前夜祭 02



 ベッドにもぐって目を閉じる。まぶたの裏に浮かんだのはどういうわけか、今日教会に顔を出した伏羲とかいう男で、楊ぜんは慌てて目をあける。目をあけて赤くなってじっと天井を見ている。
 どきどきする。
 熱が出たときみたいに鼓動が早い。
 ああ、なに考えてるんだろう僕。
 楊ぜんはそんなことを考える。
 これじゃまるで、これじゃまるで……伏羲に恋してるみたいじゃないか。
 たった一回あっただけの人を好きになるわけないのに。
 それに伏羲は、全然楊ぜんの好みじゃない。
 くるん。楊ぜんは寝返りを打つ。
 明日、早いんだから。
 早く寝ないと。
 早く寝ないと――

 翌日。楊ぜんは見事なまでに寝不足だった。
 欠伸をかみ殺して朝のミサに出る。いつも感動する神父様のお話は、楊ぜんの頭を空滑りする。楊ぜんは、ミサの最中に居眠りするなんて神様に対して失礼なことだけはしないように、手の甲をつねりながら必死で起きていた。
 それもこれも皆、伏羲のせいだ。
 ミサが終わって、子供部屋に行こうと幽霊のようにふわふわと歩いていた楊ぜんは竜吉公主に呼び止められた。
「楊ぜん、どうしたのじゃ?具合が悪そうじゃの」
「いいえ。何でもありません」
 ふらふらとしながら楊ぜんは言う。
「しかし、その手は……」
 手の甲の傷に気がついた竜吉公主は目を丸くした。かわいそうに真っ赤になっている。しかし、どういう経緯でそうなったのかはさすがの竜吉公主も判らなかったらしい。
「どうしたのじゃ、楊ぜん」
 楊ぜんの手をとって竜吉公主は尋ねた。よく見れば血がにじんでいる。
「これはあの、昨日眠れなくて。でも、ミサで居眠りするのは嫌だったので、つい」
「何か、悩み事でもあるのか?」
 優しく聞いてくれる竜吉公主に楊ぜんは、口を開きかけ。でも、伏羲のことを考えると眠れなかったというのは、恋煩いの相談をもちかけるようで、急に楊ぜんは恥ずかしくなって頬を赤くした。
「な、何でもありません」
 結局、楊ぜんはそう言ってしまう。
 竜吉公主は、薄く微笑むとそっと楊ぜんの肩に手をかけ、笑いを含んだ声で囁いた。
「伏羲のことじゃな」
 とくんと、楊ぜんの心臓がはねる。
「な……、どうして」
 言ってしまってから、楊ぜんはますます赤くなった。これでは本当に楊ぜんが伏羲にほれていると思われてもしょうがない。
「違います。違うんです!」
 楊ぜんは慌てて言い直す。竜吉公主はくすくす笑った。
「よいよ。楊ぜんが話したいときに私に話してくれればよい」
「あの、違うんです」
「どうしたのじゃ、楊ぜん。恥ずかしがることではないよ」
 笑いながら竜吉公主は歩いていってしまう。
 どうしよう、完全に誤解された。
 楊ぜんは世も末だというようにため息をついた。
 どうしよう。
 それもこれも、皆伏羲のせいだ。

