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「お正月ですから」
と楊ぜんは言った。
お正月だから家に帰るのだと、新年を家族とともに過ごすのだと。それを聞いて太公望はなんだか、使い古された表現なのだけれど、胸にぽっかりと穴があいてしまったような、その穴から隙間風がびゅうびゅうと吹き込む音を聞くときのような言い様の無い物悲しさを覚えた。
その間にも楊ぜんはにこにこと支度をしてきぱきと荷造りをしている。
太公望を一人残して。
「のぉ」
太公望は楊ぜんの注意を引こうと楊ぜんに声をかけようとする。が、その声はあっけなく楊ぜんの声にさえぎられた。
「あ、もちろん4日には帰ってきますよ。仕事をおろそかにするようなまねはしませんからご安心を」
そういえば、楊ぜんはお正月の休みを貰うために、それこそ寝る間も惜しんで働いていたのだった。目の下には隈が出来てるくせにやっぱり楊ぜんは嬉しそうだ。
「師叔もちゃんと元始天尊様に新年の挨拶をしなくちゃ駄目ですよ。なんと言ってもあなたは一番弟子なんですからね。元始天尊様だって心配なさってるんです」
「ジジイのことなど知るか……」
早く帰って師匠に会いたいモードの楊ぜんに心底拗ねてしまった太公望は腕組みしてぼそっと呟いた。
「そんなこと言ってますけどね。元始天尊さまが倒れでもしてごらんなさい、一番心配してわめき散らすのは絶対あなたなんだから」
にこにこと微笑む楊ぜんをうるさそうに太公望は睨みつけてみたものの、楊ぜんは一向に怯まなかった。彼にとって父親とか師とかいうものは何か特別なものであるらしい。
そう考えて、また太公望は酷くつまらない気分になる。
「あの妖怪ジジイがくたばるわけなかろう」
楊ぜんはちょっと手を止めて何か考える仕草をしたがすぐにまた荷物を詰め出した。
太公望は床に座り込んで、することもなく楊ぜんを見ている。
荷物をあらかた詰め終えた楊ぜんはそこで初めて太公望のほうに向き直った。
「年末なんですよ、師叔。あなたはなにもすることがないんですか」
「さあのぉ」
「大掃除は」
「部屋など寝に帰るだけで何も無いわ」
「じゃあ、お正月用に道服でも新調したら……」
「そんな気障なまねできるか」
そこまで来て漸く楊ぜんは拗ねまくっている太公望に気がついた。
「一体何が気に入らないんですか師叔」
真っ直ぐに正対して自分を見つめる姿はなぜだか、籠の中で小首をかしげる小鳥を連想させた。太公望の青い鳥。今、飛び立とうとしている。
「別に」
「別にじゃないでしょう。こんな形で別れるのなんて嫌ですよ。今年最後なのに」
悲しそうな瞳で訴えられるとなんだか自分が楊ぜんをいじめているような気分になってくる。
「別にいじめておるわけではないのだ」
言い訳がましく太公望は言った。
「ただのぉ。おぬしがあんまり楽しそうだから。なんだか悔しかったのだ」
楊ぜんはきょとんとしてそれから見る見るうちにしゅんとなった。
「すみません。師叔はお仕事でしたね。僕ばかり浮かれてしまって」
「いや、そんなことを言っておるのではないのだ」
太公望は慌てて言った。そんなことで楊ぜんにあたるような、そんな男と思われたのではたまらない。
「ただのぉ……」
太公望は床にのの字を書いた。
「わしと離れるというのに楊ぜんがあんまり楽しそうにしておるからつい、のぉ……」
上目遣いでそっと伺うと楊ぜんは真っ赤になって沸騰していた。
可愛い……。
「嫉妬してしまったのだ。すまなかったのぉ楊ぜん」
太公望は楊ぜんをぎゅうっと抱きしめて頭をなでなでした。
楊ぜんがされるがままでますます赤くなるので、調子に乗った太公望は額にチュッと口づける。楊ぜんは腕の中でもぞもぞした。
「僕も、師叔と離れるのが淋しくないわけじゃ……ない……です」
「ホントか?」
「ホントですよ」
「大人気なかったよ。すまぬなかったな、楊ぜん」
太公望はそういいつつ楊ぜんの腰のあたりをなでなでした。が、楊ぜんはするりと太公望の腕の中から抜け出してしまう。
にっこり笑って楊ぜんは言った。
「そうだ。では、師叔。一日は無理かもしれませんが二日から玉泉山へいらっしゃいませんか?」
☆
結局、西岐の新年祝賀会に出席したあと太公望はそのまま、玉泉山へと向かうこととなった。
洞府はしんとしている。その洞府に住まう玉鼎真人とは面識が無いわけでもなかったが、まさかこういう形で顔をあわせることになろうとは考えても見なかった。人生何が起こるかわからないものである。
深く深呼吸して息を止める。
ノックしようと手をのばす。
その時。
ばう!
