New Year
大晦日。西岐城の台所では太公望と楊ぜんが二人でなにやらひそひそやっているご様子。
「ええと、おせち料理と、餅と、桃と……。楊ぜん、こんな物でよいかのぉ」
太公望はそういって、楊ぜんを振り返る。楊ぜんはたった今重箱に出汁巻き卵を詰め込んだところだった。美味しそうな黄色い卵焼きがちらりと目に入る。
「うまそぉだのぉ。楊ぜん一つ味見」
ぽかんと餌を待つ雛鳥みたいに口をあけた太公望を楊ぜんは一つぺしっと叩く。
「駄目ですよ。そんなことしたら師叔、お正月になる前にみんな食べちゃうじゃないですか」
「一つくらい良いではないか」
太公望は子供みたいに頬を膨らませ、七輪を持ち上げた。
「これで三日持つかのぉ」
「十分ですよ。そんなに食べたら豚になります」
楊ぜんは容赦なくそういう。それから、ちょっと考えて。
「師叔、お水。三日分ってどれくらいでしょう?」
「おおっ。そうだ御屠蘇がなければ正月は始まらぬ」
太公望はぱたぱた走って大事そうに一升瓶を抱え込んだ。
「お酒じゃなくて水ですよ。み、ず」
楊ぜんはあきれて太公望をにらみつける。それから醤油や塩、砂糖といった調味料を物色し、小さなおなべの中に入れ始める。
「おぬし、何か作るのか?」
太公望は嬉しそうに楊ぜんのそばによってくる。
「お雑煮くらい、食べたいでしょう」
「砂糖を入れるのか?」
「これは違います。師叔はねぎもってってくださいね。あとは、油揚げと。出汁は……昆布としいたけどっちがいいんだろ」
楊ぜんはちょっと考えてから、二つあわせてみることにしてこれもおなべの中に突っ込んだ。
「これはちょっと二人では持ちきれぬのぉ」
太公望はテーブルの上に並んだ大荷物を見る。
「往復しましょう」
楊ぜんは微笑む。
「あなたから言い出したことなんですから、嫌だなんていわせませんよ」
楽しそうな楊ぜんの様子に、しょうがないかと太公望は荷物を持った。
正月三が日、我侭言って二人で休みをもらった。国事行為ぐらい出席すべきだとごねる周公旦を何とか説得して。三日間、どうして過ごそうかとあれこれ模索して、二人でずっと一緒にいることにした。お祭りにも、初詣にも行かないで、二人っきりで。
勿論、仙界の儀式もすっぽかす予定。楊ぜんは渋っていたが、今の様子を見れば、どうやら、今、一番乗り気なのは楊ぜんかもしれないと太公望は思う。
三日間。太公望は楊ぜんを自分の部屋に閉じ込める。
誰にも見せないで独り占めするのだ。
我侭な子供みたいな独占欲に、太公望はにまにま笑った。
きっと、世界で一番幸せな三日間が始まる。
部屋に戻って、荷物を降ろして一休みした。
「疲れたのぉ」
ぐでぇっと太公望は寝台の上にのびる。
「だらしないですね」
「そんなこと言っておぬし、重い物は皆わしにもたせたではないか」
太公望は寝台から抗議した。楊ぜんはくすっと笑う。
「お疲れ様」
くすくす笑って、子供みたいに太公望のおでこにちゅっとキスした。太公望はがばっと起き上がる。
「それくらいでは、疲れは癒されぬのぉ」
そういって唇をぐっと突き出す。
「莫迦」
楊ぜんはけらけら笑う。
「調子に乗るのもいいかげんにしないとまた叩きますよ」
「ケチ」
楊ぜんはふんとそっぽを向いてしまう。ので、太公望は慌てる。
「ごめん。楊ぜん」
二人は顔を見合わせてくすくす笑い出した。
「のぉ、楊ぜん忘れ物はないか?」
「ないですよ」
「年越しそば」
「僕にぬかりはありません」
「二人っきりだのぉ」
「そうですね」
「部屋から出てはならぬぞ」
「師叔もね」
言葉が途切れて二人は顔を見合わせる。それからひかれるようにどちらからともなく口付けた。軽く口付けてくすくす笑う。
それから太公望と楊ぜんは、ままごとみたいに年越しそばを作る。途中、包丁とまな板を持ってくるのを忘れたことを思い出して、太公望は楊ぜんに部屋から出るなと厳重に注意したあと、台所に走ったりもした。透明な、透き通った星空を見ながら二人は年越しそばを食べる。
「美味しい?」
楊ぜんは不安そうに尋ね、太公望はこたえようとしたものの、蕎麦を口いっぱい放り込んだところだったため、ごほごほとむせた。
「師叔」
楊ぜんは慌てて水を持ってくる。
「大丈夫ですか?」
「うぬ」
太公望は一つこくんと頷いて。
「美味いよ、楊ぜん」
涙目になりながらもそういう。楊ぜんは嬉しくなって太公望にぎゅうっと抱きついたため、お蕎麦がほんの少しこぼれてしまった。太公望はそっとお蕎麦を楊ぜんから遠ざける。それからそっと楊ぜんを包み込んだ。少しばかり楊ぜんのお蕎麦に未練を残しながら。
「ねぇ、師叔」
「ん?」
「今年はどんな年でした?」
太公望はほんの少し思いを馳せる。
「いろいろあったのぉ」
楊ぜんは太公望の肩に頭を押し付けるようにしながらこくりと頷く。
「楽しいこともつらいこともたくさんあったけれど」
