身代わりシンデレラ
03.
食堂は酷くひっそりとしていた。大きなテーブルにたくさんの女中達が見守る中、二人だけの食事。
楊ぜんは大人しく食事をしながらも酷く気まずい。やわらかいパンに、ほうれん草のスープ。サラダ。朝からの贅沢。それまでの楊ぜんにとっての朝食は固いパンを一つ齧るだけのものだったから。どうにも勝手が違う。
「そんなに不味くはないと思うのだが……」
意味も無くサラダを突っつきまわしている楊ぜんを気にして、太公望は言う。
「いいえ。美味しいです」
慌てて楊ぜんは微笑んで見せた。ここでは裏路地の楊ぜんでいてはいけないのだ。
「おお、そうだ。そういえばダイエットをしていたのだったな」
太公望は笑う。
「おぬしはやせる必要など無いのに」
生前の青華はダイエットをしていたのか……ぼんやりと楊ぜんは考える。
これ、全部食べてしまったら拙いだろうか。でも。
「残したらどうなるのですか?」
「……それは……ゴミになるのだろうな」
「じゃあ、食べます」
ほんの少し腹を立てて楊ぜんは言った。この食事代稼ぐのにどれだけ苦労をするのかも知らずに青華という人はダイエットなんて悠長なことをしていたのか。死んだ人に――それも貴族のお嬢様なんかにそんなことを言ったって無駄なこととは判っていたものの、どうしても楊ぜんはそんなことを考えてしまう。
「それが良い」
太公望は微笑んだ。
「今日、仕立て屋を呼ぶからのぉ」
急にとんだ会話に楊ぜんは着いていけない。
「え?」
「おぬしに似合う服を仕立ててもらおう」
太公望はいう。そういえば楊ぜんは来たときと同じ薄汚れた身なりをしていた。部屋に青華の洋服はたくさんあったもののさすがに部屋と同じく少女趣味なそれに袖を通す気にもなれなかったし、いくらなんでもサイズが違っただろう。
「それは、ありがとうございます」
「なんだ、さっきからおぬしは随分と他人行儀だのぉ」
太公望は笑う。
楊ぜんは困って微笑んだ。青華のことをもっと知らなければ、化け続けるのは難しそうだ。いきなり身内として振舞うにはいささか常識が邪魔をする。
食事が終わると、一緒に庭を歩こうという太公望をとりあえずごまかして部屋付の女中に話し掛けた。瑠璃という名で、それが最初にあった女中だった。
「主人をかまってくださらないんですか?」
くすくす笑いながら女中は言った。朝食時の楊ぜんの困惑振りが面白かったらしい。
「そんなこと言ったって。僕は青華さんのことを知らなさ過ぎるよ」
「主人だってきっと、あなたが青華様でないことは判ってらっしゃるはずです。あなたがあわせてくださるから、嬉しくてしょうがないの」
あんな嬉しそうな望様は久々だわと女中は笑った。
「だから、僕もあわせてあげたいんだ。喜んで欲しい」
「あなたはいい人ね」
女中は楊ぜんを見る。
「でも忘れないで、青華様はもういないの。あなたはあなたでしかない」
「君もそういうこと言うのかい? 僕にはつりあわないって」
楊ぜんは勢い込んで口を開く。
「違うんだ。僕は単純にあの人に喜んで欲しいだけだよ。僕、誰かのために何かをするのなんて、初めてなんだ」
それは本当に楊ぜんの正直な想いだったから、楊ぜんは素直にそう言う。誰かのためにちょっとだけ自分が役に立てるのがこんなにも幸せなことだなんて、楊ぜんは今まで気がつかなかった。愛情はいつだって、与えられるもので、それを受けることこそが幸せだと思っていたから。
「そう」
ほんの少し、悲しそうに女中は微笑んだ。
そして、それでも、楊ぜんにあれこれと教えてくれた。青華が太公望のためにマフラーを編んでいたこと、ピアノを弾いていたこと、太公望と一緒によく星を見たこと。太公望の語る星座の神話がことのほか好きだったこと。小さな子犬を飼いたがっていたこと。好きな食べ物、嫌いな食べ物。お気に入りの場所。
それはどうにも楊ぜんの暮らしとはかけ離れていた。青華に近づくにはどうしたらいいだろう。
「マフラーとピアノね」
