SnowWhite
前編
昔々のお話です。とある国のお妃様の話からこの物語は始まります。
その時、お妃様は刺繍をしていました。冬の寒い日のことで、雪が降っておりました。お妃様は手がかじかんで、自分の手を刺してしまったのです。白い白い雪の上にぽたり。真っ赤な血が落ちました。
「まぁ、なんて綺麗なのでしょう」
お妃様は祈りました。
「この雪のように白い肌をして、この血のように赤い唇をして、黒檀のように真っ黒な髪を持った女の子が産まれますように」
お妃様はとても美しい方で、国中の人から愛されていたのですが、不幸にもまだ子供がいませんでした。普通、その場合欲しいのはまず男の子なのですが、お妃様はあまり細かいことを気にする性質ではなかったのです。
やがて。お妃様は可愛らしい赤ちゃんを産みます。雪のように白い肌と血のように赤い唇、そしてぬけるような青い髪をした男の子でした。
「まぁ、嬉しい。私の願ったとおりの子供だわ」
お妃様はそれはそれは喜んで、男の子に楊ぜんという名前を付けました。
繰り返し言いますが、お妃様はあまり細かいことを気にする性質ではなかったのです。
そして楊ぜんは「私どうしても、女の子が欲しかったの」というお妃様の意向と、お妃様にはとても甘い王様との間でお姫様として幼少時代を幸せに過ごしたのでした。しかし、楊ぜんの幸せはあんまり長くは続かなかったのです。
楊ぜんが十四歳のときに優しかった母は亡くなり、楊ぜんの父、通天教主は新しいお妃を迎えます。新しいお妃様は妲己という名の大変な美人でした。しかし、楊ぜんはどうしてもこの美しい継母が好きになれなかったのでした。
さて、妲己は結婚するときに大きな姿見を持ってきました。妲己はこの鏡に王天君という名前をつけていたのですが、これは実は魔法の鏡なのです。
「王天ちゃん、王天ちゃん。この世でもっとも美しいのはだあれん?」
「そりゃあ、あんただよ」
素行の悪い鏡は本当のことしか言いません。妲己は何でも一番でないと気がすまないのです。それを聞いて妲己は安心します。
「そお。そうよねん」
だけれど楊ぜんが十六歳になったとき王天ちゃんは言いました。
「あんたも綺麗だけどよぉ、でも一番美しいとなると今は楊ぜんじゃねぇか」
妲己は怒って王天ちゃんをパリンと割りました。王天ちゃんは実は三枚あるのです。だから一枚くらい割ったって妲己は平気です。
「だけどん。あのナマイキな小娘がわらわより美しいなんて許せないわん」
ならば、殺してしまえばいい。妲己はそう考えました。
そこで妲己は自分の友人でもあり、狩が趣味だという趙公明に森の中でうっかり間違って楊ぜんを殺してくれるように、頼んだのでした。
「はーっはっはっ!君の頼みなら断れないね、妲己」
そして、道徳観念にいささか問題のある趙公明はあっさりと承知しまったのです。
そんなことが密約されているとはつゆしらず、楊ぜんは森で遊んでいました。美しくかわいらしいお姫様は国中の人気者でしたが、そのせいでいささか近寄りがたい気がするのでしょう。楊ぜんは友達もおらず一人ぼっちでした。大好きな父上も妲己がきてからは、楊ぜんの話し相手になどなってくれません。その上、通天教主はこの頃、重い病気で倒れているのです。楊ぜんがお見舞いに行きたくてもうつるといけないからと会わせてももらえないのです。
「お父様……」
楊ぜんは、はぁっとため息をつきました。華やかな顔立ちの中に憂いを含んだ不思議な紫の瞳が悲しそうにゆれています。ほっそりとした手足に過度の飾りのついたドレスはいっそ野暮ったく、銀のチェーンのネックレスですら楊ぜんには重たそうに痛々しく見えるのでした。
そこに誰か人がいたら、思わずはっと息を飲んだことでしょう。そのくらい楊ぜんは美しく成長していたのです。
否。実際に人がいたようです。
カサっと、音がしました。
「誰ッ!」
楊ぜんは驚いて振り返ります。
「はーっはっはっはっ!」
奇妙な笑い声と共に、とても狩に向くとは思えないゴージャスな服装をした男が現れました。気のせいかゴージャスで趣味の悪い音楽まで聞こえた気がしました。男はなぜかヤマユリの花束を持っていました。
うわっ。変体ッ!
