光の庭




02.



 着いておいでと言われて、楊ぜんは伏羲の後に従った。彼は花溢れる庭を突っ切って、屋敷のほうへと歩いていく。
「あの、これ、どうしてなんですか」
 沈黙に耐えられずに楊ぜんは伏羲の小さな背中に問う。
「どうして、総ての季節の花が一度に咲いているんですか」
 何か、凄い、特別な肥料でもあるのだろうか。伯爵と言うことは彼はお金持ちなのだ。
「……莫迦莫迦しい」
 はき捨てるように呟かれた伏羲の言葉に、楊ぜんは、え、と聞き返した。
「花など、その季節ごとに咲くからこそ、美しいのだ」
「でも、あなたがしたのでしょう」
 意外にも伏羲は足が早く滑るように歩いた。楊ぜんは半ば小走りになりながらも伏羲を追いかける。
「わしが? いかにも。わしがしたのだ」
 何なのだろう、この偏屈な少年は。そんなことを言うのなら、変な肥料などまかずに季節ごとの花を育てればいいではないか。
「おぬしはこれが美しいと思うか?」
 伏羲は問う。是と答えても否と答えても伏羲にやり込められそうな気がして、楊ぜんは何も言わなかった。大して気にする風でもなく、伏羲はこたえる。
「無理矢理、咲かされた花など、美しいものか」
「それは、さぞ、無理矢理咲かされた花にしてみれば失礼な話ですね」
 いささか憤慨して楊ぜんは言う。それから、少しだけ怖くなる。年が近いせいで安心してしまったが、相手が伯爵となれば気軽に口をきいていい相手ではない。それを、嫌味のような言い方をしてしまって、怒らせてしまっただろうか。
 対して伏羲は笑っていた。
「もっともだのぉ」
 それから小さく付け加える。
「しかし、花達とて、本意ではあるまい」
 楊ぜんはきょとんとして立ち止まり、それから慌てて伏羲の後を追った。伏羲はすでに屋敷の前に立っていた。
 屋敷の中は暗かった。どんよりとして埃っぽい。
 長い廊下に高い天井。ゆらゆらと蝋燭がゆれている。楊ぜんは少しだけ怖くなる。自分を励ますようにぎゅっと手を握り締めた。
「あの」
 声はいんいんと反響し、楊ぜんはびくりとして口を紡ぐ。
「どうした?」
 対して驚くこともせず、伏羲は尋ねる。彼の声は響かない。
「僕は、帰り道を教えてもらえれば、それでいいのです」
「帰りたいのか、おぬし」
 さも、意外そうに伏羲は問う。楊ぜんは少しだけ怖くなる。
「はい」
「何故? ここにおれば、おぬしはもう働かなくて済むし、喰うにも困らぬぞ」
 楊ぜんはきょとんとする。働かなくていい生活と言うのが、とっさに彼には思いつかなかった。
「ここにおれば、辛いことは何も無い」
「でも」
 何か言いかけようとして、楊ぜんは口を紡ぐ。街に帰ったところで、待っているのは誰もいない部屋ばかり。その街とて流行り病に置かされて、人がばたばたと死んでいく。
 もう、随分と自分は頑張ったのではないかと思う。これ以上頑張る必要などあるだろうか。
「僕は何をすればいいのですか? この、お屋敷においてもらうには、僕は何をしたらいいんですか」
「何もしなくて良い。ただ、わしのそばにいればよい」
「でも」
 働かなくては、お金を稼がなくては、生きていけないでしょう?
「楊ぜん」
 くるりと振り向いて、伏羲は楊ぜんの頬に軽く手をかけた。その手はどきりとするほどに冷たい。
「ここにはなんでもある」
 じゃあ、何故この人はこんなにも悲しそうな目をしているのだろう。辛いことは何も無いといいながら、何故。
「そうだ、お茶にしよう、楊ぜん」
 伏羲は笑う。とうの昔に笑い方を忘れてしまったような、ぎこちない笑みだった。

 ぱんぱんっと、伏羲が軽く手を叩くと、どこからとも無く背の高い影が現れる。薄暗く、透明で透けてしまいそうな影を持つそれは、どうやら女中達のようだった。彼女達は一言もしゃべらず存在感も無い。ただふわふわとした足取りで二人に近づいてくる。楊ぜんはなんだか怖くなって、無意識に伏羲の背中に隠れた。
「テラスで茶を飲むゆえ、こやつに支度を」
 そっと伏羲は楊ぜんの背中を影達の方へと押す。楊ぜんは伏羲を見つめ首を振った。彼らと一緒に行くのは嫌だった。
「どうした? 怖いのか」
 その一言で、生来の負けん気の強さを取り戻し楊ぜんは小さく首を振った。
「なら行っておいで、楊ぜん」
 曲がりうねる廊下を楊ぜんは影たちについて行った。屋敷の中はどこも暗く陰気な感じだ。ときおりぎぃっと音がするのは風のせいか、影たちが蠢くせいか。どちらにせよ気持ちのいいものではない。
 楊ぜんを案内する間も、影たちは一言もしゃべらなかった。前を行くものは楊ぜんが着いてくるのを心配そうに振り返り、後ろから続くものはそっと楊ぜんの背中を押す。その手がじっとりと重い。
 後悔し始めていた。伏羲に笑われても、彼らと一緒になどこなければよかった。そう思ったとき、影は一つの部屋の扉を開いた。
 ふわりと風が舞い込んだ。窓が開いていたのだ。外の日差しは明るかった。楊ぜんは思わず、駆け出して窓辺に手をついた。深緑がゆれていた。暗い屋敷の中で息が詰まりそうだった彼は、そこで思いっきり深呼吸をした。楊ぜんは懸命に目を凝らしたけれども、街はそこからは見えなかった。
「あの、街はどっちですか」
 振り返ると、影たちは部屋の隅っこに小さくなっていた。
「こっちに来ないの?」
 楊ぜんは小さく尋ねる。影は身震いするように首を振った。
「あの、もしかして……」
 震える声で楊ぜんは尋ねる。
「光が嫌なのかい?」
 影はまた小さく身震いした。
 楊ぜんは、思い切って、窓を閉める。ばたんと言う音とともに、部屋の中は真っ暗になる。ぼっと、明りが灯る。影の一人が蝋燭を灯したのだった。影たちはほっとしたように蠢きだす。
 窓にぴったりと背を押し付けて楊ぜんは乾いた口を開いた。
「あなた達は何?」
 影たちは困ったように顔を見合わせる。そして、おずおずと、箪笥から古い、でも豪奢な衣服を選び出し、そっと楊ぜんの前に置いた。
「伏羲って誰なの」
 小さく、楊ぜんは呟く。影たちはまた、困り果てたように楊ぜんを囲み、そしておずおずとその頭をなぜた。
 影たちはどう考えても、普通の人間じゃない。だとしたら伏羲は? 伏羲も普通の人間じゃないのだろうか。

