逢瀬
……01.
「それでさぁ。すっげぇ美人だって言うから歌の一つも詠んでみたわけ」
夕暮れ。朝廷を退出の後、姫発は楊ぜんを相手に莫迦話をしていた。
「さすがに姫発様は手が早いですね」
楊ぜんはいささかあきれ果てて、ほんの少し眉をひそめる。
「なんだよ。この女嫌い。おまえいっそ女だったら俺が相手してやるのにな」
姫発はけらけらと笑った。
「冗談じゃないですよ。絶対嫌ですからね!」
楊ぜんは思いっきり姫発を睨みつける。その剣幕がちょっと凄いものだったので姫発は珍しく鼻白んだ。
「なに、むきになってんだよ。女だったらっていっただろ。男相手にする気はねぇぞ。いくら俺でも」
「あなたが変なこと言うからでしょう。それで、その凄い美人がどうしたって言うんです」
楊ぜんは慌てたように話を元に戻す。
「それが、なかなか相手してくれねーんだよな。もう、見向きもしないって奴。三日くらい通い詰めたかな」
「ご熱心ですね」
「茶化すなよ。これがまた断るにしても可愛い詩詠むんだよ。これは噂どおりって思うだろ」
「どうだったんですか」
「まだおまえ相手にしてた方がマシなくらいのすっげぇブス」
楊ぜんはじろりと姫発を睨んだ。
「その言われ方凄く複雑なんですけど……」
「悪かったよ。怒るなよ。物のたとえだって。まぁ、よく見てみれば十人並みだったかも知れねぇけどさ。こっちは凄い美人だって期待してたからな」
「勝手に期待したのはあなたでしょう。それでどうしたんです」
「別にどうも。その後やることなんか一緒だろ」
楊ぜんは一つため息をついた。
「もう帰りますよ。御者を待たせておくのも可哀想ですからね」
そういって本当に姫発に背を向けてしまう。
「あ、待てよ。もう一つ情報があるんだ」
楊ぜんは振り返って不信そうに姫発を見つめた。
「あなたの情報は、女性のことばかりじゃないですか。僕は興味ありませんからね。結構です。他あたってください」
「違うって、伏羲が帰ってくるらしいぞ」
「誰です、それは」
楊ぜんはきょとんとした。
「あ。おまえ知らないか。入れ違いだったもんな。どこだったかなぁ、出羽あたりに飛ばされてたんだけど」
「随分田舎ですね」
楊ぜんはほんの少し眉をひそめる。もっとも彼自身相模まで出向いていたことになっていたから、あまり大げさにはしなかった。
「いや、始めは大宰府に左遷されるはずだったんだ」
「え、大宰府」
時の平安貴族にとっては大宰府といえばほとんど地の果てにも等しかったところだ。
「それをさ。皇后が手を回して防いだって話。皇后って妲己だぞ」
「姫発、呼び捨てはまずいですよ」
楊ぜんはきょろきょろとあたりを見回したが、幸いにも誰もいなかった。
「なんかあるだろう、これは」
姫発は声を潜めて楊ぜんに囁いた。
「なんかって何です」
楊ぜんもつられて声を小さくする。
「これは噂だけどさ。伏羲と妲己ができてたって話」
楊ぜんはまたもため息をついた。
「あなたの頭にはそういうことしかないんですか。妲己様は後宮にいらっしゃるんでしょう。男が入れるわけないじゃないですか。まさか、この期に及んで、実はその伏羲とか言う人は女性だったとかいうわけじゃないでしょうね」
「うわ。気色の悪いこと言うなよ。一瞬想像しちまっただろうが」
姫発が何を想像しようが、楊ぜんの知ったことではない。
「もう帰りますよ。本当に」
「待てよ。いいか。後宮にいようがどこにいようが、女房抱き込めば一緒だろ」
「帰ります!」
楊ぜんはどうやら怒ってしまったようで、そう怒鳴るように宣言すると本当に帰ってしまった。
「オウサマ、振られたさ?」
いつの間にやら姫発の後ろで、黄天化がにやにや笑っていた。
「あの潔癖症はどうにかならねぇのかな。からかう分には面白いけど」
「あ。今のそれ、楊ぜんさんに伝えとくさね」
笑いながら天化が言う。
「莫迦!止めろ。殺される」
姫発の台詞は、かなり必死に聞こえた。
