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08……こぼれた涙と解けた誤解と
朝、楊ぜんは早起きして朝食を作っていた。誰かのために朝ご飯を作るのは初めてで、なんだか凄く嬉しかった。
ごそっ。っと音がして楊ぜんは振り返る。どうやら太公望が起きたらしい。
「おはようございます」
にっこり笑って楊ぜんは言った。
「ああ、おはよう。悪いのぉ……」
ごしごしと太公望は目をこする。
「先生、朝苦手ですか?」
「んー。おぬしは」
まだ半分寝ぼけたように太公望はいい、流しでごしごしと顔を洗った。
「嬉しくて早起きしました」
「嬉しくて?」
「先生も、王天君もいるから」
太公望はちらりと起き上がるついでに蹴飛ばしてきた王天君のほうを振り返り、それから自分が王天君よりも先に呼ばれたことに少しばかり喜びながら楊ぜんに尋ねる。
「そういえば、おぬし、王天君と、その……仲直りしたのか」
太公望から見れば楊ぜんが一人で落ち込んでいただけだから仲直りというのも変な気がするが、他にいい言葉が思いつかなかった。
楊ぜんはちらりと王天君のほうを見る。
「判らない」
それから、焦げ付きそうになっていたオムレツを器用にひっくり返す。
「一緒に太公望先生のところに来る?って声かけたら、あんな野郎といっしょにして置けないって。……えっと、あの。これ王天君が言ったんですよ」
太公望は口の端を引き上げるようにして笑った。
「そうか、そうか。あやつ妬いておるのだな」
「なんに妬くんです?」
「だーかーら。わしとおぬしがラブラブな毎日を送っておると思って嫉妬したのであろう」
「ら、らぶらぶ……ですか」
「あやつは、おぬしのことが好きらしいな」
楊ぜんは少し困った顔をする。
「違いますよ。あれは彼の冗談なんです。大体僕のこと好きだったらなんでこんなこと……」
そう言って楊ぜんは包帯の巻かれた自分の肩をちらりと見た。
「それはおそらく……」
おぬしがその調子であやつの気持ちに何にも気がつかないから、おぬしの目を自分に向けようとしたのであろうな。そうつなごうとして太公望は何もわざわざ自分が王天君を弁護する必要などないということにはたと気がつく。相手は憎き恋敵である。
「あやつSM趣味なのであろう」
変わりに太公望はちょっととんでもないことを言った。
楊ぜんは目を大きく見開きぱちぱちと瞬きした。
「オムレツが焦げておるぞ」
「……え?あ、ああっ。大変」
楊ぜんは大皿にオムレツを乗っける。
それからちょっと考え込むように呟いた。
「そういえば、王天君。子供の頃から意地悪ばっかりするから、てっきり僕のこと嫌いなんだと……そっかぁ、SM……」
納得したようにこくこくと頷く。
自分で言い出したことながら、太公望はちょっとばかり王天君が可哀想になった。
そうこうするうちに噂の王天君が起きだしてくる。
「あ、あの。王天君おはよう」
泣き出しそうな目で包丁を握り締めて楊ぜんはそう言った。
さすがに王天君は驚いたらしく、怪訝そうに楊ぜんを見る。
「おまえ……」
「あ、あのね。王天君。僕、そのそういう趣味はちょっとわからないから」
「……は?」
「せ、正攻法で着てくれたら、あの、もうちょっと……。ああっ。でもどうしよう!」
楊ぜんは一人でわたわたした。わたわたしながら包丁を振り回す。
「よ、楊ぜん、落ち着け!」
太公望と王天君は一歩ほど楊ぜんから離れた。
「僕ね。僕。太乙先生が好きなんだ……」
そう言って楊ぜんはぺたんと床に座り込み、乙女のごとく頬を押さえた。
太公望はすでに聞いていたことながらちょっと落ち込み、王天君は、こちらは完全に予想外だったらしく、見事に凍りついた。
