むなさわぎ
元始天尊様から与えられた部屋は二人部屋で同期の普賢が一緒に暮らしている。二段ベッドの上で太公望は寝転びながら、人間界からくすねてきた漫画というやつを読んでいた。
机では普賢が熱心に書物を読んでいる。このちょっと可愛い顔した同期は最近物理学に嵌っていて、仙人じゃなかったら学者になりたいとか言いだす始末だ。なにが面白いのか太公望にはさっぱりわからない。面白いと感じる前に太公望なんか夢の中である。
「望ちゃん、今は自習の時間じゃなかったっけ?」
いい加減あきれたというように普賢が言った。
「瞑想しておるのだ」
「嘘つき。そんなんじゃ、いつまでたっても仙人様になれないよ」
「別に仙人になるのが目的というわけでもない」
太公望は言って、漫画を閉じる。
「え、じゃあ、なんで崑崙にきたの?」
普賢真人の至極もっともな疑問に太公望は口ごもる。
そういえば同族が妲己に殺された事はまだこの人の良い同期には言っていなかった。初めて会ったときの線の細い印象から、そんな事を言っては泣き出してしまうのではないかと危惧してたためであり、言いそびれてしまった今はたとえ見かけほどこの同期がやわじゃないとわかっていたところで、あの日の出来事を語るのはつらかった。
「楽して暮らすためかのぉ。年もとらんし」
カカカと笑って太公望はごまかした。その様子に疑問をもたれたかもしれないが、はぐらかした事で言いたくない事だというのはわかったのだろう。人が触れて欲しくないと思っているようなことを普賢真人は決して問い詰めたりはしない。
今もふわりと微笑んだだけだった。ありがたい。
「僕はもうちょっと大人になってみたかったなぁ」
「そうだのぉ。わしとてもうちょい年が行っておったら、女仙たちが放っておかぬというのに……」
「それは、聞かなかったことにしておいてあげるよ。望ちゃん」
くすくすと普賢真人が笑う。
「なにをっ!」
太公望は怒った。
「あ。そういえば、今日は玉虚宮に竜吉公主さまがいらっしゃるらしいよ」
女仙と聞いて思い出したらしく普賢真人は手を打つ。
「何っ! それはぜひとも見に行かねばっ!!」
太公望は意気込んで立ち上がり、思いっきり頭を天井に叩き付けた。
「望ちゃん。大丈夫?」
「痛い……」
目にうるうると涙を涙をためた太公望に普賢真人は止めを刺した。
「自業自得だね」
「痛い……」
玉虚宮の長い廊下は静まり返っていた。
「あんまり、近づきすぎるとばれちゃうよ。どうする?」
竜吉公主といえば噂の美仙だが、虚弱体質でなかなか外に姿を現さない事でも有名だ。元始天尊の直弟子とはいえ、未だ仙界に入ったばかりの二人には当然お目見えのかなう相手ではない。
「その辺の茂みに隠れられぬかのぉ」
「うーん」
普賢真人はあまりのり気ではないようだが、太公望が庭に下りると仕方なく着いてきた。庭木の枝に顔をしかめる。
「望ちゃん。上着貸して」
「そんな服着とるからだ」
太公望は笑った。普賢真人の道服は見事に肩が出てしまうデザインのもので、むき出しの肩には枝につけられてしまったのかすでに引っかき傷のような跡がいくつかある。
太公望の上着をもごもごと着こんで、普賢真人はそぉっと茂みから顔を出す。
それから待つことしばし。
「あ、きた」
「だあほ。首を引っ込めぬか」
最初に目に入ったのは案内の白鶴で、その後ろからすらりとした立ち姿の黒髪の美女がやってくる。おそらくあれが竜吉公主であろう。後ろにはお付の赤雲と碧雲も控えている。
「美しい……ような気もするが遠くてわからんのぉ」
「美人だよ」
どこから出したのかオペラグラスを覗きながら普賢真人が言った。
「やっぱり絶世の美女の名は伊達ではないね」
「なっ。おぬしずるいではないかよこせ!」
「あ」
普賢の手からオペラグラスをひったくると覗きこむ。
白い顔は凛と美しく、切れ長の美しい目を長い睫が縁取っている。強さと儚さの両方を感じさせる人だ。流れるような黒髪もつやつやと美しい。太公望はぽーっとなった。
「美しいのぉ。美しいという言葉はまるであの人のためにあるようだのぉ。ほれ見よ普賢。あれは内面からにじみ出る美しさというものだ。心の底から美しい人でないと、あの輝くような美しさにはなりえぬものだ」
普賢真人はくすくす笑った。
「望ちゃん。一目ぼれ?」
「なっ! 何を言うかっ! わしはそのような不遜な事考えておらぬっ!!」
太公望はできる限り小さな声で大慌てした。
「わしは一生恋などにうつつをぬかさぬと誓ったのだ」
