うさぎ病



 なんか変な病気が仙界ではやってるんだよね。と普賢真人は言った。冬の客間は火を入れても寒いが、彼は肩を出すような薄い道服ひとつでケロリとしている。
「だから、避難してきちゃった」
「変な病気っつーとどんな病気なのだ?」
 お土産にもらった桃を頬張りながら太公望は尋ねる。
「なんか変なの〜」
 そういっておかしそうにくすくすと普賢真人は笑う。
「どう変なのかと聞いておるのだ」
 太公望は困ったように尋ねる。頭がいいはずの親友の言葉がどうも要領を得ない。さっきからずっとこの調子なのだ。
「あのね、玉鼎とかもかかっちゃって……あと一番おかしいのが元始天尊様!」
 耐え切れないと言うように普賢真人はおなかを抱えて笑い出した。
「元始天尊様までご病気なのか」
 太公望は眉をひそめる。大仙人が倒れるような病となれば一大事だが、それにしては普賢真人の様子が腑に落ちない。他人の不幸を笑うなど本人が一番嫌がりそうなことのはずなのに。
「大丈夫だよ。そのうち雲中子とかが薬作るから。症状自体はね、うん、少なくとも命にかかわるようなことじゃないんだけど、だけど、あのみみ!」
 言い終わらないうちにひくひく痙攣するようにして普賢真人は笑い出した。
 ついでくしゅんとくしゃみをする。
「あれー。なんだろ。僕ももう罹ってたりして〜、あはは」
「笑い事ではないぞ」
 太公望はきつい口調で言って普賢真人をにらむ。
「仙人がかかるような病に人間が感染でもしてみろ。どういうことになるかわかって……」
「あーそれ! 凄い面白いかも」
「な」
 太公望はぽかんと口を開けたまま固まった。怒りのあまり声が出なくなってしまったのだ。
「とにかく! おぬし、感染しておるかもしれないなら絶対にこの部屋から出るな! わかったな」
「わかったよ。でも、望ちゃんと一緒にいたかったのに……」
 普賢真人はしゅんとする。太公望はちょっと言いすぎたかなと思った。普賢真人だって仙界での病気の流行に戸惑っているだけなのかもしれない。
「さっきは怒鳴って悪かったよ。でも、今地上までも病にやられるわけにはいかぬ。判るであろう?」
「うん」
 普賢真人は小さく頷いた。
「でも、望ちゃん。望ちゃんは会いに着てくれるよね」
「判ったよ。だからおぬしはここから出るでないよ」
 普賢真人に念を押して太公望は客間を後にした。廊下を出たとたんに凍えるような寒さが全身を包む。
 それにしても、普賢真人はどこかおかしい。太公望が知っている普賢真人とはあまりに違いすぎる。太公望が知っている普賢真人ならば、病気がはやり出した時点で一人だけ仙界を逃げ出してくるはずがない。むしろ最後まで残って病人の手当てをするようなそんな性格なのだ。ましてや、病で倒れているものを笑ったり、病原体を地上に持ち込むなど絶対にするはずがない。
 それに最後の……。あの台詞もらしくない。ああいう甘え方をするやつではないのだ。
 どうしたのだろう、あやつ。病気のせいで気弱になったのかのぉ。
 考え事をしながら歩いていたせいで曲がり角で誰かとぶつかりそうになった。
「わ、師叔。危ないですよ」
「お。なんだ楊ぜんか」
「何だとは随分なお言葉ですね」
 ぷぃっと楊ぜんは拗ねる。可愛い。
「そういう意味ではないよ。おぬしどこへ行くのだ」
 この先には客間しかないはず。
「どこって、普賢真人様が降りていらしてるのでしょう? ご挨拶に伺おうかと」
「ああ、それが病気らしいのだ。うつるといけないからおぬしはやめておけ」
「ご病気、なのですか」
 楊ぜんは眉をひそめる。
「どうも、仙界ではやっておるようなのだ。困ったことになった」
「仙界で?」
「元始天尊様もお倒れになったらしい」
 楊ぜんは深刻な表情のまま固まっている。これが普通の反応と言うものだろう。
「未知の病なのですか? 治療は?」
「今、雲中子が開発しておるらしい」
「判りました。僕も独自にやってみます。ですから普賢様にお会いしてもよろしいですね」
 真剣な楊ぜんの目に太公望は頷いた。そういえばこやつにも医学の知識はあるのだった。急にこの恋人が頼りに思えてくる。
「判った。だがくれぐれも注意するのだぞ」
「はい」
 楊ぜんはにこりと微笑んだ。自信に満ち溢れた楊ぜんの表情は本当に美しい。
 先ほどの普賢との会話でもやもやした心が溶けていくようだった。

