身代わりシンデレラ




01.



 ぽつんと冷たいものが頬にあたって、楊ぜんは空を見上げた。気がつけば9月の空は真っ暗だ。夕立。雷の音が近づいてくる。
 細い煉瓦の小道を楊ぜんは早足で歩きだす。濡れるのは御免だ。売上は悪いのだけれど男なんかに花売りの仕事を押し付けた韋護君が悪い。八つ当たり気味にそう思う。ちらりと花籠を見ると、もう萎れかけた薔薇が大半残っていた。ほんの少し申し訳ないような気持ちになって楊ぜんは薔薇を一輪手に取る。やはり雨を避けるためか早足で歩き出した身なりの良さそうな男に声をかける。雨に湿った髪が頬にへばりついて、それが酷く不快だった。
「あの、花はいりませんか?」
 こんな薄汚い通りに金持ちが集まるにはちゃんとわけがある。この辺はいわゆる花街だ。妾家や逢引宿から零れる金目当てに楊ぜんは花を売っている。
 男はうるさそうに楊ぜんを睨みつけ、ついでじんわりと湿った手で楊ぜんの手を握りこんだ。
「それよりオジサンはこっちの花がいいなぁ」
 いくら女顔とはいえ、女に間違えられるような格好は楊ぜんはしていない。露骨に眉をひそめると男はにたにたと笑った。
「かまととぶるなよ。初めてって訳じゃないだろう。お小遣い欲しいだろ。なぁ」
 そのままずるずると楊ぜんを引っ張っていこうとする。酔っているのか酒の匂いがした。声までがべとべととして粘着質だ。楊ぜんは乱暴にその手を振り払った。こういうやからは嫌いだ。
「そういう相手が欲しいんなら他あたれよ」
 つっけんどんに言い放つと歩き出す。客じゃないなら無駄に愛想振り撒く必要も無い。その肩を粘着質な男がべたりとつかんだ。
「お高く気取ってんじゃねぇよ。男娼風情が」
 下げずんだ声音。
 瞬間。完全に我慢の尾が切れた楊ぜんは思いっきり相手の足の間を蹴り上げた。男はそのまま汚い水溜りの中に倒れこむ。
 あ、やば。
 やりすぎたか。
 思ったときにはもう遅い。こういうときの常で楊ぜんは深く考えないことにした。
 雨脚が強い。早く帰らなくては。
 雨が体温を奪っていく。早足で歩き出す。今日は最悪だ。一秒後にはもう不愉快な男のことなど忘れている。
「のぉ」
 始めは空耳かと思った。雨は激しく降っていたし、もうあたりに人はいなかったから。
「のぉ」
 だから、二回目の呼びかけで楊ぜんはやっと自分が呼ばれることに気がついた。
 振り返る。
「誰」
 短く言って彼は目を開く。育ちの良さそうな少年が彼を見ていた。穢れないその姿は、およそこの場所に似つかわしくない。大きな瞳に見つめられて楊ぜんはなぜか急に居たたまれなくなる。自分がたまらなく汚らしいものになったような気がして。
「花をくれぬか」
「え?」
 とっさのことで、楊ぜんは少年が何を言っているのか判らなかった。頭がボケてしまって言葉が言葉として聞き取れない。
「花をくれぬか」
「ああ……」
 もう一度言われて楊ぜんは漸く思い至り、薔薇の花を差し出す。少年の言葉で動き出す玩具のロボットのように。雨を受けて花は生を取り戻していた。
「ありがとう」
 少年は手を差し出しにこりと笑う、楊ぜんは何気なく、手渡された硬貨を見る。金貨だった。
「こんなにもらえないよ」
 妙なところで律儀な楊ぜんは首を振った。
「いいから」
「だけど……」
「それより。明日もここにくればおぬしに会えるか」
 楊ぜんはきょとんとする。雨が激しい。目を開いているのもつらいほど。
 気がつけば少年は歩き去っていた。
 土砂降りの雨の中、ぽつんと立ち尽くして楊ぜんは呟いた。
「なに? そういうの、流行ってるの?」



