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05……三人の方程式
どうしても救急車は嫌だと言い張る楊ぜんを、太公望は緊急外来のある総合病院へと連れて行くことにした。
「太乙と、おぬしの親に電話をかけるからな」
そうすれば、病院で落ち合うことができるだろう。
「親は止めて!」
楊ぜんは声をあげる。叫んだ拍子に傷口を強く動かしてしまったのか眉をしかめて小さく呻いた。
「しかし、心配するであろう?」
「心配なんかしませんよ。あの人は僕のこと嫌いなんだ」
楊ぜんの言葉は鋭かった。
そんなことなかろうという言葉を太公望は飲み込む。実際に太公望は楊ぜんの親を知っているわけではない。憶測でありきたりのことを言うのは嫌だったし、そんな言葉を楊ぜんは信じはしないだろう。
楊ぜんの言葉にはそれだけの鋭さが合った。
だから太公望はこういった。
「何故そう思う?」
「僕のせいでお母様が死んだから。あの人は僕がお母様を殺したと思ってる」
床の一点を焦げ付くように見つめながら、楊ぜんは言葉を紡ぐ。自分の父親に向かってあの人。重たい声だった。
「お母様が生き残って、僕が死ねばよかったんだ。僕、王天君にも酷いことして。何で僕、生きてるんだろう」
太公望に話し掛けるというよりも、自分の内側を覗き込むように楊ぜんは言う。
泣き声のような細い声なのに楊ぜんは泣いてはいなかった。
「生まれる前に、僕なんか死んじゃえば良かったんだ。それなのにお母様を殺して僕は生まれてきた」
それはきっと楊ぜんの中で繰り返されてきた自問だったのだろう。
太公望は何とか楊ぜんに言うべき言葉を捜そうと、沈黙する。
普通母体が危険になったときは、乳児を殺して母体を助けるという話を聞いたことがある。
「お母様は体が弱くて、だから皆、堕したほうがいいって言ったのに。僕は祝福されない子供なんです」
そうか。
太公望はそっと楊ぜんの髪を撫ぜた。びくりと楊ぜんは太公望を見上げる。
「おぬしの母が産みたかったのであろう。おぬしを。命に代えても、産みたかった人がいたのであろう?」
「……勝手に、死んじゃって」
「おぬしが死んじゃえばよかったなどといったら、きっと悲しむよ」
「もう死んでるんですよ?」
楊ぜんは駄々っ子のように太公望を睨む。
「それでも、きっと悲しむよ」
「勝手ですよ。そんなの。僕、生んで欲しいなんて頼んでない」
「そうだのぉ勝手だのぉ」
「なんですか、それ。こういう場合反論するでしょう」
楊ぜんは怒ったように言った。
「反論して欲しかったのか?」
「だって、命がけでお母様は僕を生んでくれたのに、それが勝手だなんて」
「なんだ。判っておるではないか」
「だって」
楊ぜんはすねたように黙り込む。
「おぬしの父親だって、おぬしの母がおぬしを産むのを最終的には受け入れたのであろう」
「さあ、どうだか」
答えた楊ぜんのその声は、感情が篭らないように一本調子だった。
太公望はため息をついて立ち上がり電話をかけに行った。今度は楊ぜんは止めようとはしなかった。
☆
緊急外来は予想以上に混んでいたが、血がいまだ止まらなかったせいか早く順番を回してもらえた。太公望が待合室で待っていると太乙真人が現れた。
「楊ぜん、怪我したって?」
「うぬ。肩をこう、刃物のような物でずばっと。他にもあったがそれが一番酷かった」
「深いの?」
「血が沢山出ておった」
「そうか」
「楊ぜんの親に電話したのだが、勤め先は遠いのか?」
「ああ、あの親は来ないよ」
あっさりと、太乙真人は首を振る。
「だから、何かあったときの連絡は私に来るようになっている。担任だからね」
パスケースの写真を思い出して、本当にそれだけかと太公望は尋ねそうになったが、今はそんな場合でもないので黙っていた。しかし、パスケースといえば父親の名刺が入っていた。これはどういうことだろうか。嫌っている父親の物ならば、そんなもの入れておくだろうか。
「のぉ、あやつの父親は、本当にあやつを嫌っておるのか」
太乙真人はちらりと太公望を見た。
「そんなことを楊ぜん君が言ったのかい?」
「うぬ」
太公望は頷く。
「珍しいね。楊ぜんがそういうことを言うのは。私の知る限り放任主義なのは確かだよ。何かあっても学校には顔を出したことがない」
「そうか」
「まぁ、高校に顔を出しに来る親も珍しいからね。ただ、一回王天君のことで呼んだことがあるんだ。そのときは仕事が忙しいからって来なかった。楊ぜんのことはそちらにお任せしますってね。大企業の重役らしいよ」
