前夜祭 03.



 修道院の夜は早い。9時にはもう就寝時間で、楊ぜんはお祈りを済ませてから横になった。ふと、伏羲のことを思い出す。
 行かないんだから。
 寝返りを打つ。からかわれてるんだ、きっと。判ってるんだから。
 でも。だけど。
 楊ぜんはぼんやりと起き上がる。カーテンを引き上げる。月明かりに照らされてちらほらと粉雪が舞う。まるで上等のお砂糖みたいに。
 くしゅんと楊ぜんはくしゃみをした。
 寒いだろうな、外。
 お布団にもぐる。部屋の中ですら寒い。
 知らない。僕は、行かないって言ったんだから。それで伏羲が風邪を引いても、それは伏羲のせいだ。
 でも、だけど。
 くるん、寝返り。
 ちょっとだけ、様子を見に行くだけ。
 楊ぜんは起き上がる。床に足をつける。床は氷のように冷たい。楊ぜんは慌てて靴をはき、寝巻きの上から外套を羽織った。同室の子が起きないようにそっと部屋を出る。古くなった扉がきいっと音を立てて楊ぜんは心臓が飛び出るかと思った。
 廊下は暗いけれど、いつも歩いている場所だから見当はつく。壁伝いに手を這わせ歩いていけば、壁も氷のように冷たくて、次第に感覚がなくなってきた。
 立ち止まって手に息を吹きかける。
「なにをしておるのじゃ、楊ぜん」
「うわっ!」
 楊ぜんは慌てて口を抑え悲鳴を殺し――もっともそれはもう声になって出てしまったあとだったのであまり意味はなかったのだが――後ろを振り返った。
 燭台を手にした竜吉公主がたっていた。
 竜吉公主は口の前に人差し指を立てる。楊ぜんはこくこくと頷いた。
「竜吉公主様こそ、何を」
「見回りじゃ。こんな日に当番が回ってくるとはついておらぬ」
 竜吉公主は苦笑する。
「僕はその。お手洗いに」
「方向が逆であろう」
「えっとあの……」
 楊ぜんは困る。
「私が知らぬほうがよいことか?」
「……は……はい」
「では、今夜は特別に目をつぶろう」
 竜吉公主はそういうと楊ぜんを追い抜いて歩き始める。
「あの、いいんですか?」
 楊ぜんはその背中に問い掛けた。
「よいか悪いかは楊ぜんが決めることじゃ。神様はいつも楊ぜんを見守っておられる。クリスマスイブじゃからな。プレゼントじゃ」
 楊ぜんはきょとんとする。それから慌てて部屋に戻った。

 扉を開けると、ひゅうっと風が吹き込んでくる。外套は着ているものの、身を切るような冷たい風に楊ぜんは前をぎゅっと合わせた。月明かりにクリスマスツリー。赤いリボンは黒っぽく映えて酷く奇妙だ。金の鐘は青白い光を反射する。
 楊ぜんは真っ白な雪野原に足跡を残しながらクリスマスツリーの前に立った。
 吐く息は雪に負けないほど白い。
 誰もいない、静かな夜。
 やっぱり、からかわれてたんだ――
 とたん、楊ぜんは悲しくなる。
 伏羲様の嘘吐き。
 悔し紛れに雪を蹴り上げる。まだ降って間もない粉雪はさらさらと舞い上がった。全然おしとやかじゃない自分に楊ぜんは少し微笑む。
「莫迦ーっ」
 言って雪を蹴る。身体を動かすと少しだけどあったかい。
 ふわふわと雪は楊ぜんの上に降り積もる。自分が蹴り上げた雪もあいまって、楊ぜんは行きまみれだ。くしゅんとくしゃみが出た。
「寒い、よぉ」
 小さく楊ぜんは呟く。
「伏羲様。寒いから出てきて」
 動きを止めて楊ぜんはしばらく待つ。じっとする。何も起こらない。雪の降り積もる音すら聞こえそうなほど静か。
 一秒、二秒、三秒……
「嘘吐きっ!」
 言葉とともに、思いっきり楊ぜんは雪を蹴っ飛ばした。