楊ぜんはちょっと考える。
「瑠璃、それってどっちが大変かな? つまりその。覚えるのに」
瑠璃はちょっと笑う。
「ええ、たぶん、ピアノだけ覚えれば、問題は無いわ。青華様、あまり手芸はその……お得意ではなかったから」
部屋で見つけた青華の編みかけのマフラーは、確かにちょっと酷いありさまだった。
「ロープみたいだね」
「目がきついんです。初心者にはありがちなことですけれど」
「太公望様は知っているの? 青華がこれ、編んでたこと」
「ええ」
楊ぜんはちょっと考える。太公望はきっと妹の下手なマフラーが出来上がるのをとってもとっても楽しみにしていたのだろう。そして出来上がったら、平気でそれを使って町を歩くつもりだったのだろう。幸せな青華と幸せな太公望の姿が目の裏に浮かんだ。
「編物は止めよう。これは青華がつくったものだから、そのままにしておくのがいいと思う。僕は青華じゃないからね。これには手を加えられないよ。瑠璃、君はピアノは弾けるかい?」
編物を置いて楊ぜんは瑠璃を振り返った。
「ええ、たしなみ程度には」
「教えてくれる?」
「青華様、ピアノはお上手でしたよ。そんな、すぐに上手くなるものでも……」
「僕は、この手のことにかけては天才なんだ」
何の根拠も無く楊ぜんは言って、少し笑った。
「でも、そろそろ、仕立て屋さんが来るころかな……」
部屋を出て下に下りると太公望が待っていた。
「何をしておったのだ?」
「内緒」
楊ぜんははにかんだように笑ってみせる。
「最近瑠璃とやけに仲が良いのぉ」
「もとから、仲良しでしたよ」
「そうであったか」
深く追求することもせず、太公望は笑った。
「お兄様はお洋服を仕立ててくださるのでしょう?」
「ああ、そろそろ来る頃であろうな」
「そう思って降りてきたんです。お兄様は何を?」
「おぬしが着てくれないから、一人で庭をぶらついておったよ。薔薇がもう少しで咲きそうだ」
薔薇と言えば、夜中に売り歩いた嫌な思い出しかない。楊ぜんはそれでも笑顔を作った。
「どんな薔薇ですか?」
「イングリッシュガーデン」
「は?」
楊ぜんはきょとんとする。
「クリームイエローの薔薇。色が変わるのだ」
ああ、今のは、薔薇の名前だったのか。ぼんやりと楊ぜんは理解する。
「見に行くか?」
「はい」
太公望について楊ぜんは庭に出る。
「棘があるからのぉ、うかつに触ってはならぬよ」
途中真っ赤な薔薇が咲いていた。楊ぜんが真夜中に立ちっぱなしで売り歩いていたような。
なんだ、薔薇、たくさんあるんじゃないか。
ただし、庭の薔薇は楊ぜんの薔薇よりも数倍は立派だった。
「おいで」
赤い薔薇をぼんやりと眺めていた楊ぜんを太公望が手招きする。
「ほら」
太公望が見せた薔薇のつぼみは上品な薄黄色で、今にも咲き出しそうだった。
「おぬしが見ているから、薔薇も喜んでおるであろう?」
「薔薇に心なんかあるものですか」
太公望の言葉にちょっと呆れて、楊ぜんはつい本音を漏らす。
「いや、見てくれる誰かがいるから、薔薇はそれだけ美しく咲くのだ」
諭すように太公望は言う。この人はきっと青華が我侭を言い出したときにも、こんなふうにたしなめたのだろう。
楊ぜんは小さく首をかしげる。
「誰も見ていなかったら、薔薇は咲きませんか?」
「咲かぬであろうな」
確信したような声で太公望は言った。
楊ぜんには判らない。
「ご主人様ぁ、仕立て屋さんがお見えになりましたぁ!」
女中の大声で会話は一端中断された。
そのあと結局、楊ぜんは中性的にはみえるものの、まあまあ許せる範囲の洋服を作ってもらうことになった。恐れていたピンクのひらひらドレスだの――青華の趣味から言えばありうることではあった――ではなくてとりあえず満足である。
太公望は良く似合うよと言ってにこにこ笑っていた。仕立て屋は楊ぜんと太公望の会話にひたすら困惑しながらも、何も言わなかった。
「よかったのぉ、青華」
「ええ」
楊ぜんは微笑む。ちょっとしたサービスだ。
