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2nd. 放課後は美術室
放課後。楊ぜんは美術準備室に向かう。たいてい太乙真人ははそこで訳のわからないオブジェなんかを製作しているのだ。今日だってどうせ美術準備室だろう。
トントントンと軽いノック。
「あ、楊ぜん。開いてるよよぉ」
声が聞こえたので楊ぜんはがらりとドアを開けた。独特の油絵の匂いがする。この匂いはいつになっても好きになれない。ほんの少し眉をしかめた。
「先生、良く僕だってわかりましたね」
「うん。ノックのたびに言ってたから。三人目であたったね」
ほんの少し、楊ぜんはあきれた。
「で、王天君は?」
「逃げられたよ。どうせ逃げると思ったから6限のあと捕まえようと思ったら、昼休みの間に逃げてた」
はぁ、と楊ぜんはため息をつく。
「僕はてっきり6限は先生が捕まえてったのかと思ったんですけどね」
「今度は逃がさないよ。今度逃げたら家庭訪問してやる」
不敵に太乙真人は笑った。どうやら本気のようだ。
「どうせ、誰もいませんよ。あの家」
楊ぜんは淋しそうに言う。
「ああ。だったら、なおさら行かないと……」
太乙真人が言いかけたそのとき、がらりと扉が開いた。
「失礼します」
入ってきたのは例の教育実習生だった。
「あ、太公望先生。遅かったね。指導長かったの?」
太乙真人が振り返る。
太公望は首を横に振った。
「道に迷っておった」
楊ぜんはたまらずくすくすと笑い出した。
そんな楊ぜんを太公望はじろりと睨む。
「どうなってるのだ、この学校は。B棟の四階というから、生徒に聞いてみれば、B棟など知らぬと申すのだぞ」
「ああ、それじゃ判りませんよ。皆、特別教室棟って呼びますから」
この学校はカタカナのヨの字のような形をしており、横線一つ一つにABCと名前がついている。美術室や実験室などの特別教室はその真中の横線上にあるのだ。
笑いながら楊ぜんは教える。
「ちゃんと、生徒手帳にはB棟って載ってるんですけどね」
「誰も知らぬ名前など意味が無いではないか」
太公望はぶつぶつと文句を言った。
「僕がつけたんじゃありません」
楊ぜんが膨れたので太公望は慌てた。
「な、何を申す。わしは別におぬしに言ったわけでは……」
「まあまあまあ」
太乙真人が止めに入る。
「それで、王天君のことなんだけれど……」
と、そのときまたもや邪魔が入った。
「先生。イーゼル借りたいんだけど、いいさ?」
「あ、いいよ。取りに来て」
太乙真人の声に現れた生徒は、どこからどう見てもおよそ美術には似合わない容姿をしていた。軽く日焼けして、鼻の上に傷がある。いかにも運動部で青春してますといった態。
「天化君。まだ続いてたんだ……」
楊ぜんは小さく呟いた。陸上部の期待の星であるはずの黄天化が何故か急に美術に目覚めた!といって、美術部を兼部するようになったのは、楊ぜんが太乙真人に誘われ絵のモデルをやり始めた今年度になってからだ。
「あ、楊ぜんさん。今日もモデルやってくれるさ?」
天化は楊ぜんを見つけて嬉しそうに話し掛ける。
「うん。先生と話が終わったら、少しだけ」
「ほぉ楊ぜん。おぬし、脱ぐのか?」
モデルと聞いて太公望が口をはさんだ。
「なっ、なっ、なっ!」
真っ赤になって慌てだしたのは楊ぜんではなく、天化のほうだった。
「あーた、何てこと言うさ!」
「天化君。先生に対してあーたってのは失礼だよ」
笑いながら楊ぜんはたしなめる。
「へ?先生……?」
天化はきょとんとした。
「教育実習の太公望先生」
「あ、どうも」
礼儀正しく天化はぺこりと頭を下げる。
「なんなのだ、こやつは」
「美術部で陸上部の天化君。2年生。あれ、でも天化君、陸上部は大会近いんじゃなかったの?」
楊ぜんは心配そうに天化を見る。
自分の名前を楊ぜんが覚えてくれたということに感動のあまり固まってしまったらしい少年を太公望はちょんと片足で突っついた。
