うさぎ病 その後
南の海のように美しい青い髪をわけてぴょこんと飛び出しているのは真っ白な天使の羽を思わせる柔らかなうさ耳。太公望はゆるゆると楊ぜんの髪を撫でついでにとばかりぺたんとうさ耳を撫で付けた。やわらかくて暖かくて繊細なうさ耳は太公望の手におとなしくぺたんと寝かされてから勢いよくひょこんと立ち上がる。
可愛いのぉ。
太公望は感動をかみ締める。いつもは人前ではそっけないそぶりを見せる楊ぜんも、今はべたあっと太公望にくっついて幸せそうにしている。羨望のまなざしを受けながら――太公望にはそう思えた――すらすらと木管に筆を滑らせる。可愛い楊ぜんがいれば仕事もはかどろうというもの。
「なぁ、太公望。お前いつまで楊ぜんをそのままにしておくんだよ」
楊ぜんは一時期仙界ではやったうさぎ病にかかっているのだ。うさぎのような耳が生え、思考力が低下し、誰かにくっつきたくなる。すでに薬もあり、一度かかれば二度と感染しない。仙人ばかりがかかるらしく人間にはほぼうつらない。うつったとしても仙人ようの薬で十分対処可能だ。
でも太公望はなかなか楊ぜんに薬を投与する気になれなかった。一度治ると二度と罹らないのだ。うさ耳の楊ぜんは可愛い。くっついてくるのも可愛い。いっそこのままでも良いかもと思う。
「もうちょっとだけ」
だから太公望は結局いい加減に答えてにまにまする。
「楊ぜんだってホントは、わしとくっついていたいであろう?」
「はい」
楊ぜんはにこりと微笑んでうさ耳のついた頭を撫でてくださいとばかりに太公望に押し付ける。可愛いのぉ。
楊ぜんだってホントはわしともっともといちゃつきたかったのだ。だけど、こやつめ、師匠に似てお堅いからなかなか素直になれなかったのだ。
うさ耳のおかげで楊ぜんは素直になった。
可愛いのぉ。
でもちょっとだけ物足りなくもある。会話が少なくなった。楊ぜんは前よりずっとスキンシップを好むようになったが、逆にほとんど会話をしなくなった。太公望の問いかけに答えるか、師叔ぅ〜と擦り寄ってくるだけである。
以前のような、言葉遊びのような睦言をささやくこともなければ、ゲームのような討論をすることもない。
元に戻って欲しくもあるし、戻って欲しくないこともある。今だけ、期間限定の楊ぜんをもっともっと楽しみたいとも思う。
「師叔、気持ちはわかるけど、あんまりだらだらしてると楊ぜんさんほんとにうさぎになっちまうさ」
ホントにうさぎに?
楊ぜんはぱりぱりとキャベツをかじっている。うさぎ病が発病してからこれが楊ぜんのお気に入りだ。
「すぅ?」
きょとんとして太公望を見る。
「よーぜん」
にこっと笑ってすりすり。そういえば擦り寄ってくるからだも柔らかくて暖かい。うさぎみたいに。
うさぎ病は耳が生えて、ちょっと思考能力が低下して、誰かにくっついていたくなる。でも、それ以外は何も判っていない。薬で簡単に治るし、それより病が進行するまえに皆薬を飲んだからだ。そして、そこで薬を飲めばなんでもなく病は治った。耳はポロリと取れて、思考能力は元に戻り、誰かとくっついていないと絶望的にさびしいというのもない。耳が生えていた当時のこともなんとなく覚えているし、それだって自分の意思で行動していた記憶もある。
だから、それだけの病だと思っていた。でも、この病が進行するとどうなるのかは誰も知らない。進行した後、今ある薬で治るのかも誰も知らない。ひょっとしたら手遅れという状態があるのかも、誰も知らない。
太公望はぎゅうっと楊ぜんを抱きしめた。楊ぜんは幸せそうにうっとりしている。うさ耳を撫で付けると気持ちよさそうに目を閉じる。うさ耳の楊ぜんは可愛い。可愛くて、都合がいい。だけど。
「のぉ、楊ぜん。薬、飲もうか」
「すぅ?」
可愛い楊ぜんを手放してでも、普通の楊ぜんが愛おしい。
end.
novel.
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