01.駅舎

 まるで異世界のようだ。
 ホームに一人取り残される形になった太公望はそんなことを考えつつ、辺りを見回した。前方には緑の山が連なり後方には寂れた駅舎。電車は行ったばかりで時刻表を見る限りあと1時間は来ないようだ。
 困ったのぉ。
 乗換えを間違えてしまったのだ。終着駅まできて折り返そうかと思ったが、電車はこのまま車庫に入るということで回送電車になってしまった。仕方なく、太公望はこんな寂れた駅に置き去りにされたというわけだ。
 当面の問題は次の電車が来るまでの一時間をどうして過ごそうかということ。無人駅なのをいいことに、太公望は外に出てみることにした。喫茶店でもないものかとしばらく歩く。白けた町並みが続いていた。とはいっても、いわゆる日本の一般的な田舎風景とはちょっと違う。どの建物も年季の入った洋館なのだ。そういえば駅舎も古ぼけてはいたがレンガ造りだった。
 意外に観光地なのだろうか。
 その割りにひとの姿を見かけない。誰もいない町というのは気味が悪い。気が着けばかなりの早足で歩いていた。
 15分ほど歩いていい加減引き返そうかと思ったとき、道が開けた。正面に噴水が見えた。大きな道が十文字に交差している。その真ん中が広場のようになっており、その真ん中に噴水があるのだ。
 不思議だ。こんなところに噴水を作ってしまったら車が通るのに随分と邪魔なのではなかろうか。それとも、車など通らないと言うわけか。
 しかしその疑問はすぐに太公望の頭から抜け落ちる。
 噴水のそばに、人が立っている。駅に降りてから始めてみる人間の姿に太公望はほっとして走りよった。
「観光の方ですか?」
 小さく微笑んでその人は言った。驚くほど整った顔は性別を感じさせない。ただその声で彼が男性であるとわかった。太公望は少しばかりがっかりしている自分を意識した。
「ああ、観光ではないのだ」
「そうですか」
 そういったきり、男はしゃべらない。太公望は多少居心地悪くなる。考えてみれば太公望は道ですれ違っただけの他人なのだから、男が無理に太公望と話をする必要などまったくないのだ。しかし、何故だか惜しいような気がして太公望はしゃべりだした。
「ほんとは帰省しておる友達を訪ねる予定だったのだがな、電車を乗り違えてしまって。次の電車は一時間後だというし」
「それはお気の毒に」
 ちょっとの沈黙。気を取り直して太公望はしゃべりだす。
「しかし、この町は全部建物が洋館でできておるのか?」
「ええ、ここはもともと外国人のための保養地だったのだそうです」
「ああ、なるほど。それで洋館か……」
 それならば、観光地としても面白そうだ。しかし、太公望は旅行のパンフレットでも代理店ででも一度もこの土地のことを聞いたことがない。
「どうせならもっと観光地として売り出せば儲かるのにのぉ」
「僕は嫌だな。静かに暮らしたいから」
 思わずきっぱりと言った男の言葉に、太公望はきょとんとし、それからすまぬと謝った。
「別にいいんですけれどね。でも、この町には海外から文化とともに悪いものも入ってきてしまったから、観光地には向かないと思うんですよ」
 悪いものとは風土病や何かのことだろうか。まさか今でも猛威を振るっているわけではなかろうが、そういうくらい歴史は観光地には向かないと言うことか。
「僕たちにとっては、偶にあなたみたいな人がこっそり紛れ込んでくれるだけでいいんです」
 男は微笑む。その微笑にはなにかしら背筋を冷たいものが走るようなぞっとさせるものがあった。
「どうせなら、観光していきませんか? なんなら今日は僕の家に泊まってもいい。あなたも疲れていることでしょうし、お友達には電話の一つでもかけておけばいいでしょう?」
