魔法使いと王子様



 雪の降りしきる日の朝、予想通り楊ぜんはふてくされた顔で帰ってきた。いくら美形とはいってもふてくされた顔はやっぱりかわいくない。
 楊ぜんが着いたと知るや否や、太公望は息せき切って出迎えに駆け出したのだが、楊ぜんは見向きもしてくれなかった。めげずに太公望は話しかける。
「の、のぉ。首尾はどうだった?」
「あなたが欲しがってたものなら手に入れてきましたよ」
 楊ぜんはむっつりとそういうと小さな小瓶を太公望に押し付けた。
「おお、これこれ。よく効くのだこれが」
 太公望が喜んで見せても楊ぜんはにこりともしない。
「僕はもう休みたいので、これで失礼します」
 つれなくそういうとさっさと歩き出してしまう。太公望は慌てた。楊ぜんを使いに出してから丸々2日会っていないのだ。ちゅうとかぎゅうとかしたいのが人情というもの。太公望は慌てて楊ぜんを追っかけた。
「の。のぉ、何か忘れ物をしておらぬかのぉ楊ぜん」
 太公望は楊ぜんの袖を引っ張る。
「なんですか」
 楊ぜんは煩そうに眉をしかめる。めげそうになる太公望だがここでめげたら終わりだ。
「お、お帰りのキスが……」
 言いかけた太公望は楊ぜんの瞳から発せられる冷凍光線に凍りついた。
「すまぬ」
 仕方なく太公望は謝った。
「おぬしに使いを頼んだのは悪かったと思っておるよ。だが、あそこから生きて帰れるようなものはおぬしのほかに思い浮かばなかったのだ」
 太公望はそう言ってしゅんとする。
 楊ぜんがお使いに行ったのは、泣く子も黙る終南山玉柱洞。つまりは雲中子の洞府なのだった。
「ええ。生きては帰ってきましたけどね。もうこりごりです」
 ようやく口を開いた楊ぜんは、そういって続けた。
「もういいでしょう。師叔。疲れたんです。休みたいんですよ」
「ああ、わかったよ」
 仕方なく太公望はそういって、部屋まで楊ぜんを送り届けた。

 楊ぜんが持ってきたのは雲中子特性の薬丹で、彼の作った薬にしては奇跡的なくらい副作用もなく何にでも効くのだ。しかし雲中子の洞府へ行けば実験台にされるのは避けようがない。天化や四不象などではとても太刀打ちできるはずもなく、かといっていまや軍師の自分が勝手に城を離れられるわけもなく楊ぜんに使いを頼んだわけだったのだが。
 楊ぜんでも駄目であったか……。
 可愛い恋人に何をしてくれたかと思うと雲中子への怒りは募り、ついでに罪悪感にもかられる太公望である。
 しかし、楊ぜんは一体どんな薬を飲まされたのだろう。別に羽も生えていないし、ネコ耳がついたわけでもない。ひょっとしたらシッポでも生えてるのかもしれない。考えるとだんだん気になってきた。
 こっそり。起こさないように確かめるのだ。
 とんでもない決意をして太公望は、さっき後にしたばかりの楊ぜんの部屋へと舞い戻った。

