ジューンブライド03
――あのね、師匠ぉ。よーぜんがおーきくなったら、よーぜんのお嫁さんになってくださいね。
――困ったな。楊ぜん、私は男だから楊ぜんのお嫁さんにはなれないよ。
――じゃあ、よーぜんが師匠のお嫁さんになりますね。
――楊ぜん。楊ぜんは男の子だろう?
――でもずぅっと師匠と一緒にいたいです。
小さな弟子は大きな瞳をいっぱいに開いてそういった。
楊ぜん。
私の小さな弟子は一体どこへ行ってしまったのだろう。
玉鼎真人は楊ぜんが出て行ってからしばらくぼぉっとしていた。考えが上手くまとまらなかった。なんだか、どうしようもない喪失感でいっぱいになってしまった。
――師匠、師叔のこと嫌いなんですか。
楊ぜんは心配そうにそういった。
そうじゃない。と玉鼎真人はこたえた。
そうじゃない。これはそういう問題じゃないのだ。
一人の男としてみたときに、太公望は確かに立派な男であると思う。先を見る眼がある。人のつらさをわかってやれる度量もある。それでいて情に流されない決断力もある。むしろ、悪く言うのが困難なくらいなのだ。
だいたい、それだから少しばかり親莫迦のきらいのある玉鼎真人も、楊ぜんを人間界に下ろす気になったのだ。少しばかりそんな経験をさせてみるのもいいのではないかと。精神的に少々弱いところのある楊ぜんのためにもなるのではないかと。
――それなのに。
もしもこれが楊ぜんの話ではなく知人の娘の話だとしたら、きっと玉鼎真人はもろ手を上げて賛成しただろう。太公望は確かにまだ道士だが、原始天尊様の一番弟子だ。格的には問題もない。だいたい本人同士が好きだといっているのだ。反対する要因がない。
しかし。
楊ぜんは男の子だ。第一太公望は楊ぜんの秘密を知っているのか?あの子が、本当は人間ではないということを。
楊ぜん一人盛り上がって、正体が知れて捨てられるのでは、それはあまりにむごすぎる。あの子はきっと立ち直れない。
――否。太公望はそんな男ではないか。
その点では楊ぜんの人を見る目は確かだったと言えるのだろう。
――だが。
いっそ男色に走ってくれたほうがまだましだ。あの感じじゃどう考えたって楊ぜんが太公望の……
「うわあああ」
哀れな悲鳴をあげて玉鼎真人は髪をかきむしった。ので、せっかくの漆黒の闇のようだと評されるほどの美しい黒髪は見るも無残にぐちゃぐちゃになってしまった。
――だめだ。たとえ太公望だろうが、原始天尊様だろうが、楊ぜんにそんなふうに触れるのは絶対に許さん。
――それにだ。年齢が釣合わないじゃないか。楊ぜんはまだ子供だ。百歩譲って、たとえ嫁に出すにしたってもっと大人の仙人の方がいい。いくら太公望が大人びてるといったって所詮まだ100年も生きていないではないか。人間はどんなにがんばったって己の年齢以上には歳を取れないものだ。
――だいたい、だ。楊ぜんをくれと言うのは何だ。楊ぜんは物ではない。くれたりもらったりできるものではない!
結局――。
結局のところ玉鼎真人は楊ぜんを太公望にとられてしまうのがいやなのである。自分の事を見てはじめて笑ってくれたあの可愛らしい顔が、夜中にオバケが怖いといって布団にもぐりこんできた小さな弟子が、ほかの男なんかに盗られてしまうのが、どうしようもなく嫌なのだった。
☆
己にあてがわれた部屋を一目見たとたん、太公望はため息をついた。白いレースのカーテン。テーブルの上にいけられた淡いピンクの薔薇。リボンのついたベッドカバー。極めつけは真っ白なネグリジェ。これは……結構なプレッシャーである。
どう考えても、太公望のために用意された部屋じゃない。可愛らしく整えられた客間はきっと楊ぜんがつれてくるはずの『彼女』のためのもので。
「玉鼎には悪いことをしたかのぉ」
太公望には弟子もいないし(まぁ、武吉はいるかもしれないが、幼い頃から育てたというわけはない)、もちろん、子供だっていない。だからこれは実感をもってわかることでもないのだが、それにしたって、息子に男の恋人がいたというのは相当のショックだろう。
――しかし、あの、楊ぜんだからのぉ……少しくらいそういうことがあるやもしれぬと言う覚悟があってもよさそうなものではないか。何も、あやつに言い寄る男はわしがはじめてでもあるまい。
