人形遊戯



02.



 心因的なものか、それとも薬があわなかったのか、その行為は楊ぜんにとって酷く辛いものだった。すべてが終わる頃には、顔は蒼白になり、気味の悪い冷や汗がこめかみを伝った。視界がどうかしてしまったように狭くなり色が抜け落ちていた。
 太公望は楊ぜんを抱き寄せ、辛いのかと見れば判るようなことを口にした。鳥肌の立つ楊ぜんの背中を太公望はさすり、懇親の力を持って楊ぜんはそれを跳ね除けた。
「わしが飽きるまでは死ぬでないよ」
 楊ぜんは太公望を睨みつけ、そのときに自分の身体が動くことに気がついた。

 シーツに顔をうずめて、彼は自分の舌を噛み切った。

 目を覚ますと医者がいた。
「莫迦だね」
 楊ぜんを見下してそう言った。
「君は奴隷に過ぎないんだから、飽きれば嫌でも死ねるんだよ」
 奴隷?聞きただそうとして楊ぜんは自分の声が出ないことに気がついた。否、正確に言えば声は出るのだが言葉にならない。「あ」と「お」の中間のような音が出るだけだ。
「自分で噛み切ったんだろう。金鰲がなくなったんだから君は捕虜じゃなくてただの奴隷」
 うるさい。いった言葉は言葉にならない。
 一瞬、闇の中に突き落とされたようなショックがあった。
 現実から切り離される。隔離されて、言葉も失った。
「やはり堪えたみたいだね」
 医者は笑った。
「もっと早く、きっとけばよかったんだ」

 医者が出て行った扉を、楊ぜんはぼんやりと眺めていた。麻酔が切れてきたのか、口の中がいたんだ。奴隷にも医者や麻酔を使うのかと楊ぜんは考える。答えはすぐに出た。楊ぜんはただの奴隷じゃない。太公望のお気に入りだから。飽きれば治療されることもなく捨てられるのだろう。
 惨めだなと思った。
 思ったらたまらなくなった。
 起き上がって、ふらふらする足取りで扉まで駆け寄った。途中で足がもつれて、這うようにして扉にたどり着いた。懇親の力を込めて扉を叩く。押したり引いたりいろいろと試した。最後は爪で血が出るまで引っかいた。壊れたのは爪のほうで扉はびくともしなかった。
 うるさいと怒鳴り声がし、向こうから扉を蹴るような音が一度響いた。
 望むところだった。どうせなら蹴破ってくれればいい。
 楊ぜんは手のひらで扉を叩きつづけた。
 手のひらが真っ赤になる頃、扉は開いた。
 唐突に開いた扉に楊ぜんはよろけた。
 目の前に立っている巨漢をすり抜けたところで、手首をつかまれた。一人じゃなかった。そう思ったときにはもう遅かった。
 再び楊ぜんは部屋に逆戻りする羽目になった。しかも、寝台の脚に手首を縛られるというおまけ付きで。
 情けなくて楊ぜんは眼を閉じた。
 うとうとして気がついたら太公望が目の前にいた。
「これは何の趣向か」
 あざけるように笑った。
「そういうのがすきなのか」
 楊ぜんは太公望を睨み、それから顔をそむけた。
「それならば、望みどおりに……」
 寝台の足に縛られたまま犯された。手首がすりむけてひりひりと痛い。頭を寝台の縁にぶつけて目の前が一瞬暗くなった。楊ぜんは唇をかみ締めて痛いとも言わなかった。唇が割れて血がにじんだ。太公望がそれを舐めて笑った。
「傷つけてはならぬ。おぬしはわしのものだ」

