家路



12.一緒



「はい。これ、切符」
 涼から渡された小さな硬い紙を楊ぜんは不思議そうに受け取った。
「切符?」
「そう、電車に乗るから。新宿から歩こう。そんな遠い距離じゃないし」
 ふうんと楊ぜんは涼を見つめる。それからもう一回その小さな紙をひっくり返した。
 駅は通勤ラッシュの時間帯をずらしたせいか、やや人が少なかった。人々はちらちらと楊ぜんを見る。
 ――何あれ。
 ――モデルかなぁ。
 ――じゃなくて格好。
 ――原宿あたりじゃ一杯いるって。
 ――男、女?
 ――知らないよぉ。
 涼は軽く一つ舌打ちする。その美貌を差し引いてさえ、楊ぜんの存在はとんでもなく目立つのだ。なにせ青い長髪。いくら髪を染めるのがあたりまえになったとはいえ、なかなかお目にかかれる色じゃない。
 そしてその格好。生憎サイズが合わなくて楊ぜんは涼の服を着れなかったものだから例の道服という奴を着ているのである。当然のことながら恐ろしく目立っていた。
「楊ぜん、ついでだから服買おうな」
 畜生、金そんなに持ってきたかな。涼は頭の中で計算する。暗算は得意だ。
「服?涼みたいの?」
「そ」
 ワイシャツにジーンズ。ありふれた格好。
 あ、でもこいつが着るのか。下手すると女に見えるかも。
 楊ぜんはもう一回興味なさそうに涼の格好を眺めた。頼むからスーツなんかねだるなよ。まんま、ホストじゃん。
 考えながら改札に向かって歩き出す。自動改札、そっか、教えといたほうがいいな。
「楊ぜん、ここにさっきの切符入れるの」
 楊ぜんはにっこり笑う。
「うん。人が通るの見てた」
「じゃ、行こうか」
 涼は楊ぜんの手を引いて歩き出した。



 車内は中途半端に込み合っていた。決して満員というわけでもなく、しかし座ることも何かにつかまることもできない込み具合。いくらかゆれる電車に楊ぜんは器用にバランスをとる。
「ねぇ涼。まだつかないの?」
 楊ぜんは電車が嫌いらしい。一駅過ぎると涼にそう尋ねる。
「まだ。大塚過ぎたからあと4つ。すぐだよ。酔ったんなら降りるけど?」
「ん……じゃ、いい」
 目白――高田馬場――新大久保――新宿。山手線は一駅が短い。
 ホームに下りた楊ぜんはうーんと伸びをした。早速涼に文句をいう。
「空気が悪いよ。窒息しそう。髪はぼさぼさになるし」
 楊ぜんは冷房が嫌いなのだ。
「そんなこと言うけどさぁ。満員電車であれないと死ぬぞ」
「満員だったよ」
 楊ぜんはきょとんとした。
「ああいうのは満員って言わないの。がらがらだよ」
「嘘。だって座れなかったじゃないか」
「誰かにぶつからずに立ってられるうちは満員って言わないの」
 楊ぜんは憮然として呟いた。
「そういうのは人間の乗り物じゃないよ」
「かもな。行こう、楊ぜん。ええっと東口だ」
 涼は再び楊ぜんの手を引っ張る。新宿駅はいつも混雑している。楊ぜんを一人出歩かせるのは不安だった。楊ぜんもぎゅうっと涼の手を握る。
「涼……この建物、なんか。気持ち悪いよ」
「え……?なんで」
 涼はちょっと考える。
「この光り、なんか、気持ち悪い……」
 そう言って楊ぜんは手のひらをかざした。白い蛍光灯の光り。
「ああ、地下に入ったからか。解った、上に出よう楊ぜん」
 こくんと、おとなしく楊ぜんは頷いた。
 地下街から地上に出ると楊ぜんは明らかにほっとしたように空を仰いだ。新宿駅東口、目の前にはアルタ。ちょうどいいや、このまま紀伊国屋まで歩こう。ああ、でも蛍光灯の光が気持ち悪いってことは楊ぜんは紀伊国屋、入れないのか?
「あれ、でもさぁ楊ぜん」
「何?涼」
「おまえ、俺んちの蛍光灯は平気だよな」
 こくんと楊ぜんは頷く。
「うん。だって窓があるから」
 あ……窓か。
「それに涼がいないときは明りつけないし」
「つけろよ。目が悪くなるぞ」
 くすっと楊ぜんは笑う。
「涼、昨日もそれ言ったよね」



