My Dear Child



〜前編〜



 その日は久々の休日で、太公望はだらだらとお昼過ぎまで寝ていた。ここはは楊ぜんの部屋で、どうしてそこに太公望が寝てるのかといえば……まあ、恋人同士がずっと一緒にいたわけであるから、早い話二人で夜通しじゃれてたのだ。
「うぬぅ……」
 ごしごしごし、目をこすってようやく太公望は起き上がる。それからうーんっと伸びをした。ぼーっとした頭を振って部屋を見回す。
「何だ。楊ぜんはいないのか……」
 つれないのぉ、と太公望は呟いた。せっかくの休みなのだから二人で思いっきりべたべたしようと思ったのに。楊ぜんがいなくては始まらない。一人ではべたべたできぬのぉ〜と、太公望は莫迦なことを考えた。
 でもこれはお昼過ぎまで寝ていた太公望が悪い。自業自得である。
 つまらぬのぉ、と寝すぎで少々ぐらぐらする頭をゆっくり動かしたら、いいものを見つけた。楊ぜんの書き物机の上。おいしそうな桃である。いかにもみずみずしそうで、寝起きで咽喉が渇いてる太公望にはますますおいしそうに見える。しかし。
 食べてしまっては拙いかのぉ。食べたら楊ぜん、怒るかのぉ。
 これが姫発や韋護のものだったら食べてしまったであろうが、やはり楊ぜんのものとなると太公望も迷うのである。
 しかし、桃なんて机の上に出しておくなんておかしいではないか。とすると、これは楊ぜんがわしのために出しておいてくれたものなのやも知れぬ……。
 だとしたら、食べないのはむしろ拙いのぉ。人の親切は受けるものだというしのぉ。楊ぜんならなおさらだのぉ。それにしても、あやつ可愛いことをするのぉ。
 太公望の高性能なんだか都合が良いんだかわからない頭は、あっという間に自分に都合のいい理屈をくっつけてしまう。
 では、遠慮なくいただくとするかのぉ。
 と、いうわけで。ぱくり。太公望は楊ぜんの桃を食べてしまった。
 そして、これが事の発端なのである。

 

    ☆

 

 楊ぜんは困っている。
「師叔……?」
 部屋の中で子供の泣き声が聞こえると思ったら……。
 本当に部屋の中に幼児がいたのだから。

 

 楊ぜんの机の上に置いてあった桃。
 あれの正体は雲中子からもらったちょっと危なすぎる桃だったのである。楊ぜんも別に食べる気はなかったのだが、しかし、変人とはいえ雲中子の作った桃。どんな効果があるかちょっと、興味はあった。本人に訊いたってどうせ教えてくれないだろうし、ならば自分で成分を解明して効果を割り出してみようなんて思ったのだ。そして、机の上においといたまんま彼にしては珍しく忘れていたわけで。
 要するにあれは、年齢退行。つまり若返りの作用があったわけだ。しかも70を超えた老人を3歳児くらいにまで退行させてしまう、いらなすぎるくらいの効果が。
 勿論、いまさらそんなことがわかったって楊ぜんは嬉しくも何ともなかった。

 

「もうっ、自業自得ですよ」
 仕方なく楊ぜんは太公望であるところのその子供を抱き上げる。ちっちゃな子供は、楊ぜんを見上げた。おっきな青い瞳がどうして怒られたのかもわからずきょとんとしている。抱き上げた身体はなんだか頼りなくって楊ぜんは怖くなる。げんきんにも太公望は楊ぜんが抱き上げたとたんにぴたりと泣き止んだ。
「どうして人のものを勝手に食べちゃうんですか」
 文句はいくらいっても言い足りない。それは確かにあんな危険物を机の上に出しっぱなしにしていた楊ぜんだって悪かったのだけれど。でも、楊ぜんは途方にくれて、そこまで考える余裕がない。
「この時期にこんなことになるなんて……」
 楊ぜんが文句ばっかりいっているものだから、太公望はまたもやぐずぐず、ぐずり始めたが楊ぜんだって泣き出したい心境だった。近いうちに進軍する予定だったのに、軍師がこれじゃどうしようもない。
「ああっ。もぉ、泣かないでよぉ」
 ぺたん。楊ぜんは太公望を抱っこしたまんま寝台の上に腰掛ける。
「どーしよう」
 悩んでる楊ぜんをよそにいつの間に機嫌が直ったのか、太公望はご機嫌でぎゅうっと楊ぜんに抱きついた。
 まず始めになすべきことは、やっぱり太公望をどうやって元に戻すかを考えることだろう。これは、しょうがないから雲中子に頼み込もう。楊ぜんは健気にもそう決心する。幸いにも今日は休日だ。
 あとは、その間誰に太公望を預かってもらうかってことだ。やっぱり女の子の方がいいんだろうな。ああ、その前に服をどうにかしなくては。いかな雲中子の桃といえども、さすがに服までは縮めてくれなかったようで太公望は今バスタオルにくるまれてる状態なのだ。
 やっぱり誰かに相談したほうがいいのだろうか。
「師叔。おとなしくしててくださいね」
 とりあえず、太公望をここに残して誰か探してこよう。哮天犬を見張りにつけておけば大丈夫だろう。そう思って楊ぜんは太公望を寝台の上におろそうとし……
「やあっ」
 太公望は楊ぜんの髪をぎゅうっとつかんで抵抗した。
「よーぜんっ」
「やだ。師叔。痛い。痛いです。引っ張らないでっ」
 お子様帰りしても太公望は手ごわかったようである。
「いやじゃないでしょう、師叔」
 仕方なく楊ぜんは猫なで声を出す。それから哮天犬を召喚。
「ほら、哮天犬がいるから怖くないよ」
「やだ。よーぜんっ」
「師叔っ。僕は行かなくちゃいけないんです。いい子だから言うこと聞いて」
「うう……」
 太公望は唸る。やっぱり楊ぜんの髪の毛を握り締めたままで。
 楊ぜんは一つため息をついた。
「哮天犬。髪、切っちゃうから鋏持ってきて」
 苦肉の策である。だってこうでもしなくては太公望は楊ぜんの髪を離してくれそうもないし、それで結局困るのも太公望なのだ。楊ぜんは太公望に元に戻って欲しいのである。
「やあっ」
 太公望は髪の毛を離した。ふくれてる。ついでにちょっと涙ぐんでたりもする。そんなに嫌なのだろうか、楊ぜんの髪の一房なくなることが。
「よーぜん。髪切っちゃ駄目ぇーっ」
 楊ぜんはほっとする。隣で哮天犬もほっとしたようだ。
「師叔。僕は雲中子様のところに行かなくちゃいけないから、その間に女官についていてもらいますね。哮天犬もいるし。お留守番、できる?」
 楊ぜんはしゃがんで太公望に話し掛ける。
「よーぜんいっちゃうの?」
「すぐ戻ってきますよ」
「ほんとぉ?」
「師叔がいい子でお留守番できたらね。できる?」
 太公望はしぶしぶながらこくんと頷いた。
「よーぜん。行ってらっしゃい」
「行ってきます」
 楊ぜんは太公望の小さい血色のいい頬に、小さく一つ口付けた。照れてえへへと太公望は笑った。その様子が子供じみて可愛らしく映るぶんだけ楊ぜんは悲しくなる。ぎゅうっと太公望の小さな小さな身体を抱きしめた。
「師叔。絶対僕が元に戻してあげますからね」

