ジューンブライド02



 玉泉山金霞洞。その前で太公望はひたすらあがりまくっていた。
 そう、どういうわけか、本当にきちゃったのである。楊ぜんの師であり養父でもある玉鼎真人に挨拶するために。
 もちろん太公望は抵抗したのだ。いくら今のところ平穏だとはいえ、戦争の最中に二人が仙界に帰るのは、さすがにまずいだろうと、理詰めで説明し、玉鼎真人だって太公望みたいなお邪魔虫がいないほうが、久しぶりの親子団欒で楽しいだろうと、もっともなことをいい、最後には、おなかが痛いだの頭が痛いだの熱があるだの、まるで学校をサボろうとする小学生みたいな言い訳までしたと言うのに。結局いつものパターンで太公望は楊ぜんの「お願い」に逆らえなかったわけである。
「のぉ、楊ぜん。やっぱり着替えてきたほうがよかったかのぉ?」
 太公望が着ているのはいつもながらの道服である。これだって太公望はいろいろと考えたのだ。こういうときは、ちゃんと正装をしたほうがいいのかどうか。もちろん仙人にとっての正装というと道服になってしまうわけだが、しかしこういう、特別な日には特別な服を着るべきなのではないだろうかと十二歳まで人間界で暮らしていた太公望なんかは思ってしまうわけだ。
「いいえ。それで良いんですよ。師叔」
 楊ぜんはきっぱりと言い切った。何を着ていくべきか散々悩んだ太公望はいろんな人に相談したらしい。そしてどうやら散々遊ばれてしまったようで、シルクハットに燕尾服だの、緑色のスーツに紫のシャツに赤のネクタイだの、変な服を沢山借りて帰ってきたりしていたのだ。
「しかしのぉ、楊ぜん。こういうのはやっぱり第一印象が肝心であろう」
「第一印象って、師叔。あなた、ずいぶん前から師匠と会ったことがあったのでしょう」
「それはそうなのだが、しかしのぉ」
 このままだと、太公望はさらに悩み始めそうである。楊ぜんとしては、何でこんなに太公望が悩んでいるのかさっぱりわからない。
「師叔。師匠が待ってますよ」
 そう、玉鼎真人は楊ぜんが「大切な人」を紹介しに来るということで首を長くして待ってるはずなのだ。
「だああっ。そうだ、楊ぜん。挨拶はどうしよう。……うぬぅ。父上かのぉ、お父様だと照れるのぉ。ああっ、でもそれはまだ早いかのぉ」
 楊ぜんは困って太公望の袖を引っ張る。
「師叔。いつもどおりで良いんですよ」
「しかし、楊ぜん。いつもどおりというと……玉鼎か。呼び捨てはまずくないかのぉ?玉鼎真人さん……ううぅ、なんかなれなれしいのぉ。玉鼎真人様、……ファンクラブのようだのぉ。玉鼎真人殿、硬すぎるかのぉ……」
 傍から見れば滑稽だが、本人は大まじめである。
 ちょんちょん。楊ぜんは再び太公望の袖を引っ張る。
 このままじゃきっと一日かかっても太公望はここから動こうとしないだろう。楊ぜんは一つため息をつくと太公望の手を取った。
「師叔。行きますよ」
「だあああっ。待て、楊ぜん。まだ心の準備がっ!」
 ずるずるずる。騒いでる太公望の腕をぎゅっとつかんで、実は結構力持ちだったりする楊ぜんは半ば太公望を引きずるようにして金霞洞の中に入っていったのだった。

 

    ☆

 