楊ぜんは思いました。そして逃げようとしたのですが一瞬遅く、変体に手首をつかまれてしまったのです。
「はーっはっはっはっ。僕は……そうだね貴族Cとでも名乗っておこうか。妲己に頼まれてね。君を殺しに来た」
楊ぜんは一瞬身を硬くしました。
「だけど気が変わったよ。君は美しい。僕は美しいものをコレクションするのが趣味なんだ。君はその最たるものになれると思う。僕の花嫁になりたまえ。パリのお城で一緒に暮らそう!」
冗談じゃありません。
「嫌ぁ。離してっ」
楊ぜんが何とか逃げ出そうとあがいてる隙に、趙公明は銀のネックレスをはずしてしまいました。
「何するんですか。返して!」
「莫迦だな、マドモアゼル。これを妲己に君の形見だといって渡せば疑われないじゃないか。さあ、楊ぜん僕と一緒にゴージャスな毎日を送ろう」
「嫌だぁ。おまえなんかと暮らすくらいなら死んだほうがマシだぁ」
「はーっはっはっはっ!」
趙公明が笑ってる隙を突いて楊ぜんは逃げ出しました。
「ふっ。困った子猫ちゃんだな。全く。どうして素直になれないのだろう。そういうところも可愛いと思うけどね。君が素直に僕に心を開いてくれるようになるまで、僕はいつまでだって待ちつづけるよ、ハニー」
結局、趙公明はどこまでも自分本位なのでした。
一方。逃げ出した楊ぜんは完全に森の中で迷子になっていました。あの変体から少しでも遠ざかることしか考えていなかったのです。森の中はどこもかしこも同じように見えます。
「どうしよう……」
心細くて楊ぜんは呟きました。それは森の闇の中に吸い込まれて、楊ぜんの孤独をいっそうあおっただけだったのですが。
森の奥深くに入り込んでしまったせいなのか、それとも夜が近づいてきているせいなのか森は一段と暗く淋しくなってゆきます。こんなところでどうやって眠ればいいのだろう。お姫様育ちの楊ぜんには、野宿など考えただけでぞっとします。それに。もう楊ぜんはお城には帰れないのです。帰ったところで継母妲己に殺されてしまうのですから。
もうお父様にも会えない……。
楊ぜんは淋しくて疲れきっていて、ついでに途方にくれていたのです。
こんなときに気弱になっちゃいけない。楊ぜんは健気にもそう考えるのですが、意に反して涙はあとからあとから流れてくるのでした。
それからどのくらいたったでしょう。泣きながら歩きつづけた楊ぜんは、小さな家を見つけたのです。心細くてたまらなかった楊ぜんは嬉しくて小走りにかけていきました。
とんとん。ドアをノックします。
「誰かいらっしゃいませんか?」
返事はありません。そぉっとノブを回してみると、鍵はかかっておらず戸はスムーズに開きました。
ドアを開けた楊ぜんはちょっとびっくりします。中には可愛らしい家具が並んでいました。テーブルに椅子が七つ。ベッドも七つ。そのどれもが子供が使うものみたいに小さいのでした。
「誰もいないのかな……?」
楊ぜんはとにかく疲れ果てていたので、この家で休ませてもらうことにしました。ベッドをくっつけて横になります。そして楊ぜんは無防備にも眠ってしまいました。
七人の小人たちは自分の家に帰ってきます。小人たちはこの森で樵として暮らしていたのでした。だけれど、おかしい。誰もいないはずの部屋に人の気配がする。実は楊ぜんが勝手にあがりこんで眠ってしまった家こそが、この小人たちの家なのでした。
「あーッ。誰かがあたしのベッドで寝てる」
見事に眠りこけてる楊ぜんを見て小人たちは口々に言いました。
「誰だ、これ?」
「綺麗な人さね」
「可愛い人ですねっ」
「見て見て。お肌がとっても綺麗」
「こんな髪の色見たことねーや」
「疲れてるのかな?だから寝てしまったのかな」
