蜥蜴



第一章 犯罪予告



 崑崙探偵事務所。扉にはだいぶはげかかった金文字が並んでいる。武吉は勢い良くその扉を押し開けると、驚いたように足を止めた。
「あれーっ。お師匠さまどーしちゃったんですかぁ」
 彼の師であり、この探偵事務所唯一の探偵は机の上にぼーっと手をつき天井を見上げてしまらない顔つきでぽかんと口を開けていた。
「ああ、武吉君どうしたの?」
 やわらかい微笑みとともに現れた普賢真人は探偵の幼馴染であり、この事務所の事務一般を請け負っている。綺麗な顔にみな最初は男装の美少女かとも間違えるが、これでも男の子であり、そして、どうも自分が女に間違えられることを面白がっているふしがある。
「また蜥蜴が出たって!」
 息を切らせて武吉は叫んだ。ずっと走ってきたのである。
 普賢真人はくるりと太公望を振り返る。
「だって、望ちゃん。どうするの?」
 しかし、呼ばれた太公望は天井を見つめたきり無反応だ。
 普賢真人はくすっと笑った。
「駄目だよ。お師匠さまはそれどころじゃないって」
「トカゲなどどこにでもおる。放っておけ」
 芯のないような声が聞こえてきて、普賢真人はまたくすくすと笑った。よく笑う人なのである。
「違いますよー。お師匠さまぁー。蜥蜴ッ!泥棒のほうですよぉ!」
 武吉は困ったように声を張り上げた。
 蜥蜴と言うのは、昨今世を騒がせている泥棒のことだ。もっとも、泥棒と言っていいかどうかは定かではない。なぜなら、宝石は勿論のこと、動物、果ては人間まで誘拐するのだ。しかし、札束には目もくれない。そして、ふざけたことに盗んだ後に口紅でメッセージを残していくのである。
 そのひとを莫迦にしきったような、遊んでいるとしか思えない手口が最近刊行された江戸川乱歩の小説『黒蜥蜴』に登場する女盗ににているということから、巷では蜥蜴と呼ばれているのだ。もっとも、実在の蜥蜴が黒蜥蜴のように誘拐した人間を剥製にして地下美術館に飾っているのかどうかまでは定かではない。
「別にわしは調査を依頼されたわけではないし、それに、日本国には警察がおるであろう。わしは人の仕事を奪うほど不遜なことをする気はない」
 ぼーっとして見えても、話はしっかりと聞いていたようで、探偵、太公望は実にもっともな答えを返してきた。
「駄目ですよ。警察なんか、もぉ全然あてになんないじゃないですか!お師匠さまがいつもみたいに、すぱっと解決してくれなくちゃ!」
「どーして、いっつもいっつも。わしがタダ働きをしなくちゃならぬのだっ!もぉ金輪際わしは働かぬっ。決めた!事務所も閉める。武吉そういうことだッ!」
 太公望はふんぞり返って椅子の上でばたばたわめき散らした。その様子だけ見れば、子供が駄々をこねているようにしか見えなかった。とても数々の何事件を解決してきた名探偵になど見えない。
「そんな、お師匠さまぁ」
「武吉君。今はやめておいたほうがいいよ」
 普賢真人は部吉の肩にそっと手をかける。
「望ちゃんは今本当にそれどころじゃないんだ」
 それから何かをこらえるようにこえをひそめて。
「恋煩いなんだよ」
 たまらなくなったようにけたけたと笑い出した。
 武吉はきょとんとする。それから化け物でも眺めるようにじろじろと自分の師の顔を見た。
「うるさーいっ!」
 太公望の声が狭い事務所じゅうに響き渡った。

 そう。恋煩いなのだ。
 笑ってはいけない。男心はナイーブなのである。

 武吉はきょとんとした目で普賢真人を見つめた。普賢真人もまたきょとんとして自分自身を指で指す。こくん、と武吉が頷く。くるくると勢い良く普賢真人は首を振る。
「じゃ、誰なんですか?」
「武吉君サーカスって見る?」
「え?ああ。そういえば帝都に金鰲サーカス団が来てますよね。僕は見ませんでしたけど」
「そっか。じゃ、知らないかな。そこの踊り子にね一目ぼれ」
「普賢おぬし余計なことを言うでない」
 不機嫌そうに太公望が口をはさむ。
「あ、その人知ってますよ。僕。青く髪染めた人ですよね」
「え、知ってるの?」
 きょとんとして聞き返した普賢真人と顔を上げた太公望に武吉ははっきりと答えた。
「はい。だって今回の蜥蜴のターゲットですから」
 普賢真人は再び太公望を見る。太公望はばたんと椅子から立ち上がったところだった。
「おぬしどーしてそんなことがわかるのだっ!」
「だって、犯罪予告が届いたんですよ」
「予告だぁ?そんな頓狂なもの今まで蜥蜴の奴はださなかったではないかっ!」
「でも『小説の黒蜥蜴ちゃんは、予告状出してるみたいだし、わらわも面白そうだから真似してみることにするわん。無駄だと思うけどがんばってねん』って」
「……。おぬし気味が悪い」
「だって、新聞にそう書いてあったんですよ!」
「だからって何も口調まで……いや。それはともかく新聞に掲載するとは、いよいよ警察は蜥蜴に遊ばれておるのぉ」
「望ちゃん」
 普賢真人はすくっと立つと太公望の外套を手に持ってそっと太公望にかける。
「行くんでしょう?」
「うぬ。ここまで遊ばれておるのを放っておくのも哀れだからのぉ」
「お姫様を助けに駆けつけるんだよね」
 そういうと普賢真人は太公望が耳まで真っ赤になるのを確認してからけらけらと笑い出した。



