ほうき星
寝返りをしたついでに、足が壁にあたって起きてしまったようだ。
じんじんする痛みにわずかに顔をしかめつつ、果たして自分はそんなに寝相の悪い方だっけと楊ぜんは考える。どちらかといえば、寝台が狭すぎるのが悪い気がする。否、普通に寝ていれば決して狭くはないはずなのだ。二人の男が一緒に寝るなんて無謀なことをしなければ。
それだって、楊ぜんが細身なのと太公望があれだけ小さいから――といったら本人は嫌そうな顔を露骨にして見せるのだろうけれど本当なんだからしょうがない――かろうじて一緒に眠れるわけだ。
仕方なく楊ぜんは再び寝なおそうとしたのだけれど、このところ続く熱帯夜に汗はかくわ、髪は頬にぺったりと張り付くわでとても眠れたものではなかった。
しょうがない。シャワーでも浴びに行くか。
楊ぜんはのそりと起き上がる。そして、そこで漸く隣に寝ているはずの太公望がいないことに気がついた。
「あれぇ……師叔」
太公望もまた眠れなかったのだろうか。
「どこ、いったんだろ」
楊ぜんは首をかしげて起き上がる。はだけてしまったパジャマのボタンをかけなおしてぺたぺたと廊下に出た。
夜遅い西岐城は静まり返っている。燭台は持ってこなかったものの妖怪である楊ぜんは足元が全く見えないなどということは無かった。
とりあえず最初の目的を果たしてしまおうと楊ぜんは浴場へ向かう。廊下は真っ暗でちょっとした肝試しのようだ。薄気味悪くすらある。お化けでも出そうな――と考えかけた頭をぶんぶん振って楊ぜんは浴場へ急いだ。崑崙の妖怪さんはお化けが大嫌いだった。
「こ……怖くなんか無いもの」
その台詞で怖がっているのがバレバレだということに生憎楊ぜんは気がついていない。
頭っから浴びたシャワーは最初は生ぬるかったものの、徐々に冷たくなり、ひんやりと気持ちが良い。しばらく浴びていると今度は寒くなってきて楊ぜんはシャワーを止めた。
さて、目的は片付いた。
そのまま部屋に戻ってもかまわないのだが、いなくなった太公望のことが気になった。それに雫をふき取っただけの髪も乾かさなければならない。
「どこ行ったのかなぁ」
ぶつぶつと呟きながら、楊ぜんは浴場を後にする。執務室に顔を出してみたが生憎いなかった。次に食料庫を覗いてみたが、やはりいない。しかし、どうも桃が少なくなっているような気がする。
「……またやったんだ。師叔」
あきれ返って空を仰いだ楊ぜんは、やっと太公望を見つけた。
西岐城の屋根の上。
「なにやってるんですか、師叔」
太公望は子供にするみたいに人差し指を口の前に立ててしいぃっとやった。
楊ぜんは莫迦にされたような気がして少し膨れる。
「皆が起きてしまうよ」
そういって太公望は楊ぜんを手招きした。おいで、といっているようである。楊ぜんは首を振る。
「嫌ですよ。哮天犬置いて来ちゃったし。僕によじ登れって言うんですか」
太公望はにっこり笑ってこくんと頷く。ついで楊ぜんに手を差し伸べた。
「嫌だって言ってるでしょう。僕、重いんですから」
太公望はまた子供みたいに笑った。
「特等席だよ、楊ぜん」
楊ぜんは少し困る。勿論、そこまで上がれないわけじゃない。しかし、よじ登るというのはどうも美的センスに反する気がする。
なおも太公望は楊ぜんに手を差し伸べる。
「あなたまで落ちちゃいますよ」
楊ぜんは首を振る。楊ぜんがよじ登るのはともかく、太公望が楊ぜんを引っ張りあげることができるとはとても思えなかった。
「何を言うか、こういうときは男を立てるものだぞ」
「立てるも何も、僕だって男なんですけれどね」
減らず口を叩きながらも楊ぜんは欄干に立って、太公望の手をとった。
「どうなったって、知りませんから」
ぐいっと身体を引っ張りあげられるのを感じて楊ぜんは慌てる。
「え?ええ?」
途中まで引っ張りあげられた楊ぜんは後は自分の手を使って、結局屋根へとよじ登った。
「来れたではないか」
太公望はにまにま笑う。
楊ぜんは太公望の腕を取った。
「見せてください」
「は?」
「絶対何か仕掛けがあるはずなんだから」
袖をまくると、言っちゃ悪いが棒のような腕。
怪訝そうな太公望は腕を調べる楊ぜんをおとなしく見ている。
「あれぇ」
楊ぜんはがっかりしたような拍子抜けしたような声をあげた。
「宝貝合金とか……」
「おぬし、人を何だと思っておる」
楊ぜんは太公望に向き合った。
「本当に師叔が僕を持ち上げたんですか」
「そうだが」
「こんな細い腕で?」
楊ぜんはもう一度太公望の腕を見る。