「……へんなの」
二人が騒いでいる間に――とは言っても騒いでいたのはほとんど太公望だけなのだが――白鶴に導かれて竜吉公主は部屋の中へと消えた。
部屋に入る寸前、竜吉公主は庭のほうをみて、そして明らかに二人に向かって小さく微笑んだ。心臓をぎゅうっと掴まれたような気がした。
「だああああっ! 普賢ばれておる!! 早く逃げるのだ!」
「あはは。そうだよね。公主様だもんね。ばれるよね」
平然と笑っている普賢真人の首根っこを掴んで太公望は裏庭のほうへそおっと移動する。家庭内害虫のように匍匐前進でカサカサ進み、もう大丈夫かと顔を上げたとき、頭の上のほうから声が降り注いだ。
「なにをしておるのじゃ?」
「のおおおおっ!」
「公主様」
太公望は叫び、普賢真人は何事もなかったのように汚れた服のほこりをはたくとぺこんとお辞儀した。
「随分といたずら好きな子供たちじゃ」
竜吉公主はくすくすと笑う。
「も、もも、申し訳ございませぬっ!」
「良い良い。わかったからもう顔を上げるのじゃ」
言われて恐る恐る太公望は顔を上げる。黒髪の綺麗な人はじっと太公望を見詰める。太公望はトマトよろしく真っ赤になった。そんな太公望と普賢の頭を竜吉公主は優しく撫でる。
そして、らしくなくうふふと笑った。
「元始天尊にたのまれてね。子供たちが公主を見に来るだろうから陽動しろって。駄目じゃないか、失礼だろう?」
「え?」
「公主様?」
急に男口調になった公主にきょとんとし、太公望と普賢真人は顔を見合わせた。
「まだわからないのかい?」
そういうと竜吉公主は胸の前で印を組む。ヴァンと音がし輪郭がぶれ始めた。
「あ」
普賢真人は口を開く。
「楊ぜん様ですね。変化の使い手の」
その言葉が終わるころにはすっかり元の自分の姿に戻った楊ぜんが、大きく頷いた。
「そう。この変化の術を宝貝なくして使いこなせるのは、仙界広しといえども僕しかいないからね」
「た、謀ったのかっ!」
太公望は叫んだ。
楊ぜんはいかにも不満げに口を開く。
「失敬だな、君。これは作戦というんだ。僕が公主に変化してわざと白鶴たちと一緒に君たちの目に付くところを歩く。その間に公主はこっそり別の入り口から玉虚宮へ入る。騒ぎ立ててお体に障ったら悪いという配慮だよ」
「ごめんなさい」
普賢真人は素直に謝る。
「やはり謀ったのではないか……」
太公望がぞんざいに楊ぜんを見ると、楊ぜんはちょっと意地の悪い笑みを見せた。
「元始天尊様には内密にしておいてあげようと思ったんだけれどなぁ……」
「だあああっ。済まぬ。悪かった!」
とたん太公望が手のひらを返して謝ると、楊ぜんは満足げに頷いて、ちゃんと部屋に帰るんだよ判ったねと念を押して、白い犬に乗って帰っていった。
くすっと普賢真人が笑った。
「子供相手にムキになるとは大人気ない奴……」
太公望は腕組みして悪態をついた。
普賢真人は太公望の袖を引っ張る。
「内面からにじみ出る美しさ……だっけ? ねぇ、望ちゃん。確かに綺麗な人だったけど」
そこまでいって普賢真人は我慢できなくなったのか、くすくすと笑い出した。
「そんなもん知らん!」
太公望は叫んで、大またで歩き出す。
なんだかどきどきしている。
部屋に帰って太公望は二段ベッドの上の段に寝転がった。相変わらず物理学の教科書を広げる普賢真人に声をかける。
「のぉ、本物の竜吉公主という人は、どれくらい美しい人であろうのぉ」
「え? さっき楊ぜんが化けてたじゃない」
興味なさそうに普賢真人は返事を返す。
太公望は天井を眺めた。
あれは。やはり公主の姿がというわけではなく、楊ぜんが美しかったのではないか。
そんな気がした。
胸騒ぎがする。
恋をするわけにはいかないのだ。
「ああ、でも」
不意に普賢真人が口を開く。
「楊ぜんに会えたっていうのも、ちょっとラッキーだったかも」
「何故だ?」
「あの人も人前に顔出さないことで有名みたいだから」
「そうか」
太公望はほっと息をついた。人前に顔を出すのが嫌いなら、これから先、そう顔をあわせる事もないだろう。会うことがなければ、いずれ忘れてしまえる。
いずれ忘れて。そう。忘れて――
それでも、そのむなさわぎだけは太公望の心の奥底に深く眠り続ける。やがて、仙界大戦直前に、そのむなさわぎは発掘される事になる。
だけれど。それはまだまだ先のお話。
end.
novel.
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