ペルソナ 01



 だって、私は、太公望様が好きなんです。
 少女はそう宣言すると、ぐいっと胸を張った。長い髪をお下げにして、いつも青い服を着ている。背は太公望よりちょっと低いくらい。桃を盗みに行った倉庫の帰り道。
 太公望は心の中でちょっとうんざりする。いつもなのだ。まるで沸いて出たように神出鬼没に現れては太公望に付きまとう。
「そんなこといわれても、おぬしの期待には添えぬと言っておろう、ええと……」
 太公望はあさってのほうを見た。とたん、少女は膨れる。
「奈海です。こんな絶世の美少女の名前忘れるなんて信じられないですよ」
 確かに奈海はかなりの美少女だったりするのだが、しかし、太公望にしてみれば孫同然の年の少女だ。恋愛の対象にはならないのだ。っていうか、はっきり言ってなりようがない。実のところ太公望にはすでに胸に秘めた思いがあったりするのだから。
「あ、今誰のこと考えたんですか?」
 目ざとく奈海は尋ねる。
「おぬしには関係ない」
 優しくすると付け上がるので太公望はわざとそっけなく言った。
「判った。初恋の人でしょ」
「別に誰でもいいであろう」
「良くないですよ。ライバルですもん」
 奈海はそういって膨れる。太公望はやれやれと思う。
「わしみたいなジジイあいてにせずとも同年代の男でも追っかければよかろう」
「同年代の男にろくなのはいません」
「同年代でなくても、ほれ、なんとかって言うアイドルグループとか」
「楊ぜん様とか?」
 奈海はそういってにこりと微笑む。太公望はちょっと考える。奈海がつきまとうのをやめてくれるのはうれしいが、それが楊ぜんに向かうと言うのはどうだろう。楊ぜんはやたらと女性にもてるし、っていうか男性にももてるし、だけれど、みんなやんわりと断っているようだから、姫発のような女好きというのではないようだ。
 楊ぜんは真面目だから、案外教義に従って何の疑問も抱かず女性を遠ざけているのかもしれないが。
 しかし、奈海は結構可愛いのだ。それに結構しぶとい。案外楊ぜんなど押されまくってころりと騙されるかもしれない。否、騙されると言うのはサスガに奈海に失礼であったか。しかししかし……。
 太公望が延々悩んでいると唐突に奈海は言った。
「安心してください。私は太公望様一筋ですから」
「いや、それは……」
 それで困るのだが。
「まあ、私も楊ぜん様がとても美しくてすばらしい方だっていうのは認めます」
 あまりにもはっきりと断言した奈海に太公望はきょとんとした。
「でも、す……太公望様の足元にも及びませんよ」
 つづけて奈海は言い切る。
「楊ぜんに聞かれたら、いやみの一つでも言われそうだのぉ」
 太公望は苦笑した。
「言いませんよ」
「?」
「だって、楊ぜん様はとてもお強くて心の広い素敵な方ですから」
「おぬし、やはりわしではなくて楊ぜんにほれているのではないか?」
 太公望はからかう。
「違いますよ。楊ぜん様は綺麗で格好いいですけど、私が好きなのは太公望様ですから」
 奈海はそう言ってにっこりと笑う。
 奈海のやつ、それにしては随分と楊ぜんをほめるのぉ。
 太公望は考える。
 まさか、わしと仲良くなってから楊ぜんを手に入れようと言う魂胆か。渡さぬ。渡さぬぞ。卑怯な手を使いおって。太公望はぐいっとこぶしを握り締め心に誓った。
 多分ばればれだとは思うが、太公望の心に住んでいるのは楊ぜんなのだ。その美しい髪と綺麗な顔、時折見せる小憎らしいけれど可愛い表情、そして密かな太公望に対する優しい心遣い、そんなのを考えるだけで太公望の心は遥か北斗七星まででも飛び立ってしまう。最愛のマイラバーなのだ。