太公望は何か重たいものに押しつぶされた。
「こら、哮天犬駄目だったら!」
「こ……哮天犬」
いたたたと呻きながら太公望は何とか起き上がった。
太公望を助け起こしながら楊ぜんはにこりと微笑む。
「いらっしゃい師叔」
「いらっしゃい太公望」
ふと見れば、楊ぜんの後ろで玉鼎真人も和やかに微笑んでいた。
通された居間で太公望はぼんやりとしていた。玉鼎真人は相変わらず何を考えているのやら良くわからない表情でどこかに引っ込んでしまったし、楊ぜんはお茶を入れるといって台所に消えてしまった。
残されたのは太公望と、どうやら玉泉山では放し飼い――というのも変だが――にしておくらしい哮天犬。哮天犬はソファの太公望の隣に乗っかって時折頬をぺろりと舐める。
哮天犬の相手をしながら太公望はぐるりと部屋の中を見渡した。
洗練された家具が並んで――といいたいところだが、太公望にその辺のところは良くわからない。ただよく片つけられた明るい、そしてどこか暖かい部屋だ。楊ぜんはここで育ったのかと、太公望は子供の頃の楊ぜんを想像してにこにこした。
「太公望」
呼ばれて振り返ると、なぜかにこにこした玉鼎真人が大きなものを抱えて立っていた。
「やっと見つけたんだ」
玉鼎真人が手渡した大きなそれは、革張りのアルバムだった。
「これは?」
いいながら開くと、太公望の顔はへにゃへにゃになった。
子供の頃の楊ぜんがびっしりと微笑んでいる。
「可愛いだろう」
太公望の反応に満足そうに玉鼎真人は微笑んだ。ひょっとしたら、凄く親莫迦なのかもしれない。写真は10歳前後から今にいたるまで、微笑んでいたり照れていたり皆楊ぜんだ。
「可愛いのぉ」
「だろう」
「のぉ、こんなにいっぱいあるのなら」
太公望は子供っぽく笑った。
「一枚おくれ」
「駄目だ」
小さく太公望は舌打ちした。
そうこうしているうちに、台所からは甘い匂いが漂ってくる。
太公望は鼻をひくひくさせた。
「何かのぉ」
「久々にチーズケーキ焼いてみたんですけど」
ひょこりと楊ぜんが顔をだす。
「あー。師匠。そんなの引っ張り出して!」
「いいじゃないか」
「良くないですよ。恥ずかしいなぁもう」
玉鼎真人は動じずにこにこしている。
「これは、師匠のお気に入りなんだ」
「そういうのが恥ずかしいんですよ」
楊ぜんは口をへの字に曲げてとんっとケーキを置いた。
「せっかく太公望も来ているんだ。そういう顔をするんじゃないよ、楊ぜん」
玉鼎真人にたしなめられてもようぜんはぷくりとふくれたままだ。
なんだか二人の世界である。
これはクヤシイ。
「美味そうだのぉ」
幾分わざとらしく太公望は声を張り上げた。
楊ぜんがにこりとどうぞと微笑んだ。それだけで、楊ぜんが自分のほうに帰ってきた気がする。
「師叔のために焼いたんですから、いっぱい食べてくださいね」
「そうか、わしのためかー。ありがとうのぉ、楊ぜん」
太公望はますます嬉しくなる。ちょっとだけ、優越感に浸ってみたりする。
「美味いのぉ。楊ぜん」
「ホントですか?」
にこにこ笑う楊ぜんが隣にいれば、写真なんかいらないのだ。
それは、ちょっとは欲しいけど。
☆
夜。太公望の通された客間に小さなノックの音が響く。
「こんばんは」
にこっと笑って楊ぜんが現れた。
「おお、どうしたのだ楊ぜん」
あとはもう寝るだけで、寝台に腰掛けていた太公望はとんとんと自分の隣を叩いた。
楊ぜんはそれに促されて隣に腰掛ける。そしてくすっと笑う。
「師匠にやきもちなんか焼かなくていいのに」
そう言って、ちゅっと太公望のおでこに口づけてくれる。太公望は嬉しくて嬉しくてにたにたした。
