そんな始まりの物語
問題は二つある。
一つは太公望と楊ぜんの部屋が隣同士であることだ。
そしてもう一つは、部屋の接する廊下が恐ろしく長く、ぼんやりしていると自分の部屋を通り過ぎてしまうと言うことなのだ。
その日、楊ぜんは珍しく夜中に目を覚ました。夏の激しい雨音に目が覚めてしまったらしい。目が冷めたとは言っても頭の芯はまだ寝ている。そのまま眠ってしまおうかと思ったが、ふと、今日片付けた書類が気になった。極秘文書のため扱いには気を使ったが、果たして書庫にちゃんと鍵をかけただろうか。
一度気にしてしまえば頭から離れない。仕方なく、楊ぜんは無理やり起き上がり、鍵を確認するために長い廊下を歩き書庫へと向かった。
結論から言ってしまえば鍵はかかっていた。楊ぜんは安心したぶん、余計に眠気が差して半分眠りながら部屋に戻る。そして寝台にもぐりこむとぐっすり眠ってしまったのだった。
☆
朝。太公望は違和感に目を覚ます。
まず、体が固い。妙に縮こまった体勢で寝ている。ついで、なんだか息苦しい。伸びをしようと手を伸ばしたら何か細いものを掴んだ。何か――人間の髪みたいなもの。
「ぬぅ?」
ぐいっ。ひっぱる。
「いたっ!」
その声で太公望は完全に目を覚ました。自分じゃない、誰かの声。それがものすごく近くでしたのだから。
がばっと起き上がる。悲鳴が上がった。
「痛いっ! 止めてください!」
太公望はぽかんとした。頭を抑えて、涙目で自分を見上げているのは、なんと楊ぜんだったのだ。
「手を」
言われて太公望は、手を離した。起き上がるときに髪を一緒に掴んでしまったのだ。青い細い髪が、2本。太公望の手の中に残った。
楊ぜんは身を起こすと、太公望に背を向けて一生懸命髪を整え、それから太公望の方に振り向く。そしてらしくなくおどおどした調子で言った。
「お、おはようございます。太公望師叔」
「おはよう」
太公望は毒気を抜かれて答える。それからようやく一番したかった質問をした。
「おぬし、どうしてわしの布団の上におるのだ?」
「ここは、やはり師叔の部屋でしょうか」
太公望の質問には答えず、楊ぜんは辺りを見回して言った。こまごまと物を飾る趣味もなく、がらんとした部屋。壁に釣竿が一本立てかけてあるのを見て、楊ぜんは絶望的なため息をついた。
「申し訳ありません」
小さくなって謝る。
「いや、別に良いのだがそのぅ……」
どうして楊ぜんが自分と同衾していたかは凄く気になる。別に怒るほどのものではないが、怒らないから気にならないのかといえばそうでもない。
だって変ではないか。男が2人、同じ布団で寝るなんて。
「御気になさらずに……」
楊ぜんは無理なことを言った。
そしてさっと寝台から飛び降りるととんでもない速さで部屋から出て行ってしまったのである。
「……というわけなのだ。どう思う?」
「どうって?」
困りきった顔の幼馴染を目の前に、普賢真人はきょとんとした。目の前のフルーツパフェを頬張る。極め細やかなクリームに新鮮な桃の味と香りが広がる。幸せだ。
「だから、楊ぜんだ。おかしいであろう?」
「そうかな」
部屋間違えただけじゃないの、ときわめて当たり前のことを普賢真人はあえて口に出さず、
「望ちゃんはどう思うの?」
逆に聞きかえした。
「どうって……楊ぜんがわしの布団に入ってくるからにはそれ相応のわけがあると思うのだ」
太公望は赤くなった。
わけなんて無いと思うんだけど。
くすっと普賢真人は微笑む。
「それはまぁ……嫌いな人のベッドになんか入りたいとは思わないよね」
意識的に入った場合にはね。
「や、やはりそうか」
太公望は意気込む。あれれ。期待しているの?