 太公望は黙々と廊下を歩いてゆく。
 これから執務室に戻って仕事をしなければならない。火の入っていない執務室はきっと恐ろしく寒いことだろう。考えるとだんだん嫌になってくる。
 面倒だ。
 太公望はぼんやりと考える。今日一日くらいサボっても明日頑張れば何とかなるのではないか。幸い緊急を要する案件はない。今日は一日暖かい部屋でぬくぬくするのが良い。楊ぜんがいればなお良い。
 太公望は急に楊ぜんに会いたくていてもたってもいられなくなった。さっき廊下ですれ違ったとき、普賢のことなど頼まなければ良かった。楊ぜんがしなくてもどうせ雲中子あたりが薬を作るのだ。普賢だって命にかかわる病ではないと言っていたではないか。
 くるんと太公望は回れ右をする。
「くしゅん」
 それにしてもこの廊下は本当に寒い。

 太公望が再び客間を訪れたとき、そこには当然のことながら楊ぜんと普賢真人がいた。
 楊ぜんは困った顔をして寝台に腰掛けて。その楊ぜんの膝に普賢真人が頭を摺り寄せている。
 太公望は固まった。
「あ、師叔。どうやらこれが病気の正体らしいです」
 困った顔で楊ぜんが微笑む。
「な、な、な」
 太公望はまだ言葉がしゃべれない。楊ぜんは優しく普賢真人の頭をなでた。
「なにしとるのだー! おぬしっ!!」
 太公望は叫んだ。びくっと身を縮ませて普賢真人は楊ぜんの腰に抱きつく。
「ダメですよ! 怖がらせちゃ」
 楊ぜんの言葉にますます太公望は興奮する。
「楊ぜん! おぬしもおぬしだ! そんな、ひ、膝枕など、わしにもしてくれたことないくせにー!!」
「ちょっと、落ち着いてください、師叔。それより、ちゃんと見てくださいよ」
「んなもんわしに見せるなー!」
「違いますよ、みみです、みみっ!」
 それで太公望は漸く普賢真人の頭をまじまじと見た。空色のふわふわの髪の毛の間から、ぴょこん。
「う、うさぎ!?」
 それはまさしくウサ耳だった。
「まだよくわからないんですが、この耳のせいで思考能力が低下するみたいなんですよ。あと、なんかやたらくっついてくるんですけど、因果関係はよくわかりません」
 楊ぜんがため息をつく。育児に疲れた新米のお母さんのようだ。
 太公望は普賢真人の隣に腰を下ろし、じぃっと耳を観察する。触ってみると暖かくてやわらかい。短い白い毛がふわふわといっぱい生えていて本当にウサギの耳のようだ。引っ張ってみると頭も一緒についてくる。本当に生えているのだ。
「望ちゃん」
 ぎゅうっと親友に抱きつかれて太公望は慌てた。
「違うのだ楊ぜん! こやつが勝手に」
「判ってますよ。変な言い訳されると返って疑わしいのでやめてください」
「う、うむ」
 普賢真人は幸せそうにぎゅーっと太公望に抱きついている。ふわふわのウサ耳も一緒にくっついてくる。
「命に別状はないみたいなんですけど、ずっとこのままの状態だとかなり困りますよね。いきなり妲己が攻めてくるとは思えませんけど、この状態がばれたら攻めてくるかもしれませんし」
「そうだのぉ」
 普賢真人に抱きつかれたまま太公望は答える。
「当分の間、僕が様子を見ますので師叔は仕事の続きを片付けておいてください」
「わしも一緒にいようか? こやつがこの様子ではおぬしも大変であろう」
「……。師叔は、いないほうがいいです」
 楊ぜんは膨れる。
「おぬし、ひょっとしてこの状況が気に入らぬとか」
 太公望はわざとらしく普賢真人の髪をなでた。
 くるんと楊ぜんは太公望に背を向ける。
「気に入らないですよ。悪いですか」
「いや、大いに嬉しいよ」
 太公望はにまにましながら客間をあとにした。