「そういえば、傷をつけたのは王天君らしい」
「楊ぜんがそう言ったのかい?」
太乙真人は驚いて太公望を見る。
「否。だが、否定はしなかった」
「それは立派な傷害事件だね。警察には?」
「電話しておらぬ」
「楊ぜんに言ったら、止めろというだろうね」
太乙真人はため息をつく。
「のぉ、何故楊ぜんはそんなに王天君を庇うのだ?わしが来たときにも、自分が悪いのだというようなことを言った。何故だ?」
「幼馴染だから、じゃないのかな」
太乙真人の答えは曖昧だった。
「どうしても聞きたいなら本人から聞くといいよ。話してくれるかどうかは判らないけどね」
そのとき、診察室から楊ぜんが出てきた。太乙真人を認めてにっこりと微笑む。太公望の胸に毒を持った小さな棘がちくりと刺さった。
「先生」
「話は太公望先生から聞いたよ」
楊ぜんは少し俯く。
「その傷、医者にはなんて話したの?」
「自分で、包丁もって転んだって」
「納得した?」
「判らない。喧嘩なら警察に知らせなくちゃいけないって。だから僕、違うって言いました」
「おぬし、入院しなくて良いのか?」
「そんなに、深い傷じゃなかったんです。血が沢山でたから素人が慌てるのも無理は無いっておっしゃってました」
「わしは、そんなに慌てておったかのぉ」
楊ぜんはくすっと笑って頷いた。
「はい」
それから太乙真人のほうを見る。
「本当に深い傷じゃなかったんです。だから、大事にはしないで下さい」
「君はもう、王天君と二人きりであっては駄目だ。私も少し、君に頼りすぎていたね」
「そんな!」
「とにかく今日は家に帰って早く寝なさい。話は明日だ」
楊ぜんはぎりっと唇をかむ。
「一人は嫌です」
「今日くらいは君のお父さんも早く帰ってくるよ」
「嘘」
楊ぜんの答えは鋭かった。
「先生……」
甘えるように太乙真人を見つめる楊ぜんに、太公望はなんだか悔しくなって口をはさんだ。
「それなら、今日はわしの部屋に来るか?」
楊ぜんはきょとんとして太公望を見つめる。
「え……?」
「狭い部屋だが、かえってそのほうが落ち着くやも知れぬ。それにわしのほうが楊ぜんとは年が近いし」
怪訝そうに太乙真人は太公望を見る。やましいことは何も考えておらぬと太公望は目で訴えた。
「男同士だし良いであろう。家も近いし」
楊ぜんはますますきょとんとして太公望を見る。それからくすっと笑った。
「いいんですか?」
「よいよい」
太公望は頷く。
「太乙も良かろう?」
太乙真人は首をすくめた。
「私が許可を与える問題ではないよ。君が妙な気を起こさないのならね」
「妙な気とはなんだ」
太公望はとぼける。
「楊ぜんは男にも変な気を起こされることがあるから心配ってこと」
「それはおぬしとて同じであろう」
太乙真人は怪訝そうに太公望を見た。
「何を言っているんだい、君は」
「大体おぬしが心配する問題ではなかろう。自由恋愛は認められているのであろう?男同士なら駄目とか校則にあるのか?」
「無いけど。それはいわゆるカミングアウトってやつかい?」
「違う!わしはただ一般論を申したまでだ!」
「一般論ねぇ。まぁ、自由恋愛は大いに結構だよ。羽目を外しすぎなければね。それと楊ぜんにその気があれば」
「ないですよ」
あっさりと、楊ぜんは言った。太公望はしばし凍りつく。
「そう、じゃあ。いいんじゃないかな。問題なし。頼んだよ太公望先生」
太乙真人は笑いながら、去っていった。
「あの。先生」
楊ぜんが後姿に呼びかける。
「私はこれから、王天君の所によってみるよ。君は来ては駄目だ」
楊ぜんはしぶしぶながらこくりと頷く。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
太乙真人の背中を見送ってから楊ぜんは太公望の方へ振り向き、きょとんとした。
「先生。顔が引きつってませんか?」
「そ、そうかのぉ」
声が心持裏返る。
「僕のこと、嫌いですか?」
「いや、好きだよ」
裏返った声のまま太公望は言った。
楊ぜんは何を思ったのか、ぎゅうっと太公望の腕にしがみついた。棒でも飲み込んだように太公望は固まる。
「じゃ、部屋に案内してください」
悪びれることなく楊ぜんに言われて、太公望は固まったまま、ロボットのように歩き出した。
一体楊ぜんの思考回路はどうなっているのだろうかと考えながら。
next.
novel.
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