「でものぉ、アルバムのおぬしは可愛かったからのぉ。あんな楊ぜんがナマで見られた玉鼎真人に嫉妬してしまうのは仕方なかろう? それに、子供の頃のおぬしも知りたいと思うのだ」
「そんなの。僕だって一緒ですよ。僕も師叔の子供の頃の写真見たいし、子供の頃の話聞きたいです」
「そんなこと言っても、わしの子供の頃の写真などあったかのぉ。それになんだかこっぱずかしいし……」
太公望は照れてくしゃくしゃと髪をかき回した。
「そんな言い訳聞きませんよ。師叔だって僕の写真見たんだから」
楊ぜんは拗ねたようにふくれてみせる。
「僕だってね。普賢様とか、ちょっと嫉妬したりするんですよ。あの人は僕の知らないあなたのこと知ってらっしゃるし」
「そんなの。聞けばよかろう。普賢は話し好きだからのぉ」
「聞くのもなんか悔しいです」
「おぬし、普賢のこと苦手なのか」
「そうじゃないですけど、なんか……。悔しいんです」
「そうか。じゃあ、そのうち話してやるよ」
「ホントに?」
「ホントに」
そこで嬉しそうに楊ぜんはにこりと笑った。それからパチンと手を打つ。
「そうだ。僕忘れ物があって師叔のところに来たんです。哮天犬のせいですっかり忘れてたから」
「ん?」
太公望はきょとんとする。
楊ぜんは、ちょこんと寝台の上に正座すると、太公望にも寝台に上がるように促した。
ぺこんと頭を下げる。つられて太公望もなぜか頭を下げる。
「新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します」
「え……あ、ああ。謹んでお受けいたします」
くすっと楊ぜんは笑い出した。
「師叔。なんですか、それ」
「だ、だって。おぬしがいきなりかしこまるから……」
「まあ、いいです。あけましておめでとうございます。師叔」
「おめでとう、楊ぜん」
二人そろって今度はくすくす笑った。
「幸先のいいスタートですね。笑ってお正月なんて」
「そうだのぉ」
たとんと楊ぜんは立ち上がる。
「じゃあ、おやすみなさい。師叔」
「なんだ、もう行くのか」
せっかくだから、いちゃつこうと太公望は誘う。
「駄目ですよ。お正月なんだから」
どういう理屈なのか良くわからないが楊ぜんは首を振る。
「あ、そういえば師叔。ちゃんと元始天尊様のところにお年始に行きましたか」
「う……」
余計なことを思い出しおってと太公望はちょっとだけ楊ぜんを恨めしく思う。
「行ってないんですね」
怖い顔で楊ぜんは太公望をにらみつけた。
それから一つため息をつく。
「仕方の無い人ですね。それなら明日僕と一緒に伺いましょう」
「一緒にか?」
それならば、まぁ、良いかと太公望は思う。
楊ぜんと一緒なら面倒なことも楽しいかもしれない。それはとても良い考えだ。
「のぉ、楊ぜん。今年もずっと一緒におろうな」
太公望がぎゅっと手を握り締めたので、楊ぜんは真っ赤になった。
end.
novel.
あとがき
お正月なので、ほのぼのを目指したのですが、なんだかべたあまな出来上がりになってしまいました。季節物はいいですね〜vv2人の日常風景をかけるので、書いてて凄く楽しかったですv。っていうか、うちのお2人はアタマ大丈夫かしら(汗)
今年も、のんびりマイペースでpussycatは参ります。訪れていただいたお客様の顔が思わずにやけてしまうような、そんな小説を真緒は目指します。
それでは、今年が皆様にとって思わず微笑みの浮かぶようないい年になりますように。今年もよろしくお願いいたします。
真緒
2004年 迎春
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