砂に埋もれた硝子の欠片
――04.
朝、楊ぜんは伏羲の部屋で目を覚ました。
カーテン越しに入ってくるやわらかい日差しの中で、伏羲の細い腕が楊ぜんの身体に回されていた。素肌にシーツの感触。
不意に昨夜のことを思い出して、楊ぜんは真っ赤になった。昨日自分はなんという狂態を晒していたことだろう。ご主人様はあきれてしまわなかっただろうか。
そっと楊ぜんは伏羲の寝顔を窺う。どきりとする。
昨日、楊ぜんはご主人様と――
ああ、どんな顔をして顔を合わせたらいいのだろう。
考えているうちに、伏羲の手に力が篭った。起きてしまう。
とっさに楊ぜんは目を閉じた。
と、同時にぎゅうっと抱き寄せられる。伏羲の裸のままの胸。それがまた昨日のことを思いださせて、楊ぜんはわずかに震えた。駄目。気づかれてしまう。
楊ぜんを抱きしめた伏羲はそのまま、楊ぜんの髪を梳いているようだった。頭を撫でられる感覚。気持ちいい。うっとりと楊ぜんは身を任せる。
髪を梳くのに飽きると伏羲は軽く楊ぜんの頬に唇を寄せる。
「もう起きてはどうだ?」
普段は使わない低い声で。
「狸寝入りなどするでないよ」
気づかれてた。楊ぜんはそっと目を開ける。いたずらっ子みたいな伏羲の顔が目の前にある。ぎゅっと楊ぜんは目を閉じた。
「恥ずかしいのか」
いたずらに頬を撫でる伏羲の指。そっと楊ぜんは目を開ける。伏羲と目が合う。
「おはよう」
「おはようございます」
小さな声で楊ぜんは言った。伏羲は楊ぜんに覆い被さり、ちゅっと音を立ててキスをする。くすくすと楊ぜんは笑った。
「もう起きないと蝉玉が起こしに着てしまうのぉ」
言われて楊ぜんは起き上がり、そして自分が裸で寝ていたことを思い出してぎゅっと毛布を胸の上まで抱きしめた。
「何をしておるのだ」
「見ないで」
楊ぜんは膨れる。
「見たい」
「駄目です」
「意地悪」
いわれて楊ぜんはさらに膨れた。
「……エロオヤジ」
「何か言ったかのぉ」
「何も言ってません!」
伏羲は笑って寝台を下りる。光の中で伏羲の背中を見て楊ぜんは赤くなる。くるんと振り返って伏羲は言った。
「おぬしは見ておるではないか」
「見てません!」
ばしんっと楊ぜんは枕を投げつけた。
伏羲が見ていないのを十分確認してから楊ぜんは下着を拾う。そしてふと、胸の上のあたりに一つついた赤い情痕に気がついた。
そっと触れてみる。ぐいっと押すとわずかに痛みが走った。
「あ」
小さく楊ぜんは呟いた。
楊ぜんの声にうっかり振り向いた伏羲は叫んだ。
「だあほ!何をやっておるのだおぬし。さっさと服を着ないと本当に今から押し倒してしまうぞ!」
慌てているらしい伏羲の声に楊ぜんは少しだけ笑って、今度こそ本当に服を身に着け始めた。部屋にもどって、せめて下着だけは替えてこようと考えながら。
☆
部屋に戻るとにやにやしながら蝉玉が待っていた。
「どうだった、どうだった楊ぜん?」
まじまじと顔を見られて楊ぜんは赤くなる。
「どうって……」
「下着、うけた?」
「……か、わいいって……」
言ってしまってから楊ぜんはさらに真っ赤になった。
「でしょう。そうでしょう。私の目に狂いはないわ」
蝉玉は一人悦にいっている。狂いがなかったのか、そもそも苺模様が何か役に立ったのか楊ぜんにはいまいちわからなかったのだが、楊ぜんは素直に礼を言った。
「あの。蝉玉君、ありがとう」
「いいのよ。別に気にしなくて。そっかぁ、これで楊ぜんも女になったのね」
楊ぜんはまた赤くなる。
「ちょっと蝉玉君。その言い方止めてよ」
「なんで?」
「なんか、イヤラシイ」
「でも、イヤラシイことしてきたんでしょ」
あっけらかんと蝉玉は言った。楊ぜんは何もいえなくなって黙り込んでしまう。
と、蝉玉は不意に楊ぜんの腰に手を伸ばした。
「ひぃっ!」
思わず楊ぜんは奇妙な悲鳴をあげる。
「なっ、何するの!」
