前夜祭
01.
ちらほらと雪の降り積もる中、高台から街を見下ろした伏羲は懐かしそうに目を細め、帰ってきたのぉと呟いた。白い塔と鐘の鳴り響く街。伏羲の街だ。伏羲はこの街の領主の息子である。たった今南の国に嫁いだ叔母に親書を届けて帰ってきたところだ。南は暖かかったが、北の空気は身を切るように冷たく澄んでいる。伏羲はその空気を肺一杯に吸い込んだ。冬は厳しいが決して嫌いな季節ではない。懐かしさとともに街に入れば、街はにぎわっていた。
「おや、伏羲ではないか?」
澄んだ声に足を止め、伏羲は振り返る。声をかけた修道女を見止めて懐かしそうに微笑んだ。
「公主であったか。おぬし病はもう良いのか?」
「うぬ。騙し騙し生きておるよ。伏羲はずいぶんと遅かったのじゃな」
「ちと南で引き止められておった」
伏羲は笑う。
「そのような格好で行くからじゃ。どこぞの物乞いとでも間違えられたのであろう」
修道女――竜吉公主はからかうように笑った。伏羲の格好はどう見ても領主の息子という格好ではない。
「物乞いは酷いのぉ。きらびやかなのは性にあわぬよ」
伏羲は困ったように言った。
「それにしてもにぎやかだのぉ」
「アドヴェントじゃからな」
「ああ、クリスマスであったか」
そういわれて街を見回せば、街路樹は即興のクリスマスツリーに仕立て上げられていた。
「教会には寄るのであろう」
「うーぬ」
伏羲は考える。が、明らかに面倒がっている様子が見て取れた。
「まったく、おぬしは不届き者じゃのぉ」
公主はため息をつく。
「おぬしの前で言うのも何だが、わしは信仰はもっておらぬよ」
「領主の息子がこれじゃからな。まあ、いずれ伏羲にもわかる時が来るよ。子供達も喜ぶと思ったのじゃが、本人がこれではしかたあるまい」
「子供達か……」
伏羲はちょっと考える。
「なら行く」
竜吉公主はくすくすと笑い出した。
教会の近くにある修道院には親のない子供達が預けられている。
「シスター楊ぜん、クリスマスには神様が来るのー?」
ちっちゃな三つ編みの女の子はそう言って楊ぜんの膝に飛び乗った。
「違うよ。クリスマスに来るのはサンタさんだよ」
楊ぜんはそう言って女の子の頭を撫でる。
「いい子にしてたら、プレゼントをくれるよ」
「あたし、プレゼントよりほしいものがあるのー」
ぎゅうっと楊ぜんの服を握り締めて女の子は言う。
「あのねー。あたし、楊ぜんになりたい!」
楊ぜんはくすくすと笑い出した。
「僕?」
「うん!楊ぜんみたいに綺麗になるの」
「いい子にしてたらね」
「なれるの?」
「なれるよ」
「本当?絶対?嘘つかない?」
楊ぜんはまたくすくすと笑った。
「嘘はつかないよ」
「では、ちゃんと勉強するのじゃな」
凛と澄んだ声が響いて楊ぜんは顔を上げた。
「公主様」
それから伏羲を見止めて女の子を抱いたまま慌てて立ち上がる。
「ええと……」
「次の領主様の顔ぐらい覚えておくのじゃぞ。楊ぜん」
「ああ、伏羲様ですか。お見苦しいところへ」
楊ぜんは慌てて頭を下げた。ほぉ、と小さく伏羲はため息をつく。竜吉公主は街でも評判の美女だが楊ぜんもそれに劣らぬほど美しい。だが、こちらはまだ少女めいた幼さが残っている。
「あー!伏羲だぁ!」
女の子はそういうと楊ぜんから飛び降りてパタパタと伏羲の元へ走っていく。
「伏羲様でしょう」
楊ぜんはその後姿に声をかける。声は優しいアルトで耳に優しかった。
「伏羲だもぉん!」
「こらっ」
楊ぜんは頬を膨らませ、それから伏羲が目の前にいたことを思い出して自分のはしたなさに真っ赤になった。
「申し訳ありません。只今お茶を入れてきます。ほら、杏、伏羲様は公主様とお話があるんだから」
そう言って楊ぜんは女の子をせかす。
「ああ、良いよ。わしはみんなと遊びにきたのだから」
伏羲は楊ぜんを見つめてそう言った。楊ぜんはきょとんとして竜吉公主を見つめる。
「え、あの」
「ああ、楊ぜんはずっと畑のほうにいたから、知らぬか。伏羲様は偶にこうして子供達と遊んでくださるのじゃよ」
竜吉公主が言い終わらぬ間に伏羲はすいっと楊ぜんの前に出る。竜吉公主はそのすばやさにぱちぱちと瞬きして伏羲を見た。
「なんと、おぬし畑仕事をしておったのか」