「どうするの。望ちゃん」
「うぬ。わしは修行中の身だからのぉ」
太公望は眉間にしわを寄せて真剣に考えている。
太公望は楊ぜんが好きなのだ。
だって、太公望の目はいつだってちらちらと楊ぜんの青い髪を追っかけていた。きっと本人はまだ気付いてない。
むずむずとイタズラゴコロが騒ぎ出す。
「でも、ベッドに入ってくるなんて楊ぜん意外と大胆だね」
「そうだのぉ。わしも驚いたのだ」
「普通なら、決死の覚悟だよね」
「そうだろうのぉ」
太公望は赤くなった。
「それで望ちゃんどうしたの?」
「え?」
きょとん。普賢真人は心の中で効果音を呟く。
「だから、楊ぜんがベッドに忍び込んできたときどうしたの?」
太公望は言いにくそうに視線をさまよわせた。
「それが、気付かなかったのだ」
「気付かなかったの?」
「うぬ」
太公望はしょぼんとうなだれた。
「かわいそうな楊ぜん……」
「うう……」
太公望は小さくなる。
「楊ぜんがそんなに頑張ったのに、望ちゃんはのんきに寝てたんだ」
「うう……」
それ以上いぢめると太公望が小さくなりすぎて椅子のシミになってしまいそうで、普賢真人はからかうのをやめることにした。
「過ぎてしまったことは仕方ないよ。問題はこれからだよね」
「どうしたら良いかのぉ」
普賢真人はにっこり笑った。ぱたんとと立ち上がると、ちょんっと太公望の額を突っつく。
「自分で考えなさい」
情けない顔の太公望をおいて、ついでに伝票もおいて、普賢真人はすたすたと歩き出した。
甘いデザートに満足して大人しく仙界へ帰ろうとしていたところに、青い人影を見かけた。
何がいけないってそんなところにいるのがいけない。
普賢真人はこっそり人影に近づいた。
「楊ぜん!」
「うわっ」
何か考え事をしていたらしい楊ぜんは、棒でも飲み込んだようにびくんとした。
かまわず話しかける。
「聞いちゃったよ。楊ぜん。望ちゃんから」
「ふ、普賢様。なにをです」
さらっと楊ぜんは髪をかきあげた。動揺している。
「とぼけても駄目。夜這いかけたんだって?」
楊ぜんは水をかけられた犬みたいにぶるぶると首をふった。
「ち、違いますよ。あれは、間違えたんです」
「今更、言い訳?」
斜めに楊ぜんを覗き込む。
「ホントですよ。だから夜だったし暗かったし、だから」
「楊ぜんともあろう人が、寝ぼけて間違えたの?」
「……。はい」
楊ぜんはかあっっと真っ赤になって、こくんと小さくうなづいた。しおれている。
くすっと普賢真人は笑う。
「だよね。僕もそう思ったんだ」
「え?」
「望ちゃんからどうしようって、相談されちゃった。変に悩んでるみたいなんだ」
「悩んでると仰いますと、師叔はホントに僕が夜這いをかけたと思い込んでらっしゃるのでしょうか」
楊ぜんは目を大きく見開いてしどろもどろで口を開いた。可愛い。
「思い込んでるみたい。しかも、据え膳を食べなかったのをとっても後悔してるみたい」
「据え膳じゃないです」
楊ぜんは律儀に抗議した。
「まあまあ、要は望ちゃんがどう思ってるかだから」
楊ぜんは取り合えずといった感じでこくんと頷く。
「君は、どう思ってるの? 望ちゃんのこと、好き?」
楊ぜんは顎に手を当ててちょっと考えた。
「尊敬は、してます。好き嫌いかで言えば好きです。でも……わかりません。考えたこともないです。そんなこと……」
楊ぜんは指をこねくり合わせてもじもじした。
「どうするかは君が決めることだけど。あんまり酷いふりかたはしないであげてね」
普賢真人の言葉に、楊ぜんはきょとんとする。
「ほら、友達だから。一応。勿論、君が望ちゃんのこと好きになってくれれば僕は一番嬉しいけど」
「はあ」
気の抜けた返事をする楊ぜんにひらひらと手を振って普賢真人はお空の上に帰っていった。
☆
普賢真人が帰った後、太公望と楊ぜんは全く別々の場所で同時にため息をつく。
「はあ」
太公望はため息をついた。草の上にぺたん。しりもちをつく。
「やはり、気付かず眠っとったのは、拙かったかのぉ」
見上げればこれでもかってくらい広い空に雲がゆうゆうと流れていく。
しかし、気付いたところで、どうすればよかったのだろう。
