてしまうだろうか。それに手がとても冷たくなるだろう。感覚がなくなったらとても困る。筆が握れなくなったら大変だ。
でも。
この場所から雪をもらっていきたかった。ここの雪は……なんていうかすごく綺麗だから。
南天の上に積もった雪を集めて、結局それをもっていくことにした。そうだ、食堂にいってお盆も借りてこなくちゃ。雪ウサギを乗せるにはやっぱり、黒いお盆が欲しい。
台所は冷え切っていたし、楊ぜんの体も冷え切っていた。指先は赤くなってもう感覚なんかなかったし、足のほうも怪しかった。それでも心は温かい。
楊ぜんに雪ウサギを教えてくれたのは玉鼎真人だった。小さくて、表に出るには無理があった楊ぜんに、師匠は小さなかわいらしい雪ウサギを作って部屋に持ってきてくれた。南天の目に笹の葉の耳。触るとひんやり冷たかった。
溶けてしまった雪ウサギに、楊ぜんはずいぶんと泣いたものだ。それ以来師匠は雪が降るといつも雪ウサギを作って持ってきてくれた。外に出られるようになってからは二人で雪ウサギを作った。だから楊ぜんは、雪といえば雪だるまじゃなくて雪ウサギだったし、雪ウサギは師匠の思い出だ。
お盆の上で雪の形を整えて、耳と目をつける。そういえば師匠の造ってくれる雪ウサギは、いっつも目の位置が少しだけずれていた。
ほんの少し楊ぜんは微笑む。
「なんだ楊ぜん。もう起きておるのか?」
ふと声をかけられて振り向くと太公望がたっていた。この人が台所に用事があるとすればたった一つ。また桃でも盗みに来たのだろう。
「おはようございます。師叔」
返事は返ってこない。太公望はいぶかしげな目で楊ぜんを見回してから言った。
「おぬし、遭難でもしたのか?」
言われてようやく気がついた。雪をはらうのをすっかり忘れていたのだ。クシュン。と楊ぜんはくしゃみをした。
「だあほめ。風邪をひくぞ」
そういいながら、太公望はパタパタ髪についた雪を払ってやる。
「言われなきゃ、気づかなかったのに」
せっかく忠告してやったのに、楊ぜんは可愛げのないことを言った。
「雪ウサギ、作ろうと思ったんですよ」
「雪ウサギ?」
目をやれば確かに、お盆の上にかわいらしい雪ウサギ。しかし、大の大人がやることだろうか。太公望は首をひねった。
「師叔は?」
なぜか首をかしげている太公望を怪訝そうに実ながらも、楊ぜんは問う。
「わしは食べようと思って」
「駄目ですよ、盗みは」
悪癖を断固阻止しようと楊ぜんは、きつい声を出す。仮にも軍師サマが盗みなど働いては兵達への示しがつかないのだ。しかも盗むものが桃となればなんだか情けなくなってくる。
「そーではない。ゆ、き、だ」
太公望は高らかに宣言してにまぁっと笑った。
「は?」
「雪だって。シロップか何かあると良いのだが……おお、梅酒があった。これにしよう。楊ぜん」
勝手にごそごそ台所を引っ掻き回していた太公望は、一升瓶を引っ張り上げる。
「なかなかうまいのだぞ、おぬしも食うであろう?」
探しものが見つかってご満悦の太公望に楊ぜんはため息をついた。
「あなたには雪を愛でる気持ちはないのですか?」
「愛でておるよ。可愛くって食べてしまいたいなどというではないか」
それは微妙に――いやそれとも全然か?――違う気がする。
「そういうのは愛でるとは言いませんよ」
「では何か?それが愛でるというのか?」
太公望はじろぉっと楊ぜんの雪ウサギを睨む。楊ぜんは慌てて雪ウサギをかばった。
「これはいいんです。ただの趣味ですから。ほら、可愛いじゃないですか、雪ウサギ」
本当のことをいうのが恥ずかしかった楊ぜんは、余計奇妙な言い方をして太公望を混乱させた。
「おぬしは時々わけがわからぬ」
決め付けてから太公望は言った。
「ではこうしよう、雪見をしながら、雪を食うのだ」
いうが早いか太公望は楊ぜんの手を引っ張る。
「なんだおぬし、ずいぶんと冷たいのう」
「ああ、さっきずっと外に出てましたから。笹と南天の実が欲しかったので」
「笹も南天も、そんな庭の奥までいかずともあるであろうに」
「でも、なんだか、雪が綺麗だったので」
「だあほ。仙道が風邪をひいたらいい笑いものだぞ」
「そうですね」
わかってるのか、わかってないのか、楊ぜんはあははと笑った。はあっと太公望はため息をつく。
「雪見の話はお預けだ。おぬしは着替えて風呂に入れ」
それとも、風呂に入ってから着替えるのが正しいのだろうか?一瞬どうでもいいことで迷った。楊ぜんはちょっと迷った挙句。
「絶対雪ウサギ食べちゃ駄目ですよ」
釘をさしてから、着替えて、それからお風呂に入るために出て行った。実際寒くってどうしようもなくなってしまったのだ。いわれなければ、気づかなかったのに。
それに確かに、仙道が風邪をひくっていうのは恥だ。仮にも楊ぜんにそんなことがあってはいけない。
太公望は楊ぜんを見送ってからじいぃっと雪ウサギを睨みつける。
「そぉんなに、こんなものがよいのかのぉ。……なんだ、目の位置がずれておるではないか」
直そうかと思ったが、自分がやったら余計おかしくなってしまいそうだ。それにもうすぐ台所係の女官達がやってくるだろう。お盆を持って太公望は台所を出て行く。食べてしまおうなんて気はない。楊ぜんにとって大事なものなら、それは太公望にとっても大事なものだ。
でも、ちゃっかり梅酒のビンを失敬していた。また周公旦辺りが騒ぐだろうが、何、バレなきゃいいのである。
☆
結局楊ぜんは風邪をひいて、その後一週間寝込む羽目になる。いささか自信過剰気味の天才道師サマがおやすみとあらば、珍しさとあいまって、たくさんの人がお見舞い、というか見物に来た。雪明りにひかれて風邪をひくなんてさすが美形は違うと変なことをいわれた。楊ぜんはすねてしまって、最後のほうは返事もしてやらなかった。
枕もとには周国軍師お手製の雪ウサギとシャーベット。ほんの少しだけ、ずれた赤い眼がこっちをじっと見てる。
雪で作ったシャーベットはほんの少し甘酸っぱくて、なかなかおいしかった。
明日はきっと元気になる。だから今度は二人で雪ウサギを作ろう。
end.
novel.
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