 とんっと軽くノックをする。
 返事がないのを確かめてから、太公望はこっそりと泥棒のようにドアを開けた。
 勝手知ったる部屋の中は暗い。もう眠ってしまったのだろう。太公望はそぉっと寝台のほうへと忍び寄る。起こさないように、静かに。静かに。息を殺して。
 と。
 ぐいっ。
 首根っこを掴まれて太公望はじたばたした。
「何ものかっ!」
「それはこっちの台詞です!」
「よーぜん!」
 太公望は悲鳴を上げた。太公望を文字通りつるし上げているのはマイスウィートハニー楊ぜんだったのだ。
「すまぬ。おぬしの事が気になって」
 太公望はとりあえず嘘じゃない言い訳をし、謝る事にした。
 楊ぜんは太公望をおろしてため息をつく。太公望は深呼吸した。酸欠になっていたのだ。
「心配していただけるのはありがたいですが、僕は大丈夫ですから」
「しかし、雲中子に何かされたのではないか」
 太公望は言い募る。
「でも仕返ししておきましたから」
 楊ぜんはにっこり微笑む。太公望は恐怖に凍りつきながらも問いただした。
「ではやはり何かはされたのではないか」
 とたん、楊ぜんは気まずそうな顔をする。
「それは、師叔。聞かなかったことにして置いていただけませんか」
 遠慮がちに楊ぜんが尋ねる。
 太公望は少なからずショックを受けた。妖怪であることすら打ち明けてくれたというのに、まだ楊ぜんは太公望に秘密を持とうというのだ。
「それは……しかし……」
 深刻に考え込む太公望に楊ぜんは微笑んでみせる。
「大丈夫なんですよ。ええと、御伽噺風に言いますとね。この王子様の呪いはたった3日で解けるんです。そして3日といえば僕は正月休みをもらえるんですよ。ね、師叔。話を大事にする事はないでしょう?」
「楊ぜん。それは……命にかかわるような呪いなのか」
「いいえ。全然」
 太公望はほっと表情を緩めた。
「そうか、それならよい」
「ええ、ですから心配なさらないで」
「だが、2日も会えなかったのだ。これくらい良かろう?」
 そういって太公望はぎゅうっと楊ぜんを抱きしめた。慌てて楊ぜんが逃れようとするのを許さず。
 むに。
 ?
「よう……」
 固まった太公望の腕の中で楊ぜんは大げさにため息をついた。
「呪いって言うのは、もしや」
「ええ、そうですよ」
 投げやりに楊ぜんは言う。
「3日間。どういうわけだか僕は女性なんです。だからうっかり抱きついたりしないでくださいね」
 いやみたっぷりに言われても、太公望はまだ楊ぜんに抱きついていた。何って言うか、ひどく、気持ちよかったので。すりすり、胸に顔をうずめてみる。幸せだ。
「ちょっと師叔!」
 ばこぉんと殴られて目の周りにお星様がとんだ。
「し、しかしおぬし妲己変化とか良くやっとるではないか。別にわしにまで秘密にするほどの事でも、殴るほどの事でもあるまい」
 っていうか、何故力も身長もそのままなのだ。こういう場合は身長もわしより小さくなって力も弱くて、よいでわないかよいでわないかあーれーってパターンがセオリーじゃないのか。太公望は偏見に偏ったことを涙目で考えた。ものすごく痛かったのだ。
「妲己はいいんです」
 楊ぜんは膨れて言い切ると、部屋に灯りを燈す。暗闇に慣れきった目に、燭台の炎は痛いくらい輝いて見えた。
「師叔。さっき僕が帰ってきたとき女になってたって一目でわかりました?」
「わからぬよ。大体おぬしの服はサイズがあっとらんのだ。ぶかぶかではないか」
「こういうデザインなんですよ! いいですか、師叔。あの時もし僕が妲己変化でこの服を着てたとしたら師叔はすぐわかったでしょう?」
「顔が妲己だからのぉ」
「茶化さないで!」
 楊ぜんがまた殴りかかろうとしたので太公望はひらりとよけた。こう見えても逃げるのとよけるのは得意中の得意だ。
「だからたとえば、顔は僕で身体が妲己だったら」
「そんなそそるシチュエーション言われても……」
「ふざけるなっ!」
 ひらん。太公望はまた交わした。楊ぜんは顔を真っ赤にして怒っている。これ以上怒らせるとすねるので太公望はそろそろからかうのをやめる事にした。
「一体おぬしは何が言いたいのだ」
「だっ……だから」
 楊ぜんは口ごもる。すねてしまった。
「言わねばわからん」
