蜥蜴
第六章 秘密
誰もいない探偵事務所は、当の太公望が驚くほどにひっそりとしていた。アンティークと言うよりは、ガラクタのような壊す寸前の洋館から無理を言ってもらってきた猫足の小さな机や、古い本棚。そこにぎっしりと詰め込まれた、実はほとんど読んでいないままの参考文献。すべてが全く違うもののように見えるのは、そこに普賢真人や武吉がいないからなのか、それとも浅草のおぞましい見世物のせいなのか。
鍵をあけ、軽く息を吸い込むと太公望は楊ぜんを大きなソファーに座らせた。これは普賢真人がどこからか買い叩いてきたものだ。本人は店の主人がまけてくれたんだと言い張っていたが、太公望はいまだにそれを信じてはいない。
英国製のソファーは二人がけらしいが、太公望が寝転がってもまだあまる。仮眠時のベッド代わりに使っていつも普賢真人に落とされている。
「今、茶を持ってくるから」
太公望はそう言って簡易の流しにお湯を汲みに行こうとしたのだが、楊ぜんが服のすそを離してくれなかったために結局中腰でとまる羽目になった。
あのおぞましい悪夢のような見世物から逃げる途中で太公望が楊ぜんを引っ張ったせいだろうか、藤色の着物は綺麗に右の袖が取れてしまっていて、どきりとするほど白い二の腕が覗けた。
「ああ、済まぬ。せっかくの着物が台無しだのぉ……」
楊ぜんは右手で太公望の服の袖をしっかりとつかみ、左手をひざの上で硬く握り締めてうつむいている。
「警察に電話を……」
「行かないで」
太公望はしばらく迷った挙句、楊ぜんの隣に腰掛けた。
「もう、大丈夫だから。楊ぜん」
太公望は楊ぜんの背中を軽く撫でる。
「僕ね。僕ずっと考えていたんです」
「楊ぜん?」
「どうしてあの女優はステージに上がることを拒まなかったんだろう。抵抗しなかったのだろうって」
「楊ぜん止めよ」
嫌な兆候だ。
「ねぇ、あの人はあきらめていたんじゃないですか。絶望してもうどうにでもなれと思っていたのでは?蜥蜴は一体あの人に何をしたのです」
「違う楊ぜん。あれは麻薬だ」
「でも!麻薬は跡が残るのでしょう。肌だってしわしわになるのでしょう」
「そうなる前だったのやも知れぬ」
「だって、麻薬だったら痛みを感じないはずじゃないですか!」
あの耳に残るすさまじい悲鳴。とても人間の者とも思えない凶暴な音。
楊ぜんはひたすらしゃべりつづける。まるで何か話していないと気が狂ってしまうと思っているかのように。
「生きながら、身体をばらばらにされるのってどんな気分なのでしょうね。自分の腕がなくなるのってどんな感覚なのでしょう。ねぇ不思議に思いませんでした?首を切り離されてもしばらくの間は人間の頭は生きているのじゃないかって。あの人は一体どこで、どこが切り離された時点で死んだのでしょう」
「楊ぜん。落ち着け!」
太公望は楊ぜんの肩をぎゅっと押さえつけた。楊ぜんの瞳は太公望を映していない。
「ねぇ、太公望先生。僕も……」
「考えるでないっ」
楊ぜんはその太公望の大声にびくっとして、太公望の瞳を見つめた。
「あんなふうに死ぬのは嫌なんです。だけれどすごく惹かれるんです」
太公望はそっと楊ぜんに口付ける。わずかに触れるだけの接吻をして。そっと楊ぜんをソファーの上に押し倒す。
楊ぜんは拒まなかった。
ただ手を伸ばして太公望の頬を両手で包んだ。
「後悔しますよ。あなたは何も知らないから」
楊ぜんの両目は良く見ると紫がかって見える。透明な瞳がこちらをじっと見つめる。静謐な森の奥にある湖のようだ。淀みなくひどく冷たい。何故こんなにも冷たいのだろう。
「しないよ。後悔など」
「僕のことが嫌いになります」
「なるわけなかろう」
楊ぜんは首を横に振った。
「それでも、一瞬の幸せが得られるのなら……」
楊ぜんはそっと目を閉じた。透明ななみだが、右の目から頬を伝い落ちていった。太公望はその涙の後を追ってそっと口付けた。楊ぜんの長い睫がわずかに震えた。
楊ぜんの襟をつかんで左右にぐいっと開く。その反動でびくんと楊ぜんの身体が反り返る。薄いながらも白くなめらかな胸がこぼれ太公望は感嘆とともにそっと胸の白いふくらみを手で包んでみる。頬を寄せてやわらかさを確かめるように。あッ。と小さく楊ぜんが悲鳴をあげた。
まるで処女のようだ。否、本当に初めてなのか?
