人形遊戯



01.



 思考はいつもぼんやりとしている。
 もうだいぶ前から楊ぜんは考えることを拒絶していた。

 初めてここにつれてこられたのは三年前。夜明け近くに叩き起こされた楊ぜんはノックもなしにあわただしく入ってきた執事に叩き起こされた。
「楊ぜん様、逃げなければ、逃げ――」
 そして赤。ちび散った血しぶき。なじみ親しんだ執事がスローモーションのようにゆっくりと倒れるのを楊ぜんは声もなく見ていた。入ってきたのはよろいをつけた兵士。これは――このよろいは、崑崙?
 奇襲だった。
 本能的に逃げを取ったのか、窓辺に駆け寄った楊ぜんはとっさにカーテンをつかんだ。強い力でつかまれてカーテンは破れる。破れた外。窓の向こう。
 国が燃えていた。
 唖然として楊ぜんはそれを見つめた。黒い煙の中にまがまがしい炎。赤い炎。化け物の舌のように。
 頭に血が上った。
「火を放ったのか!」
 楊ぜんは叫んだ。面白いくらいに裏返った金切り声で。
 嗚呼、何かが蠢いている。あれは、人だ。城から逃げ出そうとした人が炎に巻かれ、踊り、狂い。否、城だけではない。街の方から、もっと激しい炎が上がる。この国には木でできた建物が多いから、一度火をかければ面白いほどよく燃える。
 命乞いでも始めるかと思っていたのであろう兵士は楊ぜんの思わぬ反応を思わぬ余興のように眺めている。
「貴様、火を!」
 涙がこぼれた。城は落ちたのか。父は無事だろうか。つかまったら命は無い。楊ぜんは妾腹で正当な王位の継承者ではないけれど、王族の血を引いているのだから首をとられるのは確実だった。
 ならば。殺してやる。誰でもいい。一人から剣を奪って。おとなしく殺されてなどやるものか。隙をうかがう。こちらは重いよろいの無い分身軽だ。少しばかり腕に自信もある。
 一番小さなよろいを狙って駆け出す。それは予想以上にすばやくするりと身をかわす。それで体勢が崩れた。隙ができる。
 あ、と思った瞬間。わき腹に鋭い痛み。ぬれる感覚。反射的に手で押さえるとぬるりとぬめった。痛みに動きが鈍くなる。次の瞬間背中を殴りつけられて楊ぜんは気を失った。
「だあほ。傷をつけてはならぬといったではないか」
 闇の中でそんな声が聞こえた気がした。

 次に目を覚ましたのは牢獄だった。見知らぬ男に引きずり起こされた。何者だといおうとしたが声がでない。猿轡をかまされていた。何のつもりだ。楊ぜんが自害するのを防ぐのが目的だろうか。
「立て、太公望様がお会いになる」
 太公望――崑崙の皇子。ではやはり、崑崙に捕らえられたのか。何故あの場で殺さなかったのだろう。
 引っ立てられるのに抵抗しようとしたが腕が動かない。後ろ手に縛られていた。ずるずると引きずられるように楊ぜんは牢獄を出る。ぎしぎしと身体中がいたんだ。
 階段を上がり、廊下を歩き、かなりの距離を歩かされて楊ぜんは広場に出た。中央に椅子があり、その隣の椅子に太公望らしき人物が腰掛けていた。小さな男だ。楊ぜんと目があうとにやりと笑う。楊ぜんはわざと目をそらした。
「おぬしは下がれ」
 楊ぜんを引きずってきた男に太公望は言う。
「しかし」
「その様子では何もできまい」
 一礼して男は下がる。つかつかと太公望は楊ぜんに歩み寄った。歩いてくると余計に小柄であることが判る。豪奢な衣装を好まないのか形は質素だったが、やはり素材はいい物だ。対する楊ぜんは叩き起こされた寝巻きのまま腕を後ろでに縛られ、猿轡をかまされている。白い頬には血と泥がこびりついていた。
「その様子では苦しかろう」
 見上げてくる太公望を楊ぜんは睨みつけた。
「とってやろう。せっかくの顔がよく見えぬ」
 太公望は背伸びして楊ぜんの猿轡を外し脇に捨てる。
「野蛮人!」
 楊ぜんは叫んだ。
「最初に言う言葉がそれか。命乞いはせぬのか」
「殺すなら殺せ」
 太公望はにやりと笑った。
「嫌だな」
「金鰲は……」
「無くなった。それだけだ」
 楊ぜんはぎゅっと手を握り締めた。
「成り上がりものの癖に!」
「古ければいいというものではなかろう。平和に堕落しきった金鰲は落としやすい。隙を与えるほうが悪いのだ」
「他国が黙っていない」
「弱い物がいくら集まったって所詮弱いだけであろう。数集まったとて帰って混乱するだけだ」
「金鰲の国民だって……」
「王族はおぬし意外すべて殺した。頭が無ければ結束もできまい」
 楊ぜんは唖然として太公望を見た。楊ぜんと目が合い、太公望はにやりと笑った。
「本当はのぉ。国取りなどどうでも良いのだ」
 毒を注ぎ込むように太公望は楊ぜんの耳にそっと囁いた。
「わしはおぬしが欲しかった。あとはどうでもよい」
 目を見開き楊ぜんは息を詰める。いま、なんといった――?
「おぬしが女ならよかったのにのぉ」
 太公望は歌うように囁く。
「それならば平和的に婚姻交渉もできように。まさか、男妾に欲しいともいえまい」
「僕……」
 知らず、楊ぜんは小さく呻くような声をあげた。
「そうだ。祖国を滅ぼしたのは他でもない、おぬし自身だ」
 太公望はいい、そして笑った。足元が抜け落ちていくような感覚があった。