 くしゅんと楊ぜんはくしゃみをした。
「ばーか」
 韋護が笑ってタオルを差し出す。金貨のせいで彼は機嫌がいい。韋護はこのあたりの元締めだ。
「雨の中、なにやってたんだよ。あんまり帰りが遅いからさ、どっかに連れ込まれたかと冷や冷やした」
「なにそれ。冗談になってないよ」
 タオルで髪を拭きながら楊ぜんはふくれた。
「あー。思い出しただけで気持ち悪い。こんな仕事斡旋した韋護君のせいだからね」
「それはそうと、楊ぜん。この商売物の余りはどうよ」
 韋護は花籠の中、再び萎れかけた花を指差した。
「いいじゃん。お金もらえたんだから」
「偶々気前のいい金持ちがそうそう現れるかよ」
「明日もくるかって言ってたから来るよ、きっと」
「あのなー、楊ぜん」
 韋護はふと、険しい顔になった。
「おまえ、身体売る気あんの?」
 楊ぜんはきっと韋護を睨みつける。
「莫迦にしてる?」
「お前の容姿ならさ。そりゃ、こんなもん、売らなくてもあっという間に稼げるだろ。ちょっと我慢すれば贅沢もし放題だ」
 いいながら韋護は売れ残りの薔薇を弄ぶ。
「僕にそうしろって言うの?」
 楊ぜんの声は険しくなる。話し方に棘がある。
「そのつもりなんじゃねぇのか。そいつは」
「そいつってどいつ?」
「だからさー。お前に明日もくるかって聞いたエロオヤジだよ」
「残念でした。親父じゃないよ。可愛い男の子」
 くすっと楊ぜんは笑った。
「ませてんなー。最近のガキは」
「韋護君ってさぁ。そんなことくらいしか考えられないの? 頭腐ってんじゃないの?」
「能天気だよな、おまえ。いいか。普通の可愛い男の子があんなところうろつくかよ。それとも何。お前の同業者だったわけ?」
「韋護君。僕本気で怒るよ」
 睨み付ける楊ぜんに韋護はなだめるように手をあげた。
「悪かったよ。でも、オカシイだろ。やっぱ、なんかあるよ。その可愛い男の子」
「そうかなぁ。ただの社会見学だったんじゃないの」
「社会見学にしては、えげつなさ過ぎるだろ。あの辺は。お前の言うとおり本当に可愛い男の子だったとしたら、そりゃ、喰われても文句言えないぜ」
「ん……。それは、そうかも。注意してやるかなぁ」
 楊ぜんはしばらく考え込む。
「困ったなぁ。せっかくの金蔓が……」
 呟いた楊ぜんにあきれ果てた韋護が言う。
「おまえさぁ。一度根性叩きなおしたほうがいいんじゃないの」
「ヤダね」
 楊ぜんの答えは単純明瞭だった。



 翌日。花かご一杯の薔薇の花を手渡され楊ぜんはふくれた。
「なんだよこれ! 昨日より多いじゃん」
「ノルマ。俺はおまえの根性叩きなおしてやることにしたの。全部売ってこなきゃ、仕事やんない」
「えーっ!」
 不満そうに楊ぜんは叫ぶ。
「無理だよ。無理。ねぇ、これ見てよ。こんなにあるんだよ」
 そう言って花かごをぐいっと突き出す。
「無理じゃねぇよ。さっさと行って来い」
「酷いよ。韋護君」
「あのなぁ。金稼ぐってのは大変なの。わかってる? 楊ぜん」
 ふくれた楊ぜんは何を思ったか、韋護の懐に飛び込んだ。
「ねぇ韋護君。結婚しない?」
「はぁ?」
 戸惑った韋護は素っ頓狂な声をあげる。勿論男性同士の婚姻など認められていない。
「ヤらせてあげるから、養ってよ」
 ぱちんと楊ぜんはウインクした。
「おまえとだけはお断りだ! さっさと行け」
「ばーかっ!」
 叫んで楊ぜんは花籠を揺らしながら出て行った。
 後に背後一人が残される。
「ったく。参るよなぁ……冗談で言うなよ」
 妙に冷めた表情で、韋護はぽつりと呟いた。



