氷雨
朝からしとしとと雨が降っている。強くなることも弱くなる事もせず、ひたすら、一定のペースで。
しとしと。
しとしと。
太公望は一つ身震いをする。空は重く空気も重い。冷気が足元に降り積もって行くようだ。執務室の隅から隅まで、氷雨の気配は入り込む。
隣で筆を滑らせる楊ぜんを見る。しゃんと背筋を伸ばし、綺麗な几帳面な文字を木管に記してゆく。木管は湿って筆のすべりが悪い。楊ぜんは無表情の白い顔でひたすら書き記す。
雨は降り続ける。
しとしと。
しとしと。
雨を見れば嫌でも先の戦を思い出す。雨の中楊ぜんの師、玉鼎真人は封神された。
「のぉ」
太公望は声をかける。楊ぜんは驚いたように身を硬くし、それからゆっくりと太公望のほうを向いた。
「何か?」
問いかける表情。
「おぬしはもう、下がってよい」
楊ぜんはすっと眉を上げた。
「気を使っていらっしゃるのですか」
周囲に聞こえぬよう、囁くように太公望は言った。
「雨はつらかろう」
楊ぜんは静かに筆をおいた。カタリと音がする。
しとしと。
しとしと。
「あなたがつらいのですか」
太公望は息を詰まらせる。
「雨を背景に僕がいると、あなたがつらいのですか」
心が痛い。重い。すべて雨のせいだ。
どろどろと血の雨が降る。
どろどろと人が溶ける。
どろどろと。
「あなたは何も気にする事はないのです」
どろどろと、人が溶ける。
「師匠があの雨の中から僕を助けたのです。それだけです」
白い顔を楊ぜんが向ける。微笑む事は未だできない。微笑み返すことも未だできない。
「師匠が選んだ事です」
楊ぜんは静かに言い上を向いて瞬きし、涙を隠した。
「すべてが終わった後に悲しめばいい、今はまだ」
「そのときではない、か」
太公望の言葉に、楊ぜんは静かに頷いた。
しとしとと雨は降り続ける。
しとしとと。
「この雨はただの雨です」
やがて楊ぜんは言った。
「もうじきやむでしょう」
「強くなったのぉ」
「師匠が助けてくれた、僕ですから」
しとしとと雨は降り続く。
それでも。雨がやめば、やがて綺麗な青空が顔を出すことだろう。
end.
novel.
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