身代わりシンデレラ
02.
とぼとぼと家路に着き、ゆっくりとドアをあける。
「お、楊ぜん、早いじゃん。ちゃんと売って来たんだろうな」
いつもどおりの韋護の声に漸く救われたような気持ちになって楊ぜんは少しだけ微笑んだ。夢から現実に帰ったような気持ちだった。
「うん、売れたよ」
「売上は?」
楊ぜんはゆっくりと花かごを差し出す。
韋護はまじまじと楊ぜんを見た。
「凄いぼったくったわけじゃないよな」
「うん」
「いけないことして、稼いだわけでもないよな」
「怒るよ」
楊ぜんはそう言ったが、台詞にはいささか覇気がなかった。
「例の男の子か?」
「妹に似てるんだって」
「はあ?」
韋護は顔をしかめる。きっと自分もこんな顔をしたのだろうと思うと急に楊ぜんはおかしくなった。
「死んだ妹に似てるから、妹のかわりになってくれないかって言うんだ」
韋護は黙って金貨を見つめている。楊ぜんはそのまま言葉を続けた。
「凄いだろう。衣食住全部保障してくれるんだって。僕、お姫様だよ」
「承知したのかよ」
低い声で韋護が尋ねた。
「まさか! 王子様ならともかく、お姫様だよ。でも、正直ちょっといいかなって思った。だってちょっとだけお芝居してあげれば、楽できるんだよ。ねぇ、韋護君、この家知ってる?」
楊ぜんはそう言って、少年から渡された紙を広げた。住所と簡単な地図と名前。
「呂家か……知ってるよ。確かに、そこの令嬢が死んだよ。令嬢どころか、両親ともども事故死だ。生き残ったのはそこのご子息様一人だろ。家族が出かけてて一人だけ熱出して寝込んでたんだ。だから助かった。そいつだけ事故にあわなかった。呂家の党首は代々名前を継いでいくんだ。だから、今はそいつが太公望だ」
「太公望?」
「国王から直々に下された名前だよ。貴族様だ。桁違いのな」
「そう」
楊ぜんは呟いた。
「つりあわねーよ」
はき捨てるように韋護が言った。
「淋しい人なんだね」
なにか、考え込むように楊ぜんは手のひらのなかの紙を見つめる。
「淋しかねーだろ。俺やおまえとは違うんだ。一人で放りだされたわけじゃない。家来や女中が山ほどいるんだぞ」
「でも、家族とは違うよ」
楊ぜんはじっと紙切れ見つめていた。表情は見えなかったが、何故だか韋護には楊ぜんが泣き出しそうに思えた。莫迦な。コイツはそう簡単に泣くような奴じゃない。だけど。
そういえば、コイツも両親なくしてここに来たんだ。ぼんやりと韋護は思い出す。
「おまえ、莫迦なこと考えてるんじゃないだろうな」
韋護は楊ぜんの肩に手をかける。以前からふざけて何回もつかんだことのある肩が今日は恐ろしく細く感じた。
「おまえは、太公望の妹にはなれねぇんだぞ。そんなことしたって、2人とも苦しいだけだ」
「しないよ」
楊ぜんは呟いた。恐ろしく真実味の感じられない声で。
「いいじゃないか、おまえの家族は俺たちだよ」
「うん」
頷きながら、楊ぜんはぼんやりと考える。
では、太公望の家族は――?
誰がなってくれるのだろう。
夜。楊ぜんは何度も寝返りを打つ。
寝付けなかった。
思ってもいなかった太公望の事情。それが頭の中でぐるぐる回っていた。ひとりぼっちの寂しさを楊ぜんは良く知っていた。
まだ、10歳にもならない頃だった。真夜中に母親に揺り起こされ、白い薬を与えられた。母親の血走った目が怖くて楊ぜんは薬を飲むふりをして、寝巻きの中に落とした。川の字になって眠った。朝になっても誰も起きなかった。楊ぜん以外は。
それからずっと一人だった。冬の寒さに死にかけていた頃、韋護に助けられた。
あの冬の寒さだけは今でも覚えている。きっと一生忘れることなんかないだろう。
もしも、未だ太公望があの冬の寒さの中にいるのだとしたら。
ぱちりと目を開き楊ぜんは起き上がった。のそのそと着替え、莫迦みたいに眠っている韋護を見た。
「韋護君は淋しくないよね」
ここにはたくさんの仲間がいる。
「あの人、僕が必要なんだ」
足音を立てないように、雑魚寝同然に寝ている誰かの身体を踏みつけないよう注意しながら楊ぜんは外に出た。
外気は肌寒かった。ぼんやりとした朧月が彼を照らし出していた。彼を勇気付けるように。
歩き出した先は、彼が踏み出したことのない土地。
空が白み始める頃、楊ぜんはそこにたどり着いた。
見上げる建物は大きかった。楊ぜんが家と認識するものの数倍以上の大きさだった。こんな家に一人で住んでいるのだろうか。ぼんやりと思う。
――つりあわねーよ。
韋護の言葉が耳に木霊して、楊ぜんは怖気づいた。
門を叩いていきなり太公望に会えるとは思えない。自分の薄汚い格好では追い返されるのが目に見えている。踏み込む勇気のないまま、楊ぜんは自分の背丈よりはるかに高い門を見上げていた。
朝焼けが過ぎ、小鳥が囀り始めた頃、門のとなりの通用門らしき場所から女中が顔を出した。
とっさに逃げを打って、楊ぜんは後退する。
「あらあ、青華さま」
人懐っこく微笑んで彼女は言った。