 子供達の世話をしながらも、楊ぜんは伏羲が来るのじゃないかと気が気ではなかった。それ自体意識しすぎるくらいに意識しているということなのだけれど、楊ぜんはそんなことには気がつかない。頭のなかは伏羲で一杯で飽和状態だ。
 こんなこと、今までなかったのにと楊ぜんは思う。
 こんなのはいけない、早くもとの楊ぜんに戻らないと。
 子供達をせかして、楊ぜんは修道院の前にあるもみの木に飾り付けをする。少しばかり雪が降っていたが、子供達は元気だ。楊ぜんが見守るなかで、もみの木はどんどんクリスマスツリーに変わっていく。赤いリボンと金の鐘。クリスマスツリーの飾りつけは子供の頃から楽しくて大好きだった。
 伏羲様も今日くればクリスマスの飾り付けを一緒に楽しめたのに。
 ――ああ、駄目。
 また、伏羲のことを考えている自分に気がついて、楊ぜんは軽く首を振る。空を見上げる。真っ白な雪が落ちてくる。それは、ひんやりと楊ぜんの頬に落ちた。冷たい。楊ぜんは軽く目を閉じる。
 不意に寒いと思った。後で、特別に子供達にスープでも作ってあげよう。
 あったかくって、身体の芯まで温まるような――。
「なにをしておるのだ?」
 背中に声を感じて楊ぜんは振り返る。
「伏羲様……」
 人懐こい笑顔がそこにあった。何故か楊ぜんはほっとした。ほっとしながらも、またどきどきが始まる。
「なにをしておった?」
「ええ?あ、クリスマスツリーの飾り付けを」
「それは見て判るよ」
 伏羲は笑う。
「おぬしだよ」
「僕?」
 さあ、なにをしていたのだろう。とっさにそんなことを聞かれても、楊ぜんはうまく答えられない。
「あの。雪が降っているから」
「うん」
「つめたいなと」
「ん?」
「それだけなんですけど」
 楊ぜんは伏羲を見下ろす。伏羲はかなり身長が低いせいで、楊ぜんはどうしても伏羲を見下ろすことになってしまう。
「おかしなやつだのぉ」
 何の遠慮もなしに伏羲はいった。それで楊ぜんは少しばかりむっとする。
「ああ、すまぬ。やはり怒るか」
 判ってるならはじめから言わなければいいのに。楊ぜんは考える。
 それにしても。楊ぜんはそんなに感情が顔に出るたちではないつもりだ。姉代わりの竜吉公主などにはどうやら簡単に見抜かれてしまうようだが、たいていの人には読まれない自信もある。それなのに、伏羲は昨日、初めて会ったというのに、楊ぜんの表情を簡単に読んでしまったようだ。
 ちょっと怖いと楊ぜんは思う。
 もっとも、それは昨日から楊ぜんがおかしいせいなのかもしれないけれど、それにしたって楊ぜんをおかしくしたのは伏羲なのだ。
「伏羲様はなにか特別なお力をお持ちですか?」
 楊ぜんは伏羲に尋ねる。伏羲はきょとんとした。
「なんでもないです」
 慌ててそう言って、赤くなって楊ぜんはわたわたした。そんなこと、あるはずない。なに言ってるんだろう、僕。
 恥ずかしくて、もう、どうしたら良いかわからない。伏羲はそんな楊ぜんを、面白そうに眺めている。楊ぜん一人がおろおろする。
「それより、楊ぜん。おぬし寒いであろうに」
 伏羲は楊ぜんの髪に落ちた雪を払ってやろうと手を伸ばす。楊ぜんはなにを勘違いしたのか大いに慌て、一歩後ろに下がろうとする。下がろうとしたのだが、慌てすぎていて、見事にぺたんとしりもちをついた。
「いたぁ」
 雪の上だから、そんなに痛くはなかったのだが、考えるより早く言葉は出てくる。
「大丈夫か、楊ぜん。なにをしておるのだ、おぬしは」
 伏羲は笑って楊ぜんに手を差し伸べる。楊ぜんはふわりと広がったスカートをぺたんと押さえつけた。
「……み、た?」
 上目遣いで、楊ぜんは伏羲を睨む。睨まれた伏羲は、なんだか自分がとても悪いことをしてしまったように感じる。そもそも楊ぜんが慌ててスカートなんて押さえなければ、そんなことに気づきもしなかったのに。
「いや」
 雪の上にぺたんと座り込んだ楊ぜんは、言葉の真偽を確かめるようにじっと伏羲を見つめた。そういうことをされると、なんだか伏羲は居たたまれなくなってくる。
「そんなところに座り込んでいては、寒いであろう。ぬれてしまうぞ」
 伏羲の言葉に楊ぜんは、そっと伏羲の差し出した手を握った。とくんと心臓がはねる。
「あ……ありがとうございます」
「寒くはないか?」
「いえ、あの。伏羲様がいらっしゃったので暖かくなりました」
 ついうっかり言ってしまった言葉に楊ぜんは唖然とする。伏羲は満面の笑みを浮かべた。
「では、寒いときにはいつでもわしの名を呼ぶがいい。どこにいても駆けつけてやる」
「伏羲様はお暇なのですね」
 なんだか悔しくなって楊ぜんは憎まれ口を叩く。
「違うよ」
 伏羲は空を見上げる。
「暇な時間などあるものか。何とかおぬしに逢える時間を作ろうと必死だというのに」
 とくん。また――。
「今日の夜。このもみの木下で……」
「何を言ってらっしゃるんですか?」
「おぬし、クリスマスは忙しいのであろう」
「当たり前です。伏羲様もクリスマスのミサにはいらっしゃるのでしょう」
 楊ぜんは、うっとりと手を握り締めた。
「う、うぬぅ……」
 伏羲はちょっと困ってから、気を取り直して口を開く。
「それはそれとして、二人っきりで逢いたいのぉと……」
「何故ですか?」
「だから。……おぬしが好きだから」
 顔がほてってくるのを感じて楊ぜんは慌てて顔をそむける。
「クリスマスは家族で過ごすものですよ。伏羲様」
「だから、クリスマスはあきらめるから、今日の夜……。否、でものぉ。わしはおぬしの家族になりたい」
 とくん。
「家族?」
「うぬ」
「昨日あったばかりなのに?」
「時間は関係ない」
 しばらくの沈黙。
「行きませんよ」
 楊ぜんは言った。
「待っておるから」
「行きませんって。怒られてしまいます、そんなことしたら」
「でも待っておるから」
 楊ぜんはくるっと背を向けてぱたぱたと修道院の中に走っていった。

「よく走って逃げるやつだのぉ」
 雪の中に取り残された伏羲は一人呟く。
 いつのまにか、子供達もいなくなっていた。
 美しく飾り付けられたクリスマスツリーを背に、伏羲はとぼとぼと歩き始めた。

next.

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