「玉泉山は金霞洞、玉鼎真人が門下楊ぜん、ただいまかえりましたぁ」
 すんだ声が洞内に響き渡る。それで玉鼎真人は愛弟子の帰還を知った。おもむろにかけていた椅子から立ち上がる。弟子と、それからその『彼女』を迎えに行くために。
 金霞洞内は実に綺麗である。それはいつものことだけれど、今日に至っては本当にチリ一つ落ちていなかった。愛弟子に恥をかかせるわけには行かないと、弟子思いのお師匠様は一週間かけて大掃除をしたのだ。なかなか豪勢な精進料理も用意したし、やはり『若いお嬢さん』なのだから、と普段は作らないデザートなんかも用意してみた。カーテンを明るい物に替えてみたり、テーブルに花を飾ってみたり。顔には出ないもののどうやら、こちらもかなり緊張しているようである。
 もちろん楊ぜんの選んだ『女性』ならば、間違いはないだろうとは思うが。
「楊ぜん、よく帰ってきたね。それから太公望もきてくれたのか。それから……」
 そういって玉鼎真人はちょっとあたりを見回す。楊ぜんの大切な人が見当たらない気がしたので。
「楊ぜん、それでおまえの……」
 恋人はどこにいるんだい。そういいきる前に、太公望が口をはさんだ。
「ああ、その。おと……、ええ、玉鼎。久しぶりだのぉ」
「ああ、そうだね、太公望。それでその楊ぜんの……」
 玉鼎真人としてはまずそれが気にかかる。
「そ、そのことなのだが、実はわしの」
 太公望は意を決して口を開く。ことなのだ、と結ぼうとしたのだが。
「ああ、なるほど。楊ぜんの大切な人は何か太公望に、縁のある人なんだね。それとも、太公望が紹介してやったのか。それで太公望がきてくれたのだね」
 が、玉鼎真人は勝手に納得してしまう。
「師匠、違いますよ」
 なんだかかみ合ってない二人の会話に楊ぜんは口を開く。
「僕の大切な人は師叔なんです」
 ほんの少しばかりの間があった。
 玉鼎真人は何か恐ろしいものでも見るかのように太公望のほうを向いて、そしてそれから無理に納得したような表情を作った。
「楊ぜん、ああ、そういう意味か」
 それから玉鼎真人は困ったように笑う。
「そうだね。確かに楊ぜんにとって太公望は尊敬に値する人だし、大切な人なんだろう。だけれど、私が言ったのはそういう意味じゃないんだよ。つまり、私が言ったのは楊ぜんが人生の伴侶としたいと思うような、そういう意味での大切な人、なんだ」
 楊ぜんはちょっと、きょとんとする。それからきわめて無邪気ににっこり微笑んだ。
「そうなんですよ、師匠」
 次にあいた間は実際にはそんなに長くなかったのかも知れない。だけれど、太公望にとってそれは恐ろしいほど長く感じた。
「太公望、それは、どういう、意味かな」
 一語一語区切るように、ゆっくりと玉鼎真人は言葉をつむぐ。
 太公望は背筋を伸ばして、それからできうる限り真剣な表情で玉鼎真人を見上げる。とにかくこの場合はしゃんとしなくてはと思ったのだ。
 しかし傍からは、なかなか堂々として見えたりもした。横で楊ぜんがちょっと顔を赤らめる。もちろん、太公望はそんなこと気にしている余裕はなかったのだけれど。
 とにかく、できるだけ穏便に玉鼎真人に挨拶してさっさと逃げ帰らなければならない。太公望は必死になって考える。でも考えれば考えるほど頭の中はごちゃごちゃになってしまうのだ。いくら太公望だって、恋人の父親代わりに挨拶するのなんて初めてなのである。
 そして、切羽詰って、ついでにあがりまくった太公望、ちょっととんでもないことをいっちゃうのである。
「玉鼎。楊ぜんをわしにくれぬか」
 一瞬、空気が凍りついたような気がした。あるいは空気に亀裂が入ったような気が。
 楊ぜんは胸の前でぎゅっと手を握り締める。
「師叔……あの……」
 玉鼎真人は動かない。
「楊ぜんを、わしにくれ」
 もう一回。今度はきっぱりした顔で太公望は言った。
「頼む」
 あまりに予想外の出来事が重なったのと、それから太公望のまっすぐな瞳に半ば気おされて、玉鼎真人は戸惑う。頭の中が真っ白で何も考えられないのだ。無理もないといえば、無理もない。息子の彼女が男で実は彼氏で、ついでに結婚させてくれと言うのだ。冗談じゃない。と普通は思うが、その『冗談じゃない』という思考さえ浮かばなかった。
「ああ、その。……すこし考えさせてくれ……」
 疲れきったように玉鼎真人は言った。
「師匠」
 なんだかげっそりしてしまった師のもとへ、楊ぜんは慌てて駆け寄る。
「師匠、大丈夫ですか?」
 心配そうに尋ねてくる弟子の頭を、玉鼎真人は軽く撫でる。
「大丈夫だよ、楊ぜん。おまえも、自分の部屋で少し休みなさい。太公望には客間を」
 そういって、重病人のようにふらふらした足取りで玉鼎真人は考え事をするために奥へ行ってしまった。
 楊ぜんが慌ててその後を追いかけた。

 

    ☆

 

「師匠は一人で考えたいんだそうです」
 なんだかしゅんとした様子で楊ぜんが帰ってきた。
 それから太公望を見て、ちょっと眼をそらす。
「師叔。さっきの……」
「ああ」
 太公望はちょっと口篭もる。なんだか、気まずい。そして、無性に恥ずかしい。
「予定では言うつもりではなかったのだが……やはりあがっておったのだろうな。あれはわしの本心だ」
 太公望は言葉をいったん切って楊ぜんを見つめた。
「楊ぜん。おぬしは、嫌か?」
 楊ぜんは耳まで真っ赤になりながら、首を振る。
「いいえ」
 心持潤んだ瞳をまっすぐ太公望のほうに向けて。
「いいえ。師叔」
 楊ぜんはじっと太公望を見つめる。今にも涙がこぼれそうな気がする。悲しいはずがないのに。心臓の音が痛いほどに響く。苦しくて楊ぜんはどうしていいのかわからない。
 そして。太公望もまたじっと楊ぜんの瞳を見ていた。ひたむきなまっすぐな瞳で。
 言葉なんか要らなかった。時間が止まったような気がした。否。止まってしまえばいいと思った。
 やがて、太公望は口を開く。

 

「名前を呼んでくれぬか、楊ぜん」

「あなたが好きです。太公望師叔」

next.

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