 楊ぜんにああいわれたものの、どうしても仕事の続きをする気になれない。普賢のことが気がかりで仕事にならかなったとでも言えば、楊ぜんもきっとわかってくれるだろう。
 それにしても、なんだか頭がむずむずする。髪を洗ったほうがいいかもしれない。
 部屋に帰った太公望は頭巾を取った。そして。
 ぴょこん。
「なんなのだこれは〜!!」
 予想していてもいいはずだった。しかし、予想していたとしてもこの光景ははるかにショッキングだ。自分の頭にぴょこんとウサ耳。
 恐る恐る触ってみる。
 感覚がある。ということは紛れもなく自分のものなのだ。引っ張ってみる。痛い。取れない。
 これが楊ぜんだったら嬉しいが自分だとちっとも嬉しくない上に気味が悪い。
 これが楊ぜんだったら……。
 まて。楊ぜんだって太公望とほぼ同じ時に普賢真人と接触したのだ。
 と、いうことは?

 ウサ耳をはやした太公望を楊ぜんはぽかんとした顔で迎え入れた。
「師叔まで罹っちゃったんですか」
「たわけっ。楊ぜんはどうしてウサ耳ではないのだ!!」
「そんなの知りませんよ。鍛え方の違いでしょう?」
 あっさりと楊ぜんは言って、ため息をつく。手のかかるのが二人に増えた。
「まだ、薬はできてないんですよ、師叔。師叔は大人しく部屋にいてください」
「嫌だ。どうしてわしが一人でいなくてはならぬのだ! わしも膝枕が良い!」
「膝枕してたら薬作れないでしょう?」
「そんなの雲中子にやらせておけば良いではないか、おぬしはわしに膝枕するのだ」
「ダメだよ、望ちゃん。楊ぜんの膝枕は ぼ く の」
 ぎゅうっと普賢真人が楊ぜんに抱きつく。
「おぬし離れぬかっ! 楊ぜんはわしのだっ!」
「もうっ! そんなにくっついていたいんなら二人で抱き合ってなさいっ!!」
 楊ぜんが急に立ち上がったので右と左で楊ぜんに抱きつこうとしていた太公望と普賢真人はお互いに抱き合う格好となった。
「楊ぜんは冷たいのぉ」
「冷たいねぇ」
 楊ぜんは二人をにらみつけると、腕まくりして薬の調合に入った。

 楊ぜんの奮闘にもかかわらずうさぎ病は瞬く間に広がった。はじめは天化や蝉玉など仙道に広がっていったがそのうち人間にも広まり出した。ただ一つだけホッとしたことには、この病はやはり仙道がかかる病だったらしく人間にはきわめて感染力が弱かった。日常的に仙道とかかわっていたものにしか病は移らずに済んだのだ。
 それでも姫発はウサ耳を生やしながら女官を追っかけまわしていたし、黄天祥などは本物のウサギのようにぴょんぴょん跳ね回っていた。周公旦などはあの長い帽子の中にウサ耳を隠してしのいでいたようだが、うっかり彼が帽子を脱ぐところに出くわしてしまった楊ぜんは笑いを抑えるのにかなり苦労した。
 そして、それだけ広まっても、何故か楊ぜんだけは感染しなかった。
「やっぱり、僕が妖怪だからかなぁ」
 哮天犬相手に楊ぜんは呟く。
「病気に罹らなくてよかったはずなのに。なんだか仲間はずれにされたみたいな気分」
 く〜んと哮天犬が鳴いて楊ぜんに鼻を擦り付ける。
「励ましてくれてありがとう。僕は手のかかるうさぎさんの世話をしてこなくちゃ」
 ここのところ徹夜つづきで、頭の中が締め付けられるようだ。それでも早く治療薬を作らねば。
 く〜んと哮天犬が鳴く。
「ダメだよ。今日は遊んであげられないんだ」
 く〜ん。
「哮天犬! 我侭ばっかり言ってるとしまっちゃうよ」
 ばう!
 ぐいっと哮天犬が楊ぜんの袖をかむ。そしてそのまま走り出そうとする。
「何? どこ行こうって……」
 そのとき、楊ぜんの頭の中にひらめくものがあった。
 この病は確か普賢真人が崑崙から持ってきたのだ。つまり崑崙ではもっと早くにはやっていたと言うことになる。だったら、雲中子や太乙など楊ぜんよりはるかに医学の知識にとんだ仙人がこの病の特効薬を開発していないわけがないのだ。
「ありがとう。哮天犬乗せて! 崑崙山へ!」