 服と地図はまた考えることにしてとりあえず涼は楊ぜんの手を引いて新宿御苑を目指す。紀伊国屋を通り過ぎて丸井、三越、伊勢丹。楊ぜんはショーウインドウに張り付いた。
「涼、見て凄く綺麗」
 目をきらめかせている楊ぜんにショーウインドウの前に何気なく立ち寄った涼はしばし固まる。カルティエの時計なんて逆立ちしたって買えるもんじゃない。
「楊ぜん、行くぞ」
 ぐいっと涼は楊ぜんを引っ張った。
「えーっ。どぉして!あ、涼。服。ねぇあの服は?」
「それは女物だろうがっ!」
 楊ぜんなら似合うかもしれないと一瞬考え、涼は慌ててその考えを振り払う。ショーウインドウに飾ってある服なんて、10万は下らないんだ。
「変化したら着られるよ」
「しなくていい!」
 涼は力任せに楊ぜんを引っ張った。
「涼。痛いよ。一人で歩けるよ」
 しぶしぶ楊ぜんは涼についていく。
「ねぇ涼」
「何?」
「怒ってるの?」
「怒ってない」
 涼は背伸びして楊ぜんの頭を軽く撫ぜた。
「楊ぜんは、この世界に生まれたばかりだからいろんなことに戸惑って興味持って、そんなのあたりまえなんだ」
「そうかな」
 楊ぜんは微笑んだ。
「この世界にも、僕の居場所ってあるのかな」
「あるだろう。俺の部屋はもう楊ぜんの部屋だろ」
「いいの、涼?」
「勿論。楊ぜんは俺に会うべくして会ったんだ」
「僕と涼はつながってたのかな」
 ああ、そうだよ。楊ぜん。やっと気がついたね。
「僕は涼がいるからこの世界にきたの?それって凄いよ涼!」
「そう、凄いんだよ楊ぜん」
 楊ぜんはにっこりと微笑み、それから不意にその笑顔が凍りついた。
「涼、だとしたら。崑崙での僕はなんだったんだろう……?」
 涼は黙った。じっと楊ぜんを見つめた。
「崑崙で、修行して。師匠のことが、大好きで……師叔と……」
 楊ぜんはほんの少し眉をしかめる。 師叔……?
 だ れ だ っ け 、そ れ は 。
「楊ぜん、どうした?」
「涼、僕、今、凄く大切なことが思い出せない気がする」
 涼はきょとんとした。
 それからにっこりと笑う。すべてのものを溶かしてしまうような暖かい微笑み。
「大丈夫。思い出せないってことはたいしたことじゃなかったんだよ。本当に大切なことなら、そのうち思い出すよ」
 楊ぜんはほっとしたように涼を見た。戸惑いは魔法のようにするりと消えた。まるで誰かが都合の悪い物を故意に奪い取ってしまったかのように。
「そう?そうかな、涼」
「そうだよ。それより早く御苑まで行こう。腹減った」
 楊ぜんはくすくすと笑う。
「そういえば僕もおなかすいた」
「卵焼きだろ。久々かな、人に弁当作ってもらうのって。自分で作ったこと無いけど」
 楊ぜんは笑って甘えるように涼の袖を軽くつかむ。
「しょうがないなぁ。僕が来るまで涼はどうやって生きてたのさ」
「自炊はしてたんだって」
「あやしいなぁ」
「ホント、ホント」
 涼もくすくす笑う。
「あ、見えてきた。あれ」
 涼は御苑の入り口を指差す。
「入園料、いくらだったかな」
「え。お金取られるの?」
「そ、この時代は何でも金がかかんの」
 ふうん。と楊ぜんは不満そうに呟く。それでも木があるのは嬉しいらしく顔は輝いていた。
 切符を買って、早速中へ。
 入ったとたん。楊ぜんはパタパタと駆け出す。涼は慌ててその後を追った。まったく、目を離すとすぐこれだ。デートしてるって言うよりも、保護者だな、これは。
「楊ぜん。待てって」
「涼見て!アスファルトじゃない地面があるよ」
 涼はきょとんとした。
「それがそんなに嬉しいのかよ」
 楊ぜんはくすくす笑って、近くの木を見上げた。 「わあ。涼、これ桜だよね。すごぉいみんな桜だ。春になると綺麗だよ、きっと」
