夏の幻想



 期末テスト最終日の放課後は開放感にあふれている。望はうーんっと伸びをして校門をぬけた。公孫樹の並木道は緑が濃く、アスファルトは太陽を反射して焼け付くようだ。せみの声が耳に煩い。向こうからは早くも運動部の生徒たちが掛け声とともに走ってくる。
「夏だなぁ〜」
 当たり前の事を呟いて、並木道を歩く。駅前のコンビニでアイスでも買って帰ろう。このままではとろけてしまいそうだ。駅まで15分。しばしの辛抱である。次の信号を渡れば日陰に入れる。
 小さな十字路を曲がり、細い道へ入る。道沿いに公園がありブランコが小さく揺れているが誰もいない。
 歩きながら望は不意に今まで煩いほどに鳴いていたせみの声がまったく聞こえない事に気がついた。
 世界に自分ひとりしかいないような錯覚に陥る。落ち着かない。身体全体で他の生き物の気配を探るが、カラス一羽見当たらない。
「あの」
 後ろから声をかけられて望は飛び上がらんばかりに驚いた。足音もしない。
 振り向くと青。
 ぎょっとした。真っ青な髪を長く伸ばした恐ろしく背の高い女が望を見下ろしていた。
「道に迷ってしまったんですが、郵便局はどちらですか?」
 女は微笑む。そこで初めて彼女がとても綺麗な顔立ちをしている事に気がついた。青い髪にばかり目が行ってしまって女の顔をきちんとは見ていなかった。中世的な顔立ちに声。やたらと高い背に平坦な胸。男か女かも実のところよくわからないが髪を伸ばしているのだから女だろう。
 望が黙っていると女は困ったように会釈する。ごめんなさい、といった顔だ。
「あ、郵便局はこっち側じゃないよ。駅の向こう」
 女に見とれていたと思うと気恥ずかしく、早口で場所を教えた。
「ありがとうございました」
 今度は微笑んで女は会釈し、案内したとおりに歩き出そうとした。
 そのとたん、胸をぎゅっとつかまれるような酷い喪失感に駆られ、望は口を開く。
「待って」
「なんでしょう?」
 女は振り返る。
「あんた、俺と昔あった事ない?」
 言ってしまってからこれはあんまりだと思った。こんな目立つ印象の女忘れるものじゃないし、まるで口説き文句のようだ。
 女はじっと望を見つめ、やがて口元に小さく微笑を浮かべる。
「ええ。前世でね。太公望師叔」
「な……」
 女の言葉の意味はわからなかったがその言葉は甘く響いた。
 女は踵を返しゆっくりと歩いてゆくが、望は金縛りにあったように動けない。声も出ない。
 やがて女の姿は消え、いつの間にか金縛りは解けた。
 煩いほどのせみの声が聞こえた。

end.

novel.