夢を見た。夢のない夢



 丑三つ時。ドアを叩き壊そうとするかのような激しいノックの音に韋護はたたき起こされた。
 大きくあくびしながらはた迷惑なノックが止むのを待つ。大方、酔っ払って羽目を外しすぎた兵士が騒いでいるだけだろう。そのうち諦めてどこかに行くに違いない。
 だけど、ノックは鳴り止まない。仕方なく韋護は立ち上がって、ドアの外に声をかけた。
「こんな夜中に誰?」
 ノックの音は一瞬ぴたっと鳴り止む。
 それからもっと激しく鳴り出した。苛立たしげな声とともに。
「もぉ、開けてよ、韋護君! 起きてるんならさっさと出てきたらどうだい!」
 傲慢で傍若無人で、どこかで聞いた事のある声。
「あんた、ひょっとして楊ぜん?」
 韋護は、がばっとドアを開ける。内開きのドアは開いた瞬間に何かがなだれ込んで来た。韋護はなだれ込んできたものを抱きとめる。それは、韋護の腕の中でむっとした顔を隠しもせずに言い放った。
「もぉ、いきなり開けたらびっくりするじゃないか」
「開けろっつったのはあんたじゃないか」
 思わず口を突いて出た言葉に、腕の中の楊ぜんは漸く体勢を立て直すと、さらに不機嫌そうな顔で韋護を睨みあげる。
「何か言った?」
「何も」
 触らぬ神にたたり無し。韋護は逆らわない事にした。
「そう。それならいいけど。それより韋護君、今日、僕はここに泊まるから」
 楊ぜんは長い髪をさらりとかきあげ、女王様のように言い放つ。
「は? どういうことだよ」
 思わず韋護は問いただす。
「どういうことって?」
 楊ぜんはきょとんとした。
「だから、なんであんたがここに泊まるんだよ」
「泊まりたいから」
 あっさりと楊ぜんは答える。
「なんで、ここに泊まりたいわけ?」
「部屋に戻るのが嫌だから」
「部屋って……あんたいつも太公望の部屋じゃん」
「だーかーら。そこに戻るのが嫌だからって言ってるんだよ」
 痴話喧嘩かよ……。韋護はうんざりした。
「自分の部屋に戻れば」
「それじゃ駄目なんだよ」
 言いながらも楊ぜんは勝手に韋護の横をすり抜けて、部屋の中に進入する。そして勝手にベッドに腰を下ろした。
「浮気してやるって叫んで出てきたのに、自分の部屋に戻ったんじゃ格好つかないじゃないか」
 韋護は呆然としながら、楊ぜんの言葉を反芻する。10回くらい反芻したあとで、恐る恐る尋ねた。
「え。その場合の浮気相手って、俺?」
 楊ぜんはこくんと頷くとにこりと微笑む。花が咲いたようなと形容されそうなその微笑に韋護は凍りついた。とどめのように楊ぜんが口を開く。
「僕の浮気相手に選ばれるなんて光栄だろう?」
「はぁ?」
 あんぐりと韋護は口を開いた。言うに事欠いてこの天才道士様は何を言い出すやら。
「待てよ。俺の意思は?」
「意思? 何、不満なの?」
 楊ぜんは露骨に眉をしかめる。
「不満っつーか、不満だろ」
 あんまり楊ぜんが意外そうな表情をするから、韋護は自分が間違っているような気がしつつも言葉を続ける。
「浮気っつっても恋愛は恋愛だろ。いきなり押しかけられて、今から浮気しろって言われてもなぁ。まぁ、あんたと寝れるのは悪くないと思うけど、太公望のあてつけならお断りだな」
 韋護の言葉に今度は楊ぜんがきょとんとした顔をした。
「寝る? 誰が君と寝るって言ったの。君は床で寝るんだよ」
 さも当然と言い放たれた台詞に、韋護はピクリと反応する。
「は?」
「ただのパフォーマンスでホントに寝るわけないだろ。莫迦じゃないの」
 この野郎。莫迦はお前だ。
「なら、なおさらお断りだ。とっとと出てけ!」
 そしてホントにたたき出すべく、楊ぜんをベッドから無理やり立ち上がらせようとする。が。
「痛っ! いててててて」
 反対に腕をくるりとひねられてベッドにどさりと押さえつけられた。
「韋護君、全然体術がなってないよ」
 けろりとした楊ぜんの声が上から聞こえる。
「ねー韋護君。腕どうしようか? 今日、泊めてくれるよね」
「なっ! 卑怯だぞ楊ぜん!」
「聞こえないなぁ」
 言いながら楊ぜんは腕に力をこめる。みしみしと骨がきしむのが判った。
「わかった! 判ったから、離せっ!」
 うふふとたちの悪い笑みを浮かべて、楊ぜんはぱっと韋護の手を離した。
「僕はなんだって得意なんだよ」
「ああ、そうですかい。もう好きにすりゃいいだろ」
 投げやりに言うと、韋護はベッドから起き上がった。
「どうぞ、お使いくださいよ。オヒメサマ」
「判ればいいんだよ」
 にこっと楊ぜんが笑った。