そもそも、楊ぜんは何で起こさなかったのだろう。
そして、起こさなかったのにもかかわらず、何故そのまま一緒の布団にもぐりこんで眠りについたのだろう。
実際のところは楊ぜんは部屋を間違えただけだ。当然最良の対処法は、気がついた時点で間違いを指摘してやることだ。
しかし、太公望の頭はあろうことか全く別の答えをはじき出した。
「部屋には着てみたもののわしを起こす勇気はなかったが、少しでも傍におりたいと、そう思ったのかのぉ……」
太公望はもじもじした。頭の中では少女仕様の楊ぜんがぐるぐる回っている。
「どうすべきかのぉ」
問題は楊ぜんの想いに答えるべきか否かということだ。太公望は考える。
男に好かれていると思えば、もっと嫌悪感を感じるものかと思っていたがそうでもないらしい。これが初対面の相手ならまだしも、太公望は楊ぜんのことを知っている。信頼しているし、いいやつだと思う。それに、楊ぜんは顔立ちが整いすぎているせいか、同じ人間のような気がしないことがある。だからかもしれない。
きっぱりと断れば、しこりが残るだろうか。これから先、封神計画を進めていく上で妨げになるような感情のさざなみが起こるだろうか。
否、それよりも。どうにも太公望には断る理由が見つからなかった。
「はあ」
楊ぜんはため息をついた。暗い書庫には細かく埃が舞っている。それが差し込む日の光に反射してきらきらと光る。
「どうしよう。師叔がそんな誤解してたなんて……」
楊ぜんは本棚を見上げるがその目はすでに書物など追っていない。
玉鼎真人師匠からは太公望の力になるよう言われた。
言われはしたし、そうしようとも思っていたが、この転回は全くの予想外だ。
嫌いではない。でも。
戸惑い。逡巡。
だいたい、僕が師叔をふるなんてできるわけが無い。
とにかく誤解をとかなければ。
ぱたん。手に持っていた本を閉じると楊ぜんは書庫を後にする。
☆
そして、執務室で二人は鉢合わせた。
「お、おお。楊ぜんではないか」
「師叔、奇遇ですね」
ぎこちない。
「おぬしは、何をしに参ったのだ」
「仕事が残っていましたので、片付けてしまおうかと」
「熱心だのぉ」
お見合いの席の若人のように二人はかたくなって微笑みあった。
「と、時に楊ぜん」
こほん。太公望はわざとらしく咳払いをする。はっきりさせておかなければならないことはわかっているのだが、どうにも切り出しにくい。
「昨日のことなのだが……」
それだけ言って、とりあえず楊ぜんを伺う。
「それは、誤解なんです!」
一方、楊ぜんは叫ぶように言った。何とか誤解を解かなければ。こちらはこちらで必死なのである。
「誤解?」
太公望は怪訝そうな顔をする。何がどう誤解だというのだ。
「僕は、その。夜中に、自分の部屋に帰ろうとしてですね。うっかり部屋を間違えたのです」
慌てて楊ぜんは身振り手振りを加えてまくし立てた。ここで誤解を解いておかなければちょっと怖いことになりそうな気がする。
「そう……か」
太公望は思った。今日一日冷静になって、昨日の自分のしたことが恥ずかしくなり、理由をつけたと言うところか。必死になって、可愛いのぉ。
「わかった。楊ぜん。そういうことにしておこう」
太公望は大きく頷いた。
わしは、寛大な男だからな。おぬしがそういうことにしておきたいなら、そうしよう。
「良かった。師叔でしたらわかってくださると思っていました」
楊ぜんはようやく笑顔を見せる。
そうですよね。冷静に考えたら部屋を間違えたんだって誰にだってわかることだし。
勿論。全部、わかっておるよ。楊ぜん。
助かった。これでいつもどおり師叔と普通に仕事ができる。
もう、おぬしに恥をかかせたりしないからのぉ。
二人はちらりと視線を交わし、どちらからともなくにこりと微笑んだ。
☆
夜。寝る前に楊ぜんは自分の部屋のドアにぺたんとネームプレートを貼り付けた。名前だけだと味気ないので工具店でオマケに貰ったハートも一緒にぺたんとつける。乙女チックになったがゴージャスにもなったので、楊ぜんは気に入ってそのまま部屋に入った。これで、もう部屋を間違えなくて済む。
