love is traiangle



 扉を開ければ、そこには闇が広がっていた。彼はがらにもなく一瞬立ちすくむ。
「ああ、君が着てくれてよかった」
 むくりと起き上がった黒い影はそう言って微笑んだ。
「じゃないと僕は、壊れてしまうところだった」
 暗い部屋に、明りも着けずに楊ぜんはうずくまっている。こちらに向けられた笑顔は酷く弱弱しい。まるで仙界が壊れたあのときのように。否、あのときよりももっとずっと弱弱しかった。
 こんな楊ぜんは嫌だ。
 ナタクは思う。初めて会ったとき、楊ぜんは確かに強かったのだ。
「壊れたのか……?」
 楊ぜんは宝貝人間ではないけれど、人間でもないらしい。だから楊ぜんも壊れたのかと、壊れたのだったら太乙真人でも呼んできてやろうかと――あいつは、ムカツクが腕だけは確かだから――そう思ったのだが、楊ぜんは小さく首を振った。
「違う。君が着てくれたから壊れなくて済んだんだ」
 呟くようにそういう。その姿だって普段の楊ぜんからは考えられない。あのときだって、もっとちゃんと凛としていたじゃないか。
 そう、ナタクが知っている楊ぜんはいつだって凛としていた。仙界大戦のときは弱弱しかったけれど、それでもなおしゃんと背筋を伸ばしていた。芯から強い奴だと思っていた。それなのに――
 今の楊ぜんはまるで抜け殻のようだ。
 楊ぜんは壊れていないと言ったけれど、やはり壊れているのではないか?
「壊れたら、治るのか――?」
「――壊れたら、治らないよ」
 ぞくりとする。こんなのは楊ぜんじゃない。
 何が悪いのか?このくらい部屋がいけないのか?
「キサマそこから出ろ」
 楊ぜんはゆっくりと頭をもたげる。
「その場所は悪い。早く出るんだ」
「じゃあ、手を引いてくれる?」
 ぐいっとナタクは楊ぜんの腕をつかんだ。
 細いなと、そう思った。
「痛いよ」
 楊ぜんは小さく笑う。
「ああ、誰かに手を引いてもらうなんて何年ぶりだろう」

