砂に埋もれた硝子の欠片
――03.
「ごめん。蝉玉君一人で大変だっただろう」
仕事が終わってから楊ぜんは蝉玉に頭を下げた。
「あら、それは私が一人でこの家の家事を今日一日やんなくちゃいけなかったことかしら、それとも大旦那様をなだめるのに苦労したこととか、一緒に下着買いに行くはずだった約束を見事にすっぽかされたこととか、それから……」
「ごめん」
楊ぜんはもう一度深深と頭を下げる。
蝉玉はくすっと笑った。
「やだ。冗談よ。そりゃ、ちょっとは大変だったけどね。この私にかかれば大したことないわ」
楊ぜんはほっとして蝉玉を見た。
「それよりね。楊ぜん。買ってきたの」
「何を?」
「下着。も、絶対うけるから」
楊ぜんはきょとんとした。うける下着ってどんなのだろう。それにやぱり、楊ぜんが着なくちゃいけないのだろうか。日ごろから蝉玉のおかしな趣味を知っているだけに楊ぜんはほんの少し身構えた。
「ほらぁ。可愛いでしょ」
そう言って蝉玉が取り出した下着は、確かに可愛かった。ピンク色のブラとパンツには苺模様が散っている。ご丁寧にひらひらレースまでくっついていた。
楊ぜんは何も言えずに黙り込んだ。
「楊ぜん。これ着て今日こそ襲うわよ」
「これ、着るの?」
楊ぜんはまじまじと苺模様を見詰めた。
「勿論」
「……でもあの」
楊ぜんは何とか逃げ出そうと言葉を捜す。
「ご主人様はそういうの好きだと思うわ」
「そう、なの?」
楊ぜんはもう一回苺模様を見た。
「でも、僕ご主人様とは釣り合わないよ」
蝉玉はじいっと楊ぜんを見た。
「莫迦ね。だから既成事実をつくっちゃいなさいっていってるのよ。あんたいくつよ?」
「……16」
「いい?16の女の子に手を出しておいて、自分は他のお嬢様と結婚しますじゃすまないわよ、普通」
「ちょっと待って。ご主人様を脅迫する気?」
楊ぜんは膨れて蝉玉を睨んだ。
「脅迫するのは元始のジジイよ」
「蝉玉君、拙いよ。大旦那様をそんな風に呼んだら」
「私、あのじいさん嫌いなのよね」
楊ぜんの台詞をろくに聞きもせず蝉玉は言った。
「それにさぁ、言ったでしょ。ご主人様はあんたのこと好きだって」
楊ぜんは赤くなって俯いた。
「あんたもご主人様のこと好きなのよね。楊ぜん」
楊ぜんはわずかにこくりと頷いた。
「それなのに身分とかそういうわけのわからないもので、一緒になれないなんておかしいじゃない」
「でも、だって。僕なんかがご主人様と付き合ったら、ご主人様が笑いものにされちゃうよ」
楊ぜんはきっと蝉玉をみる。涙はこぼれず目の縁で止まった。
「だから、ご主人様は女カとかいう気味の悪い女とくっついたほうがいいと思うの、あんたは」
ほんの少し刺のある口調で蝉玉は言った。
楊ぜんは言葉に詰まる。
「そのほうが、きっと幸せに……」
「莫迦」
短く蝉玉は言った。怒ってるみたいだった。
「好きな人が別にいるのに他の女と結婚して、どうやって幸せになるのよ!」
「だって僕は……」
楊ぜんの瞳から涙がこぼれた。
「もぉっ!いいかげんに、そうやって悲劇のヒロインぶるのはやめなさい!」
蝉玉の怒鳴り声にびくりと楊ぜんは身体をすくめる。
「蝉玉君にはわからないよ!」
「そうよ。私にはわからないわ。私は孤児じゃないもの。でもあんた以外の女の子が何の悩みも抱えていないなんて思わないでね。それは、確かにあなたの境遇は可哀想よ。普通の女の子よりは苦労してるわよね。でも孤児の女の子はあなただけじゃない!孤児だったら幸せになっちゃいけないの?孤児の女の子みんなに身分違いの恋はするべきじゃないって楊ぜんはいえるの?」
「だってそんな……そんな言い方、ずるいよ……僕はそんなつもり……」
ぐいっと楊ぜんは瞳の涙を拭う。
と、蝉玉は微笑んだ。
「うん。そうだね。楊ぜんがそんなつもりじゃないことは判ってる。だけど、私、楊ぜんに幸せになって欲しいから。楊ぜんは幸せになるべきだと思うから」