「失礼な奴だのぉ。おぬしだって人のこと言えぬではないか」
さすがの太公望も憮然としてそう言った。
「だって、あなた、ちょっと荷物もたせると重いとか疲れたとかわめくじゃないですか」
太公望はにやりと笑う。
「何を言うか、楊ぜん。普段から50キロのものをもてる奴が50キロのものを持っても、ありがたくもなんとも無いではないか。10キロしか持てぬものが50キロのものを持つから意表を突かれるのであろう。力とは隠しておく物だよ、楊ぜん」
にやにやしている太公望をよそに楊ぜんは一つため息をついた。
「僕としてははじめから力を出していてもらいたいものですね。大体、僕はそんなに軽くはありませんよ」
太公望はまた笑った。
「楊ぜん、こんな話をするためにこんなところまで呼んだのではないよ。ご覧」
太公望はそういって夜空を指し示す。
「特等席だよ」
夜空には満点の星。
楊ぜんは言葉もなく星空を見上げた。
「今宵は月が出ぬから良く見えるであろう」
一番最初に師匠が教えてくれた、Wのカシオペア。赤いさそりのアンタレス。
楊ぜんはくすくす笑いながら、太公望に説明する。あの小熊座のひしゃくみたいなのをずっとつないで、それを伸ばした先にある明るい星が北極星。
「ひしゃく?何故、ひしゃくが小熊なのだ」
太公望には判らない。羌族には羌族の星の読み方があった。
「だから、あれとあれをつないで……」
楊ぜんはおかしそうに説明をするが、太公望にはどうしてもそれが小熊には見えない。そもそも夜空一面の星空とあっては、どの星かを探すにも一苦労なのだ。
楊ぜんは飽きずに話を続ける。夜空いっぱいのギリシャ神話の神々の物語は、寝る前に師匠が一つずつ話してくれる物語の中でもとりたてて好きな物だった。
太公望は話を続ける楊ぜんを、楽しそうに見ている。何故だか保護者にでもなってしまった気になりながら。それくらい楊ぜんは開けっぴろげで楽しそうだった。
やがて、楊ぜんは大声をあげる。
「師叔、今。見ました?」
「なに?」
まさか楊ぜんを見ていたというわけにもいかず、太公望は聞き返す。
「流れ星」
「願い事は?」
「できませんでした」
からかったつもりが、大真面目な返事が返ってきて太公望は苦笑する。
「残念だったのぉ。何を願うつもりだったのか」
「内緒」
楊ぜんはくすくすと笑っていたずらっぽく太公望に身を寄せた。
「当ててみようか?」
「あたりません」
楊ぜんは挑発するように太公望を見つめる。紫の深い深い瞳に吸い込まれたように太公望は楊ぜんに口付けた。
「わしとキスできますように」
「違いますよ、莫迦」
楊ぜんは赤くなって俯いた。
太公望は懐から桃を取り出す。
「桃が食べたい」
「あなたじゃないんですから」
そういいつつも、楊ぜんはもらった桃に歯を立てた。それから、しみじみと自分の歯型のついた桃を眺める。
「師叔、これってまさか食料庫の……」
太公望はにんまりと笑った。
「おぬしも同罪だのぉ」
「どうしてですか」
「食ったのだから共犯であろう」
「不可抗力です」
悔しそうに楊ぜんは呟く。
「あーあ。何でこんなのに惚れちゃったんだろ」
「何故なのだ?」
桃に手をべたべたにしながら尋ねてくる太公望に楊ぜんはうんざりしたような視線を投げかける。
普段はどうしようもなく情けないくせに、たまにやたらと格好良かったりするからいけないんだ。
そう考えて、ふと、楊ぜんは「力とは隠しておく物だ」という太公望の言葉を思い出し、なんだか無性に腹が立った。
「いつも格好いいほうがずっといいんだから」
「ん?」
聞き取れなかったのか太公望は楊ぜんに聞き返す。
「何でもありません」
そういって楊ぜんは立ち上がった。
「明日、早いんですからね。師叔もさっさと寝ないと響きますよ」
ひょいっと屋根の上から飛び降りる。着地は上々。
「のぉ楊ぜん」
ふと、屋根の上から太公望の声が聞こえた。
「わしもそう思うよ」
「え……?」
「願い事」
楊ぜんはぽかんとして屋根の上を眺めた。
「いつまでも、一緒にいられますように」
楊ぜんは唖然として屋根の上の太公望を見つめる。すべてを見透かしたような碧眼が、まるであまねく星の一つのように楊ぜんをじっと見つめている。
「わしもそう思う」
楊ぜんはこくんと頷き、それから少し笑った。
全く。
あなたには敵わない――
end.
novel.
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