ずっと一緒に。



〜後編〜

 

 くすくすくす。耳元で笑い声がする。太公望の耳元で声を抑えて。だからちょっとこそばゆい。寝台の隣で楊ぜんは枕代わりのぬいぐるみを抱きしめて、ご満悦。
「どうしたのだ。えらくご機嫌だのぅ」
 楊ぜんがこんな風に笑うことは崑崙が落ち、玉鼎真人が封神された今となっては珍しいことで、太公望はちょっと得した気分になる。
「だって師叔が面白いから」
「わしが面白いのか?」
 太公望は怪訝そうな顔をする。別に自分が何かおかしな事をしたという記憶はない。
「はい。すごく面白かった」
 そしてまた。くすくすくす。
 楊ぜんの笑い声の意味がわからなくて太公望は今日の出来事を思い返してみる。朝、早いうちに姫発が楊ぜんの部屋にやってきた。下心見え見えだから、ちょっと懲らしめてやろうかと思った。
 だって、楊ぜんはわしのものだ。
 だから城中に武王がおごってくれるそうだと言いふらしておいた。姫発の懐具合なんて太公望はちゃんとわかってる。わかっててそういうことをやるんだから、ひどいという見方もできるかもしれないが、しかし、だ。楊ぜんに手を出そうだなんて不届き千万なことを考えたのだ、自分はずいぶんやさしいほうだと思う。
 違う方面にそれていってしまう思考を慌てて、元に戻す。
 姫発を牽制するために楊ぜんについていった。ここで韋護までついてきたのはちょっと誤算だったが――あやつ。普段は昼寝ばっかりしておるくせに、実は楊ぜんに気があったとは……――早めに気づいておいてよかった。もともと恋愛とかそういうものには疎いほうなのだ。気づかないうちに横から楊ぜんをさらわれてしまったらたまらない。別に楊ぜんを疑うわけではないのだけれど。
 でも、楊ぜんがどうしてこんな自分を好きだといってくれるのかが、わからない。わからないから、知っておきたい。姫発や韋護みたいに楊ぜんを狙ってる輩は多分もっといるだろう。だからこそ、楊ぜんがいつ自分から離れてしまうかと思うと不安なのだ。
 おかしい。今日の自分はどうかしている。思考がついそれてしまう。
 だけどこれはどうしても訊いておかなくてはならないことのような気がして、太公望は楊ぜんに尋ねる。
「楊ぜん。おぬしは……わしのことが好きか」
 楊ぜんはちょっときょとんとする。それからまたくすくす笑う。抱きしめていたぬいぐるみを離して太公望に抱きつく。抱きついたときに白い腕が袖からのぞいて、太公望はちょっと赤くなる。明かりを消したくらい部屋の中でも――いや、だからこそ、か――光るほど白い、腕。
「大好きですよ。太公望師叔」
 いつもなら恥ずかしがってめったに言ってくれない言葉。部屋が暗いからだろうか。それとも眠る前でガードが緩んでいるから?
 開け放した窓からの月明かりを反射して、紫色の瞳が猫のようにきらきら光った。寝返り打ったせいで顔にかかってしまった青い髪を払ってやる。青いはずの髪は白っぽく光る。
「どうして」
「どうして?」
 聞き返す楊ぜん。それは質問というよりも反復に近かった。
「なぜわしのことを好いてくれるのだ?」
「あなたがそんなこというんですか?」
 本当に驚いたのか、わずかに身じろぎ。衣擦れの音が闇に響いた。
「わしが言ってはいけないのか」
「いけなくはないけど……変」
「そうかのぉ」
 太公望はほりほり頭を掻く。
「いいから質問に答えよ。楊ぜん」
 恥ずかしかったためか、次の台詞はややぶっきらぼうに響いた。
 くすくすくす。またもや笑い声。
 人がまじめに訊いておると言うのに。太公望はちょっと顔をしかめる。
「あなただから」
 しばらくの沈黙。
「だからどうしてわしなのだ?」
「だから、あなたが太公望師叔だから」
「ちゃんと答えよ」
「答えてますよ」
 くすくすくす。
「だって人を好きになるのに理由なんてないから。僕はあなたが、たとえ原始天孫様の一番弟子じゃなくても、万年落ちこぼれ道士でも、橋の下の物乞いでも好きになりましたよ」
 これは一応喜ぶべきなのだろうか、それにしてはあまりにもたとえがひどすぎる。
「そうしたら、毎日あなたの好きな桃を運んであげますね」
 それなのに楊ぜんはいたくこのたとえが気に入ったようだ。
 むぅっと太公望はうなった。
「しかし、そうなったらおぬしは不潔だから近寄るなとか言いそうだのぉ」
「いいませんよ。ちゃんとお風呂に入ってもらいますから。ああ、そうなると面倒だから金霞洞にきますか?」
「それでは、物乞いではなくてひもではないか」
「それでもかまわないけど」
 くすくすくす。
「わしは嫌だのう」
「そう……ですか」
 首をかしげて楊ぜんはいう。
「そうなれば、あなたと一緒に暮らせると思ったのに」
 少しばかりの沈黙。
 こくん、と楊ぜんは太公望の肩に頭を押し付けた。
「ごめんなさい。いってみただけです」
 太公望は何にもいわずにその頭をただなでていた。太公望の指がすくった青い髪は少しもとどまることなく、指の隙間からすり抜けてしまう。まっすぐな綺麗な髪だ。まるで清流のように。だから自分の指には留まってくれないのだろうか。
 駄目だ。思考がどんどん流れていく。自分はおかしい。どうかしている。
 日常を取り戻そうとして太公望は髪を撫で付ける手を少しだけ速くした。
「のう、楊ぜん」
 ほんの少し撫で付けていた頭が動いて、楊ぜんが自分を見上げたのがわかった。
「さっきはどうして笑っておったのだ」
 くすっと楊ぜんは笑う。
「あなたが面白かったから。武王や、韋護君が僕に話し掛けると、あなた、すごく嫌そうな顔するから」
「おぬしそんなことで笑っておったのか。ずいぶんと意地が悪いのぉ」
「そう、ですか?……でも、うれしかったから」
「そうか、ではつまりおぬしは、わしがやきもちを感じるとうれしいと思うくらいは、わしのことが好きなのだな」
 うんうん。と一人でうなずいてご満悦の様子の太公望。
「なんですか、それ?僕は師叔のこと好きなのにわかってくれないんですか」
 楊ぜんはちょっとすねてみせる。
「いいや。ただ」
「ただ?」
「姫発や韋護があんまりおぬしにモーションかけるから不安になっただけだよ」
 きょとんとした楊ぜん。
 そのとき。
 とっさの気配に、普段は見せない反射神経と運動神経のよさを見せて太公望は楊ぜんの耳をふさぐ。
 刹那。
「ちくしょー。太公望のやろう。楊ぜん独り占めにしただけでなく、人に散々散財させやがって!ぐれてやるぅっ!」
 とんでもないわめき声が西岐城内を揺るがした。にんまり笑って太公望は楊ぜんを見る。計画はどうやら成功したようだ。
「何……どうしたんですか?」
 一方の楊ぜんはてんでわかってない。
「いや。だだっ子がすねておるだけだよ」
 楊ぜんに手を出そうなんて千年早いのだ。もっとも千年後まで姫発が生きているかは甚だ謎だったが。
「楊ぜん」
 太公望はやんわりと楊ぜんの髪をなぜる。気持ちよさそうに楊ぜんは目を閉じた。
「一緒に暮らすことはできぬかも知れぬが。……一緒におるよ」
 ずっと一緒に。離れていても心だけは永遠に。