「あ、大丈夫さ。コーチは怒ってるけど、そんなのは気にしねぇさ!」
はっきりきっぱりと天化は言い切った。
と、楊ぜんは怒った顔をする。
「そういうのって、格好悪いよ天化君。片方をおろそかにするくらいなら、兼部なんかしないほうがいい」
「え……あ……。楊ぜんさん……」
憧れの楊ぜんに怒られて元気いっぱいだった青少年はしゅんとしおれた。
楊ぜんは膨れたまま言葉を紡ぐ。
「天化君が大会に出るなら、僕見にいこうかと思ってたのに」
とたん、天化は甦った。いきなりぎゅっと楊ぜんの手を握り締めるて、叫ぶように尋ねる。
「ホントさ?楊ぜんさん?」
「う、うん……」
押されて、楊ぜんは小さく頷いた。
「なら、俺っち、走ってくるさ!」
「え、ちょっとぉ……」
楊ぜんの声を背に天化は本当に走っていった。
「天化君!廊下は走っちゃ駄目だよ!」
楊ぜんの声がむなしく響き渡った。
「もぉっ」
「罪な子だね、楊ぜん」
面白そうに太乙真人は楊ぜんに声をかける。
「先生、教え子が道を間違ってもいいんですか?」
「別に。自由恋愛は奨励するよ私は。天化は脈なしなのかい?楊ぜん」
楊ぜんはうんざりした顔で太乙真人をにらむ。
「だから僕は男だって……」
「だって、こんなに男にもてる君が普通に女の子とくっついたってつまらないじゃないか」
無責任に太乙真人は言い放った。
楊ぜんは膨れて黙り込んでしまった。
☆
王天君の非行行為は、もう高校一年生のころから目に付き始めていたらしい。とにかく出席日数がぎりぎりだった。夜中に遊び歩いているらしいと噂も立った。
それでも、成績は良かったからはじめは気づかれなかった。そのうち、顔色の悪さにドラッグをやっているのではないかと言われ始めた。
「それはデマだったんだけどね」
太乙真人は言う。
「そこまで莫迦じゃありませんよ」
楊ぜんは憤慨したように言った。
ただ、そのせいで余計に学校にいづらくなってしまったらしい。出席日数が足りなかったけれど、特例の試験を受けさせてぎりぎりで留年はせずに済んでいる。
「頭はいいんだよね。こないだの模試、楊ぜんより上だっただろ」
「あれは僕、風邪で体調が悪かったんです!」
「これ、一応学年トップだから」
これよばわりして太乙真人は楊ぜんを指差した。
「家の問題もあるし、ちょっともったいないだろ。で、気にかけてるわけ。最近学校来るようになったしね」
太乙真人はそこで言葉をきった。さすがにただの教育実習生には家の問題は話せないらしい。
「太公望先生も年近いんだから、相談に乗ったりしてやってよ」
「そうだのぉ、しょっぱなから嫌われてしまったようだが」
太公望は笑った。
「え?もう?何やったんだい?」
聞かれて太公望は少し困る。
「えーっと。その。実習中に楊ぜんのほうを見ておったら。王天君が、何見てんだよ、と」
「ふううん」
にやにやとわらって太乙真人は楊ぜんを見た。
「罪な子だね」
「帰ります」
楊ぜんは机の上のかばんを手に取った。
「え。モデルは?」
「嫌です。帰る」
怒ったようだ。よく怒るものである。
「映画おごるからさ」
「……ほんとうですか?」
ぴたりと楊ぜんは動きを止める。映画好きなのかもしれない。
「うん。私と太公望先生の割り勘!」
いつのまにか太乙真人はがっしりと太公望の腕をつかんでいた。
「わしも?」
太公望は慌てる。お財布の中身は大ピンチである。
「あ、なんなら太公望先生。一枚デッサンしていこうよ。ね」
逃がすまいと、太乙真人はクロッキー帳を太公望に手渡した。
「わ、わしは絵はかけぬ」
「何言ってるの。楊ぜん見放題だよ」
「先生その言い方止めてください!」
「えーっ。みなきゃデッサンできないよ」
「言い方がいやらしいんです!」
太公望は渡されたクロッキー帳と楊ぜんを交互に見やり、たまにはいいかと呟いた。楊ぜん見放題である。
next.
novel.
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