     ☆



 金鰲サーカス団は銀座の有名ホテル1に部屋を取っていた。東京公演中はここにいるのだろう。
「サーカスとはそんなに儲かるものなのかのぉ……」
 どうも、夜店の見世物と区別のできない太公望である。
 ホテルを見上げてため息をつくと、電話番号を控えていったん外に出る。それから近くの店によって電話を借りた。ついでに新聞も確かめる。
「ほぉ、団長は通天教主というのか。変わった名だのぉ……。踊り子は楊ぜん、か。この二人は親子なのか……似ておらぬのぉ。他には、趙公明と……」
 ぶつぶつつぶやいていると店の主人に軽くにらまれた、慌てて太公望は電話をかける。軽く咳払いした。
「もしもし。そちらにとまっているはずの楊ぜんにつないでほしい。わたしは趙公明だ。急用なので早く」
 しばらくして耳に心地よい声が聞こえた。
「公明様?何の御用です」
 危ない賭けだったが上手くいったようだ。太公望は正式に依頼された探偵ではないからホテルの部屋まで突き止めるのは、難しかったわけだ。それでこういう手を使わせてもらった。
 蜥蜴の予告状で、緊張しているホテルにいきなり楊ぜんの部屋を教えろと言ったところで教えてもらえるはずもない。ただホテル側の人間が趙公明とかいう男の声をはっきりと覚えていた場合にはこの手も通用しないわけだが。
「急用ではないのですか?からかってらっしゃるのですね」
 どうやら、趙公明とかいう男は楊ぜんにはあまりよく思われていないらしい。怒ったような声が可愛らしく受話器から響いた。
「わしは探偵だ」
 受話器の向こうではっと息を呑む気配がする。
「公明様じゃないの?探偵?わかった。お父様が雇ったんだね」
 楊ぜんは勘違いしているようだ。その勘違いに乗せてもらうことにする。
「そうだ。今からそちらに向かうゆえ……」
 途中まで紡いだ台詞は楊ぜんの早口な声にさえぎられた。
「余計なことを……。わかった。待ってて。どこにいるの?今からそっちに向かうから」
「ま、待て。おぬし誘拐されそうなのであろう?」
「そんなのお父様が騒いでるだけだよ。いいから。今ロビーにいるの?そこ行くから。動かないでよ」
 それだけ言って一方的に電話は切れた。
 どうも剣呑な感じである。サーカスの花はいたく怒っているようだ。
 太公望は店の主人に礼をいい、ホテルのロビーに向かいながらつぶやいた。
「……まずかったかのぉ……」