3時になるとお茶の時間だった。朝の食堂ではない。庭の見えるテラスでのお茶。白いテーブルに飾られた花を見て楊ぜんははっとした。庭を彩る美しい花々に囲まれて、ぱっとしない、みるからに安っぽく惨めな楊ぜんの薔薇。
「どうしてこんなもの……」
口の中で楊ぜんは呟いた。
「どうしたのだ、青華。早く席に着かぬか」
「お花、とってきましょうか?」
楊ぜんは尋ねる。自分と青華の違いがこの薔薇の違いに凝縮されているようで、楊ぜんは居たたまれなくなる。なんだか惨めな気分だ。
「どうして? ここにあるではないか」
「こんなもの。捨ててしまえばいいのに……」
「できぬよ。大切な人に貰ったのだ」
楊ぜんは太公望を見る。太公望はその今となってはみすぼらしくすら見える花に触れて続けた。
「美しい薔薇だよ」
楊ぜんは太公望に聞こえないように、口の中で小さくありがとうと呟いた。何かがほんわりと胸の中で溶ける。それはじんじんと広がって楊ぜんを満たしていく。
お茶の用意は整っていた。温めたティーカップに、冷やしたタルト。贅沢な生活に一日目にして楊ぜんは戸惑ってばかりいる。
「食べぬのか? 好きであろう」
からかうように太公望は笑う。楊ぜんは小さなケーキフォークでタルト相手に四苦八苦する。ちゃんとしたテーブルマナーなど学んだことの無い楊ぜんには、ケーキを綺麗に食べるのも結構難しい。
楊ぜんはフォークを放り出してため息をついた。
「ダイエットしてるんです」
太公望はにこりと笑って楊ぜんのケーキをフォークで綺麗に一切れ取ると、楊ぜんに向かって差し出した。
「あーん」
楊ぜんはちらりと太公望を睨み、それから仕方なく口を開く。これもサービスだと心の中で念じながら。
押し込まれたケーキは甘く、口の中に広がる。美味しいものを食べると幸せになる。気を取り直してくすっと楊ぜんは笑った。
「おいしいです。意地悪」
「テーブルマナーなどどうでも良いのだ」
ぽつんと太公望が言った。
「ここにはわししかおらぬ。おぬしを嗤うものもおらぬ」
ふわりと、楊ぜんの心の中にまた何か温かいものが流れた。青華ではない、楊ぜんに向けられた言葉だった。
時間はまどろむように過ぎてゆく。午後は太公望と他愛の無いおしゃべりをし――とは言ってもしゃべっているのはほとんど太公望で楊ぜんは終始聞き役立ったのだが――なだらかに過ぎてゆく。
夜は太公望と星を見た。新月だから星が良く見えると太公望に庭へ連れ出されたのだ。あれこれと太公望は星座を示したが、生憎楊ぜんにはどれも判らなかった。特に面白いとも思えない。星などそこにあるだけで、綺麗だけれどそれ以上の意味は無い。
ただ一点。刺すように輝く宵の明星、火星だけが酷く目に付いた。
「淋しそうな星ですね」
そのときだけ楊ぜんは口を開いた。
「そうかのぉ」
「ええ、誰かに気付いて欲しくて一生懸命光ってる。でも、結局――明るすぎて周りの星になじめないんです」
何故自分はこんなことをしゃべっているのだろう。楊ぜんは少しだけ自分に戸惑う。韋護あたりに聞かれたら笑い飛ばされそうだけれど、太公望は頷きながら聞いてくれる。その空間が心地良い。
「明るすぎるのか」
楊ぜんの言葉を汲み取ろうと、太公望はそっときいてくれる。
「ええ。ただ、みんなに認めて欲しいだけなのに」
「おぬしは……面白いことを言うのぉ」
太公望は感心したように笑った。
この最初の一日がこれから後繰り返される呂家の日常であった。
しかし、楊ぜんにはもう一つ日課となったことがある。夜、太公望が部屋に下がってから音楽室で瑠璃にピアノを習うこと。
ホントにやるんですかと驚いた瑠璃に楊ぜんは言った。
「世話になってるからね。ちょっとしたサービスだよ」
「それだけじゃ、続きませんよ。きっと」
楊ぜんは何も言わずに鍵盤を叩いた。
ぽろんと優しく音は響いた。
next.
novel.
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