 久しぶりの崑崙山はいつにもまして静まり返っていた。修行している仙人など誰もいない。まだ病ははやったままなのだ。楊ぜんは一気に雲中子の道府をめざす。危険は高いが、医学関係ではやはり雲中子の右に出るものはいない。薬があるとしたらここだと思った。
 終南山玉柱洞もまた静まり返っていた。
「失礼します」
 勝手に入り込んで調合室を目指す。ぐふふふふと変な声がして楊ぜんは立ち止まった。嫌な予感がする。
「あのぉ……」
 扉を開けるとウサ耳生やした雲中子と太乙真人がべったりとくっついていた。
「うわ」
 見てはいけないものを見てしまったような気がして楊ぜんは慌てて戸を閉めた。
 どうしよう。中に入らないと薬が……
 おそらくあの二人は薬を共同開発している途中にうさぎ病に感染してしまったのだろう。
 楊ぜんはため息をついた。覚悟は決めなければならない。
 えいっと勢いよく戸をあけて一直線に実験台を目指す。机にはぱらぱらとデータが残っていた。
「凄い……」
 レポートにはほぼ完成品に近い薬のレシピが残っている。楊ぜんが試行錯誤しても得られなかった回答だ。楊ぜんはなるべくウサ耳の二人を視界に入れないようにして考えた。やはり格が違う。
「でも、この続きなら、僕にもできるかも」
 楊ぜんは腕まくりする。希望の光が見えてきた感じだ。
 しかし、事は簡単には進まなかった。
「やあ、楊ぜん君。久しぶりじゃないか、子供のころは私のこと大好きって言ってたくせにちっとも会いに着てくれないし」
 べたあっと太乙真人が抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと太乙様!」
「楊ぜん君、飴食べる? 飴」
 雲中子がいかにも妖しげな飴を持ってきた。
「い、いらないですっ! お二人とも離れて!!」
「つれないなぁ楊ぜん君。私のことが嫌いになっちゃったのかい?」
 太乙真人はめそめそした。
「飴が嫌なら、ガムもあるよ。チューインガム」
 雲中子は懲りずに妖しげなものを持ってくる。
「もう! お二人で抱き合ってればいいでしょう!!」
 まだ太公望と普賢真人のほうが耐えられると判断した楊ぜんはレシピだけ持って、慌てて玉柱洞を後にした。

 さて、それから半月後。
 あのあと地上に戻った楊ぜんは電光石火の早業でなんとか薬作りに成功した。
 そして、ようやくこのうさぎ病騒ぎは幕を閉じたのだった。
「ありがとう。楊ぜん。僕はこの薬で崑崙の皆を助けるよ」
 にこりと普賢真人が笑う。その頭にはもうウサ耳はついていない。もともと普賢真人は薬を作るために地上に降りてきたらしい。仙界で作っては太乙真人や雲中子の二の舞になると考えてのことだったようだが、地上に来たときにはもう感染した後だったのだ。潜伏期間があったため気付かなかったのだろう。
「はい。師匠をよろしくお願いします」
「せっかくだからウサ耳の玉鼎を見てくれば良かったのに」
「そんな勇気ありませんよ」
 膨れる楊ぜんにあははと普賢真人は笑う。
「おさわがせしてごめんなさい。じゃあ、僕はもう行くよ。皆が心配だからね」
 太公望と楊ぜんは普賢真人を見送る。
「結局、おぬしのウサ耳が見れなかったのぉ」
 残念そうに太公望が呟く。
「見なくていいですよ。そんなの。それに僕は妖怪だから……」
 言いかけて楊ぜんはくしゅんとくしゃみをした。
「なんだ? 風邪か?」
 からかい半分に太公望は尋ねる。
「だってずっと寝てないんですよ。抵抗力落ちたってしかたな……」
 くしゅん。
「あーあ。もうヤダ。お風呂入ってさっさと寝ちゃおうかな〜」
「だあほ。風邪のときは風呂に入ってはダメであろう?」
「熱がなきゃ大丈夫ですよ。それになんか頭がむずむずして……」
「ん?」
 ぴょこん。
「あ……れ……?」

 ウサ耳。生えてきちゃった。妖怪なのに。
 でも、いいかなぁ別に。もう薬作ってあるし、それに師叔に膝枕してもらえるかも。
 うふふ。

end

novel.