 しかし、男同士と言うことと、自分がまだ道士であるということ、そして何よりも果たさねばならない使命があると言うことが災いして、太公望は未だこの想いを楊ぜんには伝えられずにうじうじと悩んでいるのだ。
「ね、太公望様。明日こそは私とデートしてもらいますからね」
 奈海は宣言してじゃあ、私もう行かなくちゃと帰っていった。
 真っ青な髪のお下げをゆらゆらと揺らしながら。
 太公望はホッとして城に戻ることにする。そして城に程近いところで、今度は楊ぜんと会った。
「おや、師叔。いいことでもあったんですか?」
 悩んでいる太公望を前に楊ぜんは頓珍漢なことを言った。太公望は苦笑するしかない。落ち込みそうだ。
 しばらく二人で歩いた後、楊ぜんはおもむろに口を開いた。多少、言いにくそうにしながら。
「あの、師叔。僕なんかがこんなことを言うのは恐縮なんですけれど」
 楊ぜんは、そういって太公望を伺う。そんなにかしこまらなくていいのにと太公望は思う。悩み事でも相談事でもどおんとぶつけて欲しいと思う、そうすればもっと親密になって自然にイイ感じになれるかもしれない。
「彼女と付き合ってみたらどうですか」
 があんとハンマーで思いっきり頭を殴られたようなショックを太公望は感じた。見られていた。のみならず応援されてしまった。よりによって最愛の意中の相手に。太公望のショックが伝わったのか楊ぜんは慌てて言葉を付け足す。
「あ、あの。師叔。気晴らしも必要だと思うんです。彼女には悪いですけど。師叔は計画のことを思いつめてらっしゃるようで、それがどうも傍で見ていて心苦しくて……」
 ああ、楊ぜんはやさしいのぉ……。そう思いつつも心の中で太公望は男泣きに泣いていた。気晴らしでもなんでもいい。それこそわしを見てくれ、よーぜんっ! 口には出せない心の叫びである。
「師叔、あの、ひょっとして、彼女のこと、お嫌いですか」
「嫌いではないが……まだ子供ではないか」
 太公望はちらりと、楊ぜんに意味ありげなまなざしを送った。わしはもっとおぬしのような……のぉ。わかるであろう?
「なるほど……師叔は大人っぽいほうがお好きなんですね」
 楊ぜんはうなずいて。判りましたといった。
「何がわかったのだ?」
「いえ。こちらの話ですから」
 楊ぜんはにこりと微笑む。ご機嫌だ。太公望は複雑な思いで楊ぜんを見上げた。
 楊ぜんはたぶん、なんにもわかってない。

 翌日。どうも、奈海に行動パターンを読まれているような気がした太公望は密かに桃を盗みに行くルートを変えてみることにした。遠回りしつつ木の陰に隠れつつきょろきょろと辺りをうかがう。
「師叔。なにやってるんですか」
「のわっ!」
 後ろから声をかけられて、太公望はひっくり返りそうになった。慌てて体勢を立て直す。
「お、おぬしこそ何をしておるのだ!」
「ああ、ちょうど師叔が桃を盗みに行くころだなと思って……」
 なんと。奈海にだけでなく楊ぜんにまで行動パターンを読まれていた。しかしコチラは嬉しい太公望は心の中でにやりと笑う。これはもしかすると以心伝心と言う奴だろーか。
「盗みはいけませんよ。師叔」
 楊ぜんは怖い顔をつくる。
 が、それすらも可愛いと感動する太公望はすでに片思いの末期状態。自然とにやけそうになる顔を何とか引き締めた。
「違うよ。楊ぜん。わしは桃泥棒を捕まえに行くのだ!」
「嘘はいけませんよ。師叔でしょう犯人は」
「ぬぅ」
 決め付けられた太公望は困る。勿論口からのでまかせだからだ。太公望はさらに嘘を重ねることにした。
「わかった。桃泥棒の罪は潔く認めよう。しかしな、わしが盗んだ以上に桃の減り具合が激しいのだ。つまり、わし以外に桃泥棒がいるということであろう。楊ぜん。わしは今からその不届きな奴を捕まえに行くのだ」