太公望は一大決心をした。楊ぜんからのアプローチを無下にはできない。そもそも、こういうことは男が察してリードすべきものではなかろうか。断る理由がない以上、付き合ってみるべきだろう。
楊ぜんの部屋の前にはいつの間にかネームプレートがついており、名前の横にハートマークが浮かんでいる。どくんと心臓がはねた。これはきっと楊ぜんからわしへのメッセージなのだ。楊ぜんはもう、寝ているだろうか。
ベッドには入ったもののまだ起きていた楊ぜんはドアの外の気配にじっと息を殺した。誰か、いる。部屋の外に。なんでノックしないんだろう。
太公望はノックする手を止めたまま息を殺していた。息を潜めて待っているはずの楊ぜんを驚かせるのは嫌だった。そのままドアに手をかける。
「のぉ、楊ぜん。起きておるか」
ノックもせずにいきなりドアが開かれ、ましてその声の主が太公望だったことから楊ぜんはパニックに陥った。とっさに寝た振りをする。誤解は解けていなかったのだろうか。だとしたら、何を考えてノックもせずにドアをあけたのだろう。何故灯りをつけないのだろう。何故僕が寝ているのに立ち去ろうとしないのだろう。
狸寝入りか。太公望は思う。寝台に近づく。近づきながらも不安になる。これからわしは、楊ぜんに何をしようというのだろう。
近づいてくる。太公望。師叔は何をする気だろう。
ぴたっと。太公望は足を止めた。楊ぜんを見下ろす。わずかな月明かりに白い貌が浮かび上がる。
綺麗だな。そう思った。
前髪をかきあげ、額にそっと唇をおとした。
ぱちん。とっさに楊ぜんは目を開ける。目、開いてしまった。どうしよう。
もう一度顔を覗き込むと、楊ぜんが目を開いていた。吸い込まれそうな深い瞳が大きく見開いて太公望を見つめていた。子供のように無垢だ。そう感じた。
もう一度、今度は唇に。強い衝動に駆られて、太公望は楊ぜんの頤に手をかけた。
何するんですかと怒鳴りつけて、平手打ちを食らわせてやれば良い。それで目が覚めるはず。太公望の顔が近づいてくるのを見ながら楊ぜんはそれだけを考えていた。頭の中でその様子、叫ぶ声の調子から手の動きまでシュミレーションしてみた。
だけれど、楊ぜんは動かなかった。動けなかった。
目を閉じると同時に唇が触れた。触れたそれは一瞬ではなれた。
太公望が楊ぜんを見つめていた。深い瞳だ。まるで空のように大きい。それが好きと言える感情なのかわからなかったが、楊ぜんは安堵を覚えて、体の力を抜いた。
「楊ぜん」
太公望は静かに言った。
「わしはどうやら、おぬしのことが好きらしい」
「ええ。たぶん……僕も」
囁くように楊ぜんは答える。
「しかし、楊ぜん。わしらは仙道だし、時間は無限にある。ゆっくり進めて行くのが良い」
「はい」
軽く楊ぜんの髪をなでると、太公望は部屋を後にした。
部屋を出たとたんに太公望は胸を押さえた。そのまま壁に寄りかかる。心臓がばくばく言っている。このまま崩れてしまいそうだ。
なにやっとるのだろう、わしは。
今のは何だ? わしは楊ぜんが好きだったのか?
太公望は頭を抱える。
でも、さっき口付けたのは、どうやら間違いなく自分の意思だった。
楊ぜんはぼんやりと天井を見つめた。
「どうしよう……好きって言っちゃった」
本当のところを言うと、実は良くわからないのだ。場の勢いで言ってしまったのだ。勿論、太公望のことは嫌いではない。尊敬している。それはもう、随分前からだ。
だが、それは恋愛感情と呼べるものなのか。
ただ。一つ楊ぜんにわかったことは、太公望の瞳を見つめた瞬間、ずっと待ち続けていた人にやっと会えたような、そんな不思議な感情を覚えたことだけだった。
☆
それから一ヵ月後、再び普賢真人は地上に降り立った。
いつもの甘味屋に、今日は一人ではいる。
「あれぇ、珍しい。軍師様は?」
人懐っこいウエイトレスの言葉に、普賢真人はにこりと笑って答えた。
「駄目だよ。望ちゃんは忙しいもの。僕は愛のキューピッドなんだ」
end.
novel.
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