 男は不思議な色の目をしている。青みがかった紫水晶のような瞳。その瞳を見つめるうちに太公望は急にがくんと力が抜けてしまったような気がした。そうだ、自分は長旅で酷く疲れている。これから戻ったところで友達のうちに今日中につけるかどうかも判らないし、夜中についてしまったらそれはそれで迷惑だろう。それよりも、今日はこの男の申し出に甘えてしまって明日の朝早く旅立ったほうがどれほど有益だろうか。
「そうだのぉ。そうさせてもらえると、助かるのぉ」
「ええ、勿論僕はかまいませんよ。あなた名前は? 僕は楊ぜんと言います」
「太公望だ」
「そう」
 楊ぜんは微笑む。
「いい名前ですね」

 楊ぜんはひたすらまっすぐ、大通りを歩いてゆく。観光していけといった割りに、彼は一切案内のようなことをするつもりも、珍しい建物の前で立ち止まるつもりもないようだ。
「のぉ。どこまで行くのだ」
「僕の家まで」
「それは助かるのだが、もうちっと町並みを見てみたいというか……」
 楊ぜんは振り返ってくすっと笑った。
「ダメですよ。日が暮れるまでに僕の家に着かないといけないんですから。でないとみんなが起きだしてしまいますよ」
「は?」
 太公望はきょとんとする。
「ということはこの町のものは夜にならぬと目覚めぬのか」
「ええ」
「どうして?」
 いささか気味悪く思いながらも太公望は尋ねる。昼夜逆転した生活を送るものがいるのはわかるが、それがこんな田舎町のましてや全員となるとかなり尋常ではない気がする。
 楊ぜんはちょっと考え込んで言った。
「体質かな?」
 そんな体質聞いたこともない。
 ぞくぞくした。何かがおかしい。
「おぬしは、そういう体質ではないのか?」
「ええ。僕も夜のほうが落ち着きますね」
 なんでもないことのように楊ぜんは答える。
「太公望さん。戻りたいですか?」
 くるんと振り返って楊ぜんが尋ねた。
「戻るなら今しかない。次の電車が最終かもしれない」
 まっすぐに楊ぜんは太公望を見つめている。長い睫、紫水晶のガラス張りの濡れたような瞳。深い瞳孔の奥底。戻ったほうがいい。なんだか判らないが戻るべきだ。この町はおかしい。
 だが、身体がぴくりとも動かない。喉の奥が引きつる。乾いている。あの瞳の奥を見てしまったから。
 くるん。再び身を翻して楊ぜんは歩き出す。振り返りもしない。まるで太公望が後を着いてくるのを疑っていない。そして。やはり太公望も歩き出してしまう。
 日が暮れるころ、楊ぜんの家に着いた。町の一番奥にあるひときわ立派な建物だった。
 建物の中に入ると楊ぜんは見るからに安堵の色を見せた。そして扉に幾重にも鍵をかける。それを身ながら太公望は自分の運命がふさがれていくような、なんともいいようのない気分になった。
 たぶん自分は楊ぜんにとらわれたのだ。
 洋館の一部屋に太公望は通された。掃除はされているようだが全体的に古びている。カーテンなんて色あせてしまってほとんど元の色がわからない。家具は皆アンティークで実際古めかしかった。
「この家には僕しか住んでいません」
 だから安心だと言うように楊ぜんはにこりと微笑む。邪気のない微笑がかえって恐ろしい。
 小さな部屋に通され、ティーカップに注がれたのは紅茶ではなく甘いホットチョコレートだった。一口飲むと少しだけ頭がすっきりした。
「あなたが泊まるといってくださってよかった」
 ホッとしたように楊ぜんは言う。
「しかし、考えてみたら随分と無用心なことをしたものだのぉおぬし。素性のわからぬわしを簡単に家に招き入れてしまってよかったのか?」
 ただ恐れているだけでは埒が明かない。太公望は少し探りを入れてみることにする。どちらにせよ、こんなところまで来てしまった以上、もう後戻りはできないのだ。
「外から来た人はあまり怖くないですから」
「すると、この町のもののほうが怖いと?」
「ええ。実際そうだと思います」
 思いのほかあっけなく楊ぜんは頷いた。
 それから少しばかり悲しそうな顔で何かを考えていた。
 しばらくして楊ぜんは微笑む。