伏羲はそう言ってぎゅっと楊ぜんの白い手を握った。楊ぜんは驚いて目を真ん丸くして握られた手を見つめ、それから伏羲の顔を見て、それからもう一度握られた手を見た。
「は、はい」
異性から手を握られた経験など無い楊ぜんはたちまち真っ赤になる。
「おぬしのようなか弱い女子の身では力仕事は大変であろう」
「いえ、あの。僕力はありますから」
楊ぜんはなおも握られた手を気にしつつ堪える。こほんと竜吉公主は咳払いをした。
「おぬしには子供達の世話のほうが向いておるのぉ」
「はい、ですから、今はこちらで」
楊ぜんは何とか作り笑いを浮かべ、助けを求めるようにちらりと竜吉公主を見た。
「子供達に囲まれたおぬしはマリア様のようだのぉ」
楊ぜんは困って一歩下がる。
こほんともう一度竜吉公主は咳払いをした。
「伏羲」
「どうした?公主」
笑顔で伏羲は答える。
「うちの修道女に手をつけるのはやめぬか」
「な、何を言うか。わしはそのようなこと少しも」
漸く伏羲が離した手を楊ぜんは胸の前で握り締めた。
「下心が見え見えじゃ」
竜吉公主は苦笑し、楊ぜんは真っ赤になった。
「美しい女子を見て口説かぬのは失礼であろう」
悪びれずに伏羲は言う。楊ぜんはさらに赤くなる。
「お茶をお持ちします!」
そう言って楊ぜんは逃げるように去っていった。その後姿を目で追いかけて伏羲は言う。
「可愛いのぉ。名はなんと言うのか?」
「シスター楊ぜんよ!」
下で杏が叫んだ。
「ねぇ、伏羲。あそぼ。あそぼうよぉ」
「楊ぜんか、美しい名だのぉ……」
伏羲はほおとため息をついた。
「伏羲ー」
不満そうにぐいっと杏が伏羲の袖を引っ張る。
「せっかく楊ぜんがお茶を入れてくれるというのだ。飲んでから遊ぼう」
伏羲は笑う。
「えー」
「杏、楊ぜんがおぬしくらいの頃にはちゃんと椅子に座っておとなしく大人の話を聞いておったのじゃぞ」
竜吉公主が諭すと杏は不満そうな顔をしながらも、椅子によじ登った。
そうするうちに楊ぜんがお茶と甘いお菓子をもって帰ってくる。
「あれ……杏がちゃんと椅子に座ってる……」
目を丸くして呟く楊ぜんに、杏は口を尖らせた。
「シスター楊ぜん。杏はレディになることに決めました」
きょとんとした楊ぜんに竜吉公主と伏羲はくすくすと笑い出した。
「伏羲様は南に行ってらしたんですね」
子供達にお昼寝をさせてから、楊ぜんは伏羲に尋ねた。
「南といっても一月もかからぬところだがのぉ」
楊ぜんと二人きりに慣れたのが嬉しくて、伏羲は笑う。竜吉公主は会議があるとかで子供部屋を出て行ってしまった。
「暖かいのですか?」
「ここよりはな」
「いいなぁ」
楊ぜんはため息をつく。
「楊ぜんは南に行きたいのか?」
「はい。一度巡礼に行きたいんです。エルサレムまで」
「じゅ、巡礼か……」
「イエス様の歩いた地を、僕も歩くのが夢なんです」
「ほお」
話題についていけなくなってきた伏羲は曖昧に笑った。
「しかし遠いのぉ」
「はい」
楊ぜんは思いつめたようにため息をつく。
「一生のうちに一度でも行ければいいんですけれども」
憂いを含んだ横顔にどきりとした。
「まだ、行かぬのであろう」
伏羲は楊ぜんを見つめる。
「まだ僕には修行が足りませんから」
「良かった」
伏羲は笑った。
「え?」
「わしはおぬしに側にいて欲しいから」
楊ぜんは黙って伏羲を見た。
「それは……どういう……?」
「そのままの意味だよ」
「からかってるんですね」
「否」
「冗談は止めてください」
「否」
楊ぜんは困って目を伏せる。長い睫が頬に影を落とした。
「初めて会ったばかりで、僕のこと何も知らないくせに」
「判るよ。おぬしは清らかで美しい」
伏羲は楊ぜんを見つめる。見つめ続ける。
耐えられなくなって楊ぜんは視線をそらす。
「僕、軽い人は嫌いなんです」
楊ぜんは立ち上がる。
「僕、仕事があるんです。失礼します。子供達の面倒を見てくださってありがとう」
伏羲の顔を見ないようにそれだけ言った。
「明日もまた来るよ」
伏羲は言った。
「子供達と遊びに来る。それなら良かろう」
楊ぜんは何も言わず、その場から逃げ出した。心臓がどきどきした。
next.
novel.
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