 楊ぜんにベッドを明け渡し、仕方なく韋護は毛布に包まって、壁に寄りかかる。
 別にベッドでなければ寝れないわけではない。ただ無性に悔しいだけだ。それでも、うとうととまどろみ始めたとき、楊ぜんの声が聞こえた。
「ねぇ、韋護君」
 暗い部屋の中、その声はどこか頼りなく響く。
「もしも僕が……本気で君の事好きだから浮気してって言ったら、どうする?」
 すでに眠りかけていた韋護は返事をするのが億劫だったが、楊ぜんが怖いので仕方なく返事を返した。
「仮定の話に、意味なんかないだろ」
「……仮定じゃなくなるかもしれないだろ」
「あんたが俺に惚れるって言うの? 一体どこに?」
 少し戸惑って、楊ぜんが口を開く。
「例えば、君は背が高いし顔もまぁ、悪くないよね。あと、君のその……持ってる雰囲気が……包容力があるっていうの……? わかんないけど、なんか……嫌いじゃない」
 まさか楊ぜんから褒められると思っていなかった韋護はほんの少し覚醒した。
「それはまた、光栄だな」
「うん、うん。そうだよ。すっごく光栄だよ。だから、どうするの、韋護君?」
 会話の流れがおかしな方向に向かっている。そう思いつつも韋護は言葉を返す。
「俺は基本的に来るものは拒まないぜ」
「……そう、なんだ……」
「それで、どうするの、楊ぜん?」
 楊ぜんの台詞をまねて返した韋護の台詞に、楊ぜんがゆっくりとベッドから起き上がる気配がした。
「……じゃあ、いいよ」
「は?」
「だから、いいよ。浮気しても」
 ゆっくりと楊ぜんが言葉を紡ぐ。
「マジかよ」
「マジだよ」
 暗闇の中で、身を起こした楊ぜんと目があった気がした。

 待てよ。いくら美人で綺麗でも、当て馬にされるのは御免だぜ。

 楊ぜんはするりとベッドから抜け出す。闇の中で衣擦れの音がする。韋護のほうに近づいてくる。
 韋護の正面に立った楊ぜんは目線をあわせるかのように、ゆっくりとしゃがみこむ。そして、白い手が2本、すぅっと韋護のほうに延びてきたかと思うと、冷たい手のひらが頬をはさんだ。
「ねぇ、韋護君」
 暗闇の中で、何かの光を反射して楊ぜんの瞳がぴかりと光る。猫みたいに。
「君、僕を抱いてみたくない?」
「おいおい、冗だ……」
 冗談だろ、そう紡ごうとした言葉は楊ぜんの声にかき消される。
「あのね、韋護君。僕がここまで言ってあげてるんだよ」
 その声はねっとりと絡みつくように耳の中に忍び込んできた。
「僕に恥をかかせたら、君。仙界で生きていけないよ」
 今度は、脅しかよ。こういうのも、セクハラっていうんじゃないの。なんだっけ、逆セクハラ? そんな事いったら、ホントにこっちの命がなくなりそうだけど。
 韋護は黙って楊ぜんを見つめる。暗闇に慣れてきた目はおぼろげに楊ぜんの輪郭を捉え始めている。優美な線の細いからだ。体格だけなら、明らかに韋護のほうが有利なのに全然勝てる気がしない。
 ならば、これも役得と誘いに乗ってみるか。
 利用されているのを承知で、あわれな道化師を演じてみるのも悪くない。
 あの楊ぜんを抱いた事があるっていったらちょっとした自慢になる。
「あんたはそれでいいのかよ」
「やっとする気になったの?」
 韋護の問いには答えず、楊ぜんははにかむように笑う。
「床は嫌だよ。ベッドに行こう」
 圧倒的なプレッシャーが一転して、妖艶な笑みに変わる。呆気にとられながらも、韋護は立ち上がった。