 すねた楊ぜんはそれはそれで可愛い。太公望はじっくり楊ぜんをなだめる事にする。
「だから。胸ですよ。むねっ!」
 身長ではないらしい。
「どうしてこんなにぺっちゃんこでがりがりなんですか」
 それはおぬしが男のときも痩せてるせいじゃないかと言いかけて太公望はやめた。そんなこといってしまったらますますすねてしまうこと請け合いである。
「わしは、べつに小さくとも良いぞ。可愛いし」
 太公望は頓珍漢な答えを返した。
「僕は大きいほうがいいです」
 身もふたもなく楊ぜんは言った。
「仮にも僕が女性となったのに、どうして妲己みたいにちゃんと出るとこ出てないんですか! 妲己以上の美女になって当然でしょう?」
「妲己以上に美しいではないか」
 太公望はなんとかとりなそうとする。
「顔はそうでしょうけど!」
 楊ぜんは言い切った。
「こんなんじゃ、恥ずかしくて表を歩けません!」
 ナイスバディな女性になっていたら外を歩く気満々だったのだろうかと、太公望はちょっと怖くなった。やりかねない。楊ぜんの性格からして。
「し、しかしのぉ」
 さしたる問題はないのだ。太公望はちょっと冷静になって考える。3日過ぎれば楊ぜんは男に戻るようだから、男に戻る方法をあれこれ探索する必要はない。また、もし仮に今戦闘が始まったとしても楊ぜんは力は男並みに出るらしい。ということは戦力面で心配する必要はない。むしろ、敵の意表をつくし判断を誤らせるから好都合ですらある。
 と、いうことは。問題は楊ぜんの心理面だけということか。
 しかし……
「のぉ、楊ぜん」
 一つ思いついて太公望は言った。
「おぬし部分変化はできるのか?」
「失礼な。僕を誰だとお思いですか?」
 楊ぜんは膨れるが、それには太公望は取り合わずにつづけた。
「ならば胸だけ妲己変化とかすればよいのではないか?」
 きょとんとした顔で太公望を見つめた楊ぜんの瞳はやがて尊敬する人を見つめるようにきらきらと輝きだした。
「はいっ!」
 にこにこしながら楊ぜんが印を結ぶと、ヴァンと奇妙な音がする。
 そこにはナイスバディな女の子楊ぜんが立っていた。
「ほぉ」
 太公望はため息をついた。芸術品のようだ。やっぱり大きいほうがいいかもと太公望は思った。楊ぜんであればなんでもいい太公望である。
 楊ぜんは太公望を無視し鏡の前に走るとわあと歓声を上げた。
「師叔。こんな服着てられませんよ。僕の魅力を存分に引き出せる服を買いにいかないと!」
「あ、あんまり露出の高い服は着てはいかんぞ!」
 太公望が慌てて注意すると楊ぜんは不満げに言った。
「そんな! この曲線美を隠すなんて罪ですよ!」
 そういって服を脱ぎ始めた楊ぜんに太公望はたまらず目を覆った。何故かとても恥ずかしくなってしまったので。
「ばか者わしの前で服を脱ぐでない!」
「師叔にも見せてあげようと思ったのに……」
 楊ぜんの言葉にちらりと指の間から楊ぜんを覗き見て太公望は真っ赤になった。
「おぬしは見世物ではなかろう」
「見世物にだってなれそうなくらい綺麗ですよ。僕は」
「わしの楊ぜんを見世物にするでないっ!」
 太公望は叫んだ。
 楊ぜんはちょっと潤んだような目で太公望を見つめたのだが、生憎太公望は手で目を隠した上目も瞑ってしまっていたので全然気がつかなかった。
「師叔……。でも、今の僕を見られるのは今だけですよ」
 ちょっとすねたような口調で楊ぜんは言った。
「これなら、師叔。喜んでくれるかなって思ったんですけど」
「わ、わしは。いつものおぬしが良いのだ」
「今の僕はきらいですか?」
「きらいではない。楊ぜんなら全部好きだ。勿論、今のおぬしも好きだ。それでもわしはいつもの楊ぜんが良いのだ!」
 目を閉じたまま太公望は叫んだ。
 ヴァンと音がした。
 目を開けると楊ぜんが立っていた。
 胸のない、そもそも女じゃない楊ぜんが。
「おぬしどうして……」
 楊ぜんは微笑む。
「部分変化ができるなら、全体で変化する事だってできますよ」
「ああ」
 太公望は笑った。安心したような残念なような変な気分だった。
 そんな太公望を見透かしたように楊ぜんは笑う。
「リクエストがあったら、また今度変化してあげてもいいですよ」
 今度こそ、太公望は笑った。
「もうこりごりだよ」

end.

novel.