あなたにリボンの贈り物2



 仕事が終わって、筆だの硯だのを片付けていると天化が楊ぜんの方にやってきた。天化は逡巡した後、意を決したという表情で顔をあげる。
「あの。楊ぜんさん」
「何?」
 楊ぜんは部屋を出て行こうとしている太公望の方を気にしながらこたえた。結局、太公望は謝ってくれなかったのだ。ちょっと、イライラする。
「あの、明日楊ぜんさん休みって聞いたから。そんで、俺っちも明日偶々休みなんさ。だから、一緒に……」
 天化は言いかける。実を言うとそれは半分ばかり嘘で天化は仙界の用事があるからと他の道士に頼み込んで武王の護衛を一日代わってもらったのだったのだけれど。
「それは、デートってこと?」
 楊ぜんは太公望に聞こえるようにわざと大きな声ではっきりといった。
 はっきりといわれて天化は赤くなる。
「え……と……」
 太公望は気にする様子もなく歩いていく。立ち止まりもしない。楊ぜんはむかむかした。
「いいよ。どこ連れてってくれるの?天化君」
「え……。ホントさ?楊ぜんさん!」
 嬉しそうに天化は笑う。楊ぜんは歩いていってしまう太公望の背中を目で追いながら、うんと小さく頷いた。太公望は、楊ぜんが天化とデートしても全然平気なんだろうか。そう考えると、酷く苦しい。
 立ち止まってもくれなかった太公望は意地っ張りな楊ぜんのことなどすっかり嫌いになってしまったのだろうか。
 今すぐ太公望を追いかけて謝ってしまいたい衝動が体の中を駆け巡る。
 だけれど楊ぜんは、結局そうせずに頭の上を空滑りしていく天化の話に適当に相槌を打っていただけだった。
「あの、楊ぜんさん」
 天化の声に楊ぜんははっと我に帰る。
「何?天化君」
「いや。楊ぜんさん、なんかぼーっとしてたみてーだから」
 心配そうに見つめる天化の瞳。身長が近いせいで瞳の位置も近い。どきりとした。
「うん。ちょっと考え事」
 楊ぜんは上の空で答える。
 それって師叔のことさという台詞を天化は喉の奥にしまいこんだ。
 せっかく、楊ぜんとデートできるのに、楊ぜんはまだ太公望のほうを見ている。デートの誘いに応じたのもきっと太公望へのあてつけのつもりなのだろう。そんな楊ぜんを可愛いと思えるほど天化は大人じゃないし余裕もない。楊ぜんに自分を見てもらいたいとおもう。
 ちょっとイライラする。
「嫌なこと忘れて明日は遊ぶさ」
 イライラを吹き飛ばそうとするように天化は笑った。楊ぜんがにっこり微笑んでそうだねといったのを見て、そのまま師叔のことも忘れてしまえばいいと天化は思う。
「天化君、ありがとう」
 小さく楊ぜんが呟くようにそう言った。
 とたん、天化は小さな罪悪感に駆られる。きっと天化は楊ぜんが思ってるほど、純粋でも純情でもない。おなかの中にはぐるぐると太公望に対するどす黒い感情が渦を巻いている。
 楊ぜんにそれを悟られないように天化は窓の外を見るふりをして楊ぜんから視線を外した。