楊ぜんはごしごしと目をこすった。ぽんっと蝉玉は楊ぜんの頭を叩く。
「顔、台無しだよ。洗ってきたら」
こくんと楊ぜんは頷く。
「幸せは、遠慮してたらつかめないんだからね、楊ぜん。あんたがご主人様幸せにしてあげなさい」
楊ぜんはわずかに顔を上げた。
「できる、かな?」
「できるできる」
にっこりと蝉玉は笑った。
☆
トントン。軽いノック。
しばらくしてきぃと小さな音を立て扉は開く。
「楊ぜん、どうした?こんな時間に」
ご主人様はもう、夜着に着替えていた。楊ぜんは、あらかじめご主人様に言うべき言葉を蝉玉の入れ知恵で用意してきたはずなのに、いざとなると何もいえなくて、わずかに震えて伏羲を見ていた。
「中に入るか?」
こくん、と楊ぜんは頷く。伏羲の手が肩に触れたとたんに身体中に電流のような物が走った。
暗い間接照明だけの伏羲の部屋は、朝とはまるで違った印象を起こさせる。とくんとくんと心臓の音が響く。
しばらくの沈黙。楊ぜんはぎゅうっとしわになるほど白いエプロンをつかんだ。
「あの、ご主人様」
伏羲は楊ぜんを見つめる。楊ぜんが何か言うのを待っていてくれる。
「今日はありがとうございました」
違う、そうじゃなくて。
「うぬ。楽しかったよ、楊ぜん」
「あの」
「うん」
「あの」
あの、の続きがなかなか言えない。
「ご主人様、あの」
「ん?」
小さくため息。一度唇を湿して。
「……好き、です」
やっと紡いだ言葉。楊ぜんはそれだけで泣き出しそうに伏羲を見つめた。
伏羲は楊ぜんの肩をつかんで、低く囁く。
「今、なんと?」
大きなプレゼントでも渡された子供みたいな顔。
「ご主人様のことが」
楊ぜんは頬を染める。
「わしのことが?」
「好き、です」
「本当に?」
確かめるように。
「本当に」
確かめるように。
「嘘ではないな」
嬉しくて。
「嘘じゃないです」
嬉しくて。
「夢でもないのだな」
「はい」
涙がこぼれた。
「楊ぜん!」
頼りない浮遊感。楊ぜんはひざの下に腕を回されてそのまま抱き上げられていた。思わず楊ぜんはぎゅうっと伏羲の首にしがみつく。
「ご、ご主人様!無理。無理です!」
「楊ぜん、暴れるでないぞ」
そう言って、伏羲は楊ぜんを抱き上げたまま一歩踏み出す。がたがたと手が震える。楊ぜんはぎゅうっとしがみつく。
「ほ、ほら、ちゃんと支えて……のわっ!」
「きゃっ!」
次の瞬間、二人はその場に崩れこんだ。
「ご主人様、大丈夫ですか……?」
楊ぜんは床にぺちゃんと座り込んだまま伏羲の顔を覗き込む。
伏羲は、上半身身を起こし、それからけらけらと笑い出した。つられて楊ぜんも微笑む。何がおかしいのか良くわからないけれど、なんだかたまらなくおかしくて、微笑みは崩れて楊ぜんも伏羲もおなかがよじれるくらい笑った。
腹筋を使いすぎてひくひくする。笑いすぎで酸欠になる。
こんなに笑ったのって、きっと生まれて初めてだと楊ぜんは思う。笑いすぎて涙が出た。笑いすぎて泣けるんだということに楊ぜんは初めて気がついた。
先に笑いの発作がおさまったのは伏羲のほうだった。未だ笑いつづける楊ぜんを伏羲はぎゅうっと抱きしめた。
「楊ぜん」
「え?」
「キスしよう」
今日、三回目に二人は口付けた。床にぺたんと座ったまま二人はキスをした。軽く触れるだけのキスはやがてねっとりとした蜂蜜みたいなキスに。口の中に忍び込んできた伏羲のいたずらな舌を楊ぜんはどうしていいのかわからない。きつく吸われて、くらくらとする。呼吸が上手くできない。苦しい。食べられてるみたいだと楊ぜんは思う。ぐったりと体の力が抜けた。
唇を離して伏羲はにこりと微笑んだ。ぼんやりとした頭で楊ぜんはご主人様が好きだと考える。やがて顔じゅうに落とされる伏羲のキスに楊ぜんはくすぐったそうに笑った。