 ――師匠――

 ああ、悪いのはそれか。
「俺が手を引いてやる」
 だから、死んだ奴のことなんか、もう、考えるな。



   ☆



「あの、あのね、ナタク。もういいから」
「何がいいんだ」
「だからその……手」
「キサマが引いて欲しいと言った」
「そうなんだけど。あの……」
 楊ぜんは、周りの視線に耐えかねて俯いた。西岐城の廊下である。楊ぜん様はあんなお顔をしていながらどうやらショタコンらしいという白い視線がぐさぐさと楊ぜんに突き刺さる。
 あの時、ナタクが着てくれなかったら、自分が間接的に師を死に追いやってしまったという罪悪感から楊ぜんはその場の勢いで自分を傷つけたり、自分を責め続けていたりしていたはずだ。だから、あの本当にどん底にいたときにナタクが飛び込んできてくれたのは――おそらく修行相手でも探していたのだろうけれど――かなり助かったことではあった。
 あったのだけれど。
 あれ以来ナタクは本当にずっとずっと手を引いていてくれるのだ。いい大人が――少なくとも楊ぜんはそう思っていた――ローティーンの少年に手を引かれているという構図はかなり情けない。
 ではナタクはどうなのかというとこちらもかなり照れてはいるようで、耳のあたりを赤く染めながら――ということはきっと、顔も赤いんだろうな――それでも几帳面に楊ぜんに合わせてちょっと前を歩いている。
 それは確かに、人恋しいときはあった。たぶん魔が差したのだと思うけれど、楊ぜんから言い出したのも確かである。だけど、いつもこの状態は辛い。
「あの……ナタク」
「なんだ」
「その……」
「嫌なのか」
 ナタクはいつも直球で尋ねてくる。だから、断りづらい。ナタクが楊ぜんのためを思ってやっていることがわかっているものだから余計に。それに、楊ぜんだってナタクが嫌いなわけじゃないのだ。
「嫌じゃないよ」
 言ったとたん、訳もなく楊ぜんは恥ずかしくなってかあっと顔が赤くなった。
 ああ、何言ってんだろ僕。
「着いたぞ」
 ぶっきらぼうにナタクは言う。ちょうど楊ぜんの部屋の前。
「ありがと」
「大丈夫か」
 え?と楊ぜんは首をかしげる。
「その部屋は、暗いだろう」
 ああ、きっとナタクは楊ぜんがまた、師のことを思い出して追い詰められるのではないかと心配しているのだろう。
「もう、大丈夫だよ。僕はいつまでも弱くない」
「そうか」
 うん。と頷き返してから楊ぜんはちらりと思う。
 ああ、もうナタクは手を引いてくれないんだろうか。
 それはちょっと、淋しいな。
 矛盾してることを考えつつ、楊ぜんは部屋に入る。
 入って。
 あれ……。
「誰だ!」
 人の気配がした。
「よお!」
 不法侵入者はあっけらかんとした声を出した。見知った背の高いがっしりした体つき。
「なんだ、韋護君か。脅かさないでよ」
 ほっと息をついて楊ぜんは肩の力を抜く。
「おまえなー。鍵くらいかけろよ危ないだろ」
「危ない奴は君くらいしか入ってこないよ」
「こんな紳士捕まえて危ないなんていうなよ」
「紳士……?」
 楊ぜんは怪訝そうに眉をしかめる。
「で、その紳士様が何しにきたのさ」
「噂の真相を確かめに」
「噂?」
「そ、お前がショタ……」
 ゴンッ!
「ってーな。何すんだよ」
「君が莫迦なこというからだろ!」
「向きになるなよ。怪しいって思うだろ」
「思うなっ!」
 韋護は思いっきり殴られた頭をさすりながら恨めしそうに楊ぜんを見た。
「しんじちゃいねーけど、気になるじゃん」
「そういうのは、僕にもナタクにも失礼だよ」
 楊ぜんは怒っている。
「だけど、普通、手ぇつないで歩いたりするか、何にも無くて」
「ナタクは……優しいから……」
「優しい?あれがか」
 韋護には相手の迷惑考えず攻撃しかけてくるナタクしか思い浮かばなかった。
「うん……。僕がどん底のとき、側にいてくれた。だからちょっと甘えちゃったんだ。そしたら……」
「それってさ、すっげー、羨ましいんだけど」
「何それ」
「だって、お前のほうから誘ったんだ……」
 ガツンッ!
「手加減しろよ!」
 韋護は涙目で叫んだ。
「変な言い方するからだろっ!」
「わかったよ。俺にもたまには甘えてほしーなーとか、そう思ったの」
 楊ぜんはちょっと赤くなってから口ごもり、それから思いっきり可愛げの無いことをいった。
「だって、そしたら君、すぐ付け上がるじゃないか」
「一回くらい、付け上がってみたいじゃん」
 楊ぜんはちらりと韋護を見る。そして一言。
「やだ」
「ひでぇな。恋人は甘やかしてくれないわけ?」
「君を恋人にした覚えはないよ」
 つれない楊ぜんに韋護はがっくりとうなだれる。それに楊ぜんは追い討ちをかけた。
「だってね。ナタクは何も望まないし、可愛いもの。君は欲望まみれじゃないか」
 それは、まあ、仰るとおりで。
 さすがに韋護も口に出しては言わなかった。かわりに彼はにやりと笑った。



   ☆



「ちょっと二人とも止めてよ」
 翌日、楊ぜんは困っていた。
 右手にはナタク。左手には韋護。
「キサマ手を離せ。楊ぜんが嫌がっている」
「嫌がってるのは、お前のほうだろ。今日から俺が手を引いてやるんだから、お子様は引っ込んでろ」
 仲良く――とはお世辞にも言いがたかったが三人は幼稚園の児童よろしく手をつないで歩いている。
「喧嘩するなら、二人とも手を離してよ」
 人目を引く。恥ずかしい。
「嫌なのか、楊ぜん」
「嫌だってよ」
「キサマには聞いていない」
「大体、今日は韋護君までどうしているのさ」
 八つ当たり気味に楊ぜんは尋ねた。
「無償の愛で楊ぜんを甘やかしてやろうと思って」
「嘘っぽいよ」
「嘘じゃねーよ」
「キサマ、楊ぜんから離れろ」
「うるさいマセガキ」
 ――ああっ。もぉ――
 楊ぜんはうんざりしながら二人に手を引かれて歩いている。
 もう絶対、誰にも甘えたりなんかするもんかと堅く心に誓いながら。

 このとき早くも西岐城では楊ぜん様は実は両方ともいける口らしいという、あられもない噂が飛び交っていることを楊ぜんはまだ知らなかった。

end.

novel.