 いつもの場所。まだ、時間が早いから人通りは少ない。
 楊ぜんはため息一つついて薔薇を手にとる。漸く昼を過ぎたばかりのこの時間では、あまり売上は見込めないのだけれど。
「花は……」
「花をくれぬかのぉ」
 後ろから聞いたような声が聞こえて、楊ぜんは振り返る。
 昨日の少年が立っていた。
「会えたのぉ」
 悪びれもせず少年は笑った。
「いくつ?」
「一輪。と……おぬしの時間が欲しい」
 楊ぜんは眉をひそめる。昨日の韋護の言葉を思い出して、彼は嗤う。
「僕をどうしたいの?」
「話がしたいのだ」
「ベッドの上で?」
 少年はきょとんとする。
 不意に楊ぜんはおかしくなってクスクスと笑い出した。
「ごめん。君にこの手の冗談は通じないよね」
「判らないではないが、わしは純粋に話だけがしたいだけだ」
 少年は生真面目に答える。貴族のご子息様ではなかったのかと、楊ぜんは考える。それとも、最近は貴族様でも下品な冗談を言うようになったのだろうか。
「ああ、そう。でも悪いんだけど。これ全部売らなきゃいけないんだ」
 いいながら楊ぜんは花籠を見せる。
「生活かかってるんだよ。君みたいな貴族様にはわからないだろうけど」
「判った。全部買い取ろう」
 楊ぜんは肩をすくめる。
「まぁ……。君がどうしても全部欲しいって言うのなら、売ってあげないでもないよ」
「うぬ。それからのぉ……わしの妹になって欲しいのだ」
 楊ぜんはきょとんとした。
「あの、今、なんて?」
「妹になって欲しいと」
「お姉さんじゃなくて?」
 自分でずれてると思いながらも、楊ぜんはそんなことを聞いてしまう。
「わしのことを、お兄様と呼んでわしの屋敷に来てはくれぬか?」
 楊ぜんはちょっとばかり顔を引きつらせる。相手が少年じゃなければ変体と叫んで平手打ちの一つも食らわせてやるところだ。
「僕、そういうんじゃないんだ悪いけど。これでもね、堅気なの。わかる? そういうのはさぁ、然るべき人に頼んでよ。ほら、お金のためならなんだってするって人もいるんだし」
「しかしわしは、おぬしが欲しいのだ」
「はあ?」
 楊ぜんは段々面倒になってきて、ちょっと語尾を上げ、莫迦にしたように聞き返した。つまり、韋護の言葉はあたっていたわけか。目の前の少年よりも、そのことに腹が立った。
「僕にもプライドって物はあるんだよね。これでも。商売の邪魔だから、付きまとわないでよ」
「だから、花は全てわしが買い取ろう」
「それはかまわないけど。それと僕が君の言うことを聞くかって言うのは全然別の話だからね」
 きっぱりと楊ぜんは言い切る。
「話だけでも聞いてくれぬか?」
「何の話だよ」
 もうやけになって楊ぜんはおざなりに尋ねた。
「おぬしは去年の暮れに死んだわしの妹にそっくりなのだ」
 しばらくの沈黙。
「あのさぁ。すぐわかる冗談ってやめてくれない?」
 げんなりして楊ぜんは言った。
「君、いくつだよ。僕にそっくりな妹なんているわけないだろ」
「それは、おぬしは確かにわしの妹と同じ年ではないだろうが、妹がもうちょっと成長したらきっとおぬしみたいになったと思う。それくらい似ておるのだ。昨日おぬしを見かけたとき、本当に妹が生き返ったのかと思ったわ」
 死んだ人間に似ていると言われるのは、楊ぜんにとって決して気持ちのいいものではなかった。
「僕は君の妹じゃないよ」
 そっけなく楊ぜんは言い放つ。
「衣食住は保障する。わしと一緒に暮らしていてくれれば好きなことをしていてよい。ただ、時折、わしの妹として振舞ってくれればそれでよい。気が向いたら、わしの家に来てくれ」
 少年はぎゅっと楊ぜんの手の中に小さな紙を握らせた。
「ちょっと待ってよ。僕こんなの承知してない!」
「ああ、そうだ。花を買う約束だったな。これくらいでよいか?」
 花籠の中には金貨が10枚も残った。
 楊ぜんは呆然として、それを見つめた。金貨10枚。例えば必死で楊ぜんが一年間働いたとして稼げるかどうか……。そんな大金を持ったことは今まで一度もなかった。自然と身体が震えた。今にもひざが抜けそうだった。
 ――本当なのかもしれない。
 ぼんやりと思う。
 ――彼は本当に、気まぐれで楊ぜんを養うのに充分なくらいのお金持ちなのかもしれない。
 ちょっとだけ、我慢をすれば、もう寒い中何時間も立ちっぱなしで花を売らなくても済むようになる?
 楊ぜんの手のひらの上で金貨はじんわりと重かった。

next.

novel.