「楊ぜん」
耳元で囁かれた声にぞくぞくする。
「愛してる」
嬉しくて楊ぜんは微笑む。伏羲の頭を抱きしめようと手を伸ばす。その手はぎゅっと伏羲につかまれて、伏羲は軽く楊ぜんの指を齧る。
「やんっ」
くすぐったくてぞくぞくして楊ぜんは身をひねった。
やがて耳元で伏羲は囁いた。
「楊ぜん、寝台へ」
胸元の飾りリボンが外されて首筋が外気に触れる。いつもパソコンのキーボードを叩く指で伏羲は器用に黒いドレスの背中のボタンを外していった。
楊ぜんは目を閉じてじっと動かない。
「怖いか」
不意に伏羲が尋ねた。
見栄を張ってもしょうがないからこくりと楊ぜんは頷く。
「止めるなら、今の内やもしれぬ」
楊ぜんは目を開いて伏羲を見る。伏羲は鼻先が触れ合うほど楊ぜんに顔を近づけていった。
「後戻りできなくなる。後悔するのならば」
「しません」
小さな声で楊ぜんは囁く。
「ご主人様が好きだから、後悔なんかしません」
伏羲は楊ぜんに軽く口付けやがて黒いドレスを下ろしていく。ぴたりと手が止まって、ご主人様が笑ったような気配。それで楊ぜんは蝉玉が買ってきた苺模様の下着のことを思い出した。かぁっと顔が赤くなっていく。
「ご、ご主人様、あの、それは」
「可愛いよ」
楊ぜんはますます赤くなる。そんな楊ぜんをよそに伏羲は鎖骨のくぼみにちゅっと音を立てて口付けた。顔を上げるとご主人様も衣服を落としていた。普段外にでないから、色白な楊ぜんと同じくらい色の白い肌。楊ぜんは恥ずかしくなって横を向いた。
「何を照れておる。いつも見ておるだろう」
「い、いつ……」
「わしが着替えておるとき」
「見てないです」
楊ぜんは膨れる。伏羲は笑って今度は楊ぜんの膨れた頬にキスを落とす。ブラの下に手を滑り込ませて胸の感触を愉しむ。楊ぜんは、あっ、と息を飲んだ。それからぎゅうっと目を瞑る。
伏羲はもう一方の手を背中に回し、器用にブラの金具を外してしまう。
楊ぜんは片目を開けて伏羲を睨んだ。
「慣れてますね」
「妬いておるのか」
「莫迦」
「莫迦は酷いのぉ」
もう片方の胸に伏羲は軽く噛み付いた。
「やんっ」
楊ぜんは再び目を閉じる。
「仮にも主人に莫迦はなかろう」
胸に舌を這わせたままで伏羲は笑った。その刺激が身体に伝わる。
「だ、駄目。しゃべっちゃ、駄目です」
息も絶え絶えに楊ぜんは懇願する。
不意に伏羲は顔を上げた。
え、と止まった愛撫に楊ぜんは薄目をあける。伏羲は楊ぜんを見る。たまらなく愛しいという表情で。次の瞬間、伏羲は再び楊ぜんの胸に顔をうずめた。そのままきつく吸い上げる。
「ご……ご主人様……い、痛いです。……いたぁい……」
ぎゅっと楊ぜんは目を閉じる。
伏羲は顔を上げ、きつく吸い上げたせいで楊ぜんの胸にできた鬱血を見つめる。白い雪のようなきめの細かい肌に、醜い花びらのような鬱血。満足そうに伏羲はそれを親指のはらで何度もなぞる。
「楊ぜん。おぬしはわしのものだよ」
楊ぜんは薄く目を開く。音を伴わない唇の動きだけで。
「本当?」
「ホント」
伏羲は楊ぜんの胸に頬を摺り寄せた。手を伸ばして楊ぜんの足を撫ぜる。楊ぜんはぎゅうっと両ひざをくっつけた。かまわず伏羲はスカートの中まで楊ぜんの足を撫ぜていく。楊ぜんは歯を食いしばってぎゅうっと目を閉じる。
「楊ぜん」
「ご……ご主人さまぁ……」
「楊ぜんが、欲しい」
ほんの少し楊ぜんがひざを緩めた隙に伏羲は楊ぜんの足をぐいっと開いた。
「あ、嫌。嫌っ」
けだるく楊ぜんが頭を振ったせいで髪は淫らに寝台に広がる。
「ご、ご主人さま……」
うわごとにも似た楊ぜんの声。
すべてが一つになって、二人を快楽の底へと推し進めていく。
そして。伏羲と楊ぜんは結ばれた。
next.
novel.
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