「なんと。確かに師叔一人にしては桃の減り具合が早いとは思っていましたが……」
 楊ぜんは考え込むしぐさをする。
 ああっ。こやつめ、簡単に騙されおって。可愛いのぉ〜。
「判りました。お手伝いしましょう師叔!」
 楊ぜんは腕まくりする。
 楊ぜんが付き合ってくれるのはうれしいが、それでは桃が食べられなくなってしまう。太公望は食い意地と恋心を天秤にかけた。
「しかしのぉ、楊ぜん。二人もいたのでは桃泥棒が逃げてしまうであろう。ここはわしが桃泥棒の汚名を晴らす」
 どうやら食い意地をとったらしい太公望は格好よく宣言する。
「それもそうですね……わかりました」
「ああっ。でもわしの武勇伝が聞きたくば、夜わしの部屋に来ると良い」
 太公望はさりげなく楊ぜんを誘った。
「いえ。師叔のお邪魔をするのは悪いですから……」
 が、成功はしなかったようだ。さっき、恋心を取らなかった報いかもしれない。ちょっとがっかりする太公望である。食料庫への足取りも心持重い。
 しかしそれはそれ、首尾よく桃を盗み、ほおばりながら帰るその帰り道。
「太公望様ーっ!」
 あっけなく太公望はこんどは奈海に見つかった。
「だああっ。また現れおって」
 煩そうに太公望は追い払うしぐさをする。
「そんな、邪魔ものみたく言わないでくださいよ」
「ホントに邪魔だ」
「ひどぉい」
 奈海は顔を覆って泣くまねをする。
「慰めたりはせんぞ」
 冷たく太公望は言い放った。ふんと奈海は膨れる。
 それからにこりと笑った。
「まあ、いいです。それより私、変わったと思いませんか?」
「何も変わっておらぬぞ」
「ちゃんと見てくださいよ。全然見てなかったじゃないですか、今」
「うぬぅ」
 太公望は仕方なく奈海を見る。
「背が伸びたか?」
 5センチくらい。ってそんな莫迦な。
「はい」
 が、奈海はにっこりと微笑んだ。
「気取ってハイヒールなんか履いてると足をひねるぞ」
「ハイヒールじゃないですよ」
「じゃ、なんなのだ?」
「成長期です」
 奈海は胸を張る。そんな莫迦な。
「小憎らしいのぉ」
「太公望様はそのままで可愛いからいいんですよ」
 にっこり微笑んでいった奈海の台詞に太公望はちょっとカチンときた。
「男に可愛いなんていう女はカワイクない」
「……ごめんなさい」
 奈海はしゅんとする。いつも煩い奈海に、そう素直に謝られると太公望はどぎまぎしてしまう。
「いや、別に良いよ」
「はい。気をつけます」
 奈海は小さく微笑む。誰かを思い出させるような微笑につい、見とれてしまってから太公望は、はっとした。いかんいかん。わしのアイドルは楊ぜんだと言うのに。
「あのぉ、太公望様」
 太公望が心の中でどたばたしていると奈海がためらいがちに話しかけてきた。
「他には?」
「は?」
「だから。他に変わったところ」
「別にないと思うが」
「無くないでしょう?」
 奈海はむっとした顔をする。それからあきらめたのか小さく呟いた。
「ちゃんと見てくださいよ。胸だって3割増しにしたのに……」
 そんな莫迦な。

 城に帰ると姫発が話しかけてきた。
「見たぞ。見たぞ。太公望。さっきのプリンちゃんは誰だよ」
「は? プリンちゃんとは?」
 太公望は素でとぼけた。
「さっき一緒に歩いてたじゃねーか。お下げの可愛い子だよ」
「ああ、奈海か」
「奈海ちゃんっていうのか。可愛いよなぁ。一度紹介しろよ」
 姫発は目をらんらんと輝かせている。奈海は確かにうっとうしいが、姫発のような女好きに会わせるのは心配だ。いつの間にか父親気分の太公望である。
「いや。しかし、あやつは……」
 太公望が言いかけると姫発は笑った。
「心配すんなよ。いくら俺でも人の彼女に手ぇだしたりしないって」
「は?」
 ちょっと待て。