 さて、執務室の隣の部屋の壁にぴったりと張り付いて太公望は隣の様子を窺っている。
 勿論、頑丈な執務室の壁越しに楊ぜんと天化の言葉などほとんど聞き取れなかったのだが、それでも太公望はねばった。
 本当は部屋に戻った楊ぜんに謝って許してもらってそのままいちゃつこうと思っていたのだが、天化が楊ぜんに話し掛けたせいですっかりタイミングが狂ってしまったのだ。
 ついで、楊ぜんがデートなどという物だからすっかり調子が狂ってしまった。勿論、楊ぜんが太公望に仕返しのつもりで天化にそんなことを言ったことくらい太公望は良くわかってはいたのだ。
 だけれど、そのあまりにも判りやすい態度はかえって太公望の気に障った。そのつもりなら、勝手にデートでも何でもすればいいと思った。その時は。
 だけれど、いったん執務室を出て自分の知らないところで楊ぜんと天化が話してしゃべって笑いあってるのだと気がついたときに、どうにも気になってしまったのである。
 結局、楊ぜんなんかどうでもいいと思ったのはほんの一瞬で、太公望はやっぱり楊ぜんが他の男なんかと話をするのがたまらなく嫌なのだ。
 だから太公望はじっと耳を済ませる。
 それに。ちょっとだけ彼は考えている。
 ひょっとしたら楊ぜんが天化の申し出を断るのじゃないかと。
 僕には師叔がいるから、だからごめんね天化君。今、隣でそう言っているのじゃないかと。
 そうだ。そうに決まってると彼は思い込もうとした。
 隣の部屋から人が出てくる気配がする。
 きっと楊ぜんだろうと太公望はおもう。そうだ。今すぐ謝ってしまえばいい。
 楊ぜんはきっとすねてごねるだろうが、何回も謝って頬にキスでもしてやればきっと許してくれる。
 太公望はいそいそと部屋を出た。
 ちょうど、天化と楊ぜんが二人そろって部屋から出てきたところだった。
 楊ぜんは微笑んでいた。天化は笑っていた。太公望に気付きもしなかった。
 太公望は裏切られたような気分になって立ち止まった。
 その時、楊ぜんが振り向いた。丸く目を開く。驚いた表情。
「師叔、どうしてそんなところに……」
「おぬしらこそ、随分遅くまで残っておったのだな」
 白々しく太公望は言った。
「ええ、あの」
 楊ぜんはそう言って口ごもる。
「明日、二人で出かけるさね」
 天化が笑って言う。その目だけが笑っていないように太公望は感じる。なんだか、酷く惨めだと思った。
「そうか」
 それ以上言える言葉もなく、太公望は自分の部屋に戻るしかない。
「あの」
 楊ぜんの声に太公望は振り返る。楊ぜんはじっと太公望を見ている。
「止めないんですか?」
 短く、囁くように楊ぜんは言った。
 今。今ここで、泣いていかないでくれと叫んだら、楊ぜんは太公望の元へ帰ってくるのだろうか。嫌だと、子供みたいに駄々をこねれば、楊ぜんは太公望の側にいるのだろうか。
「楊……」
 楊ぜんと、そういいかけたとき、太公望は視線に気がついた。黙って天化が自分を見ていた。射すくめられて自分が石になってしまったように太公望は感じた。天化など自分にしてみればほんの子供に過ぎないのに。
 否、だからかもしれない。子供に自分の格好悪い姿を見せたくないというくだらない自尊心だったのかもしれない。
「わしが止めることではなかろう?」
 結局太公望はそう言った。
 楊ぜんは悲しそうに目を伏せると、天化の腕を引っ張って歩いていった。
 太公望は頭から水をかけられた犬のように、たまらなく惨めだった。


 翌日、楊ぜんは天化と一緒に街を歩いていた。
 街はにぎやかだったけれど、楊ぜんは楽しむ気になれない。昨日の太公望の台詞が頭の中をぐるぐる回っていた。悔しかったしショックだった。結局太公望にとって、楊ぜんなんてどうでもいいものだったのだ。そうじゃなかったら、止めてくれたはずだと楊ぜんはおもう。
 太公望に嫌われてしまったと考えるだけで、楊ぜんは悲しくて悲しくて泣きたくなる。それでも泣かなかったのは天化がいたからだ。
「あ、あの」
 天化はずっと黙り込んでる楊ぜんを気にして声をかける。いつもの覇気が全く感じられない楊ぜん。
「どこか行きたいとこある?」
「……どこでもいい」
 小さく楊ぜんは答える。天化は困ってしまう。楊ぜんを喜ばせてあげたいのに、どうしていいのかわからない。
「あ、じゃあ、甘い物でも食べにいくさ?」
「うん」
 こくんと小さく楊ぜんは頷いた。
 きっと太公望のことを考えているのだろうと天化は思う。楊ぜんを苦しませているのが太公望だと思うと天化は小さな軍師が憎らしくなった。
 と。
「天化君、ごめんね」
 小さく楊ぜんは言う。
「え?」
 驚いて天化は聞き返した。
「楽しくないよね。僕といたって」
「そんなことないさね」
 天化は慌てて言う。心情を見抜かれたのかとどきりとした。
「楊ぜんさんと歩けるだけで嬉しいさ」
 楊ぜんは小さくくすっと笑う。天化は安堵感とともに嬉しくなった。
「楊ぜんさん。やっと笑ってくれたさ」
「え?」
「俺っち、楊ぜんさんの笑った顔好きさね」
 楊ぜんは照れたように笑う。可愛かった。
「俺っちじゃ、楊ぜんさんのこと笑顔にさせてやれねえのかなって思ってたから。嬉しいさ」
 その言葉に、今度は楊ぜんがどきりとした。
「ごめん」
 急に謝った楊ぜんに天化はおろおろする。
「楊ぜんさん。どうして謝るさ?」
「僕、君に酷いことしてる」
 ぎりっと天化は奥歯をかみ締める。
「それって師叔のこと?」
 はっと楊ぜんが顔をあげたので、天化は言うんじゃなかったと後悔した。
「そう。僕、師叔の変わりに君のこと……たぶん、利用してた」
「俺っちは……」
 天化は顔を伏せる。楊ぜんはじっと天化を見つめる。辛そうな表情。全然天化らしくない。そして、彼にそんな顔をさせているのは他ならない自分なのだ。太公望への意趣返しに勝手に天化の心を弄んで。
 最低だと楊ぜんは思った。
 楊ぜんがこんなだから、きっと太公望は楊ぜんが嫌いになってしまったのだ。
「楊ぜんさん」
 その時天化が口を開いた。
「でも、俺っち楊ぜんさんに笑って欲しかっただけだから。元気出して欲しかっただけだから。そんなの全然関係ないさ」
 にかっと天化は笑う。いつもの表情。彼らしい表情。
「それに、俺っちも……俺っちもちょっとだけ思っちまったさ。このまま楊ぜんさんが俺っちのところへ来てくれればいいのにって」
 え、と楊ぜんは顔をあげた。
「師叔じゃなきゃ。駄目さ?」
 真剣な目の天化とぶつかる。
「僕は……」
 楊ぜんは言いよどむ。小さな緊張。
「……。言わなくていいさ。目が言ってるさ。師叔じゃなきゃ駄目だって」
 なんと言っていいのか判らないから楊ぜんは黙った。
「ホントいうとオウサマにけしかけられたさ。楊ぜんさん傷心だから今がチャンスだって。だけど、やっぱり、俺っちそういうの駄目さ。やっぱ男は正々堂々勝負さね」
 天化は笑う。無理な笑顔。
 楊ぜんはじっと天化を見つめ、そして「うん」と頷いた。
「天化君。……ありがとう」
 天化はなんと返していいかわからず曖昧に笑う。これでは太公望と楊ぜんの喧嘩の仲裁をしたようなものだ。たまらなく自分が莫迦だと思った。だけれど妙に清清しかった。
「仲直りしてくる」
 くるん。楊ぜんは背を向ける。その背中に向けて天化は叫んだ。
「でも楊ぜんさん。俺っちいつか絶対あーたを惚れさせて見せるさね」
 くるんと楊ぜんは振り返る。振り返って。
「もう惚れてるよ」
 ふわんといい香りが広がると同時に頬にやわらかい感覚。
「え、ええ?」
「頑張ってね」
 すたすたと楊ぜんは帰っていく。
 天化は呆けたように突っ立って動けない。
「楊ぜんさん……卑怯さね……」
 ぽつんと天化は呟いた。
「ばーか」
 背後で声がして天下は振り返る。姫発が立っていた。
「飲むか?」
「オウサマの驕りさね」
「おう」