 ベッドに沈んだ楊ぜんの身体にのしかかる。頭の両側に手を突いて見つめると、楊ぜんがじっと見上げてきた。今度は子供みたいな目だ。どうして、こうもころころと印象が変わるのだろう。
 楊ぜんは笑いながら背中に手を回し、韋護を引き寄せる。されるがままに韋護は楊ぜんに覆いかぶさった。
 パジャマのボタンを外し、白い胸に手を這わせる。女のように柔らかくはないが滑らかで美しい。
「なぁ、あんた、こんなことしていいわけ?」
 耳元で囁くと楊ぜんはくすぐったそうに顔を背ける。
「いいんだよ。ねぇ、韋護君、髪くすぐったい」
 くすっと笑って韋護の髪をかきあげる。
「猫っ毛なの? 柔らかいね」
「あんたの髪は綺麗だな」
「あたりまえじゃない」
 くすくすと楊ぜんが笑う。
「僕の身体で、綺麗じゃないところなんて一つもないんだよ」
「じゃあ、見せてみろよ」
 ぐいっと身を起こし、脱げかけた楊ぜんのパジャマを取り払う。楊ぜんは面白そうに韋護を見ていた。
「ねぇ、韋護君。僕は確かに凄く綺麗だけど……男で、しかも妖怪の僕をホントに抱けるの?」
 全裸になった楊ぜんが韋護を見上げる。
「男だろうが妖怪だろうが、そこそこの顔してりゃ、いけるな」
 韋護の言葉に楊ぜんは不機嫌そうにぺちんと韋護を叩く。
「そこそこの?」
「あんたは綺麗だよ。最高に綺麗」
 慌てて韋護は楊ぜんの機嫌をとった。それでもまだ不機嫌そうな楊ぜんの首筋にキスをする。
「あと、つけないでよ」
「つけたら、怒られる? 太公望に」
「無駄口叩くんならさせないよ」
「冗談。ここまできて、そりゃないだろ」
 楊ぜんを逃がすまいと抱きしめる。胸から腹、わき腹から太ももまでまでべたべたと撫で回しキスをした。
「んっ……」
 楊ぜんが小さく声を上げる。プライドが高くて、わがままで、実際格も実力も上の楊ぜんが自分の手で反応していると思えば、奇妙な征服欲が芽生えた。もっと声を上げて、もっとあられもなく乱れればいい。
 鎖骨の下のくぼみに噛み付くようなキスをした。
「あンっ、韋護君……」
 そう、その声。
「あとつけちゃ、だめだって……」
「あてつけなら、これくらいあったほうがいいって」
 言いながら韋護は片手で楊ぜんの胸を撫で回す。もう片方は舐め回し時折強く吸った。
「アんっ……もぉ……」
 おそらく、韋護を殴ろうとして振り上げた楊ぜんの腕は、びくりと反応した瞬間に抱きつくようにぎゅっと韋護の頭を抱き寄せる。
 いい反応。
 舌先で硬くなったものをころころと転がしながら、手を足の間へと伸ばす。ゆるく反応し立ち上がりかけたものに手を這わせた。
「あっ。韋護君……」
 何? らしくもない。ここまできて怖気づいたとか?
 ゆるくしごくと手の中で反応する。
 上気した頬に、寄せた眉。唇は開き、目は潤んで。
 あんた、やっぱり、最高に綺麗だ。なぁ、楊ぜん。
 いっそのこと、乗り換えちまえよ、俺に。
 こめかみにキス。目元にキス。涙をぬぐって。最後はくちびるに……