 影たちの選んだ服に身を包み、楊ぜんは案内されるがままに伏羲の待つテラスへと向かう。
 テラスには光が満ちていた。当然、影たちはそこまではやって来ない。影に渡されたワゴンを押して、楊ぜんは光溢れるテラスに降り立つ。
「伯爵様」
 振り返った伏羲はにこりと笑った。
「良いよ。楊ぜん。伏羲でよい」
 芸術品のような陶器のティーポットに、美しい花の描かれたケーキ皿。本物の銀のスプーンとフォーク。宝石のような焼き菓子。何もかもが夢のようなお茶の支度をしながら、楊ぜんはふと思う。妹に食べさせてやりたかった。あの子は甘いものが好きだったから。こんな贅沢なものでなくてもいい。砂糖菓子一つだって、彼女はろくに食べたことも無かったんだ。
「どうした、楊ぜん。悲しい顔をしておる」
「伯爵様。これ、街の人たちに、食べさせてあげるわけにはいかないでしょうか」
 俯いて、自分の白い指先を見つめながら楊ぜんは続ける。
「街では、今、悪い病気が流行ってるんです。こんな、贅沢なものでなくていいから、もうちょっと、栄養のあるものが食べられれば、死ななくていい人たちが、どんどん死んでるんです。僕の妹も、病気で、みんな、死んじゃって……」
 ぽたりと指に冷たいものが落ちて楊ぜんは慌てて涙を拭った。
「おぬしは優しいのぉ」
 伏羲は妙に冷めたような口調でそう言った。
「だがそれは出来ぬ。わしは人間が本来どういうものか、ちゃんと知っておる」
「どういうことですか」
「人間とは努力すれば立派に努力できる生き物だ。だが、堕落すればとことん堕落する生き物でもある。彼らにこの城の秘密を知られるわけにはゆかぬのだ」
「秘密……?」
「不老不死と言う言葉を知っておるか、楊ぜん」
 楊ぜんはきょとんとした。
「わしはもうゆうに70にもなるよ」
 少年の顔をした男は、そう言って笑い、そして言葉を紡いだ。
 妙にしゃがれた、年老いた人の声で。

 はるかに昔。伏羲が15の年だった。
 当時、城はもっと人里近くに立っていた。街はまだ街ではなく、ただの農村だった。貧しくはあったものの人々は心豊かに生きていた。
 当時の伏羲は、自分だけが特別であることに不満を持っていた。若かった彼は当時の貴族にしては先進的な考え方をした。ただ、伯爵家に生まれただけで自分だけが美味しいものを食べ、自分だけが豪華な服を着る。そんな生活を、彼は素直には喜べなかった。
 税を軽くした。城のものを皆に分け与えた。自分の持ちうるもの、すべてを。
 それでどうなったか。
 人々は堕落した。
 働くこともせず、酒を飲み踊り明かして夜を過ごした。
 そして、村は落ちぶれた、城の富は食いつぶされた。ふた月とかからなかった。
 責任をとらされて伏羲は山の中の城へ押し込められた。化け物が住まうとされている山の中。
 人間に幻滅し、伏羲は山の中ですごした。畑はあった。食うには困らなかった。
 しかし、いつのことだったか。
 城に人が迷い込んだことがある。今日の楊ぜんのように。伏羲は久々にあった人間に懐かしさを覚え、ふと、農村のことを尋ねた。話はかみ合わなかった。怪訝な顔をした伏羲に彼はいった。
「伏羲なんて伯爵は30年も前に死んでしまった」
 自分がその伏羲だというと男は笑った。
「莫迦なことを言っちゃいけない。あんたはまだ20歳にもなってないじゃないか」
 化け物が住まうとされている山の中で、化け物になっていたのは伏羲だった。
 それから、すぐに山狩りがあった。狩られたのは、伏羲だった。人々は不老不死に惹かれ、奇妙なことを思いついたらしい。不老不死の伏羲の肉を食えば自らも不老不死になれるのではないのかと。
 伏羲は城の門を閉ざした。
 誰もここにはたどり着けなかった。

「この森はどうやら、人間を選ぶようだのぉ」
 話終えた伏羲は笑った。
 楊ぜんは伏羲の幼い、それでいて妙に年老いたように見える笑顔を見つめ、小さく呟いた。
「それで、あなたはずっとここにいるんですか。誰とも関わらず? ――それで、あなたは淋しくは無いのですか」

next.

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