「怪我をしてるのかもしれないよ。起こさないほうが良いよ」
さすがに耳元で騒がれたせいか、うーんっと身じろぎして楊ぜんは目を開きます。見ようによっては濃いブルーにも茜色にも見える不思議な紫の瞳が小人たちを映しました。とたん。楊ぜんは真っ赤になりました。見ず知らずの人の家に勝手に上がりこんでそこで眠ってしまったのですから。
「ごめんなさい」
その様子があんまり可愛らしかったものですから、小人たちは快く楊ぜんを許してあげました。
「一体どうしたの?」
小人の一人、普賢真人が優しく尋ねました。
「君はどこから来たの?」
そこで楊ぜんは妲己に殺されそうになったこと、変体にさらわれそうになったことをさめざめと話しました。話しているうちに悲しくなってきて楊ぜんはまた少し泣きました。
「そりゃ、ひどい王妃様さね」
天化は憤慨したように言いました。
「おうッ、ぶった切ってやる」
姫発が叫びました。
「楊ぜん、大丈夫だ。俺が守ってやるから俺と二人でこの家で暮らそう」
「ちょっと、韋護。あんたどさくさにまぎれて何言ってるのよ。それじゃあたしたちはどうなるの」
「そーだよ。プリンちゃん独り占めなんてずりーじゃねぇかっ」
「楊ぜん君、具合は悪くないかい?」
「太乙様っ!あーた、どさくさにまぎれて楊ぜんさんに何するさ!」
「違うよ。誤解だよぉ、これは診察だよぉ」
小人たちはにぎやかです。さっきまで泣いていた楊ぜんもおかしくなってついクスクス笑い出しました。小人たちも笑いました。
「楊ぜん、行くとこないんだろ。ならここにいろよ。一緒にくらそーぜっ」
姫発が言いました。みんながそうすると良いと頷きました。
「でも、僕お邪魔じゃないですか」
「そんなことあるもんか。プリンちゃんなら大歓迎だ」
そうして楊ぜんと七人の小人たちは一緒に暮らすことになったのです。
☆
さて。お城では。
趙公明に渡された楊ぜんのネックレスを妲己はぽいっとごみ箱に投げ入れました。
「もぉ、趙公明様ったら気が利かないんだからん。どうせなら楊ぜんちゃんの生肝でも持ってきてくださればよろしかったのにん」
「恐ろしい人だね、妲己」
「これくらい普通ですわん」
「だけど、僕はうっかり間違って楊ぜんを撃ってしまったのだから、生肝を取り出すのはおかしいだろう」
「あら、じゃあ死体はどうしましたのん」
趙公明はちょっと言葉に詰まりました。趙公明は楊ぜんを殺さなかったのですから、もちろん、死体などあるはずがないのです。
「きっと今ごろは、狼たちが食べてしまったのじゃないかな」
「いい気味ですわん」
妲己はにっこりしました。
「趙公明様はこれからどちらへん?」
「フランスに行くよ。美しいフィアンセを見つけたんだ」
「そう。……そのフィアンセは、わらわよりも綺麗な方ですのん?」
「まさか。比べるまでもないよ」
「そう」
妲己は趙公明の去っていく後姿をじっと眺めていました。やがてくるんとせをむけます。王天ちゃんのもとに行くのでした。
そしていつもの呪文が始まります。
「王天ちゃん、王天ちゃん。世界で一番美しいのはだあれん?」
「あんただって言いたいとこだけどよぉ。趙公明の奴裏切ったぜ。楊ぜんは小人に拾われてまだ生きてるからな。楊ぜんだ」
妲己は面白そうにくすっと笑いました。
「そぉ。そんなことだろうとは思ってたけどねん」
「いいのかよ」
「だって、一回で殺しちゃうなんてつまらないでしょおん」
暗い暗い部屋の中で、まるで夜行性の動物のように妲己の瞳はぴかりと光ったのでした。
next.
novel.
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