泣き出しそうな目で楊ぜんは蝉玉を睨んだ。
「痛くない?」
「え?」
楊ぜんはきょとんとした。
「腰、痛いんじゃない?」
それはその通りだったので楊ぜんはこくんと頷く。
「休んでていいよ。今日は私が二人分働いてあげる。その代わり、私がハニーとデートするときは楊ぜん、引き受けてよね」
こくんと楊ぜんは頷いた。
「ありがとう」
蝉玉はにっこりと笑った。
「どういたしまして」
「治ったら戻るから」
「なるべく早くね。じゃ、私そろそろ行かないとやばいから。ご主人様には勝手に朝ご飯たべるようにいっといたんだけど……」
蝉玉はそういいながら部屋を出て行った。楊ぜんは、とりあえず下着を替えて、それから蝉玉の好意に甘えることにして寝台に横になる。
優しい人だってことは判ってるんだけど。
でも、どうしてああいう変な優しさの示し方をするんだろうなんて考えながら。
痛みはそんなに酷くはなかったけれど、身体はぐったりと重かった。
☆
午後には楊ぜんは仕事に戻った。
ちょうど材料が切れていたと蝉玉にリストを渡されて、楊ぜんは買い物に行くことになった。ついでだから買出ししてきてと蝉玉は言った。この屋敷ではほぼ一週間分の食材は買い置きしてしまう。
「ちょっと、重いかしら?私も行ったほうがいい?」
自分で書いたリストを蝉玉は覗き込む。献立はほぼ蝉玉が作っている。
楊ぜんは首を振った。
「大丈夫だと思う。僕、結構力あるから」
「重かったらもう一回行けばいいしね」
こくんと楊ぜんが頷いたところに伏羲がやってきた。
「何しておるのだ?」
「僕、買い物に行ってきます」
にっこり笑って楊ぜんは答える。
「わしも行こうか」
楊ぜんはきょとんとした。伏羲の出不精は有名である。そもそも仕事が調子に乗ると仕事部屋からでさえ滅多に出てこない。
「あ、じゃあリスト書き足すわ」
一拍遅れて蝉玉が言った。彼女も驚いていたようだ。
「えーっと、ミネラルウォーターとぉ……」
「蝉玉よ。おぬしわしがきたとたんに重いものを……」
「だって男でしょ」
蝉玉はあっさりという。
「駄目だよ、蝉玉君。ご主人様じゃ重い荷物なんかもてないよ」
生真面目に楊ぜんは酷いことを言った。
「な、何を言うか楊ぜん!」
伏羲は怒る。
「だって昨日……」
楊ぜんは口篭もる。
「あ、あれは……。おぬし太ったのではないか?」
伏羲の言葉に膨れた楊ぜんは、蝉玉の手から買い物リストを奪い取るようにひったくると、わざと足音を立てるような歩き方で玄関に向かった。
「ちょっとぉ。今のはあんたが悪いわよ」
蝉玉は伏羲をつっつく。
「女の子に太ったなんていったら後が怖いんだから」
「しかし楊ぜんは実際問題少し太ったほうが……」
「そういう問題じゃないの」
そう言って蝉玉は伏羲の背中を押した。
「早く行かないと修復不可能になるかも」
脅しに乗ったのかどうか、伏羲は慌てて楊ぜんの後を追う。
蝉玉はくすくす笑って呟いた。
「莫迦ね。あれだけあんたのこと好きな楊ぜんが、修復不可能になるわけないじゃないの。天才プログラマも恋に狂うと可愛くなっちゃうんだ」
☆
買い物のリストを見ながら楊ぜんは横目でちらりと伏羲を見る。なにやら慌てて謝るご主人様を先ほど楊ぜんは漸く許してあげたところだった。
ご主人様が近くにいる。
幸せ。
この制服さえなければ、ちょっとした新婚さんにも見えるかもしれない。楊ぜんだって16になった。結婚できる年齢だ。そう考えて楊ぜんは一人赤くなる。ご主人様と結婚できたら……
ご主人様と楊ぜんの子供だって生まれるかもしれない。楊ぜんには血縁者がいない。自分とご主人様にそっくりな子供はきっと可愛いだろう。その子はそのまま楊ぜんとご主人様を結ぶ決定的な糸になる。
血のつながった、否、その前に自分の子供。楊ぜんの赤ちゃん。名前、なんにしよう。女の子だったら?男の子だったら?
