ジューンブライド05



 床張りの体育館めいた修行場で玉鼎真人と太公望が対峙していた。それにちょっと後ろに下がってこちらは心配そうな面持ちの楊ぜん。
 空気は緊張をはらんでぴりぴりと痛いくらいだ。誰も何も言い出さないひと時の沈黙。
「太公望。いくつか質問がある」
 玉鼎真人は唐突にこう切り出した。
「なにか」
「楊ぜんのことが好きなのか」
「好きだ」
 太公望は心持赤くなったりしながらもきっぱりと言い切った。
「幸せにしてやれるのか」
「わしにできうる限りは幸せにしてやりたいと思っておる」
 一つ、玉鼎真人は息をついた。そのとたん、この場の張り詰めた空気が一瞬にして消えてなくなったように思えた。
「そうか……」
 考え込むような、哀愁とでもいうようなものを含ませて玉鼎真人は言う。覇気がなくなった代わりにその姿はひどく悲しそうにも見えた。
 やがてやんわりと玉鼎真人は微笑む。優しい目を自分の愛弟子に向けて。
「幸せにな。楊ぜん」
 その言葉が、二人の耳に染み込むまでのちょっとした沈黙。
「師匠?」
「玉鼎、それでは……」
 ほぼ同時に、太公望と楊ぜんは言葉を発した。
「許す……というのも変だがな。だが、楊ぜんの人生は私の人生ではないからな。楊ぜんがそうしたいというのならそれはもう、仕方がないだろう。この子は、言い出したらきかないから……。それに。楊ぜんの人生を勝手にきめてしまうほど私は傲慢ではないよ」
「師匠……」
 感極まった楊ぜんが玉鼎真人に抱きつこうとするのと、太公望が思わず楊ぜんを抱きしめようとしたのがほぼ同時で、その場はちょっとおかしなことになった。
 玉鼎真人は抱きついてきた愛弟子と、それから仕方なく一緒に近くにやってきた太公望を複雑な思いで眺める。やがて思い出したように口を開いた。
「ああ、そうだ。いい忘れていたことがある」
「なんですか、師匠?」
「人前でいちゃつくのはやめなさい」
 ほんの少し、太公望と楊ぜんはぎくっとする。
「それから、太公望が仙人の免許を取るまでキスより先は無しだ」
 楊ぜんはきょとんとし、太公望はほんのちょっと恨めしそうな顔をした。
「うぬぅ……」
「しかし残念だな、太公望。お前はもう仙人の実力くらい十分あるだろうに、少なくとも封神計画終了までは仙人の免許を取ることもできまい。思わぬことがアダとなることもあるものだ」
 ここで玉鼎真人がほんの少し嬉しそうに見えたのは、おそらく気のせいではないだろう。
 何はともあれ、こうして二人は無事に婚約者となったわけである。

 

    ☆

 

 そして二人は西岐に帰るところなのである。いくらなんでも二人いっぺんに西岐を離れたのはやっぱり不安だったから。楊ぜんは嬉しそうに、哮天犬の上は人前じゃないし、ということで太公望にくっついている。
 太公望はいそいそと『花嫁の父を説得する方法』という本の執筆計画を立てているようだ。自分の読みたい本を自分で書くことにしたらしい。
「ねえ、師叔。原始天尊様には報告に行かなくていいんですか」
 太公望にべったりくっついたまま楊ぜんは尋ねる。
「いや。原始天尊様はおそらくもう知っておるだろう」
 太公望は楊ぜんの髪を撫ぜながら答えた。
「え……どうしてです」
「千里眼があるからのぉ」
「やだっ。まさか」
 楊ぜんは小さく悲鳴をあげて太公望から少しはなれた。
「あのノゾキ趣味は、わしもやめさせようとしたのだがのぉ。あれが役立ってるのも事実だしのぉ」
 離れてしまった楊ぜんを少しだけ恨めしそうに眺めながら太公望は言う。
「あれって、趣味だったんですか?」
「八割は趣味だのぉ……」
 そして、力任せにぎゅうっと楊ぜんを抱き寄せた。

 はるか玉虚宮で大きなくしゃみの音が一つした。

 

    ☆

 