「にしても、オウサマ。伏羲の話。本当さ?」
「表立ってはいわねぇけど皆そう思ってんじゃねぇの。他に妲己が伏羲をかばう理由がねぇだろ」
「それもそうさね。でも、スースはそういう人には見えなかったさ」
「そうか?すっげぇ嫌な気障野郎じゃなかったか」
「スース、オウサマよりもてたからさ?」
天化は苦笑した。
「うるせぇよ。この野郎!」
大声で姫発がわめいた。
☆
「師匠。只今帰りました」
朝廷から随分離れた小さな一角に楊ぜんと、その養父、玉鼎真人の住まう屋敷はあった。
「遅かったね。楊ぜん。どうしたんだい、今日は」
「途中で姫発様につかまってしまいました」
「姫発……か……」
玉鼎真人は苦笑する。
「まさかばれたわけじゃないだろうな」
「いえ。だったら近づけませんよ。あんな人」
「楊ぜん、それは随分な言い草じゃないか」
誰に似たのか楊ぜんはかなり物事を断定的に見る癖がある。
「男の目から見れば、魅力的な人ですよ。でも……」
楊ぜんは言いよどんでちらりと玉鼎真人を見た。
玉鼎真人はため息をつく。
「私は、おまえに随分と酷いことをしているのかな」
「そんな!そんなことありません、師匠」
楊ぜんは驚いて上目遣いに玉鼎真人をじっと見詰める。
「僕は、こうしているほうが楽しいんです。滅多に外に出られないような暮らしはしたくありません。僕は感謝してるんですよ、師匠。こうして、育ててくださったこと」
必死で楊ぜんはそういった。
玉鼎真人は優しく楊ぜんの髪を撫ぜた。
「おまえももう年頃だ。好きな男でもいるのなら……」
楊ぜんはぎゅっと玉鼎真人に抱きついた。
「楊ぜん?」
「師匠。師匠だけです。好きなのは師匠だけ。だから、そんな酷いこと言わないでください」
「よう……」
抱きついてきた楊ぜんを引き離すべきかどうか逡巡し、玉鼎真人は楊ぜんの肩にそっと手をかける。
それは不思議な光景だった。昼装束の男二人が抱き合っている光景。双方ともに女性のように髪を長く伸ばし、整いすぎた人形のような顔立ち。楊ぜんは長すぎる睫を震わせ、手が白くなるほどにきつく玉鼎真人にしがみついている。ほっそりとした白い手が肘まであらわになり、それはいっそ白拍子のように不思議な艶かしさをもたらしていた。
まるで、生きている気配のしないような、奇妙な静寂がそこにはあった。
やがて、その静寂を壊して玉鼎真人が静かに声を紡ぐ。
「駄目だよ楊ぜん」
「嫌」
楊ぜんは玉鼎真人の胸に自分の頭をぎゅっと押し付けた。
「師匠ぉ……」
「楊ぜん。もう止めよう。おまえはもう、女性に戻ったほうがいい」
楊ぜんは激しく首を振る。
「入内させられるのでしょう。嫌です。絶対に嫌。いいじゃないですか、師匠。このままで」
「それは私が手を尽くすから」
「嫌」
聞き分けの無いだだっこのように楊ぜんは玉鼎真人にしがみついた。
時の帝、紂王は女好きで有名だった。そしてまたその皇后である妲己が紂王気に入りの女御や更衣を片っ端から殺してしまったという噂も有名なのである。もはや朝廷は帝ではなく、妲己一族に牛耳られているようなありさまだった。
玉鼎真人は、美しく育った楊ぜんが紂王に見初められることを恐れ、男と偽って楊ぜんをかくまっていたのだが、それももう限界に近い。
楊ぜんが玉鼎真人に常ならぬ思いを抱いているのは、本人自身が公言している。しかし、養父とはいえ親子の関係で一線を超えることは許されない。それなのに、楊ぜんの美しさはもはや彼を幻惑しつつある。
嫌なのだ。楊ぜんは玉鼎真人の大切な養子。その関係を崩したくは無かった。
タイムリミットは確実に近づきつつあった。
楊ぜんはゆっくりと頭をもたげ、玉鼎真人の首に手を絡みつかせ、その紅い唇で一つ接吻をねだった。
next.
novel.
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