光の庭




04.



「何故帰ってきたのだ」
 いまいましげに伏羲は言った。
「せっかく本当のことを教えてやったのに。おぬしは莫迦か」
 じろりと楊ぜんを睨みあげた目は鋭い。楊ぜんはほんの少したじろいだ。
「僕は……」
「ここはおぬしなどの来る場所ではない。さっさと帰れ」
 きつく言い放たれて楊ぜんはむっとする。
「僕も選ばれたんです」
「何?」
「僕もこの森に……この庭に選ばれたんです!」
 黙って自分を見つめる伏羲に少し気おされつつも楊ぜんは口を開く。
「あなたの言うとおり、森を下りました。帰ってこないつもりだった。だけれど、気になって後ろを振り向いたら、すぐそこにここの門が見えた。僕は選ばれたんです」
「方向音痴なのではないか」
 にやりと伏羲は笑った。
「どうしてそんなこと言うんですか。あなたにとって僕は仲間でしょう」
「仲間?」
「そうですよ。僕が森に選ばれたってことは、僕もあなたと一緒に長い時を生きる。仲間じゃないですか」
「仲間など要らぬよ」
 そっけなく言い放って伏羲はさっさと背を向け歩いていってしまう。楊ぜんは、見捨てられたような気分になって戸惑い、それから慌てて伏羲の後を追いかけた。
「あの」
「なんだ」
「怒ってるんですか」
「何を」
「僕が帰ってきたこと」
「おぬし理解力と言うものがないのか。怒っているに決まっておろう」
 楊ぜんはきゅっと唇をかみ締める。なにもそんなに冷たい言い方しなくったって、いいじゃないか。
「僕のこと……嫌いなんですか」
「人の忠告をきかぬ者は嫌いだ」
 取り付く島の無い答えに楊ぜんは黙り込んだ。沈黙のまま2人は歩き続ける。屋敷の扉の前にたどり着いたときぽつりと楊ぜんは言った。
「帰ります」
「何」
「帰るっていったんです!」
「おぬし、莫迦ではないか。帰れるはずなかろう。始めにそう言ったはずだ」
「なんですか、あなたは。さっきから人のこと莫迦莫迦って!」
 憤慨して楊ぜんは叫んだ。目に涙がたまる。悔しい。だけど、こんな奴の前で絶対絶対泣くものか。
「実際莫迦だから莫迦だといったのだ」
 対する伏羲は冷静沈着としている。それがさらに楊ぜんの怒りを煽った。
「それは、あなたはさぞかしお利巧なんでしょうね。貴族様ですものね! どうせ僕みたいな貧乏人はあなたにとって皆取るに足らない莫迦ばかりなんだ。そうやって人のことずっと莫迦にしてればいいんだ。僕はあなたとなんか暮らしていけない。行き倒れたってここから出ます!」
 くるり。
 急に伏羲は振り向き。そして笑った。
「おぬしは子供だな」
「なんですって?」
 楊ぜんは声を張り上げる。
「そうやってどうにもならぬ怒りを人にぶつけて、それで楽しいか」
「楽しいわけないでしょう。僕は怒ってるんです!」
「そうか」
 伏羲はふっと笑うと屋敷の扉を開いた。
「おいで。どうせここにはわしとおぬししかおらぬのだ。今更どうこういったところで仕方なかろう」
 突然変わった伏羲の態度に戸惑いながら、楊ぜんはこくりと頷くと屋敷へと入っていった。