 そして舞台は西岐へと移る。
 あれから5日後、西岐城に珍しい訪問者があった。男の子にしては優しすぎる顔立ちに、ふわふわの空色のくせっ気。太公望の幼馴染、普賢真人である。彼は、プリンちゃーんっとわけのわからないことを叫びながら抱きついてきた素性のよろしくない男を軽くよけると、太公望と楊ぜんに満面の笑みを浮かべた。
「おめでとう。望ちゃん。それから楊ぜんも」
「ああ、その。おぬしどうして知っておるのだ?」
 太公望はまだ誰にもいった覚えがないし、楊ぜんも吹聴して回るひまなんかなかったはずだ。
「玉鼎が酔っ払って太乙にしゃべっちゃったんだよ。で、太乙がみぃんなに触れ回ったの。だけどね、望ちゃん。僕は一番初めに報告して欲しかったのに」
 普賢真人はちょっとすねたような顔をして見せた。
「すまぬのぉ。しかし唐突な話だったから。でもお祝いをいいにきてくれたのはおぬしが一番最初だ」
「急いできたんだもん。あ。楊ぜん、そんな変なの介抱しなくてもいいって。ほっとけば自力で起き上がるんじゃない」
 普賢真人の言うところの『変なの』は、たった今楊ぜんに支えられて起き上がったところだったりする。
「普賢。あれは武王だ」
「え……そうだったの」
 普賢真人は困ったように笑った。
「やいっ。太公望。てめぇばっかりプリンちゃんと知りあいだなんてずりーじゃねえかっ」
 邪険にされた姫発は横槍を入れる。
「知り合いじゃないよ。僕と望ちゃんは幼馴染だし。楊ぜんと望ちゃんはもうすぐ結婚するんだもんね」
 普賢真人はにっこりと微笑む。
「結婚!ちょっと待てよ、楊ぜん。それはマジか!」
 楊ぜんは真っ赤になって、それから小さくこくんと頷いた。
「好きなのか?こんなチビが?」
 そういって姫発は太公望を指差す。おぬし……。と太公望は小さく唸った。
 楊ぜんは今度は耳まで真っ赤に染めて、小さく言った。
「好きです」
「そっかぁ……」
 姫発はほうけたようにそう呟く。それから少し笑った。
「じゃぁ、仕方ねぇな。俺にはもうどうしようもねぇもんな。俺だってお前のこと相当好きだったんだぜ。でも、お前がそういうんなら仕方ねぇもんな」
 そして太公望をにらみつけてみる。
「太公望。てめぇ、楊ぜん少しでも泣かせたら死刑だからなっ。覚悟しとけ」
「わかった」
 太公望は頷く。
「そうだ。どうせならさ。結婚式挙げるんだろ。西岐でやれよ。俺がプロデュースしてやるぜ。祭りだ。何ならパレードでもするか?」
 こうしちゃいられねぇやっ。そう叫んで姫発は出て行く。太公望はそれを見て軽く笑った。軽く楊ぜんを抱き寄せてその耳に囁く。
「あやつ、相当無理しとるのぉ。相当おぬしに惚れとったのだのぉ」
「師叔……」
「いい気味だのぉ」
「師叔っ」
 楊ぜんはぎゅぅっと太公望のわき腹をつねった。
「いたたたっ。楊ぜん痛い」
 はぁっ。目の前で見せ付けられてる状態の普賢真人は一つため息をつく。
「ねぇ。人前でいちゃついちゃ駄目なんじゃなかったの?」
「おぬし、そんなことまで知っておるのか……?」
「うん。キス以上は駄目ってことも知ってる」
「うぬぅ……」
「普賢様。キス以上って何ですか?」
 あっけらかんと楊ぜんが尋ねた。
「へぇっ……ホントに守ってるんだ。望ちゃんも大変だね」
 くすっと普賢真人が笑ったので、太公望は思いっきり不機嫌な顔をした。楊ぜんはきょとんとしたまま。
「楊ぜん。それは望ちゃんに教えてもらいなよ」
 くすくすくす。普賢真人は笑う。
「普賢、おぬし……」
「何で?バレなきゃいいじゃない。僕は言いふらしたりしないよ。望ちゃんだってまさか、しましたって顔に書いて歩いてるわけじゃないでしょ。あれ、それとも望ちゃんってまだチェリーだっけ?」
「やめよ。普賢」
「わかってるよ。望ちゃんって、見かけによらずロマンチストなんだよね」
 面白そうに普賢真人が笑うものだから太公望はますます不機嫌な顔になる。楊ぜんはきょとんとした顔で、それを見ていた。
 一通り笑った後普賢真人は言う。
「まぁいいや。式の日取りが決まったら教えてよ。その前に取って置きのプレゼントがあるんだから。わかった?望ちゃん」
「何だ、おぬし。もう帰るのか」
「僕もいろいろと忙しいんだよ。望ちゃんは隣に楊ぜんがいれば寂しくないでしょう」
「しかし」
「僕は新婚さんの邪魔をするほど野暮じゃないって」
 手を振って歩いていく普賢真人の後を楊ぜんが追う。
「普賢様。途中まで送りますよ」
「いいよ、楊ぜん」
「でも」
 言いよどむ楊ぜんを普賢真人は手招きする。
「望ちゃんは淋しがりやだから、傍にいてあげなきゃ駄目だよ」
 きょとんとする楊ぜんに普賢真人はねっ、とウインクをした。くすっと笑って楊ぜんは頷く。
「はい」
「普賢。おぬし楊ぜんに何を吹き込んだのだ」
 追いついてきた太公望が慌てて尋ねる。
 普賢真人はにっこりと微笑んだ。
「内緒」
 そしてこの小さな台風のような太公望の幼馴染はあっという間に崑崙へ帰ってしまったのである。