「付き合ってんだろ。お似合いじゃん。俺の見立てによると、奈海ちゃんはかなりの美人になるぞ」
「付き合ってなどおらぬ」
「照れるなよ」
 姫発はにやにやしている。そんな噂が飛び交って万が一楊ぜんの耳にでも届いたらたまらない。太公望は慌ててまくし立てた。
「向こうが勝手に付きまとってくるだけであろう。子供の恋などはしかのようなものだ。そのうち熱も冷めるよ」
「そうかぁ? でも、もったいないぞ。あんな可愛い子」
 太公望は一つため息をつく。
「姫発よ。おぬし少々勘違いしているようだから言うが、わしは見た目どおりの美少年ではないのだぞ。年だっておぬしの三倍近くくっておる。奈海など孫のようなものだし、第一わしはもう恋などに現を抜かすには年をとりすぎておるよ」
 判ったであろうと、太公望は姫発を見る。
「それは嘘だな」
 姫発は一蹴した。
「俺はさ、そういうのはなんとなくわかっちゃうんだ。だから怒るなよ。怒らないで聞けよ。俺はさ、楊ぜんよりは奈海ちゃんを推す。お前が女なんか興味なくて触るのも嫌だっていうんだったら話は別だけどよ、そうでないんなら、奈海ちゃんにしとけ。わざわざイバラ道を進むことなんかねーよ」
 太公望は固まる。目が泳ぐ。完璧に隠し通していると確信していただけに、とっさに反応できなかった。
「安心しろよ。気づいてるのは俺だけだ。たぶんな」
 姫発は笑う。
「そうか」
「おまえ、楊ぜんに似てるから、奈海ちゃんと付き合ってるんだろ」
 その一言は衝撃だった。
 似て、いるのだろうか。奈海と楊ぜん。
 考えたこともなかった。太公望にとって楊ぜんは置換のきく存在ではなかったし、奈海などはじめから相手にしていなかった。正直なところ、まともに顔を見たことも無いのだ。
「違うのか? 俺、てっきりあんたが奈海ちゃんに楊ぜんの面影を重ねてるんだと思ってた」
「いや……」
「そうか。なら、ますますそうしろよ。遠くから見ててもさ、あの子が凄いあんたのこと好きなの判ったよ」
 太公望は黙っていた。それから、さっきの奈海の微笑を思い出していた。
 そして考えていた。ずっと。

 ひょっとしたら、わしはものすごく莫迦だったのやもしれぬ。

 翌日。太公望はじろじろと楊ぜんの顔を見ていた。
 青い髪、長いまつげ、白い肌。あの顔をうーんと幼くする。ついでに背も低くなる。で、髪を編んでみる。ちょっと、小生意気そうな顔で、すねたように口を尖らせて……
「あの。師叔。さっきからなんなですか? 人の顔をじろじろと」
 楊ぜんが居心地悪そうに眉をしかめた。太公望はかまわず口を開く。
「おぬしがな、わしの知り合いに似ておるのだ」
「へえ、以外ですね。それはさぞかし綺麗な人なんでしょうね」
 興味なさそうに楊ぜんは書面に視線を落とす。
「奈海というのだがな。知っておるか?」
「さあ、知りませんね」
「知っておるであろう?」
 楊ぜんは顔を上げる。
「いいがかりはやめてくださいよ」
「そんなことしておらぬ。確認しただけだよ。知っておるはずだと思ってな」
「知りません」
 煩そうに楊ぜんは仕事に戻ろうと筆を執った。
「昨日、いや、一昨日だったかな。おぬしが奈海と付き合うとよいとわしに言ったではないか」
 ゆっくりと楊ぜんは顔を上げた。
「ああ、彼女でしたか。名前まで知りませんでしたよ。似てるかもしれませんね、確かに」
「おぬしの言うとおり、あやつと付き合ってみるよ」
 太公望は言って楊ぜんを見つめた。
 楊ぜんはしばらくして口を開いた。
「そうですか」
 目が泳いでいた。
 その日、奈海は現れなかった。

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