顔を上げれば、おびえるように目を開いた楊ぜんと目が合った。楊ぜんは残った左の袖でさっと顔を隠してしまう。
耳元で囁いて見る。
「可愛いよ。楊ぜん」
びくっとして楊ぜんは隠したままの顔をそむけた。
太公望はかまわずにうなじをたどり白い肩に顔をうずめる。抱きしめて楊ぜんの肌を味わう。背をなぞるとびくりと反応する。接吻を落とすと楊ぜんはくすぐったがるように身をよじった。どこもかしこも楊ぜんの身体はやわらかい。再び左手を胸に伸ばし親指のはらで中心を転がすと、熱い吐息が漏れた。
ぞくりとする。
もう一方の胸の半分硬くなりかけたものを口に含んだ。
「あッ。だめ」
拒否の声すら耳には甘い。
舌先で転がし指のはらで弄ぶ。楊ぜんは逃げようとするように身をひねり太公望はそうさせまいと楊ぜんを押し付ける。力の入らない腕で楊ぜんは太公望の髪の毛を引っ張った。
太公望は仕方なく顔を上げる。
と、楊ぜんの瞳と目が合う。今にも泣き出しそうな、何か訴えるかのような瞳に引かれて太公望は楊ぜんに口付けた。触れるだけのつもりだったそれは段段深くなり、太公望は楊ぜんのやわらかい舌をそっと追いかける。楊ぜんは苦しそうに眉を寄せ、それでも懸命に太公望に応えた。
太公望は楊ぜんに口付けながらも、楊ぜんの帯を解こうと手を伸ばす。が、複雑に結ばれた帯はとても太公望に解けるものではない。楊ぜんが手をのばして自分から帯を解こうとする前にじれた太公望はすそのほうに手を伸ばした。すそを乱して楊ぜんの白い太もものあたりに手を置くと楊ぜんはびくりと反応し、軽く頭を振って唇から逃れた。青い髪がばらりとソファーの上に広がる。
接吻のせいで赤く充血した唇はぬらぬらと光りひどくなまめかしい。
浅く、せわしくなる呼吸を何とか整えようと無駄な努力を図りながら楊ぜんは太公望の手に自分の手を乗せる。
「だめ……やっぱり……駄目です」
「どうして?」
「あ……あなたが。好きだ……から……。嫌われたくない……っ」
「嫌わぬ。誓うよ」
一体楊ぜんに何があると言うのだ?
「嘘」
「何があっても後悔などせぬ。わしもおぬしが好きだから」
それに、男には途中で止められるととっても情けないことがあるのだ。
自分でしたこととはいえ、ソファーに横たわり袖の取れた藤色の着物の胸をはだけほとんど太ももの上のほうまで足が見えている状態の楊ぜんは見ているだけでもひたすら目の毒だったのである。
楊ぜんは困ったような微笑を見せた。それはどちらかと言うと太公望の誓いを信じたと言うよりも、裏切られてもしょうがないと半ばあきらめるようなたぐいの微笑だったが。
楊ぜんはそっと太公望の手を取り、それを自分の両足の奥へと導いた。
「僕は化け物なのです」
今度は涙は落ちなかった。
一瞬。何が起こったのかわからなかった。
そこにあったものは明らかにどうあっても楊ぜんにあるはずのないもので、それはつまり小ぶりながらも男性を表すはずのもので。しかしその奥には確かに女性であるところのしるしもあるのだった。
両性具有。男でも女でもないもの。
化け物。
では、これがつまり楊ぜんの秘密であり、金鰲の秘密であったのか。
――一人ぼっちで。
そういったときの楊ぜんの反応。
――本当はね。僕は蜥蜴が興味を抱くには一番遠いところにいる人間なんです。
あれはこういうわけだったのか。
投げやりな台詞も、冷たい瞳も。
楊ぜんはあきらめきったように遠くを見ていた。すそを直そうともしなかった。
太公望は一つため息をつくと楊ぜんに軽く口付ける。
驚いたように楊ぜんは太公望を見上げた。
「今のはどう考えてもおぬしが誘ったのだから後悔するでないよ」
「……え……?」
呆けたように楊ぜんはつぶやく。
太公望はそっと楊ぜんの奥に指を差し入れた。そこはわずかに濡れはじめ、ひそかに息づいていた。
「な……いやっ!」
「おぬしが誘ったのだって言っておるだろう。にしても、おぬし、どー考えても処女であろうのぉ。ちと痛いかも知れぬが気にするでない」
とんでもないことを言って太公望は楊ぜんをそっとなぞる。楊ぜんは歯を食いしばってぎゅっと目を閉じた。足に力が入りすぎて痙攣したようになる。
太公望は困ったように笑うと
「楊ぜん」
名前を呼んだ。
接吻を贈って抱きしめる。楊ぜんはぎゅっと太公望にしがみついた。
「どうしてですか……僕は化け物なのに……」
「それでもわしはおぬしに惚れておる」
背中を抱きしめていた手はやがて、背筋をなぞり楊ぜんの細い腰を抱きしめ、やがてそれも下のほうに移っていく。太ももに手をおきゆるくなぞると楊ぜんはわずかに足の力を緩めた。そこに無理やり太公望は割ってはいる。あッ。と楊ぜんは短く声をあげる。戯れに胸に愛撫を加え、わざとさっき楊ぜんがの反応が良かったところを掠めてやる。
楊ぜんは浅い呼吸を繰り返し、いやいやをするように頭を振った。
「ああっ。だ……だめぇ……もぉ……だめっ」
ぎゅうっと楊ぜんの足が太公望を締め付ける。
びくりとする。太公望は楊ぜんの両足をつかむと、そっと自分自身を楊ぜんの中に差し入れた。そっと、そっと。楊ぜんに負担がかからないように。
抵抗はなかった。痛がることもなかった。処女としたことはないが、しかし。
違うのか?
「あ……ああっ。た……太公望……先生ぇ……」
涙をたたえた瞳と、赤く上気した頬。喘ぎ声をあげぬらぬらと光る唇と、のけぞる白い喉。やわらかい白い身体。自分自身をきつく締め付ける楊ぜんの肉。
かすかな疑惑は胸のうちを通り過ぎる。太公望とて理性ばかりの人間ではない。楊ぜんのしなやかな身体をそっと抱きしめると太公望はゆっくりと動き始めた。それはやがて相手を気遣う余裕もなく早くなっていく。
まるで、溺れるかのように。
next.
novel.
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