「ど、どこがいいんだよ。あんなおっさんの」
「おっさんじゃないもん!」
楊ぜんはぶんぶんと首を振る。
「先生はね。背が高くて格好いいんだからっ!」
背……
王天君と太公望はちらりとお互いの人並み以下の身長をうかがう。
「よ、楊ぜん。俺はまだ成長期だからな!太乙なんかよりずっと背が高くなるぜ!」
「わ、わしとてまだ伸びるやも……」
「はぁ?何言ってんだよ。てめぇはもう、縮み始めてんだろうが、老化現象で!」
「な、何を言う!わしとて伸びるっ!この間雑誌で15000円で背の伸びる薬が紹介されておったっ」
わあわあと太公望はわめいた。
「そんなのインチキに決まってんだろ!何信じてんだよ。莫迦じゃねぇの」
「お、おぬし人の夢と希望をっ」
「わっ。ちょっと太公望先生、泣かないで下さいよ」
「のぉ、楊ぜん。わしとて背が伸びるであろう。かっちょよくなれるであろう。のぉのぉ」
ぎゅいぎゅいと太公望は楊ぜんの袖を引っ張る。
「はいはい。なれますから」
「ほれみろ!楊ぜんもなれるといっておるっ。なれるといったらなれるのだっ」
「てめぇ、餓鬼かよ……」
ぼそりと王天君が呟いた。
「先生。それよりもう行かないと学校に遅れますよ」
「ぬぉっ」
太公望は慌てて、楊ぜんの用意してくれた朝食を食べる。それからパジャマのままだたったのを思い出して急いで着替えた。
「楊ぜん、ちと早いがおぬしも一緒に来い」
「え……?」
「危険人物と二人っきりになってはならぬと、先生から言われておろう」
「でも」
戸惑う楊ぜんの手を太公望はぎゅっと握った。
「では、のぉ。王天君わしは、楊ぜんと二人で学校に言ってくる。おぬしはおとなしくそこで謹慎しておれ」
言って太公望は掻っ攫うように楊ぜんを連れて出た。
☆
そんなおかしな同居生活が、もうすぐ一週間になろうとした頃。
☆
「先生が、教育実習終わっちゃったら、僕と王天君はどうしよう」
放課後、楊ぜんは窓の外を眺めながらぼんやりと呟いた。
「家、帰んなきゃだめですか?」
「おぬしがいたいというのなら……いつまでおってもよいよ」
「迷惑でしょう?」
「迷惑なら傍から一緒に住まわせたりせぬ。……そうだのぉ、でもどうしてもおぬしが気に病むというのなら、家賃を折半すればよかろう」
「バイトしなきゃ駄目か……」
楊ぜんは軽く唇をかんだ。親に払ってもらうという考えは無いようだ。
「月いくら?」
「3万」
「じゃ、1万ずつか……援助交際すれば一発だな」
「は?ちょっと待ておぬし!」
太公望は慌てる。
「冗談ですよ」
けろりと楊ぜんは言った。
ざわざわと教室が騒がしい。
「なんでしょうね」
「うぬ」
太公望は近くにいた女生徒を捕まえて、何があったのかと声をかけた。
「なんか。変な男の人が校門の前にいるって」
「そうそう、すっごい黒塗りの車。あれ何?」
「なにかなぁ。先生ー。なんか気持ち悪くて帰れないんですよ。追い払ってきてよ」
「追い払えといわれてものぉ」
太公望はそういうと楊ぜんを伴って、校門の見える廊下まで歩いていく。
窓を見下ろすと楊ぜんが小さく、あ、といった。
「知っておるのか」
「お父様」
「何」
「や、やだっ。どうしよう」
楊ぜんはそう言って窓の下にしゃがみこんだ。つられて太公望もしゃがみこむ。
「どうしようって、おぬしを迎えに着たのではないのか?」
「なんで?」
「なんでって、おぬしが心配だとか……」
「何で今ごろ」
「それは」
太公望は楊ぜんの肩に手をかける。
「行こう、楊ぜん」
立ち上がる。それから冗談めかしてにやりと笑った。
「大丈夫。わしが守ってやる」
楊ぜんは、ほっとしたように太公望を見つめて、小さな子供みたいにこくりと頷いた。