楊ぜんは何も言えず、まじまじと彼女を見つめる。
「いいえ、違う。違うのね。でも本当にそっくり。さあ、どうぞ。お入りください」
それでも楊ぜんが動けないでいると、女中は丁寧に頭を下げた。
「あなた様のことは主人から伺っております。いつでもお通しするよう申し付かっております。ですから、どうか中へ」
「よろしいのですか」
小さく楊ぜんは尋ねた。お城のような家と丁寧すぎる女中の言葉づかいに完全にのまれていた。
「はい」
小さな女中に導かれるまま、楊ぜんはお城の中へ足を踏み入れた。
「青華様のことをお聞きになりますか」
歩きながら静かな声で女中が言った。
「それが、太公望……様の妹……様のお名前なのですか」
「ええ。とても可愛らしい方で私たち皆、あの方が好きでした」
「太公望様と仲がよろしかったんですか」
「それはもう、絵に描いたように。お2人は何をするにも一緒で、まるで双子みたいねって奥方様が」
「太公望様の?」
ちょっと考えてから、楊ぜんは言う。こういう家では案外早いうちに婚約してしまうものなのかもしれない。
「いいえ。もう亡くなられました奥方様です。わたくし、未だに信じられなくて……」
「太公望様には婚約者の方はいらっしゃるのですか」
「ええ」
ほんの少し女中の表情が硬くなったような気がして、楊ぜんは女中を見つめる。
「わたくし、あの方どうしても好きになれません。それは、美人でらっしゃるけど……あら、いやだ、私ったら」
そう言って、小さく女中は舌を出した。その仕草が初めて彼女の年相応に見え、なんだか微笑ましかった。
女中は長い廊下を進み、階段をいくつか上がり、一つの部屋の前に立った。
「ここが青華様のお部屋です」
楊ぜんは驚いて女中を見る。
「僕は、そんな……使用人部屋で充分です。それに……」
まだ、一緒に住むと決めたわけでもない。否、最初はそのつもりだったが太公望の家は楊ぜんの想像をはるかに超えていた。確かに、自分には似合わないと思えてしまう。
「いいえ。そのようなことしたら、わたくしが主人に怒られてしまいます。さあ、どうぞお入りください」
開かれた扉。部屋は韋護の家の二倍くらいはあった。毛足の長い絨毯と白を貴重とした豪華な家具。寝台にはピンクの天蓋。素晴らしく少女趣味だった。
楊ぜんはちょっとだけ呆れ、ちょっとだけげんなりし、そしてちょっとだけ微笑んだ。
「朝食は10時に。お迎えにあがりますので、それまでごゆっくりお休みください」
「はあ」
楊ぜんは、ほっとして、とりあえず寝台に腰掛ける。
「軽率なことしちゃったかなぁ」
投げやりに呟いてみたりして。
韋護君。怒ってるだろうな、きっと。
ばたんと寝台に腰掛けたまま後ろに体を倒した。そのまま少しまどろむ。そういえば、昨日は夜から歩き詰でろくに眠っていない。
つかれた……。
そのまま、楊ぜんは眠りに落ちていった。
しかし、彼はあまり眠ることは出来ない。
なにやら、騒がしい音に目が覚めてしまったから。
扉の向こうからそれは聞こえた。なにやら言い争っているようだった。男の声と女の声。たぶん、太公望とさっきの女中。
「いけません!」
悲鳴のような声とがたんと言う音。扉が開かれたのと、楊ぜんが飛び起きたのは同時だった。
「おお! 青華。無事だったのか!」
ばたばたと走り寄った何ものかに、上半身を抱きしめられ楊ぜんはぴたりと固まった。
何が起こったのか、一瞬わからなかった。
「良かった。おぬしが死ぬわけないのぉ。そうだのぉ」
抱きしめているのは太公望。視線を泳がせると、向こうで女中が申し訳なさそうな顔で、頭を下げた。ああ、女中の制止を振り切って太公望が部屋に入ってきたようだ。しかしこの剣幕は――
本当に勘違いしているのか?
楊ぜんは怪訝そうに太公望を見る。かりに顔が本当に瓜二つだとしても男と女。抱きしめてなお間違うわけがない。錯乱しているのか、演技なのか。
太公望はしばらく楊ぜんを抱きしめていたが、楊ぜんが何の反応も返さないのが判ると徐に身を離す。
「青華、どうした?」
自分の瞳を除きこんでくる太公望の瞳に狂気の色は伺えない。ならば、これは演技なのだろうか。
それならば、乗ってやろう。それがサービスと言うものだ。
「お兄様」
楊ぜんはそう言ってにっこり微笑んでみる。
太公望も微笑む。あけっぴろげに。嬉しそうに。
その瞬間、楊ぜんは思った。
生前の青華はどんな風に微笑んだのだろう。どんな風にしゃべり、どんな癖を持ち、どんな風に彼に愛されたのだろう。
いままで、誰も楊ぜんの仕草一つにこんなにも喜んでくれた人はいなかった。楊ぜんの中で何か大きな変化が起こりつつあった。
できることならば全部、彼に再現してあげたい。楊ぜんのできることならば何だって。
彼が今のように、笑ってくれるのならば。
next.
novel.
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