 キスしようとしたところで、ばんっとドアが飛んできた。ついで切りつけるような強い風。
 嘘だろ。ここ部屋の中。第一、風が吹いてきた方向は、窓じゃなくドア。
 つまりドアは風に飛ばされて……ん?
「このダアホがっ!」
 これはアレか。浮気現場を押さえられたって奴か。
 っていうか、宝貝使うか、普通。
 韋護の下で、韋護と同様に突然の太公望の出現に固まっていた楊ぜんは、次の瞬間、ぎゅっと韋護に縋りついた。
「出てってくださいっ! もう、あなたなんか知らないって言ったでしょう、あなたは一生桃でも抱いてればいいんです、この莫迦っ!」
 桃……?
 そんなくだらない事で喧嘩してたのかこいつ等。
 唖然とする韋護をよそに、太公望と楊ぜんは勝手に言い争いを始める。
「桃など抱いて嬉しいわけあるかっ!」
「ええ、そうでしょうね! 桃以下の僕なんか抱いたらもっとつまらないでしょうね!」
「桃食べる間くらい、待っとればよかろう!」
「そもそも、なんでする前に桃食べる必要があるんですか!」
「美味いからに決まっておろう!」
「どうせ僕は師叔の口にはあいませんよ! 妖怪ですからね!」
「お主何かあると妖怪妖怪って、いちいちすねるのやめぬか! わしはそんなの気にしてないと言っておろうが!」
「僕が気にしてるんですよ! 悪かったですね、卑しい性格で!」
 他人の痴話げんかほど聞いていて腹が立つものはない。
「お前ら、外でやってくんない?」
 すっかり萎えてしまった韋護は、ベッドの上で身を起こした。
「何? まさか、韋護君も桃より僕が劣ってるとでも……?」
 言ってない。言ってない。
 大体、自分と桃を比べるか、普通。
「ほぉ。……わしの楊ぜんに手を出したとあっては一度きっちりと礼をせねばならぬのぉ」
 じろりと、太公望が韋護をにらみつけた。普段のオコサマ阿呆道士とは様子が違う。恐怖を感じてうっかり韋護は口を開いた。
「ちょっ……待てよ。俺、脅されたんだぜ」
 楊ぜんは膨れて韋護を睨む。
「乗ってきたくせに」
「いや、そうだけど。乗らないとヤバイ雰囲気出してたじゃん、あんた」
「実際に何かしたわけじゃないだろ」
「お前に何かされたら死ぬだろ!」
「失礼だな。手加減位するに決まってるだろ!」
「やっぱり何かする気だったんじゃんか!」
「そんなの何かのうちに入らないよ!」
 韋護と言い争う楊ぜんを太公望はぽかりと叩く。
「痛っ。何するんですか、師叔」
 涙目で楊ぜんは太公望を見上げた。
「何するんですかじゃないわ。一番悪いのはおぬしであろうが!」
「一番悪いのは師叔ですっ!」
「まだ言うか! っていうかさっさと服を着ろっ!」
 太公望に脱ぎ散らかしたパジャマを押し付けられて、不満そうな顔をしながらも楊ぜんは袖を通す。
「言っときますけど、僕は絶対師叔の部屋には帰りませんからね!」
「いいや。おぬしはわしの部屋に帰るのだ」
 太公望はぐいっと楊ぜんの手をひっぱる。そして、楊ぜんの耳元で囁いた。
「わし以外の男に身を許そうとしたお仕置きをせねばならぬからのぉ」
 うわぁ。素でお仕置きとか言う奴、はじめて見た。
 韋護は顔を引きつらせる。
 ぴくんと楊ぜんの肩がゆれた。
「お仕置きって……ひょっとして、師叔、嫉妬してます?」
「あたりまえであろう」
 太公望が頷くと楊ぜんは真剣な顔で太公望の顔を見つめて口を開いた。
「あの、じゃあ。誰かが桃食べてたらその人に嫉妬します?」
「……嫉妬は……せぬかのぉ」
 怪訝そうな顔で太公望が答える。
「桃では嫉妬しなくても。僕なら嫉妬するんですね」
 太公望は呆れ顔でため息をついた。
「わしはこれでも結構おぬしを愛しておるのだぞ」
 楊ぜんはぽぉっとして太公望を見つめる。
「わしの部屋に帰るな?」
「はい。師叔」
 こくんと楊ぜんは頷いた。

 なんていうか、凄い疲れた……。
 いちゃいちゃしながら太公望と楊ぜんが部屋を出て行ったあと、気力を使い果たした韋護はベッドに倒れるように横になる。はた迷惑にも程がある。
 っていうか。
 俺の部屋のドア……どうしてくれんだよ。
 かつてドアだったものは無残にも二つに折れ曲がり部屋の中に落っこちている。廊下から部屋は丸見え。だけどそんなのどうでもいい。
 とにかく疲れきっていた韋護は早く眠ってしまおうと目を閉じた。

 あわよくば、明日の朝起きたら、全部夢だったことになってればいいなんて、夢のない夢を抱きながら。

end.

novel.