「一応名所だからな」
「そうなんだぁ」
 楊ぜんは満足そうにあたりを見回す。
「ビニールシートでももってくりゃよかったかな」
 涼は少しばかり後悔した。
「遠足だよね。ベンチあるよ、涼。あそこ行こう」
 またもや、ぱたぱたと楊ぜんは駆け出して芝生の段差につまずきバランスを崩してぺたんと尻餅をついた。
「ばーか。走り回るからだよ」
 ここぞとばかり涼は笑う。楊ぜんは芝生の上に座り込んだまま呆けたように涼を見上げた。
「どうした、楊ぜん。腰が抜けたか」
 涼は楊ぜんをからかった。が、文句を言い返すはずの楊ぜんは相変わらず奇妙な表情で涼を見上げている。
「楊ぜん?」
 涼は何か不安にかられて楊ぜんの側に近寄った。
「大丈夫か。足くじいたとか?」
 楊ぜんはふるふると首を振る。
「怪我したわけじゃないんだな」
 こくんと楊ぜんは頷いた。それから恐る恐る口を開く。
「ねぇ、涼。体がおかしい……」
「は……?」
 涼はそっと楊ぜんの額に手を当てた。熱があってよろけたのかと思ったのだ。
「なんともなさそうだけど」
 涼は怪訝そうにもう一回楊ぜんを見る。ふるえてる……?顔色は、わからない。もともと具合悪そうな顔色してるから。
「楊ぜん、気持ち悪いのか?そこのベンチで横になってろ、今缶ジュースかなんか買ってくるから」
 楊ぜんはぎゅうっと涼の袖をつかんだ。
「嫌」
「楊ぜん?」
「行かないで」
「だけど……具合、悪いんだろ……」
 涼は恐る恐る、戸惑うようにゆっくりと振るえる手で楊ぜんを抱きしめた。楊ぜんはその手に逆らいもせず、涼の胸に頭を寄せる。額にじっとりと冷や汗。これは本格的に具合が悪いのだろうか。
「楊ぜん、とにかくベンチまで行こう」
「動けないよ、涼……」
「解った。じゃ、ここで横になってろ。芝生だから。な」
「大丈夫」
「だけど」
 楊ぜんはぎゅうっと涼の胸にしがみついた。
「身体が上手く動かないんだ。こっちに着てからたまに、あるんだ。僕は仙人の免許だって持ってて、こんなところで転ぶわけ無いんだ」
「楊ぜん、それは考えすぎ……」
 涼は笑おうとして、だけれど楊ぜんの様子が思いのほか真剣で笑い飛ばすことができなかった。
「うん。僕もそう思ってた。確かめる方法はあるんだ」
 思いつめたように、楊ぜんは言う。
「なにを……?」
「涼、少し、離れて」
「でも」
「大丈夫だから」
 涼は恐る恐る、まるで涼が手を離したら楊ぜんそれ自体が砕け散ってなくなってしまうかもしれないと信じているかのように、そっと手を離した。
 楊ぜんは何かに集中するように芝生の一点を見つめる。
 そうやって一秒、二秒……。
 次の瞬間。ふらぁと楊ぜんはその場に倒れた。慌てて涼は楊ぜんを抱き起こす。
「大丈夫か、おい。何しようとしたんだ?」
「変化」
 小さく楊ぜんは言った。泣き出しそうな頼りない声だったけれど、楊ぜんは泣いてはいなかった。
「できなくなっちゃった」
 涼はまじまじと楊ぜんを見つめる。何だ?変化ができなくなったってどういうことだ?頭の中は高スピードで回りだす。何が楊ぜんにおこったというのだろう?
「楊ぜん、は」
 半妖体は?そういいかけて涼は黙った。それは涼が知らないことになっていることだ。
「涼、何?」
 涼は少し戸惑う。それからこういった。ぎこちない口調で。
「楊ぜん、人間ははじめから変化なんてできないんだよ」
 楊ぜんは大きく目を開いた。
「僕は、人間になっちゃったのかな。涼」
「楊ぜんは、はじめから人間だったんだ」
 何かを吹っ切ったように、涼は小さく微笑んだ。

next.

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