やんわりと楊ぜんの髪を撫ぜる。その頭に軽くほお擦りして。
「おぬしがいたから、悪い年ではなかった」
こくん。もう一つ楊ぜんは頷いて。
「師叔が一緒だったから、それでも、幸せだった」
なくした物は大きすぎて。
それでも。
それ以上に。
何か得るものがあったのだと思いたい。
何かをなくすたびにいつもいつも繰り返し思うこと。
それでも、これは前進なのだと。
不幸だなんて口が裂けたって言わないから。
ごぉんと遠くで銅鑼の音が聞こえた。
太公望の腕の中で楊ぜんは軽く身じろぎする。
「師叔」
年が明ける。今年は去年になり来年は今年になる。
時が進んで今は過去になる。
二人は目を見交わし、そしてそっと、まるで決まりごとのようにキスをした。
今年、一番初めにあなたを見て
今年、一番初めにあなたと会って
今年、一番初めにあなたとキスした。
「おめでとう楊ぜん」
太公望は楊ぜんの耳元でそっと囁く。楊ぜんはくすぐったそうに身をひねり、するりと太公望の腕から逃げ出してしまう。それから太公望の前にきちんと正座して座ると、きちっと頭を下げた。
「あけましておめでとうございます。太公望師叔」
太公望は目をぱちくりし、それからつまらなそうに楊ぜんを見る。
「おぬし……。人がせっかく恋人同士の、甘くけだるい雰囲気を盛り上げておるのに。これではジジイのところの祝賀挨拶と同じではないか」
「でも、今年一番初めの挨拶ですから」
「太公望師叔などとまるで他人のように」
太公望はすねている。楊ぜんはあんまりないいように少し膨れた。
「せっかく名前で呼んであげたのに」
「ならば、敬称はいらぬ。おぬしとてわしに楊ぜんさんなどといわれたら傷つくであろう?」
「だって、あなたは元始天尊様以外に敬称をつけたことなんてないじゃないですか」
「それとこれとは関係ない。わしはジジイの一番弟子としてではなく一人の男としておぬしが好きなのだ。それともおぬしはわしがジジイの一番でしだから一緒におるのか?」
「酷いですよ師叔。そんなわけないじゃないですか!」
「では、何故わしが師叔なのだ」
「だって」
楊ぜんは困って上目使いに太公望を見る。
「わしの名は呼べぬか。そんなにわしはおぬしにとって遠いのか?」
太公望は正座した楊ぜんの肩をぎゅっとつかんだ。
楊ぜんは困ったように太公望を見上げる。碧玉のような瞳がじっと見下ろしてくるのに妙な威圧感を感じて、楊ぜんは乾いた口を開いた。
「た……太公望」
師叔と続けそうになる口を無理やり閉じて。
「そんなこと全然ないです」
ああ、だけれどわかって欲しい。
この名前は特別すぎて、もはや敬称なしに呼ぶことなど不可能なのだ。
太公望はぎゅうっと楊ぜんを抱きしめた。
「ごめん、楊ぜん」
ほんの少し苦笑めいた笑い。それで楊ぜんは自分が許されたことを知る。
「だけど」
耳にかかる台詞が妙にくすぐったい。
「嬉しかったよ」
「師叔……」
楊ぜんはそっと太公望を抱きしめ返し、それから気がついて、あ、と口元を抑えた。
「いいよ。楊ぜん。わしはそのおぬしの言う師叔という言葉の響きが殊のほか好きだから」
「師叔?」
「ひどく甘く感じるのだ」
楊ぜんは力を抜いて太公望にもたれかかる。
「師叔。今年も、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく。楊ぜん」
二人、どちらからともなく微笑んで。
「寝ようか」
太公望はもぞもぞ寝台に入り、おいで、と楊ぜんを手招きする。
「変なこと、しないでくださいね」
「しないよ」
「ふーん」
「何だ、疑い深そうだのぉ。もしやして欲しいのか」
「莫迦」
こつんと楊ぜんは太公望の頭を叩いた。
「痛いのぉ。新年早々人の頭を叩くでないっ」
「だって」
「いいから」
――おいで、楊ぜん。
楊ぜんはするりと太公望の隣に滑り込む。
初夢もあなたの腕の中。
明日も明後日もその次も。
明日はお汁粉を作ってあげましょう。あなたは甘い物が好きだから。楊ぜんは思いついて太公望にぎゅっと抱きつく。
「ねぇ師叔。この窓から朝日って見えますか?」
「見えると思うが」
「じゃあ、明日は初日の出を見ましょう」
「うぬぅ。わしは寝正月がいいのぉ」
「駄目ですよ。そんなの。お正月なんだから」
「ううっ。楊ぜんと寝正月ぅ〜」
ごねる太公望を尻目に楊ぜんはくすくすと笑い出した。
今年も、きっといろいろなことがあるだろう。
だけれど、あなたと一緒ならばきっと何も怖くない。
end.
novel.
あとがき
新年明けましておめでとうございます。いつもながらの、お莫迦な感じですが、今年も何卒宜しくお願いいたします。
このサイトに訪れてくださるすべての方に、今年が素晴らしい年になりますように。
真緒
2002年 迎春
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