 

 が、楊ぜんのたてた予定はちょっとだけ繰り上がった。諸悪の根源が西岐に降りてきていたのである。
「雲中子様っ!どういうおつもりですかっ!」
 雲中子を見かけたとたん、楊ぜんは頭の中で何かがはじけちゃったらしく、彼に突っかかっていった。
「あれぇ、君小さくなってないの?」
 楊ぜんの恫喝なんかものともせず、雲中子は平然と答える。
「師叔が食べちゃったんですよ。あの桃!」
「ふーん。何だつまらない」
「つまらないですって!」
「楊ぜん、あんまり興奮すると顔が崩れるよ」
「な……」
 楊ぜんは忠告どおり……というか、この場合は言葉をなくして黙り込んだ。そして、やっぱりそんな様子をものともせず雲中子は口を開く。
「君を小さくして私が弟子にもらおうかと思ったのに……太公望じゃ、いいや。いらない」
 楊ぜんはさぁーっと青ざめた。この世で一番入りたくない場所といえば雲中子の洞府。弟子になんかされた日には生きて戻れるかどうかも謎である。
「解毒剤か、責めて薬の成分を」
 怒りと恐怖に震えながらも楊ぜんは何とかして言葉をつむぎだす。
「ああ、大丈夫」
 雲中子は手をひらひらさせた。
「あれは君の妖怪仙人としての能力を使って効果を持続させる薬だから。人間ならたとえ仙人でも三日で切れるよ」
「そう……ですか」
 とりあえずはこれで安心である。
「それでだね。楊ぜん、朗報だよ。今度は性転換を簡単に行うみかんを開発してるんだけど、被験者がいなくてね。どう?楊ぜん。成功したら私の愛人になれるという得点付きなんだけど……」
 皆まで言わせず、楊ぜんは雲中子に蹴りを入れて逃げ出した。冗談じゃない、まだ原始天尊様の愛人にでもなったほうがマシだ。
 まってるよぉ〜。と声が追いかけてきたが楊ぜんは勿論無視した。とどめをさしときゃよかったと後悔しながら。

 

    ☆

 

 さて、楊ぜんが部屋に帰ってくると部屋から女官があふれていた。ほんの2,3時間の間に太公望は女官たちのアイドルになってしまったようなのである。小さい太公望は目が大きくて女の子のような、というわけではないにしろ、お人形みたいに可愛らしくはあった。姫発の兄弟たちのうちの誰かのお下がりらしい服もちょうど似合っていて、なかなか上品そうでもあった。それで、人懐っこくて素直とくれば女官たちが放っておくはずもなく。
 急いで戻ってきた楊ぜんはドアのところで奇妙な喪失感にとらわれていた。
 なに、でれでれしちゃって……
 師叔の莫迦。
 子供相手にそんなこと考えたって仕方のないはずなのに、楊ぜんは遠くから太公望を見つめて悲しくなった。
 だけど。
「あ。よーぜん!」
 一方の太公望は楊ぜんを見つけると一目散に走り出す。多少危なっかしい足取りで。
「お帰り。楊ぜん」
「ただいま。師叔」
 女官たちが見つめる中、楊ぜんはにっこり笑って、ちょっとした優越感と共に太公望を抱き上げた。
「あらぁ、太公望様はわたくしたちより、楊ぜん様のほうがいいのね」
 一人の女官がすねたふうを装ってそんなことを言う。
「うん」
 悪びれもせず太公望が頷いたものだから女官は肩をすくめて出て行った。くすくす笑う声が響いた。
 太公望はご機嫌でぎゅうっと楊ぜんに抱きついて。
「よーぜん。ずぅっと一緒だよ」
 ちょっと照れたようにえへへと笑った。
 だから楊ぜんは、ますます嬉しくって、頭を撫でてあげた。

next.

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