 屋敷の中は相変わらず薄暗い。けれど楊ぜんはもう、この屋敷の住人だった。
 最初の数日はぼんやりしながら過ごした。
 けれど、数日目にして、楊ぜんは段々耐え切れなくなってくる。余りにも変化の無い。余りにもすることの無い屋敷での生活に。
 伏羲は何故何もしないことが辛くないのだろうか、それとも貴族にとってはそれは当たり前のことなのだろうか。
 ぶらぶらと廊下を歩く。長い廊下。2人きりにしては余りにも広すぎる。否、影たちがいるにはいるけれど、それが返ってなんだかつらい。影たちはよくしてくれるし、こんなことを言ってはいけないことは判っているのだけれど、影さえいなければまだ楊ぜんには料理とか掃除とか洗濯とか、そういうこまごまとしたことができるのに。
 そんなことを考えつつぼんやり歩いていると、ちょうど影たちが洗濯物を干しているところだった。影たちは日のあたるところには出られないから、当然洗濯物も屋内に干すことになる。
 ぼんやりとそれを見ていた楊ぜんは突如、影たちに走り寄った。
「それ、やらせてくれないかな」
 影たちは戸惑ったように首を振る。
「やりたいんだ。僕洗濯物干すの結構好きだよ。お日様の光で乾かした方が絶対気持ちいいんだから。伏羲様もそのほうが喜ぶだろう」
 影たちはしばらく思案しているようだった。が、最後の伏羲様も喜ぶと言う台詞が効いたのか、洗濯物をそっと楊ぜんに差し出した。
「ありがとう」
 楊ぜんはにこりと微笑む。
 突然思い立ったことだが、それはなかなか良い思いつきに思えた。太陽の光でふんわりと暖かい服に袖を通せば伏羲のあのひねくれたような性格も直るような気がした。
 洗濯物を干すのは思ったよりも大変だった。当たり前と言えば当たり前なのだが貴族様の家に物干しなんか無いのである。楊ぜんは庭の木に影たちに探してもらったロープを結わえ付けることから始めなければいけなかった。
 ぱんっと洗濯物を広げるそれからちょっとのばしてからロープにかける。日の光は暖かくて楊ぜんはなんだか楽しくなってきた。洗濯バサミは見つからなかったけれど、この風の無い庭ならばまずおちることはないだろう。
「何をしておる」
 いつのまにか伏羲が側に来ていた。手には何か難しい本を持っている。書斎にでもいたのだろう。そういえば、書斎の窓からはここの場所が見えるはず。
「何って、洗濯物を干しているんですよ」
 楊ぜんはあっけらかんと答える。
「何故そのようなことを。影たちにやらせて置けばよいではないか」
「自分で干したかったんです」
 わざわざそんなことを言いに庭まで降りてきたのだとしたら伏羲もやはりよほど暇なのだと楊ぜんはおかしくなる。
「おぬしは莫迦か」
「いいえ。莫迦はあなたです。洗濯物はですね。太陽の光で干すものなんですよ。室内なんかで干すべきじゃないんです。影が外に出られないのならば、自分が干すべきです。あなただって暇なんだから」
「な……」
 一瞬、何もいえなくなった伏羲を楊ぜんは得意そうに見下ろした。
「わしは別に暇だと言うわけではない」
「本なんか読んだって、生活の糧にはなりませんよ。暇だから読むのでしょう。そんなもの」
 楊ぜんは決め付ける。これには伏羲も黙ってはいなかった。
「やはり莫迦はおぬしだ。本は知識の宝庫。人生を豊かにするものだ。読んだことも無いくせに変に決め付けるのは莫迦のすることだ」
 言い返されて、楊ぜんはたじろぐ。それは少なからず図星だった。
「でも……洗濯物をお日様の光で干すことも知らなかったくせに」
 ぽつりと楊ぜんは呟く。小声で言ったつもりだったが伏羲には聞こえていたらしく、彼は笑い出した。
「良かろう」
「え?」
 台詞よりも伏羲が笑い出したことが意外で楊ぜんはきょとんとする。
「わしも一緒に洗濯物を干すとしよう。その代わりおぬしもわしの本を読んでもよいぞ」
「でも。僕はどうせ字が読めませんから」
 怒ったようにすねたように言った楊ぜんに伏羲は笑った。
「よいよ。わしが教えてやる。最初は美しい挿絵を眺めるだけでもよかろう」
 そう言って伏羲は、洗濯物を手に取る。真っ白な洗い立ての洗濯物。ぱんっっと広げる。
 その時。
「――え?」
 2人は同時に顔を見合わせた。緑がかすかにゆれている。
「伏羲様今!」
「動いた、侵入者か? 莫迦な!」
 微妙な空気の動き。まるでそよ風のような。
 2人はともに門まで走り出す。
 花々の咲き乱れた庭。
 門までの距離はかなりある。
 走って、走って、たどり着いて。
 門は閉まっていた。
 もう、何も感じられない。
「誰か、中に入ったのでしょうか」
「否、門が開けばわしには判る。門は――開かなかった」
 2人はもう一度顔を見合わせた。
「勘違い……?」
「否、確かに、風が吹いておった」
「……この庭にも、風は吹くのですか」
「昔は吹いておった気がするが……最近はもう、わしが覚えておる限り吹いてはおらぬ」
 楊ぜんはぎゅっと手にもったままだった洗濯物を握り締めた。不意に心臓がドキドキしてきた。
 何か重たい歯車のようなものが、遠くでゆっくりと動き始めたような気がした。

next.

novel.