 ごふっと奇妙な音がした。
 楊ぜんは音のしたほうを見る。

 雪だるまが立っていた。

「お、おぬし、何を……」
 雪だるまは伏羲の声でそう言った。それから、ぱたぱたと自分の雪を払い落とす。
 中から伏羲が出てきた。
「さ、寒いといったら……駆けつけると言ったであろう」
 そこまで何とか言い終えて盛大にくしゃみをした。
「ずっと見てたんですか」
 一方、楊ぜんは怒っている。今までの一部始終を見られたと思えば恥ずかしくてしょうがない、それを怒りに摩り替えてしまったようだ。
「ずっとというか……寒かったので教会におったのだ。で、誰かが出てくる気配がしたから出てきてみたら……」
 鼻をぐしゅぐしゅ言わせながら伏羲は言った。
「嘘、それまでに随分時間がありました」
「寒いといったら出て行こうかのぉと……」
「じゃ、すぐ出てくればよかったじゃないですか」
「ああ、いうのは、少し間があったほうが感動的なのだ」
 演出家、伏羲は言った。
 楊ぜんはあきれ果ててため息をついた。
「まさか、おぬしがあのような暴挙に出ようとは……」
 伏羲の呟きに顔がほてってくるのを感じて楊ぜんは手で頬を押さえる。
「百年の恋も冷めましたね。よかったじゃないですか」
 伏羲はにやりと笑った。
「否、ますます好きになった。本当のおぬしが見られたから」
「本当のって、じゃ、伏羲様は本当の僕はがさつで、お転婆だと仰るのですか」
「そのようだのぉ」
 伏羲は笑う。
「昔な、可愛い女子がおったのだ」
「なんですかそれ」
 にやにやしながら話し始めた伏羲に楊ぜんは眉をひそめる。
「さっきの、おぬしに似ておる」
「だから僕が好きだって仰るんですか。そんなので好きにならないで下さい」
 なんだか悲しくなって楊ぜんは怒った。
「違うよ、楊ぜん。ああいうおぬしを見たのは今が初めてではないか。わしはその前からおぬしが好きだといっておろう」
 楊ぜんはちょっと言葉に詰まる。
「のぉ、楊ぜん。わしとともに来ぬか?」
「嫌です」
 楊ぜんは即答した。
「僕にはこの場所が大事なんです。伏羲様はきっと、神様が僕に下さったちょっと早いクリスマスのプレゼント」
「楊――」
 伏羲が言いかけるのをさえぎるように楊ぜんは言葉を紡ぐ。
「僕はおそらく一生ここで暮らすでしょう。神様と神様の教え子に囲まれて。僕はそれが嫌だとは思わない。でもね、神様はきっと、僕に他の世界もあるって教えてくださったんです。あなたを通して」
 楊ぜんは真っ直ぐ伏羲を見つめる。
「あなたは世界。僕に新しい風を吹き込んでくれた」
「だから、わしのことはよい思い出だというのか」
 伏羲は問い詰める。楊ぜんは動じない。
「だあほ。そのような言葉でごまかすでないっ。わしが嫌いならそうとおぬしの言葉で紡げばよい。神など引き合いに出すでないよ」
 楊ぜんは悲しそうに伏羲を見る。
「あなたのことは嫌いじゃない。だけど、あなたは一番にはなれない」
「何故?わしとともにいてもおぬしの神を信じることは出来よう。おぬしは言ったではないか、神はおぬしに他の世界を示したと、わしを通して他の世界をおぬしに示したのであろう?」
「何故あなたはそんなに僕にこだわるのですか。あなたなら、他にいくらでも――」
「だあほ!そんなことわしも知らぬわっ」
 伏羲は叫ぶ。駄々っ子のように。
「おぬしがわしのことをなんとも思ってなかったり、ましてや嫌いならわしもあきらめるよ。だが神を引き合いにだされてもわしには納得できぬ。納得いく答えがほしい。わしとおぬしを祝福せぬ神などいらぬ」
 楊ぜんは悲しそうに微笑む。
 外套の中から本を手に取る。それを伏羲に押し付けた。
「伏羲様、さっきあなたは一番になれないといった口でこんなことを言うのは変だけれど、それでも僕はあなたが好きみたいです。だから……僕の一番大切なものをあなたにあげる」
 伏羲は無言でそれを手にとる。破れて、汚れて、よほど読み込んだのが判る、それは聖書だった。安物ではない。まるで、伏羲が昔押し付けられたのを捨てた聖書のような。
「子供の頃、貰ったんです。それからずっと僕の宝物でした。……あの。安物ではないんですよ。えらい大貴族様に頂いたんですから」
 伏羲は笑う。それで楊ぜんは少し嬉しくなった。
「神様のお話が書いてあるんです。それを読んだらきっと伏羲様も神様を信じます。だから、もう、あんなこといっちゃ駄目ですよ。神様はいつも僕達を見ていらっしゃるんです。さっきの言葉は僕がお祈りして許していただきますから。あの、神様は優しい方ですからきっと許していただけます」
 楊ぜんは、それだけ一気に言うと一つため息をついた。
「否、楊ぜん。もう良いよ」
 伏羲は笑う。
「わしも少しだけ神を信じてみたくなった」
「本当?」
 楊ぜんは嬉しくて微笑む。
 伏羲はそっと楊ぜんの肩を抱き寄せる。
「のぉ、楊ぜん。しかし、大貴族様はちょっと違うかのぉ」
「え?」
 伏羲に抱きしめられて、見事に凍りついた楊ぜんは小さく聞き返す。
「わしはな、あの頃から神など信じておらなんだから。押し付けられた聖書も日曜日に連れて行かれるミサもそれはそれは嫌だったのだ」
「え?ええ。でも今は――」
 話の流れが見えなくて、なにより抱きしめられていることにどきどきして楊ぜんは戸惑う
「それでな、よくミサが終わると修道院の子供達をからかっておったのだ。その中で一番お転婆だったのにな」
 腕の中で楊ぜんは身じろぎする。
「聖書をくれてやったのだ」
 いたずらっぽく伏羲は笑う。
「のぉ、そういったら、おぬしはどうする?楊ぜん。これはおぬしのいう神の導きではないのか?」
「うそ」
 小さく楊ぜんは言った。
「信じないのなら、かまわぬよ。おぬしが決めればよい。一目ぼれにも、何かしら訳があるとわしは思う。わしはおぬしが気に入ったから聖書をやったのだろうから」
「あの方が……天使様だと僕はずっと信じてたのに」
 くすくすと伏羲は笑う。
「だから、最後はおぬしが決めればよい。神の導きより、おぬしの決断が欲しい」
「時間を下さい。僕はもう、何がなんだか――」
 伏羲は頷く。
 もうすぐ夜が明ける。
 クリスマスが来る――

 二年後。
 白いウエディングドレスを着て楊ぜんは花嫁になった。
 式はクリスマスの前夜祭、クリスマスイブに行われた。クリスマスではなくその前夜祭に式を行ったわけは誰にもわからなかった。
 新郎である伏羲が、公主めクリスチャンの癖に嘘をつきおってと呟いた意味も、やはり誰にもわからなかった。

end.

novel.