 

 ふんわり微笑んで寝入ってしまった楊ぜんに、その言葉が届いたかどうかは定かではない。


 

   ☆


 

 翌日。
 朝っぱらからこれ以上ないってくらい元気な声が響き渡った。
「プリンちゃ〜ん!デートしようぜっ。今度は太公望も韋護も抜きでさっ」
「うわぁっ!武王いきなり抱きつかないでくださいっ。危ないじゃないですかっ」
「なにいってんだよ。楊ぜんは今日は俺と修行するんだもんなっ。その書類重そうだな。持ってやるぜっ」
「韋護君。うるさいからあっちいってて」
「ほら、韋護。楊ぜんは向こうにいけって言ってるだろうが」
「武王もですっ!」
 二人は昨日のことにまったく懲りてなかったのか、それともそのせいで頭のねじが完全に外れちゃったのか、事態ははっきり言って悪化していたのである。さすがの太公望にもお莫迦二人の行動は読めなかったようだ。
「二人とも楊ぜんから離れよっ」
 打神鞭を振り回しながら、太公望は別の策を考えようと頭をひねる。
 だけど……この二人の場合普通の策って利くんだろうか。もし、何かしたことが原因で万が一これよりひどくなってしまったら……。
 だああぁっ。これではいつまでたっても太上老君を探しに行くことなどできぬではないかぁっ。
 太公望は一人頭の中でわめいた。

end.

novel.