「僕にこんなこと言う権利、ないんですけどね」
「この町はどうなっておるのだ?」
 どうも楊ぜんの言葉は要領を得ない。
 尋ねた太公望に、しかし返ってきたのはまったく別の質問だった。
「生きるために何かを犠牲にするのは、いけないことですか?」
「……それは、いけなくはないだろう」
 何を犠牲にするのかは問題だがな、と太公望は心の中で付け加える。
 しかし、その太公望の答えをまったく聞いていなかったかのように楊ぜんは早口で呟いた。
「やっぱり僕たちは生きていちゃいけないんだ」
 言って楊ぜんはがたんと立ち上がる。太公望もつられて立ち上がった。
「おぬし何を……」
 しかし太公望の声はさえぎられる。
 呼び鈴が鳴った。
 楊ぜんは固まったように動かない。空気が緊張をはらんでいる。
 もう一度呼び鈴が鳴る。
 太公望はそっと、楊ぜんを驚かさないように声をかけた。
「出なくてよいのか?」
 と、思いがけず強い力で楊ぜんが太公望の手を握り締めた。低く囁く。
「人間でいたいのなら、出ないほうがいい」
 太公望は小さく息を呑む。さっきからつかまれた楊ぜんの手がやけに冷たいのが気になっている。
「楊ぜんちゃ〜ん。莫迦なことはおやめなさ〜い」
 艶を含んだ女の声が聞こえる。若い女の声だ。
「あなたが何か企んでることなんて、わらわたち最初から気づいてたのよ〜ん」
「早くその獲物を渡すんだ。抜け駆けはいけないよマドモアゼル!」
 今度は男。
 獲物、と言う言葉に楊ぜんはさらにきつく太公望の手を握り締めた。太公望は瞬時に理解する。
 獲物とは、わしのことだ。
 では、楊ぜんが生きるために犠牲にしなければならないものと言うのは……
「あらん。わらわは別にかまわなくてよん。新しい血が手に入るのならば楊ぜんちゃんからだってかまわないわん」
「それはいいね。妲己。だが楊ぜんは人間に手をかけることができるかな」
「できるんじゃない? あの子だって自分の血には逆らえないわん。どこまで持つものか、やって御覧なさい楊ぜんちゃん」
「しかし妲己。その間、僕たちはどうする?」
「あらん。公明ちゃんにはわらわの血をあげるわ。それでちょっとは持つはずよ。もっとも、その前に楊ぜんちゃんが新しい血をくれると思うけどん。だって楊ぜんちゃんは大切な大切なわらわたちの仲間ですものん」
 くすくすという笑い声が小さくなりやがて消える。楊ぜんは太公望の手をそっと離してうなだれて、そして言った。
「ごめんなさい」
「今の話は……」
 そこまで言って太公望、あまりのばかばかしさに笑い出しそうになる。新しい血とか獲物とかこれではまるで吸血鬼伝説だ。なるほど、昼間誰もいないのも頷ける。この町は吸血鬼の町なのだ。みんな棺の中でお休みになっていたと言うわけだ。
「わしはまんまとおぬしに騙されたと言うわけだな」
「ごめんなさい」
 楊ぜんが真面目な顔で謝ったことで太公望はこめかみに冷や汗が流れるのを感じた。これは扉の向こうの男女が酔っ払って酔狂でからかいにきたわけでは決してないのだ。
「何故謝る? そうしなければ生きていけないからそうしておるだけであろう?」
 これから襲われるものとしては随分ふてぶてしく太公望は言った。言ってからまたおかしくなる。一体どうして、獲物たるこのわしがこやつらを正当化してやらねばならぬのだ。
 きっと恐怖を中和したいのだ。だからさっきから引きつった笑いばかり出てくる。なるほど、楊ぜんが美しいわけだ。今まで見たどの映画の吸血鬼もみな美しかった。現実に忠実と言う奴だ。こやつに襲われるなら本望ではないのか、太公望。
 ああ、男であると言うただ一点を除いてはな。
 襲われてその後はどうなる。死ぬのか、仲間になるのか。仲間になるならそれはそれで一興だ。やけに捨て鉢に太公望は思う。
「痛いのは嫌だのぉ。やるなら一瞬でしてくれ」