もっとも、これは太公望は知らないことだが、むしろそういうことを恐れて玉鼎真人は滅多に弟子を人前に出そうとしなかったのだし、封神計画にだって、太公望がいるのだからそういう『莫迦なこと』は起こりえないだろうと言う判断のもと楊ぜんを人間界におろしたのだったりする。
「うぬぅ」
とりあえず太公望は頭の中でシミュレーションしてみる。ある日武吉が、見ず知らずの男を連れて太公望の元へやってくる。でもって男は言うのだ。武吉をわしにくれぬか。……。
「ショックと言うより気味が悪いのぉ……」
太公望は顔をしかめた。
そして一つ首を振る。
今太公望が悩むべきなのはそんなことじゃない。どうやって玉鼎真人を納得させるか、と言うことのはずだ。
とんとん。軽いノック。
「師叔」
「楊ぜんか」
ドアが開く。
「あは。師匠ったら」
そんな感想を漏らして、楊ぜんが入ってきた。室内の装飾のことを言ったのだろう。寝台に腰掛けて楊ぜんは呟く。
「師匠だったら、喜んでくださると思ったのに、な」
「玉鼎も複雑なのであろう」
「でも、師匠は師叔のこと誉めてましたよ」
「それでも」
「僕が妖怪だから」
「そうではないよ」
「師叔は良いんですか。僕は妖怪なんですよ」
「わしはありのままのおぬしが好きだよ」
「師叔は半妖体のほうがすきなんですか」
「そういう意味ではなくて」
太公望はちょっと困る。
楊ぜんはくすっと笑った。
「小さい頃、ね。人間になりたかったんです。師匠と同じになりたかった。ちゃんと修行したら人間になれるんだと思ってたんです。莫迦みたい」
くすっ。笑いながらも楊ぜんはひどく淋しそうだ。
莫迦みたい。そういいながらも。信じていたかったのだろう。きっと。いつかは――いつかは人間になれる日が来るのだと。いつかは――願いがかなうのだと。
太公望は楊ぜんの隣に腰掛けて、楊ぜんを抱き寄せる。
「おぬしはちゃんと人間になったではないか」
「師叔?」
「元がなんだったかなんてそんなのは関係ないよ。人間の姿かたちをしておっても、心が人間でないやつは沢山いる。おぬしは人間だよ」
「すぅす」
ぎゅぅっ。感極まっちゃった楊ぜんは太公望に抱きつく。
楊ぜんを抱きしめてやりながら太公望はちょっと考えた。
わしは、人間なのだろうか?戦争とは人が死ぬものだ。そして、犠牲になるのはいつだって力のない弱い一般庶民だ。それを起こしたわしは、果たして人間と呼ばれるものなのだろうか?
もしもこの戦いで楊ぜんが死ぬようなことがあれば、実際に手を下したのが誰であれ、楊ぜんを殺すのはわし、だ。
――ならば。
わしは人間ではない、か。
「わしはおぬしを幸せにはしてやれぬのぉ」
自嘲とほんの少しの哀れみをこめて太公望は呟く。
「じゃあ、僕が師叔を幸せにしてあげますね」
楊ぜんは顔を上げる。
ああ、なぜこんなにも無邪気に笑えるのだろう、楊ぜんは。
「幸せですか。師叔」
「おぬしが隣にいればいつだってわしは幸せだよ。楊ぜん」
まだ大丈夫だ。太公望はそう思う。楊ぜんが隣にいれば、太公望はまだ人間でいられる。
玉鼎には悪いが、やはりわしには楊ぜんが必要だ。
「ずぅっと、わしの傍にいてくれるか。楊ぜん」
楊ぜんは真っ赤になって、それでも小さく頷いた。
「玉鼎はわしが説得する。そしたらずっと一緒だ」
楊ぜんの耳元で囁いてみたりして。
「おぬしがいやだといっても離さぬぞ。わしはしつこいからのぉ」
きゃあ、と小さく悲鳴をあげて楊ぜんは逃げた。
「師叔の莫迦」
「何だ。ずっと傍にいてくれるのではなかったか」
「だって、師叔」
「まぁ、よい。おぬし、今日は玉鼎の傍にいてやったほうが良かろう。忙しくなればそうそう里帰りもしてられぬぞ」
子供にするみたいにくしゃくしゃ楊ぜんの頭を撫でてみたりして。
楊ぜんはきょとんとして、それから、はぁい、と返事をして、パタパタと部屋を出て行った。
後に残された太公望は、しばらく何か考えているようだった。
やがて困った顔して寝台の上の白いレースのネグリジェを摘み上げる。
「しかし、こんなもの。わしにどうしろと言うのだ?」
next.
novel.
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