 

    ☆

 

 さて、時は流れて式当日である。
 太公望と楊ぜんのたっての願いで、パレードはなくなりいたってシンプルな披露宴だけの式である。もっともこれは、あんまり騒がしくなりすぎると殷側に気づかれ奇襲でもかけられるとマズイからという理由もあった。崑崙が手薄になるものマズイので、仙人もあまり下りてきてはいない。いささか地味すぎる感じもある。
「せめて楊ぜんがドレスくらい着なきゃもりあがんねーだろーが」
 と、言うわけで姫発はちょっとご機嫌ななめだ。
「冗談じゃないですよ。僕は仮にも男ですからねっ。そんなもの着る訳ないでしょう」
「変化すればいいじゃん」
「嫌ですよ」
「それにしても普賢はどうしたかのぉ」
 太公望もきょろきょろしている。
「ちゃんと日取りは教えたのにのぉ。急用でも入ったかのぉ」
「楊ぜん。せめてちゃんとおめかしくらいしなさい。あんたが着飾んなきゃ、女の子たちだって着飾れないのよ」
 と、蝉玉が楊ぜんに食って掛かった。楊ぜんも太公望も道服のまんまである。
 そのとき。
「あ、間に合った?」
 声が響いた。
「普賢おぬし何をしておったのだ」
 太公望が声をかける。普賢真人がなにやら真っ白な布のようなものを抱えて入ってきたところだった。
「楊ぜん。ちょっと来て」
 普賢真人は太公望を押しのけると楊ぜんの手を取って走り出しす。
「普賢様?」
「普賢、ちょっと待て」
 太公望も慌ててその後を追う。普賢真人は小さな部屋の中に飛び込んだ。
「プレゼント。も、徹夜で縫ったんだから着てくれるよね。楊ぜん」
「ええと……あの」
「だから、ウェディングドレスだってば」
「でも僕は……」
 ドレスなんか着たくないといいかけて、楊ぜんは言いよどむ。普賢真人の腕の中にはなぜか太極符印があり、どうしたことか核融合なんて表示が出ていたから。
「普賢……おぬし」
 太公望は逆らわないほうが良いと楊ぜんに一つ頷いて見せた。顔が心持引きつっていたりする。
「着てくれるよね。楊ぜん」
 こくん。楊ぜんは頷く。こめかみから一すじ冷や汗が流れた。
「良かったぁ」
 にっこりと普賢真人は笑った。
「でもね、楊ぜん。僕、思うんだけど、ドレスってさ、結構からだの線が出るじゃない?胸がないと変なんだよね。確か部分変化は完成したんだよね?」
 くるくるくる。慌てて楊ぜんは首を振った。
「そっかぁ……じゃあ仕方ないな。雲中子に頼んで女の子になる薬って言うのをもらってきたんだけど。できれば使いたくなかったなぁ……」
 楊ぜんはさぁっと青くなる。
「普賢様っ。僕の思い違いでした。部分変化してみます」
 結局。半分鳴き声で楊ぜんはそう言った。
「そう。良かった」
 それから普賢真人は太公望のほうに向き直る。
「望ちゃん。ここは男子禁制だから出て行ってね。外に貸し衣装屋さんから借りたタキシードが置いてあるから、それ着て待ってて」
 自分の幼馴染の怖さを十分承知している太公望は、男子禁制も何もここにいるのはすべておとこであろう、とかそんな理屈は一切言わず。しぶしぶ出て行く羽目になる。
「普賢。楊ぜんをあまり困らすでないぞ」
 それでも、一応忠告を入れるのは忘れなかった。
「やだなぁ。そんなことしないよ。ねぇ、楊ぜん」
 楊ぜんはなんだか泣き出しそうな表情で頷いた。

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