☆
校門の前は閑散としていた。楊ぜんは父親を前に動けない。
親子は3メートルほどの距離を持って、じっと対峙している。
やがて。
男は楊ぜんの方へ歩み寄る。
楊ぜんは小さくびくりと震え、ぎゅっと太公望の手をつかんだ。わずかに汗をかいている。楊ぜんの緊張が手のひらを通して直接に伝わってくるような気がした。
「楊ぜん」
男は言う。楊ぜんの手に力が篭る。
「帰ろう。ずっと家に戻っていないだろう」
楊ぜんは小さく首を振った。
「嫌」
かすれるような声が漏れる。
「楊ぜん!」
男はぐいと楊ぜんを引っ張る。
「お、おぬし止めぬかっ!」
「誰かな」
「わ、わしは、教師だ」
正確には教育実習生である。
「だが、これは家庭の問題だ。黙っていたまえ」
「黙れるか。楊ぜんは怪我をしたのだぞ、何故駆けつけてこないのだ!」
「怪我は軽いと聞いた。楊ぜん、おまえも不良と遊ぶのは止めなさい」
「不良なんかじゃないです!」
きっと楊ぜんは父親を睨みつける。
「不良だろう。だから、家にも帰らずに遊びまわっているんだ」
「楊ぜんはわしが預かっておる」
「では、返してもらおう」
「お、おぬし。楊ぜんの気持ちを考えたことがあるのか!」
柄になく逆上して太公望は叫んだ。楊ぜんはびっくりしたように太公望を見つめる。
「楊ぜんには、何一つ不自由などさせた覚えは無い」
「たわけっ!楊ぜんは淋しかったのだぞ!」
「淋しい?」
「そんなことも知らぬで、何が親だっ!」
「楊ぜん?」
「お、お父様は……お仕事で忙しいから……」
男は少し笑った。
「楊ぜんはちゃんと判っている」
「だあほがっ。判っているのと淋しいのは全然別だ!おぬしは楊ぜんの優しい気持ちに甘えているだけではないか!」
「もう止めて、太公望先生」
ぎゅいっ。不意に楊ぜんは太公望に抱きついた。
勢いをそがれて、太公望は唖然として楊ぜんを見つめる。
「どうしたのだ楊ぜん。もっとちゃんと言ってやらねば……」
「もういい。もういいです」
楊ぜんは勢い良く首を振る。ふわりと長い髪が広がり、何かが太公望の頬にあたった。何か、冷たい――楊ぜんの涙――?
「お父様は、僕のこと、嫌いだから。見たくないから。……でも親だからしょうがなくて……」
「よう……ぜん?楊ぜんそれは違う」
父親は戸惑った顔をして楊ぜんを見つめた。
「いいんです。お父様。僕がお母様を殺したから。それなのにお母様に似てる僕を見たくないから、だから帰りだって遅いし」
「違う、楊ぜんそれは誤解だ」
男は、壊れ物を扱うように、慎重に我が子へと手を伸ばした。
「私は、私は怖かった……」
「怖い……?お母様を殺した僕が……?」
「違う。そうじゃない楊ぜん。私はおまえのことが心配で怖かった。子供など初めてで、ましておまえには母親がいない。どう扱えばいいのかもわからなかった」
楊ぜんはじっと父親を見ている。
「家政婦を雇っておまえを育てさせたのは自信が無かったからだ。私は子供を育てる自信など無かった。だから専門家に任せるのが一番おまえのためになると。私はおまえが何一つ不自由しないようにおまえのために働こうと」
「だって、お父様ちっとも僕のこと見てくださらなかった」
「小さな手を広げて私のほうに歩いてくるおまえを見ると、怖くてたまらなかった。少し力を込めれば壊れてしまいそうなおまえを、私はどう扱えばいいのかわからなかった。どう声をかけていいのかもわからない。私はおまえが寝ているとき、側にいてやることしかできなかった」
next.
novel.
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