 急いで西岐城の執務室に向かった楊ぜんは唖然とした。
 太公望が椅子にぐるぐる巻きに縛られていた。
「あ、あの……これはどういう……?」
「何度も逃亡を図るものですからやむをえなく」
 済ました顔で周公旦が答える。楊ぜんはもう一度太公望を見た。
「……気になることがあったのでな」
 すねたように、太公望は言った。
「おぬしこそ、何故ここにおるのだ」
「……謝ろうと思って」
 きょとんとした顔で太公望は楊ぜんを見た。
「あの桃、哮天犬へのプレゼントだったから」
 ぎこちなく楊ぜんは言う。
「……哮天犬は、桃を食うのか」
 太公望は嫉妬していたのが哮天犬だと知ってなんだかとても情けなくなった。
「食べないけど、匂いは好きみたいで」
 ぎこちなく、会話は進む。
 太公望はため息をつく。
「もうよい。わしが悪かった」
「え、ずるいですよ。師叔。僕が先に謝るつもりだったのに」
「ずるいって……楊ぜん。とりあえずこの縄を解いてくれるかのぉ」
 楊ぜんはいそいそと縄を解きにかかる。
 周公旦は横目でちらりと見ただけで、何も言わなかった。
 縄が解けたところで、太公望はぎゅうっと楊ぜんを抱きしめる。
「淋しかったよ。楊ぜん」
「え、ちょっと。師叔。あの。ここは人前です」
 楊ぜんは慌ててそれだけ言った。
「嫌だ」
「駄目ですよ」
「だってわしは淋しかったのだぞ、楊ぜん」
 楊ぜんは太公望の腕から抜け出そうともぞもぞし、だけれど縄を解くためにしゃがんだような不安定な状態で抱きしめられてしまったため抜け出すことが出来ず、仕方なく小さく太公望をぶった。
「だけど。ちゃんとあなたのところへ帰ってきたでしょう」
「莫迦もの。時間がかかりすぎだ」
 太公望は笑って楊ぜんに口付けようとする。その瞬間、こほんと周公旦が咳払いをした。
「外でやりなさい。外で」
 真っ赤になった楊ぜんを引っ張って太公望は外へ出た。



 翌日。目覚めた太公望の机にはリボンをかけられた桃が置いてあった。「師叔へ」と小さくカードが添えてある。太公望は桃とまだ寝ている楊ぜんを見比べてそれからにやりとした。

 目が覚めた楊ぜんに太公望はにっこり笑って言う。
「確かに今宵頂くぞ」
 楊ぜんはくすっと笑って起き上がる。それから何気なく自分の手首を見て見事に固まった。
 手首には桃にかけてあったはずのリボンが結ばれている。太公望のにやにやした顔を思い出し、してやられたと思った。かっと顔が赤くなる。
 その朝。楊ぜんは赤くなりすぎてしばらく動けなかった。

end.

novel.