 ホテルのロビーには人があふれていた。太公望は外套を脱いできょろきょろとあたりを見回す。まだ楊ぜんは来ていないのだろうか。もっともこれだけ人がいれば探すのは大変だろう。楊ぜんの青い髪は非常に目立つが、あれは鬘か何かなのかも知れない。染めているとは思えないほど鮮やかな青なのだ。
 しかし、それは杞憂だったようで、楊ぜんはあの人目を引く青い髪のまま現れた。太公望は軽くてをあげて合図を送る。楊ぜんが現れたとたん、いっせいに人の視線がそちらへ流れた。
 サーカスでの衣装のように身体の線を浮き立たせるぴったりしたものではなく、裾のたっぷりある上品な薄紅のドレスを着た楊ぜんはまるで本物の貴族のお姫様のように見えた。あの、白に近い薄い赤が楊ぜんの白い肌にも鮮やかに映えている。白人の白さとは違うが楊ぜんは透けるように色が白い。
 細い手足に、性別をうかがわせないしなやかなからだ。少年とも少女ともつかない独特の妖艶さ。そんな、サーカスでの印象との違いに太公望はほぉ、とため息をついた。衣装一つでここまで印象が変わるものだろうか。
 ただ一つ残念なのはお姫様はひどくお怒りのようなのである。
 お姫様にしては乱暴な足取りで楊ぜんは太公望のもとに歩いて来、そしてちょっと驚いたような顔をして立ち止まった。
「嘘」
 ぽつんとつぶやく。
「探偵とは、太公望先生でしたか」
 不覚にもぼぉっと楊ぜんに見とれていた太公望は慌てて頷く。
「ほぉ。わしの顔を知っておるのか。予告状が届いたそうだな」
 楊ぜんはこくんと頷いた。もう怒ってはいないようだ。
「予告状といいますか」
 楊ぜんはそういいながら、持ってきたハンドバックの中を探った。
「このようなものが毎朝枕もとに届くんです」
 楊ぜんははがきくらいのカードを取り出す。口紅のような赤いもので3と書かれていた。
「昨日は4でした。日をおうごとに数字が一つずつ小さくなるんです」
 つまり、数字が1になったときに楊ぜんを誘拐すると言うのだろうか。凝っているというか、莫迦莫迦しいと言うか……。しかし、誘拐される本人にはたまったものではないだろう。とすると、精神攻撃の意味合いも含めてくるのだろうか?
「いつから始まった?」
「先週から。はじめは10と書いてあって、でもそのときはなんとも思わなかったんです。ただ数字が下がってくるとさすがに……」
「予告はここには届かなかったのか?」
「父が処分してしまったのかもしれません。僕に当てた手紙はすべて父が一度目を通しますから」
「窓は?」
 楊ぜんは首を振る。
「毎日鍵はきちんと閉めているのですけれど、朝になるとあいています」
「蜥蜴は窓から侵入か」
「そうですね。ドアはいつも閉まっていますから。でも、僕の部屋。最上階ですよ」
 くすっと楊ぜんは笑った。
「蜥蜴は女性なのでしょう」
「手下がおるよ。たくさんのぉ」
「さらわれたら、乱歩先生の黒蜥蜴のように僕を美術館に展示してくれるのでしょうか?」
「わしは探偵小説など読まぬよ」
「黒蜥蜴は探偵に恋をするんです」
「くだらぬ」
「蜥蜴も綺麗な方なのでしょうか?」
「興味ないよ。あやつがしてはならぬことをしているのは事実だ」
 くすっと楊ぜんは微笑む。そして歌うように言った。
「人間を剥製にするのはどうするのでしょうね。刃物で刺すのは駄目ですよね。傷がつくもの。毒も駄目です。変な斑点が出る。ねぇ。注射器みたいなものでゆっくり血を抜いていくと言うのはどうでしょう?それならばそんなにいたい思いをしなくてすむのかも。ああ、これはいい考えですね」
 太公望は眉をひそめる。目の前の美少女の言っていることが上手く飲み込めない。だって、これではまるで――
「おぬし何を言っておるのだ。まさか剥製になりたいわけではなかろう?」
 しばらくの沈黙。
「それも悪くないかも」
 ぽつんと楊ぜんは言った。透明な瞳をしている。そう思った。
 それから、楊ぜんはにっこりと微笑む。
「でも、憧れの太公望先生に会えましたから。蜥蜴に狙われるのも悪いことばかりじゃないですね」
 憧れの。という台詞に太公望はどぎまぎし、結局剥製云々の話はなし崩しになってしまった。
「と、とにかく。おぬしが狙われている以上、一人で寝かせておくのは危ない。誰かと一緒に休むように」
「予告が1になるまでは安全なのではないのですか?」
「いや。油断させる罠なのかも知れぬ。現におぬしの部屋には簡単に忍び込まれているわけではないか」
「でも、蜥蜴は僕を誘拐するつもりなのでしょう。忍び込むのと誘拐するのでは全然違いますよ」
 楊ぜんは不服そうに言う。
「おぬし……。危機感がないのぉ。とにかく、さらわれたくなければわしの言うことを聞け」
「さらわれてもかまわないって言ったら?」
 太公望は少し言葉に詰まる。ほんの少し、楊ぜんの態度が腹立たしい。
「ではわしは事務所に帰って寝るだけだ」
「待って」
 ぎゅっと、楊ぜんは太公望の手首をつかんだ。とくん。と心臓がはねた。
「だったら。あなたが一緒にいて」
「な……」
 からかわれているのかと思って見つめた楊ぜんの瞳は軽く潤んでいた。ブラックホールのようだ。吸い込まれていく。
「しかし」
「探偵なのでしょう。依頼人の頼みを聞くものなんじゃないですか」
「おぬしに依頼された覚えはないよ」
「なら、僕がこの場で依頼料を払います。いくら?」
「金など要らぬ。わかったから。もうよい。ただし、わしは紳士的な明智ではないかもしれぬぞ」
 太公望はせいぜい脅すようにそういった。
 サーカスの花は鮮やかに微笑んだ。
「かまいません。でもサーカスの人たちと一緒にいるのは嫌」
 微笑の奥に何があるのかまでは見えなかった。

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