望。なんていいかもしれない。男の子だったらのぞむで女の子だったらのぞみ。
くすっと楊ぜんは笑う。
「何を一人で楽しそうに考えておるのだ」
伏羲の言葉に楊ぜんは我にかえる。自分の考えていたことを思い出して赤くなった。
「赤くなるようなことを考えておったのか」
「違いますよ、莫迦」
「楊ぜんは段々口が悪くなるのぉ」
楊ぜんはぱたっと自分の口元を抑えた。
「すみません」
「良いよ。わしはそのほうが楽しい」
くすっと笑って伏羲は楊ぜんの髪に手を伸ばす。一房とって手に絡め、そのまま楊ぜんの頭を抱え込んでキスをした。
楊ぜんは赤くなってぱっとはなれた。
「これ、逃げるな」
「逃げますよ。誰か見てたらどうするんです」
「誰も見ておらぬよ」
「嘘」
「見ていても逃げ出すから大丈夫」
楊ぜんは膨れて、それからくすっと笑った。
「ねぇ、ご主人様、子供、お好きですか?」
「ん?嫌いではないが……」
ふふと楊ぜんは笑う。
不意に楊ぜんには家族といえるものが誰もいないのだということに伏羲は気がついた。
「そうだのぉ、おぬしとの子供であれば……わしは莫迦みたいに可愛がるだろうよ」
楊ぜんは頬を赤く染める。
伏羲はそんな楊ぜんをじっと見ていた。
☆
それから、屋敷の様子は少し変わった。
まず、蝉玉と楊ぜんの二人が伏羲と同じテーブルにつくのを許されるようになった。閉口する二人に伏羲は笑う。
「三人で住んでおるのだから家族のようなものであろう」
何かが変わっていこうとしていた。
初めて三人で一緒に食事をとった。伏羲も楊ぜんも蝉玉も笑った。これくらい楽しい食事は久しぶりだった。
伏羲は家事も手伝うようになった。料理を手伝おうとして蝉玉にうるさがられ、結局、もっぱら掃除を担当する楊ぜんにくっついて回った。
楊ぜんは良く笑うようになった。微笑むのではなくて声を立てて笑う。仕事だって伏羲が手伝ってくれれば楽しかった。
仕事の隙をついては二人はキスをした。目が合えばどちらからともなくにっこりと微笑んだ。夜は伏羲の腕の中で楊ぜんは眠った。
何もかもが朝の光のようにまぶしくて輝いていて優しかった。
楽しいだけの一週間はあっという間に過ぎていこうとしていた。
仕事部屋のパソコンは埃をかぶり始めていた。
そんなある日。電話が鳴った。
最初に電話に出た蝉玉は怪訝そうな顔をして二人を振り返った。
ちょうど夕食の最中で、伏羲は楊ぜんに簡単な天文学を教えていたところだった。ちゃんと高校を出ていない楊ぜんに学問を教えるのは伏羲にとって、楽しいことだった。楊ぜんは生真面目に話を聞くし、頭が悪いわけではないから教えたことはすぐに覚える。
「誰からだ?」
蝉玉の様子に気がついて伏羲は尋ねる。
「大旦那様から」
歯切れ悪く蝉玉は言った。
「わしにであろう?」
ふと、女カのことを思い出して伏羲の顔はこわばった。
しかし蝉玉は困惑したように首を振る。
「それが……楊ぜんになのよ」
next.
novel.
|