 そのあとも楊ぜんは3回ほど脱走を企てた。2回は部屋を出たところで捕らえられたが、3回目は城を出るところまで行った。町に入ったところで憲兵につかまった。楊ぜんは自分の髪の色をのろった。酷く目立つのである。
 部屋で目を覚ました楊ぜんの目の前には太公望がいた。
「何をしておるのだおぬし」
 そう言って、莫迦にしたように笑った。
「またわしのものを傷つけたな」
 そう言って楊ぜんの右足を撫でた。嫌悪感に楊ぜんは足を引っ込めようとし、そこで右足が全く動かないことに気がついた。小さく固まった楊ぜんを抱きしめ太公望は耳元に囁いた。
「腱を切ると足は動かなくなるものらしい」
 これで、おぬしを縛る必要が無くなった。
 縛られないまま、やわらかい寝台の上で楊ぜんは抱かれた。
 初めて感じた快楽に楊ぜんは絶望を感じた。取り戻せない何かを失った気がした。
 気持ちがいいということは、自分の身体が肯定しているということだ。漠然と楊ぜんはそんなことを思っていた。だから、犯されても、感じなければまだ屈服されたとはいえない。その考えに楊ぜんはすがっていた。
 それなのに。与えられた快楽は震えるほど気持ちがよかった。
 祖国を攻め滅ぼされ、無理矢理連れてこられたのに。声も自由も、すべて取り上げられたというのに。
 真っ暗な穴の中に突き落とされるような感覚。あるいは、ゲル状の気味の悪い物体に取り込まれるような感覚。
 まして、楊ぜんは男なのだ。いっそ女であるならば、まだ手駒として使えたものを……いや、その前に私が可愛がってやろうものを……そんな風に祖国で陰口を叩かれてきた楊ぜんにとって、それは言いようのない屈辱だった。
 頭の中で死んでしまったのであろう金鰲の貴族達の嘲笑が聞こえてきた。
 仮にも王家の血を引きながら、一人だけ助かった売国奴め、いや、いっそ売国妃とでも呼んでやろうか……
 貴族達は死んだままの格好で、あるものは腕に切り落とされた自分の頭を抱え、あるものは顔面一杯にケロイド状のやけどを負い、あるものは内蔵を床に引きずったまま楊ぜんを差して笑っているのだった。
 楊ぜんは嘲笑う貴族達の真中で、快楽にのたうつ身体をどうしようもできずにいる――
 違うのだと否定しようとしても声がでない。全身で視線を感じる。それなのにあがったのは嬌声で、貴族達はまるで見世物でも見るようにげらげらと笑った。
 もういや。いや。いや。いやー!
 嫌!という叫び声一つ残して、楊ぜんは気を失った。

 それから楊ぜんは、考えるのを止めた。
 否、感情を表すのを止めた。

 だから――思考はいつもぼんやりしている。

「なんだ。おぬし外を見ておったのか」
 肩にかけられた手に、楊ぜんは一拍遅れて反応を帰す。反応といっても、それは音をしたほうを見るというだけの反応であり、その上、まるでそれだけは決まっているのだから仕方なくやっているというようなぼんやりした動作だった。
「今年は寒いから雪が降るやも知れぬ」
 太公望の言葉に楊ぜんは反応を返さない。
「雪が降ったら、外に連れて行ってやろうか」
 楊ぜんは、また、窓の外に目を移す。格子の入った窓は、薄暗い空をよりいっそう薄暗く見せていた。
「寒いのは嫌か?」
 楊ぜんが何の反応も帰さないから、太公望は独り言のようにしゃべりつづける。
「子供の頃はよく、雪合戦などしたものだ。あの頃はよかったよ……何も考えずに済んだ。難しいことは全部大人がやっていてくれたし、子供はそれに疑問を持つ必要も無いからな。……だが」
 一つ太公望は言葉を区切る。その口調は、空のように暗い。
「あの頃も、わしは感じていたような気がする。このままでは嫌だと、わしはそう思っておった」
 太公望は手ぐしで楊ぜんの髪を梳く。しなやかな青髪はするりと彼の手を交わしていく。
「わしはな、おぬしも同じだと思っておった。――否、違うな。おぬしはわしの影だった」
 くいっ。不慣れな指がかえって髪を絡めてしまったのか、髪が指に引っかかる。今まですべすべと太鼓望の指を通していただけに、太公望はいささか惰性で髪を引っ張ってしまい、楊ぜんの頭が軽く動いた。
「おお、すまなかったのぉ、楊ぜん。痛かったか?」
 ゆっくりと振り向いた楊ぜんの瞳にはとがめる色は無い。何も無い。薄紫のラヴェンダーの色がにごって沈殿してぼぉっと淀んでいる。
 太公望はそれを哀れむような、悲しむような面持ちで見つめる。
「楊ぜん……おぬしの笑顔がみたいよ……」

next.

novel.