 が、楊ぜんは首を横にふった。
「あなたには、何もしません」
「不味そうだから、嫌だと言うのか。贅沢な奴め」
「誰からも何もしません」
 楊ぜんがうつむいて、小さく肩を震わせているのを見て、初めて太公望は力を抜いた。
「じゃあ、何故わしをこんなところまで連れてきた?」
「嘘なんです。あの駅舎そのものが」
 楊ぜんの話をつなぎ合わせるとおよそこんな感じになった。
 この町は初め楊ぜんが語ったような外国人のための保養地などではなく、欧米から逃げわたってきた吸血鬼たちが作った小さな町だったのだという。彼らは特に争いを好まず、だいたい平和に暮らしていたようだ。偶に人間の里に降りては狩をする。といっても、彼らは執拗に人を襲うわけではなく、一ヶ月に一度、一人だけを町のために狩った。彼らは彼ら同士で血を分け合うことができ、生き延びてゆくためにはそれで十分だったのだ。
 だから、この町は誰にも発見されることもなかった。
 大体日本と言う国は古来から吸血鬼の伝説があるわけでもなく、宗教活動が活発に行われているわけでもなく、人が消えればせいぜい神隠しと恐れられる程度。彼らにとってはとても住みやすいところだったのだそうだ。
 だが、欧米の文化が輸入されてくるにつれてそうも言っていられなくなった。吸血鬼伝説はあっという間に浸透し、知らないものはもはやいない。メディアが発達した今、人間世界で少しでも騒ぎを起こせば命取りだ。そもそも、このままでは町が発見されるのも時間の問題だった。
 そこで彼らは町自体を異空間に閉じ込めた、のだそうだ。
 そして、月に一度狩りに行く代わりに月に一度、例の電車を使い旅行客を迷い込ませることにした。
「僕たちは人に暗示を与えることができる」
「催眠術というやつか」
「ちょっとちがいますが、似ています。催眠術は精神に働きかけるけど、僕たちはもっと物理的なものに働きかける。あの電車は電車自体に暗示が与えられているんです。月に一度だけ現れる、蜃気楼みたいなものです。当然時刻表も嘘。ここに来る電車はあっても、ここから戻る電車はないんです」
「つまりわしは、あの電車につかまった時点で、おぬしの言う異空間に落っこちていたと、そういうわけか」
「そうです」
 楊ぜんは頷いた。
「で?」
 楊ぜんはまっすぐに太公望を見た。真面目な顔で静かに言った。
「あなたは僕が守ります」
「でも、おぬしらわしを食べないと生きていけぬのであろう?」
 楊ぜんはため息のように呟く。
「こんな浅ましい生に執着するなんて、もううんざりです」
「死にたいのか」
「わからない」
 頼りない、子供みたいな顔で楊ぜんは言った。

 あてがわれた部屋で太公望はひたすら空腹と戦っていた。普通の食事を必要としない楊ぜんは、太公望が普通の人間であるということをすっかり失念していた、そうなのだ。食べ物はないこともないが、夜外に出るのは危険だから朝まで待てと楊ぜんのお達しである。
 食われるのも嫌なので、太公望は部屋で大人しくしている。
「空腹はつらかろうのぉ」
 太公望は考える。
 しかし、食われる側が食う側の心配をするというのも妙な話だ。
 ぐるぐるとお腹がなる。
 そういえば、この家にはホットチョコレートがあるはずだ。幾分腹の足しにもなるだろう。いそいそと楊ぜんの部屋らしきところに向かい、ノックしようとして太公望ははたと気がついた。
 断食を決意したものの前に、食べ物であるわしがふらふらと姿を現すのはかなり残酷なことなのではなかろうか。
 結局一度は部屋に戻ったものの、やはり空腹には勝てず、太公望は家捜しを開始した。がさごそとかぎまわり、ぶどう酒を見つけると喜々として歓声を上げる。実は太公望は酒に目がない。その日はそのまま酔っ払って寝てしまった。

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