 あてがわれたのは小さな部屋だった。贅沢な中にもひときわ贅沢なつくりの寝台に嫌悪感が募る。窓にはがっちりと鉄格子が嵌っておりそれがほんの少し笑えた。
 舌を噛み切ろうにも力が入らない。縄が解かれる前に医師らしき白衣の男が入ってきて注射を打っていった。指先がぴくりとも動かなくなった。
「あんまり、自殺したいようなら」
 医者は笑う。
「舌を切ってしまえといっていたよ。逃げるようなら足の腱を切ってしまえと、可哀想にね。お人形さん」
 楊ぜんはそれだけ動く眼球を動かして医者を見上げた。
「せいぜいおとなしくしていたほうがいい。あれは病気だ。君のことさえなければいい皇子なんだけれど、やはり君が狂わせたね。責任はとりなよ」
 そんなこと知らない出て行けと楊ぜんは言ったけれど、勿論声にはならなかった。かすかに喉の奥がひゅうと鳴った。
「美しいね。切り刻んでやりたい」
 不気味な言葉を残して医者は去っていった。
 何もできなかったから楊ぜんは天井を見上げた。涙がこぼれたけれど、それが薬のせいなのか祖国を失った悲しみなのか全く判らなかった。目を閉じると炎が甦った。
 太公望の言葉通り、皆殺されたのだろうか。自分だけが生きている。生かされている。この屈辱はなんだろう。
 足音が聞こえて部屋の前で止まった。やはり眼球だけ動かして楊ぜんはそちらを見つめた。扉が開いた。太公望がたっていた。
「ちと狭いな」
 そう言って部屋に入る。
「判るであろう。何をするのか」
 ふざけるなといったがやはり声がでない。そうするうちに太公望は寝台に腰を下ろし、楊ぜんに噛み付くように口付けた。口の中まで麻痺していて奇妙な感じがした。飲み下すことができないから口の端から唾液が流れる。言いようのない嫌悪感。無理矢理のキスよりも覆い被さってくる太公望の体温のほうに吐き気が募る。
 唇を離して太公望は笑う。
「つまらぬのぉ」
 左手で楊ぜんの頬をなぞる。
「ちっとも反応せぬ。だから薬は嫌だというに。しかし、舌を切ってしまっては接吻に具合が悪かろう。どう思う?楊ぜん」
 楊ぜんは思い切り太公望を睨みつけた。太公望は笑う。笑って楊ぜんの反射的に閉じたまぶたに口付ける。
「わしはこの目が好きなのだ。金鰲でもこんな目をしておった。いくら妾腹とはいえ、王家の直系。本来なら相当の地位があるのにおぬしはいつも末席に追いやられておった。そんな時おぬしはいつもこんな目をする」
 楊ぜんは目を開く。だまれ。今この場で体が動くなら、これほど小柄な男叩き殺してやる。
「王妃がおぬしを妬んだのだ。違うな、貴婦人皆がおぬしを嫌っておった。おぬしは美しいから。たったそれだけの理由で」
 太公望は囁く。
「そんな国に未練があるか」
 うるさい黙れ。やるならさっさとやればいい。うるさい男など嫌いだ。
 たまらない体温。蒸し暑い部屋。吐き気がしそうだ。
 不意に王宮の様子が思い出された。美しく着飾った紳士淑女たちは参内するとまず王族に頭を下げるのが決まりで、しかし、楊ぜんに頭を下げるものなど誰もいなかった。母が卑しい町人の娘だったから。彼らは嘲笑を隠そうともしなかった。これといった後ろ盾もなく、楊ぜんは孤独だった。
 それでも、なくなってしまえば清々すると思っていた宮廷が本当になくなってみれば、胸の奥に穴があいてしまったように酷くいたんだ。
「もっとも、未練などあっても無くてもかまわぬ。わしが欲しかったのもまたその顔、その目だ。うらむのならせいぜい自分を恨めばよい」
 太公望は笑い、楊ぜんの服に手をかけた。びくりと身体が震え、奇妙な感覚が脳天までほとばしる。得体の知れない恐怖に楊ぜんは一瞬目を閉じた。
「やっと利いてきたかのぉ。これだから薬は嫌いなのだ。待ちつづけている間、いらいらする」

next.

novel.